さだめの星が紡ぐ糸

おにぎり1000米

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第6章 天の川

6.約束と束縛

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 マンションのドアが開いたとき、境一有は靴脱ぎのすぐ先に立っていた。車が駐車場にすべりこむのは窓からしっかり見えたので、ドアが開くタイミングは計算済みである。
「ずいぶん時間がかかったな、キョウ」

 鷲尾崎叶はひたいに汗をにじませたまま、困ったように両眉を下げた。外は暗くなっているが、今年の夏は夕涼みなどおよそ無縁である。
「すまない」
「八月七日だ。一カ月も前から有休をとれといってたのはおまえだ。それなのに朝早くから出て行って――」
「悪かった。あとで説明する。急を要する事態で、実際あぶないところだったんだ。間に合ったが」

 大柄なアルファは肩を丸めた。獰猛な大型犬がしょんぼりしているように見え、一有は肩をすくめる。
「暑かっただろ。着替えろよ。用意はしてある」
「用意?」
「結婚記念日の用意だよ。さっさと来い」

 鷲尾崎家は質実剛健を旨とする家風で、名族といっても世間で想像するような、ものすごい贅沢とはあまり縁がない。おまけにふたりとも毎日忙しく、それぞれ外食や弁当ですませる日も多い。
 だからこそ記念日は家でゆっくり手作りのディナーでも、と思っていたのに、一有と同じくオフだったはずの叶は急な呼び出しで朝から出て行ってしまった。

「ほら、そこに座れ」

 ワイシャツから襟なしのトップスに着替えても、叶はまだ暑そうに顔を火照らせている。籍を入れて一年になるが、ベータの一有がアルファの叶とふたりで暮らしているのは大学時代に居候していた叶のマンションだ。といっても、リノベーションにより昔の面影はほとんど残っていない。メゾネット式の下階にはキッチンその他の水回りと、だだっぴろいリビング・ダイニング、それに寝室、上階の二部屋はそれぞれの書斎として使っている。

 学生時代と同じく、独身男の住処へ独身男が転がりこんだように見えなくもないが、出会った年から数えると、入籍時点で二十四年になる付き合いである。初対面の一瞥でベータの一有をロックオンしたのはアルファの叶だ。当然というべきか。

「シェリーを冷やしておいたが、ビールの方がいいか?」
 一有はたずねたが、叶は白いクロスをかけたダイニングテーブルを見て固まっている。セットされたナプキンとカトラリー、それに一輪挿しのヒマワリ。
「おい、なんとかいえよ」
「……てっきりどこかの店を予約したのかと……」
「万が一急なキャンセルでもあったら迷惑になると思ってさ。正解だった。ほら、座れって」

 一有は冷蔵庫に向かったが、背後から抱きしめられて立ち止まった。有無をいわせないキスからようやく逃れて、呆れたような声をあげる。
「キョウ! 俺はビールかシェリーかって聞いてるんだ」
「…すまん」
「わかった、ビールにしよう。早く座れ」

 ふたりはクロスをかけたテーブルに向かいあい、白い泡をのせたグラスを掲げた。
「キョウ、結婚記念日ってなんていうんだ? 俺たちおめでとう?」
「俺がいいたいのはむしろ……ありがとう、かもしれない」
「なるほど。とにかく一年だ。これからもよろしく」
 グラスがかちりと触れあい、一輪挿しでヒマワリが揺れる。




「それにしても今日の用事は何だったんだ? 完全にオフにするっていってただろう」
 ゆったりと食事をしたあと、ふたりは巨大なソファに座っていた。大画面液晶で流れている映画はいつしか単なるBGMに成り果てている。

「加賀美家当主からの要請だ。急遽代理人が必要な件があって呼ばれた」
「つまり弁護士として? おい、大丈夫なのか? これ以上忙しくなるなよ」
 叶は眉を下げて、その先を続けるのを一瞬迷ったようにみえた。

「それだが……」
「おい、キョウ、おまえ、そんな顔をする時はさらに何かある時だぞ」
「……八月初めに特命でCPに下ろした案件があるだろう」
「ん? 違法オメガ風俗の話か? あれなら薬ルートから調べがついて、脩平が報告書をあげたが」
「ああ、今日確認した。午前中に加賀美氏から話を聞いて訪問して、その後調べているうちに、対象の人物も絡んでいるとわかった。それで……」

 一有は胸に巻きつこうとする叶の腕を容赦なく引き剥がした。
「おい、キョウ。何を期待している。そんな目で俺を見るな。副社長じきじきの特命案件なんて、これ以上増やさないでくれ」
「……あいにく、急を要するんだ」
 叶は腰をずらして、一有にぴったり密着する。

「オメガの保護も絡んでいる。とある名族に婿入りしたアルファが外で〈運命のつがい〉のオメガに出会って、厄介な事態になっている。もとの妻と〈運命〉で番狂わせが起きて、くだんの名族はスキャンダルを怖れ、婿のアルファを強制隔離したようだ。一方でオメガの方も口止めしようとしている。だが加賀美家当主の加賀美光央は〈運命のつがい〉には一家言ある人で、加えて一般人のアルファとオメガを、名族がそうやって追いつめるのは容認できないと」
「〈運命のつがい〉ね」

 一有の頭にふたつの顔が浮かんだ。実業家の藤野谷天藍とアーティストの佐枝零、かつて任務で関わったこのふたりが、一有の知る唯一の〈運命のつがい〉だ。

「強制隔離とは穏やかじゃないな。だがそのアルファはその名族に婿に入ったんだろう? オメガの妻とはうまくいっていなかったのか?」
「どうやら政略結婚――いや、もっとはっきりいえば、買われたようだ」
 一有はぽかんと口をあけた。
「買われた? アルファだろ?」
「その事情を調べていて遅くなった。そのアルファは祖父からとある不動産を相続している。登録有形文化財に指定された建物と土地だ」
 いきなり聞きなれない言葉が登場し、一有はソファの上で姿勢を正した。

「登録――なんだって?」
「登録有形文化財、歴史的建造物と国が指定した建物だ。もっとも国宝や重要文化財のような規制もないし、維持管理のための補助金もない。だから最近は解体されている場合も多い。維持管理コストや耐震化の費用が高すぎて、手放さざるを得ないケースが続出しているんだ。ちょっと前に都心の駅が解体されただろう? 三角屋根の木造の……」
 例に出た建物はわかったが、その先の事情は一有には想像がつかなかった。

「じゃ、そのアルファは名族に婿入りして、その費用を肩代わりしてもらったのか?」
「もうちょっとややこしい。問題は彼の実家だ。そのアルファの存命の家族は全員ベータなんだが、かなり大きな負債があった。祖父が亡くなった時も相続ではかなり揉めたようだ。そこにさらに地震が起きた」
「地震?」
「覚えていないか? 断層のずれで、ピンポイントに大きな被害が出た――あとは状況証拠による推理だ。地震でさらに補修費が必要になったところで、そのアルファは名族に相続財産を売却するか、さもなければ婿入りするかを迫られたんじゃないか。実家も援助を受けているから、婿入りには大賛成だっただろう。くだんの名族は不動産開発で有名な女系アルファ――といえば、もうわかると思うが」
「……宮久保家か」

 つい最近もその名前を聞いた、と一有は思った。
「本人は納得づくだったんだろう」と叶がいう。
「にしても……」
 一有は首をかしげる。
「そんなに家とか土地とか、手放したくないものなのか? いくら文化財といっても……」
「それは人それぞれだろう」
 いつのまにか叶の腕は一有の腰をしっかりホールドしている。

「俺は鷲尾崎の本家がどうなろうとかまわないが、この家を誰かに奪われそうになったら、それなりのことはする」
「こんな古いマンションを?」
「俺にとっては愛着がある。アルファは――執念深いからな。アルファとしての意地もある」
「たしかにな」
 一有は腰に回った腕を剥がすのをあきらめて、叶の肩にもたれた。

「ではそうやって、自分たちに絶対に忠実なアルファを手に入れた、というわけだ。〈運命〉が現れるまで」
「そう――で、最初の話に戻るが、例の違法オメガ風俗の男が〈運命〉のオメガに接近をはかっていた。至急手を打たないと、オメガの方へ危険が及ぶ可能性もある。それで今日加賀美氏と彼の家を訪ねたら、宮久保家の使いが口止めに来ていた。急いで追い払ったよ」
「おっと。ファインプレーだな」
 一有は思わず口笛を吹いた。
「ただし、彼と突っこんだ面談はしていない。アルファ二人でオメガの面談はまずいだろう?」
「それで特命チームを招集するって? まったく……」

 やっと話の全貌がみえたときには、一有のシャツのあいだに叶の指が入りこんでいる。敏感な場所を弄られて、一有はびくっと背中を震わせた。

「キョウ」
「ん?」
「おまえにもし〈運命〉があらわれても……俺は黙って身を引くなんて、できないかもしれない」
 叶は黙って一有の首筋に唇を押しつけた。
「俺の運命はおまえだ。イチウ」



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