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春の思い出
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その日、クラリーチェは王宮の執務室でいつものように仕事をこなしていた。
「まぁ、まぁ、ここはなんと空気が悪いのかしら。外はうららかな良いお天気よ」
そう言いながら春らしいパステルグリーンのドレスを身に纏って現れたのは3番目の妹である。
妹は先日子を産み、今は王宮で産後を過ごしている。少し危険のある出産で王宮医師が対応したため里帰り出産となった。
妹は手に花束を抱えているので誰かと会った後に不肖の姉の様子を見に来たのだろう。
「アッカーバ卿がいらしていたの?」
そう聞きながら妹を見ると妹は軽く微笑んだ。
妹の夫であるアメデーオ・アッカーバ卿は毎日のように王宮を訪ねているらしい。仲睦まじいことである。
「あの人、プレゼントといえば花一辺倒で困っちゃうわ。わたくし、子を産んでから少し匂いに敏感で。この花、お姉様が貰ってくださるかしら。」
そう尋ねはしたものの彼女は姉の返事を待たずに花を侍女に手渡した。ボーンチャイナの青い花柄の花瓶が合うと思うわ、と指示を出していた。
その様子を耳で把握しながらクラリーチェはやっと右手からペンを離し、書類をまとめると官吏に渡した。
そうして、隣の応接室へ移動してお茶とクッキーを用意させる。
「お姉様は再婚なさらないの?」
妹は伺うように尋ねてきた。
「そうね。ヴィトが執務を一人前にこなせるようになったら考えるわ」
王家唯一の王子であるヴィットーリオは13歳になった。あと五年もすれば一人前に執務がこなせるだろう。
「それって何年後?その頃、お姉様はおいくつになるかわかっていらして?」
妹は怒ってくれているが仕方がないことである。
「その頃、私は三十を越えるわね。陛下があの状態では誰かが代わりを務めなければいけないし、それには私が適任なのよ。」
父である王はこのところ体調がすぐれない。
体重も増えているし、歩くと足が痛むらしく、ベッドから離れることが難しくなっている。
「お姉様、今ならまだ少し行き遅れているくらいで、チャンスがありますわ」
この妹は少し思い込みが激しいところがあって、古い思考に凝り固まっている。
執務は男性がすること、女性の幸せは結婚だと信じている。
「結婚は一度経験していますし、結婚だけが幸せだとは思わないのよ。」
運ばれてきた紅茶に砂糖を溶かしながらそんなことを口にする。それは本心だった。
「あんな結婚、したうちに入りませんわ。いいですこと?世の中には幸せな結婚というものもございますのよ。アメデーオのモンペーリエ校時代の先輩にアゼル国の公爵家の方がいるのですけれど、その方、去年の流行病で奥様を亡くされたのですって。今、24歳で背も高い素敵な方だって、一度、お顔合わせだけでもいかがかと思っておりますの。それで、今度の復活祭のパーティーにお姉様とその方をお呼びしたいのだけれど。」
こうなった妹は手がつけられない。パーティーで同席するくらいならいいかと思って参加すると返事をした。
今年のパーティーであれば子のお披露目という大義名分もあるし参加することは不自然ではないだろう。
賑やかな妹が部屋から去って再び執務室に戻った。
キャンディボックスからミルクキャンディを一つ口に含み中庭の先にある王宮図書館を見る。
デスクの上に置かれているキャンディボックスは螺鈿細工が美しい木製の入れ物である。
「君は君のやりたいようにすればいいと思うよ」
かつて、まだクラリーチェが少女だった時代、チェーザレが彼女に言った言葉である。
その頃はまだ弟が生まれておらず、この先の王をどうするのかが度々話題になっていた。
不思議と父の弟が生まれて以降、王位継承権の上位者に男子が生まれていなかったのだ。
クラリーチェが優秀であったため、よりその話題は人々の口に上るようになった。
しかし、保守的な王宮には女王の誕生に否定的な人の方が多い。女王の話もクラリーチェの優秀さもどこか否定的なニュアンスでクラリーチェの耳には届く。
次第にクラリーチェは空気を読みあまり勉強をしない方が良いのかもしれないと思い始めた。
それでも知識欲を止めることはできず、図書館で娯楽小説を読むフリをして古代の戦術書を読んだりしていた。
そんな時、図書館でチェーザレに言われた言葉である。
チェーザレはおそらく覚えていないだろう。それでもクラリーチェはその言葉に救われた。
あまり同世代の男子と接する機会のないクラリーチェにとってチェーザレが初恋の君になるのは必然だった。
なにしろチェーザレは見目も麗しかったのだから。
結婚式で隣に立ったチェーザレはとても美しかった。
あの瞬間、クラリーチェは確かに世界一幸せな花嫁だった。いや、チェーザレとの結婚自体クラリーチェにとっては幸せな結婚だった。
普通の貴族家であれば妻が執務に口出しできない。
クラリーチェは口出しどころか、どうすれば良いか考え、実行し、そして成果も出した。
クラリーチェが今王宮で執務につけているのもあの結婚生活の一年間があったからだ。
「私は私のやりたいように」
そう言いながらクラリーチェはチェーザレが作った木工細工のキャンディボックスを愛おしそうに一撫でした。
「まぁ、まぁ、ここはなんと空気が悪いのかしら。外はうららかな良いお天気よ」
そう言いながら春らしいパステルグリーンのドレスを身に纏って現れたのは3番目の妹である。
妹は先日子を産み、今は王宮で産後を過ごしている。少し危険のある出産で王宮医師が対応したため里帰り出産となった。
妹は手に花束を抱えているので誰かと会った後に不肖の姉の様子を見に来たのだろう。
「アッカーバ卿がいらしていたの?」
そう聞きながら妹を見ると妹は軽く微笑んだ。
妹の夫であるアメデーオ・アッカーバ卿は毎日のように王宮を訪ねているらしい。仲睦まじいことである。
「あの人、プレゼントといえば花一辺倒で困っちゃうわ。わたくし、子を産んでから少し匂いに敏感で。この花、お姉様が貰ってくださるかしら。」
そう尋ねはしたものの彼女は姉の返事を待たずに花を侍女に手渡した。ボーンチャイナの青い花柄の花瓶が合うと思うわ、と指示を出していた。
その様子を耳で把握しながらクラリーチェはやっと右手からペンを離し、書類をまとめると官吏に渡した。
そうして、隣の応接室へ移動してお茶とクッキーを用意させる。
「お姉様は再婚なさらないの?」
妹は伺うように尋ねてきた。
「そうね。ヴィトが執務を一人前にこなせるようになったら考えるわ」
王家唯一の王子であるヴィットーリオは13歳になった。あと五年もすれば一人前に執務がこなせるだろう。
「それって何年後?その頃、お姉様はおいくつになるかわかっていらして?」
妹は怒ってくれているが仕方がないことである。
「その頃、私は三十を越えるわね。陛下があの状態では誰かが代わりを務めなければいけないし、それには私が適任なのよ。」
父である王はこのところ体調がすぐれない。
体重も増えているし、歩くと足が痛むらしく、ベッドから離れることが難しくなっている。
「お姉様、今ならまだ少し行き遅れているくらいで、チャンスがありますわ」
この妹は少し思い込みが激しいところがあって、古い思考に凝り固まっている。
執務は男性がすること、女性の幸せは結婚だと信じている。
「結婚は一度経験していますし、結婚だけが幸せだとは思わないのよ。」
運ばれてきた紅茶に砂糖を溶かしながらそんなことを口にする。それは本心だった。
「あんな結婚、したうちに入りませんわ。いいですこと?世の中には幸せな結婚というものもございますのよ。アメデーオのモンペーリエ校時代の先輩にアゼル国の公爵家の方がいるのですけれど、その方、去年の流行病で奥様を亡くされたのですって。今、24歳で背も高い素敵な方だって、一度、お顔合わせだけでもいかがかと思っておりますの。それで、今度の復活祭のパーティーにお姉様とその方をお呼びしたいのだけれど。」
こうなった妹は手がつけられない。パーティーで同席するくらいならいいかと思って参加すると返事をした。
今年のパーティーであれば子のお披露目という大義名分もあるし参加することは不自然ではないだろう。
賑やかな妹が部屋から去って再び執務室に戻った。
キャンディボックスからミルクキャンディを一つ口に含み中庭の先にある王宮図書館を見る。
デスクの上に置かれているキャンディボックスは螺鈿細工が美しい木製の入れ物である。
「君は君のやりたいようにすればいいと思うよ」
かつて、まだクラリーチェが少女だった時代、チェーザレが彼女に言った言葉である。
その頃はまだ弟が生まれておらず、この先の王をどうするのかが度々話題になっていた。
不思議と父の弟が生まれて以降、王位継承権の上位者に男子が生まれていなかったのだ。
クラリーチェが優秀であったため、よりその話題は人々の口に上るようになった。
しかし、保守的な王宮には女王の誕生に否定的な人の方が多い。女王の話もクラリーチェの優秀さもどこか否定的なニュアンスでクラリーチェの耳には届く。
次第にクラリーチェは空気を読みあまり勉強をしない方が良いのかもしれないと思い始めた。
それでも知識欲を止めることはできず、図書館で娯楽小説を読むフリをして古代の戦術書を読んだりしていた。
そんな時、図書館でチェーザレに言われた言葉である。
チェーザレはおそらく覚えていないだろう。それでもクラリーチェはその言葉に救われた。
あまり同世代の男子と接する機会のないクラリーチェにとってチェーザレが初恋の君になるのは必然だった。
なにしろチェーザレは見目も麗しかったのだから。
結婚式で隣に立ったチェーザレはとても美しかった。
あの瞬間、クラリーチェは確かに世界一幸せな花嫁だった。いや、チェーザレとの結婚自体クラリーチェにとっては幸せな結婚だった。
普通の貴族家であれば妻が執務に口出しできない。
クラリーチェは口出しどころか、どうすれば良いか考え、実行し、そして成果も出した。
クラリーチェが今王宮で執務につけているのもあの結婚生活の一年間があったからだ。
「私は私のやりたいように」
そう言いながらクラリーチェはチェーザレが作った木工細工のキャンディボックスを愛おしそうに一撫でした。
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