先代勇者の尻ぬぐい

沢鴨ゆうま

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第一章 下拭き

1-4 他国の商人

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「ちょっと待ちなされ……あんた勇者じゃろ。一般のおばさんに手も足も出ないとは、情けない」

 お店のおばさんから受けた『威嚇』で思わず早歩きによる撤退をした勇者ユシャリーノ。
 他国の貿易商人Aは一部始終を見ていたらしく、すれ違いざまにユシャリーノへ声を掛けた。

「おじさん、ありがと!」
「んあ? な、なんじゃ」

 ユシャリーノは勢いよく振り返り、他国の貿易商人Aに感謝した。

「あんたの言う通りだ。情け無いったらありゃしないよ。勇者が動揺するなんてあっちゃいけないよな」
「何のことだかさっぱりわからんが、やはり勇者だったか。その剣でもしやと思ってな」

 他国の貿易商人Aが差す指の先をたどっていくと、勇者の剣が目に入った。

「これか。なーんだ、ちゃんと勇者だってわかるじゃないか。さっき王様からマントにブーツももらったんすよ。これ、ほら、ね? ほらほら」

 見せびらかす新人勇者にあきれ顔しかできない他国の貿易商人A。

「なんとも変わった勇者じゃな。なんで声を掛けちまったんだか」

 他国の貿易商人Aは、自制心で操ることが不可能な『思わず』が発動されてしまったようだ。

「歳をとるってのは経験値が高くなることだと思っていたが、ただ体の機能が劣るだけらしい」

 大きくため息をついてから、恨めしそうな目つきで勇者を見た。
 地元で色々な人と接していたユシャリーノは、これまでの経験を生かして表情から察する。

「どこか具合が悪いのか? 俺、勇者なんでなんでもできるはずなんだけど、まだ何ができるかわからないんだよ。力になれるといいんだけど」
「は?」

 再び『思わず』を発動した他国の貿易商人Aは、口をあんぐりと開けて一文字だけ吐いた。
 そう、ユシャリーノの推察は見事に外したのである。
 どうやらこれまでの経験は、実家の近所でしか通じないようだ。

「ふむ、勇者としての経験値が無いに等しいようじゃな」

 他国の貿易商人Aは妙に納得したようで、あごを撫でながらにやりと笑った。

「あんた……ああっと、勇者様。もしかして旅に出るところですかな?」
「そうだけど」
「愚問かもしれんが、旅の準備は済んでおられるかの?」
「旅の準備か。そういえばどこへ向かえばいいのかばかり気にしていて、準備はまったくしていないな」
「いやはや、それはなんとも――」

 あきれるのも無理はない。
 だが、新人ということで目を瞑るという器の大きさを持っていたようだ。
 勇者になるほど秀でた人物のはずだからと、大目に見てあげた。

「声を掛けたのはわしの方じゃ。少々手を貸すのはやぶさかではないですがの。わしなんぞでよければだが」

 ユシャリーノは、他国の貿易商人Aから思いもしなかった提案に目を輝かせた。

「ほ、本当っすか」

 満面に広がる笑みをぶつけるユシャリーノ。
 勇者に必要なメンタルの強さを感じさせる。

「ほほう、多少は悩んでいるのかと思ったが気のせいだったか。勇者としての素質はあるようじゃ」
「いやー、それほどでも……あるかも」

 ユシャリーノはゆっくりと突き出すようにして胸を張ってみせた。
 他国の貿易商人Aは軽く握った片手を口に当てて、笑いをこらえながら話を続ける。

「ではまず……そうですな、旅へ出るにも経験値が低くてはまずい。わしのような一般人を守るどころかあなた自身を守ることもできないでしょう。差し当たり、洞窟で場数をこなされてはどうですかな」
「洞窟……なるほど」

 肩肘を支えて頬杖をついてみせるユシャリーノだが、目線が定まっていない。
 誰が見ても理解できていないとわかる。

「しかし、今すぐ洞窟へ行くのは無謀というもの。装備や食料を充実させてからがいいでしょう。ところで、拠点はどちらに?」
「拠点? 山仕事ではよく使っていたな」

 ユシャリーノは頬杖をついたままじっとしている。

「ふむ、宿無しのようですな。装備や食料の蓄え、そして何より体を休ませる場所として雨風をしのぐ場所は必須でしょう。場数を踏むなら当分はこの町に留まるはず。となるとまずは家探しから……いや、わしがそこまで手伝うことなのか?」

 他国の貿易商人Aはふと我に返った。
 勇者に一般人の自分が何をしているんだ、と。
 いや、勇者だと思い込んで一般能力の『思わず』が発動してしまったがために声を掛けただけに過ぎない。
 そう、実のところ彼にしてみれば勇者と認める材料は勇者の剣と、王様からもらったというマントとブーツだけ。
 他国の貿易商人Aは、ユシャリーノのことを徐々にただの少年としか見ることができなくなってきた。
 素朴な疑問により一般能力『保身』が発動する。

「家か……」
「わ、わしは家のことまでは知らん」

 他国の貿易商人Aは、ぷいっとそっぽを向く。

「まだ何も言っていないけど」
「わ、わしは家のことまでは知らん」
「はあ……」

 そっぽを向いたまま同じことを口走った他国の貿易商人A。
 ユシャリーノは首を傾げるが、勇者について詳しそうな人だとわかった以上、できるだけ情報を引き出したいところだ。

「あのー」

 そっぽを向いている正面に顔を移し、尋ねてみる。

 ――ぷいっ。

「聞きたいことが」

 ――ぷいっ。

 他国の貿易商人Aは、視線反らし選手権の覇者かと思わせる見事な回避を披露する。

「経験を積むための洞窟ってどこですか?」

 ユシャリーノもこのチャンスを逃すまいと質問を続ける。

「差し当たり、洞窟で場数をこなされてはどうですかな」
「その洞窟がどこにあるかをですね……」
「しかし、今すぐ洞窟へ行くのは無謀というもの。装備や食料の調達を充実させてからがいいでしょう。ところで、拠点はどちらに?」
「そう! その拠点をどうしたものかと」
「ふむ、宿無しのようですな。装備や食料の蓄え、そして何より体を休ませる場所として雨風をしのぐ場所は必須でしょう。場数を踏むなら当分はこの町に留まるはず。となるとまずは家探しから……いや、わしがそこまで手伝うことなのか?」
「おじさん……もしかしてとは思うけど、物忘れがひどいのか?」

 他国の貿易商人Aは黙ってしまった。

「うーん、これは拠点について教えてくれないってことか。いや、洞窟のことと拠点が必要だってことは教えてくれた。それ以上を望んでいる俺がよくない」

 ユシャリーノはゆっくりと姿勢を正した。

「おじさん、ごめんよ。知らなかった情報をくれたってのに、欲を出しちまった。まったく、俺としたことが」

 頭をぺちぺちと叩いてみせ、反省の気持ちを表してみる。
 だが、他国の貿易商人Aはじっと黙ったままだ。

「気分を悪くさせちまったな。おばさんに続いておじさんの機嫌も損ねるとは、確かに経験値が低すぎる」

 自分なりに勇者として何すべきかを見つけた矢先だ。
 かなりのダメージを受けたに違いない。

「ま、まあ、勇者っつってもまだ認証してもらったばっかだから。洞窟で経験値上げたら恩返しするんで、今回は許してくれないか?」

 前言撤回。かなりのポジティブ思考だったようだ。
 他国の貿易商人Aが抱いた第一印象は『勇者としての素質はあるようじゃ』であった。
 その後、ユシャリーノの未熟さによりぶち壊してしまったが、ここに来てポジティブ思考による名誉挽回の光が見えそうな予感だけ漂ってきた。

「なあ、そろそろ機嫌を直してくれよ。俺もさ、悪気があってやってるわけじゃあないんだ。この町に来たばかりな上に、出来立てほやほやの勇者だ。あつあつだとさ、食べられないだろ? ちょっと冷めるまで待ってから食べるでしょ。ね、そうだろ? だからさあ、少し冷めるまで待つって感じで時間をくれると助かるんだけど」

 偶然通りがかっただけのおじさんに頼み込む姿は、およそ勇者とは思えない。
 勇者としての在り方を確立したはずだったが、おばさんの『威嚇』を受けた時に逆戻りしてしまった。



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