まばゆいほどに深い闇(アルファポリス版・完結済)

おにぎり1000米

文字の大きさ
33 / 107
第2部 ハウス・デュマー

12.霧の虹(前編)

しおりを挟む
『零』
 加賀美が画面のむこうで眉をひそめている。
『具合が悪そうだ』
「うん。少し」

 俺はそう答えたものの、逆にそこまでひどい顔色なのだろうかと不安になった。藤野谷と三波が帰ったあとで昼食を吐いたから、シャワーで体を洗ってしばらくリビングで眠り、そのせいか夕方になると気分はかなりよくなっていた。
 シャワーで中和剤のパッチを剥がすとましになったので、やはりこれが良くなかったのかもしれない。峡にガミガミいわれるわけだ。でも藤野谷は俺に触れても気づかなかった――たぶん、そうだろう。加えて俺はヒートの兆候があるのではないかと内心びくびくしていたのだが、いまのところ何も感じなかった。

『どうした? 仕事が忙しい?』
「そんなわけでも……」
『会わないか?』
 前触れなく加賀美はいった。彼の背後にはいつもの書棚があり、映像モニターは今日は暗いままだ。
『明日は土曜だろう? 暖かくなってきたし、零がよければふたりで出かけたいと思ったんだが』

 俺は無意識に顔をしかめていたらしい。加賀美がなだめるようにふっと笑ったからだ。彼はひとの表情を読むのが得意だった。加賀美と話すとほっとするのは、彼が俺を細かく気づかってくれるからだ。画面越しに話しているにもかかわらず、どれだけ繊細に加賀美が言葉を選んでいるのかに気づいてはっとするときが何度かあった。

 年上で余裕があるから、というわけでもないのだろう。藤野谷が加賀美の年齢になったところでこんな風になるとは思えない。大学生の藤野谷の声が浮かんでくる。高校の頃のように、彼はいつも俺を外へ誘い出そうとした。何度断ってもこりもせずに。

(サエ、***へ行かない?)
(俺はいいよ)
(どうして?)
(遠いだろ)
(俺が車出すよ。ついでにドライブしよう)

 何度藤野谷に誘われても俺は断りつづけた。その頃はもう、十六歳の時と同じではないとわかっていたからだ。
 藤野谷を頭から締め出したいのにそれができないのが辛かった。どうして今日、俺はあいつにいいかげんやめてくれといえなかったのだろう。おまけにうっかりおかしなことを口走りそうだった。また関わってしまったなら、せめて友人としてつかず離れずの距離でいられないのだろうか。そうすればあいつがもし本当のことを知ったとしても……。

『零、気が進まないか?』
 加賀美がいって、俺は不自然に黙りこんでしまったことに気づいた。
「ごめん、そんなわけじゃない」とあわてて答える。「考え事をしていて」
『こういうのはどう? 外へ出ない方がいいなら、明日の午後、デュマーのレストランでランチかアフタヌーンティーとしゃれこむんだ。それからシアタールームでゆっくり映画をみるというのは。予約しておくよ』
 デュマーのレストランといえば、峡が「レシピを聞いてくれ」なんて冗談をいっていた店だ。
 俺はおそるおそる言葉を探した。
「ええと――俺はデートに誘われている?」
『そう思ってくれて安心したよ』
 加賀美は微笑んだ。




 翌日、加賀美のいったとおり天気はよかったが、空はぼんやりと霞んでいる。約束の時間を前にして、俺は何を着るか迷った。なにしろデートと名のつく出来事に俺は縁がないのだ。悩むほど服を持っているわけでもないのに、ジャケットとシャツとパンツの組み合わせに悩み、峡に貰ったものの使う機会のなかったニットタイを試し、靴をどうするか悩んだあげく、しばらく履いていなかった革靴を磨いた。

 三波ならこういうときけっして困らないのだろう。そういえば彼は昨日、藤野谷のようなオレオレアルファはタイプじゃない、といっていなかったか。あらためて思い出し、俺は思わずふきだした。あんな風に藤野谷をぶった切れるのは三波くらいではないだろうか。

 迎えの車でハウス・デュマーにつき、AIエージェントのサムに挨拶する。昼間のハウスは夜とは雰囲気が少しちがうが、外部から完全に切り離された高級ホテルのような印象は変わらない。
 加賀美はもうロビーにいて、俺をみとめて立ち上がった。テーラードジャケットとスリムなタートルネックセーターというスタイルが休日の午後によく似合う。

「零」

 加賀美は満面の笑みを浮かべて横にならび、俺はごく自然に肩を抱かれた。今日はカーニバル・デイではない。中和剤も使っていないし、仮面もなく素顔をさらしているのに、ほっと息がつけるような気がした。昼間のデュマーが夜と違って落ち着いているせいか、それとも加賀美がまったく周囲を気にせずに堂々と立っているせいだろうか。

 レストランはパティオに面していた。テーブルは淡いグリーンのクロスが敷かれ、一輪挿しに黄色い花が飾ってある。遅いランチのコースは、最初に峡が喜びそうな手のこんだ前菜とスープが出た。メインは加賀美が魚を選び、俺は肉にした。最後はデザートのアイスクリーム。

 最近毎日のようにビデオを通じて顔をみているせいか、向かいに座る男と距離を感じなかった。食べながら昨日の続きのようにニュースや映画について話をして、食後のコーヒーを飲み、店を出たときだった。誰かに見られているような気がした。

 俺はガラスに映った自分を確認するように眺める。見慣れた自分と少しちがっているような気がしたのは、慣れないニットタイのせいだろうか。
「零?」加賀美が呼んだ。
 自意識過剰だと内心自分をわらって、俺は「なんでもない」と答えた。加賀美は長身をわずかにかがめ、俺の髪に触れた。指が耳のうしろをなぞり、首筋におりる。
「シアタールームへ行こうか」

 AIエージェントのサムが今回案内した部屋は、二月のあの日に加賀美を待った部屋よりも奥にあった。あのとき俺は映画どころではなく、設備もほとんど確認できなかったのだが、この中は豪華な貸切ミニシアターといった趣だ。スピーカーは高級品だし、ミニバーもある。
 ふかふかのソファに腰をおろすと自然と大きな画面を見上げるような姿勢になる。ついさっきレストランで話題にした作品を加賀美がリモコンで呼び出した。昨年アワードを受賞した海外の映画で、俺は見ていなかった。

 加賀美は照明を半分落とした。オープニングがはじまるとすぐそばに加賀美の体温を感じる。映画は、敵対する一族に生まれたアルファとオメガが〈運命のつがい〉だったという古典的な恋愛要素に、前世紀の大戦で起きた殺人事件を絡めたストーリーだ。ラストでは主人公ふたりが〈運命のつがい〉だからこそ謎が解ける、そんなからくりになっている。
 ありがちな物語だが、主人公ふたりの目線を生かしたユニークな映像構成や俳優の演技力、ラストに仕掛けられた驚きの種明かし、といった要素でヒットして、公開時は批評家にも高く評価された。
 黒の背景に白文字のクレジットが流れ、俺はソファの上で伸びをする。

「どうだった?」と加賀美がたずねた。
「まあまあかな。協力して謎を解く部分は好きだ」
 そう俺は答える。途中でソーダ割りを飲みはじめたせいで、少し酔いが回っていた。
「最後の仕掛けはどう思う?」

 加賀美は立ち上がってミニバーへ回った。クレジットはまだしばらく続きそうだった。エンディングテーマが一度変わり、ユニット毎にスタッフの名前が流れていく。
「アルファに見えた方がオメガで、オメガらしい方がアルファだったというオチ? 面白いといえば面白いし、外見ではわからない、というのが現代的なのかな」
「要するに、零はあまり気に入らなかった?」
「いや。ただこういう映画だと、運命のつがいって万能薬みたいに使われるな、と思って」
 ミニバーの方向から小さな笑い声が立った。
「たしかにそうだ」

 映画の中では、主人公のふたりは〈運命のつがい〉だからこそ、何でも乗り越えられることになっている。親世代の憎悪は主人公ふたりとは無縁で、どちらがアルファでオメガなのかも関係がない。

「俺の親は――運命のつがい同士だったらしいけれど、万能薬どころか、そのせいでむしろ面倒が増えたと思うよ」
 ぼそっとつぶやくと加賀美は眉をあげた。
「それは?」
 たぶんウイスキーのせいだろう。口が軽くなっているのを自覚したが、まあいいかと俺は思った。

「俺を産んだ人は夫がいたのに運命のつがいと出会った。一度その相手のもとに走ったけれど、夫のところへ連れ戻された。それが数年後にまた偶然再会して、彼の元に逃げた。そして俺が生まれたんだ」
「それなら零は〈運命のつがい〉の子供なのか。それはまた……」
「めずらしい?」
「運命のつがいなんて、それこそほとんどの人は映画の中でしか知らないんじゃないか?」

 グラスに氷の音を響かせながら加賀美が横に座る。膝が触れあって温かかった。
「この先の話を聞きたい?」と俺はたずねる。
「あらかじめいっておくけど、三流の怪談みたいになる」
 加賀美はうなずいた。
「聞きたいな」
「いつ知ったのかも覚えていないような話なんだ。俺もほんとうは信じていない」
「話してくれ」



しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

36.8℃

月波結
BL
高校2年生、音寧は繊細なΩ。幼馴染の秀一郎は文武両道のα。 ふたりは「番候補」として婚約を控えながら、音寧のフェロモンの影響で距離を保たなければならない。 近づけば香りが溢れ、ふたりの感情が揺れる。音寧のフェロモンは、バニラビーンズの甘い香りに例えられ、『運命の番』と言われる秀一郎の身体はそれに強く反応してしまう。 制度、家族、将来——すべてがふたりを結びつけようとする一方で、薬で抑えた想いは、触れられない手の間をすり抜けていく。 転校生の肇くんとの友情、婚約者候補としての葛藤、そして「待ってる」の一言が、ふたりの未来を静かに照らす。 36.8℃の微熱が続く日々の中で、ふたりは“運命”を選び取ることができるのか。 香りと距離、運命、そして選択の物語。

【完結】end roll.〜あなたの最期に、俺はいましたか〜

みやの
BL
ーー……俺は、本能に殺されたかった。 自分で選び、番になった恋人を事故で亡くしたオメガ・要。 残されたのは、抜け殻みたいな体と、二度と戻らない日々への悔いだけだった。 この世界には、生涯に一度だけ「本当の番」がいる―― そう信じられていても、要はもう「運命」なんて言葉を信じることができない。 亡くした番の記憶と、本能が求める現在のあいだで引き裂かれながら、 それでも生きてしまうΩの物語。 痛くて、残酷なラブストーリー。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

君に会いに行こう

大波小波
BL
 第二性がアルファの九丈 玄馬(くじょう げんま)は、若くして組の頭となった極道だ。  さびれた商店街を再開発するため、玄馬はあるカフェに立ち退きを迫り始める。  ところが、そこで出会ったオメガの桂 幸樹(かつら こうき)に、惹かれてしまう。  立ち退きを拒むマスターの弱みを握ろうと、幸樹に近づいた玄馬だったが、次第に本気になってゆく……。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

番じゃない僕らの恋~俺の唯一だった君~

伊織
BL
高校1年生の蓮(れん)は、成績優秀で運動神経も抜群なアルファ。 誰よりも大切に想っているのは、幼い頃からずっとそばにいた幼なじみのオメガ・陽(ひなた)だった。 初めての発情期(ヒート)──それは、蓮と陽の関係を静かに、でも確実に変えていく。 「陽が、知らない誰かに抱かれるのは嫌だ」 その言葉をきっかけに、陽は蓮だけに身体を預けるようになる。 まだ番にはなれない年齢のふたり。 触れ合えば触れ合うほど、高まる独占欲と焦燥、そして不安。 ただ一緒にいられる今を、大切に過ごしていた。 けれど、優しくあるはずのこの世界は、オメガである陽に静かな圧力を与えていく。 気づけば、陽が少しずつ遠ざかっていく。 守りたくても守りきれない。 アルファであるはずの自分の無力さに、蓮は打ちのめされていく。 番じゃない。 それでも本気で求め合った、たったひとつの恋。 これは、ひとりのアルファが、 大切なオメガを想い続ける、切なくて愛しい学園オメガバース・ラブストーリー。

【完結】1億あげるから俺とキスして

SKYTRICK
BL
校内で有名な金持ち美形記憶喪失先輩×取り柄のない平凡鈍感後輩 ——真紀人先輩、全て忘れてしまったんですね 司の恋は高校時代の一度だけ。二学年上の真紀人とは一年にも満たない交流だったけれど、それでも司は真紀人への恋を忘れられずにいた。 名門私立校に生活を切り詰めながら通っていた一般家庭の司とは違って、真紀人は上流階級の人間だった。二人の交流は傍目から見ても異様で、最後に別れた日は、司にとっても悲しい記憶になっている。 先に卒業した真紀人と会うこともないまま司も高校を卒業し九年が経った。 真紀人は会社を立ち上げ、若手社長として見事に成功している。司は恋を忘れられないまま、彼とは無縁の人生を歩むが、突如として勤めていた会社が倒産し無職になってしまう。 途方に暮れた司だが、偶然にも真紀人の会社から声をかけられる。自分が真紀人と知り合いだと知らない社員は話を進め、とうとう真紀人との面接に至ってしまう。 このままだとダメだ。なぜなら自分たちの別れは最悪すぎる。追い返されるに決まっている。顔面蒼白する司だが、真紀人の反応は違った。 「俺とお前がただの知り合いなのか?」 事故で記憶に障害を受けた真紀人は、司を忘れていたのだ。 彼は言った。 「そんなわけがない」「もしそうなら俺は頭がおかしいな——……」 ⭐︎一言でも感想嬉しいです。

処理中です...