先代勇者の尻ぬぐい

沢鴨ゆうま

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第一章 下拭き

2-6 特権

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「それじゃ、あたしは仕事に戻るよ。またいつでも声を掛けておくれ」
「うん、ほんと助かったよ。ありがとな!」

 片手を大きく振り、ゆさゆさと補修品の入った樽を揺らしながら家――拠点へと帰っていくユシャリーノを見て、占い師は笑みを浮かべる。

「初々し過ぎて涙が出そうだよ。この歳で血の巡りを感じられるなんてねえ。感謝するのはこっちの方さ」

 占い師は、放置状態だった商売道具が無事なことを確かめてから、ゆっくりと椅子に座った。
 一方ユシャリーノは、拠点へ向けて歩いていた足をくいっと曲げ、城へと方向転換した。

「途中で持ち主に会えるかもしれないし、このまま城へ向かおう。それに、知らないことだらけって状態から早く抜け出したい。じゃないと何もできねえ」

 他国の貿易商人と出会い、お店のおばさんから威嚇を受けた街道を歩く。
 店が並ぶ道沿いでは、ついきょろきょろと店員の様子を伺ってしまう。
 そして目に飛び込んでくる店員の様子は、みんな何かを投げようとしていた。

「あれだよ、俺が病んでしまう理由は。病んでいる気なんてさらさら無かったけど、クオーレさんが教えてくれたから知ったんだよな。医者も勇者と同じ、もしかしたらそれ以上かもしれない。なんてったって、勇者を助けられる人なんだから……まあ、俺の経験が少なすぎるだけなんだろうけど」

 ユシャリーノは、店員の様子から色々と想像しているうちに商店区間を無事に通過していた。
 すると賑やかな空気は穏やかになり、雑音を排除していた耳が、細かい音まで聞くように切り替わる。

「お? その出で立ちは旅人君じゃないか。もう帰って来たのか?」

 聞き覚えのある城壁門番の声は、ユシャリーノの意識を脳内ダンジョンから現実に引き戻した。

「いや、王様に聞きたいことがあって」
「まーだ勇者ごっこしているのか。わかる、わかるよその気持ち。憧れる人の真似ってしたくなるよな。でもなあ、そういう遊びをしていて違和感がないのは、小さな子どもの時だけだぞ」
「真似じゃなくて、勇者なんだけど」
「わかったわかった。そこまで言うなら付き合ってやるよ。だけどここだけにしておけよ、他の人には冗談として通用しないから」

 ユシャリーノは、勇者が通用しないということを冗談の「じ」にもならないほどに体験済みだ。
 胸を張りっぱなしの門番から言われると、妙に説得力を感じてしまう。

「王様に、本当に俺は勇者なのかも聞いておくか」

 ユシャリーノは、徐々に不安が募りだして、らしくない弱気を吐き始める。
 門番は、そんな気持ちを知ってか知らずか、ユシャリーノに向けて親指を立てて見せると、くいっと後ろに倒した。
 ユシャリーノは、親指が指し示す方向を目で辿ってみる。
 すると、王都で一番大きな建物が見えた。

「行ってきな。くれぐれも怒られないようにな。二度と入ることが出来ない、なんてことになって戻るなよ。お前がここを通る時の最初と最後は、俺が見届けるんだから。今日でお別れになるんじゃ寂し過ぎる」

 ふっ、と鼻で息を吐いた門番は、目線を斜め下に向けてポーズを決めている。
 ユシャリーノのノリに合わせてくれている門番の気持ちなんぞ、知りやしないユシャリーノは、軽く手を挙げてその場を去る。

「気を付けて行ってくるよ。忠告ありがとう」

 顔見知り度が進んだのか、言葉遣いも柔らかくなる。
 門番は、親指以外の指も出して軽く手を振り返した――視線は斜め下を向いたままで。

「何も調べずに通してくれたってことは、やっぱ勇者ってことか。うーむ、勇者かどうかすらわからなくなるとは思わなかったぜ。でも認証されてマントとブーツをもらったんだから、勇者だよな。美人の秘書から渡されて……あ、これからあの人に会えるのか!? またお話できるといいなあ」

 ユシャリーノはぶつぶつと呟く中で、とうとう不純な動機まで発動する始末。
 自ら勇者らしさを消し去ってしまいそうな新人勇者の背中では、樽がゆさゆさと揺れていた。
 にやけた顔で城の敷地内を歩き、到着すると常駐兵に止められた。

「勇者様!? 何か問題が起きたのですか?」
「いや、王様にちょっと聞きたいことがあって」
「そうですか……では、こちらへ」

 常駐兵は、ユシャリーノの要望にあっさり応じ、謁見の間へ案内するよう通りがかった女中に伝えた。
 とんとん拍子で謁見の間へと案内されることに、優越感が沸々と湧いてくるユシャリーノ。

「これが特権というやつか。勇者ってすげえ」
「すごい、という言葉の意味をご存じですか?」

 聞き覚えがある、そして、何よりも待ちこがれていたかもしれない声が、ユシャリーノの耳に飛び込んできた。

「意味? すごいの意味は……素晴らしいとか、並外れた、とか? それぐらいじゃなけりゃ勇者に特権はないと思うなあ」
「うふっ、さすがですね。お久しぶりです、勇者様。お部屋へどうぞ」
「わあ、秘書さん。久しぶりです! 会いたかった」
「え?」
「あ、いや、その……俺、何か言ったっけ?」
「会いたかった、とおっしゃいましたが」

 ユシャリーノは頬を赤く染めて片手を振った。

「まっさかあ。いや、秘書さんに会いたくないっていう意味じゃなくて、ちょっとブーツの中に石があって、あいたたって言ったんですよ。聞き違えたんじゃないですか? 嫌だなあ、もう」
「そう……ですか」

 ユシャリーノは誤魔化しきったと、秘書は誤魔化したなと、同時に思った。
 謁見の間へと入ると、認証式を思い出す光景が広がる。

「おお、懐かし……くないな。ついさっきまでいたような気分だ」
「そうですね。あまりにも早いご訪問なので、何かあったのではと城内はざわついております」
「そんな騒ぎになってるの? いやあ、城を出てから何も知らないことを知ってめっちゃ困ってたんだよ。そしたら勇者特権があることを教えてもらってさ、早速使ってみようってことになってね。王様に色々と聞きたいことがあるんだ」

 秘書は、認証式と同じ立ち位置へ手を差し向けて言った。

「そちらでお待ちください。陛下にお越しいただくよう、ただいまお伝えに向かっておりますので」

 ユシャリーノは、指示された場所に立って王様を待つ姿勢を思い出そうとしたとき、当時は無かった感覚を背中に覚えた。

「あ、樽を背負ったままだった」

 樽を横に置いて、改めて姿勢を正す。
 肩幅に足を開き、拳を握って胸を張る。
 そして精一杯の勇者面を決めてみた。
 最後に目線をどこに合わそうかと、正面の壁から周りの装飾品、そして天井を見上げる。

「何か用?」

 ユシャリーノは、ポーズが決まっていないタイミングで声を掛けられ、体をびくりとさせた。
 背中を反らせたまま振り返ると、壁の端から片目だけ出して覗いている声の主――王様がいた。
 秘書は、近衛兵が開けた扉を受け取る形で持ち手を握ると、一気に開けた。

「こそこそしないでください。勇者様がお待ちです」
「だからこそ、こそこそしてるのに」
「ここまで来ておいてこそこそする必要はないでしょう。早くお入りください」

 王様は、秘書の厳しい目線を受け止めきれず、近衛兵に向けて言った。

「なんで開けたんだよ」
「陛下が開けるようにとおっしゃったので」
「俺があ? そうだっけ」

 秘書は、ため息をドタキャンして、吸った息を言葉に変え、必死にとぼける王様に向けて言った。

「へーいーかあ? その辺でお辞めいただけないのなら、民に『こそこそ王』という名を定着させるよう周知の準備をしましょうか?」

 秘書は、うっすらと拳が見えているような優しく美しい笑みを浮かべ、甘くゆっくりと話して圧をかける。
 ユシャリーノは、王様の声に驚いて振り向いたはずだが、いつしか目線は印象と違う一面を見せている秘書へと移っていた。
 王様は肩をすくめて秘書に謝りつつも、悪あがきを試みる。

「ごめんて。だけどさあ、俺の印象が悪くなると、お前たちも困るだろ?」
「そのようなことは特に……無いですね」
「なんでだよ」
「そんな王様に付いて仕事をこなしているのか、偉いぞとお褒め頂けるので」

 秘書は表情を真顔に戻し、ユシャリーノへ手を差し向けた。

「そろそろ勇者様から斬りつけられるかもしれませんよ」
「俺には味方がいないのか……で、勇者が来たということは、成果報告か?」

 王様は、何事もなかったかのように、背筋を伸ばしてつかつかと歩き、ユシャリーノの前に立った。
 ユシャリーノは王様が玉座に座るのに合わせ、床に片膝をついて頭を下げた。

「その成果を上げるための情報がまったくなく、困ってしまいまして」
「情報とは?」
「まず、本当に俺は勇者なのでしょうか」
「は? 認証式しただろう。冗談であんなことするほど俺は暇じゃないぞ」
「で、ですよね。ふう、安心しました。あと、どこへ向かって何をすればいいのかがわからなくて」
「それもあの時話しただろう。魔王討伐だよ。魔王の場所は自分で探してくれ。こっちも魔王が動き出したことなんて知らなかった。ケシャリーノが来て初めて知ったのだ」
「ユシャリーノです」
「あ? ああ。まあ、とにかくこっちも魔王のことはよくわからんのだ」
「そうなんですか」

 ユシャリーノは、思いつくまま質問をしていく。

「では次に」
「まだあるの?」

 ここでユシャリーノは、心療内科で聞いた勇者ステータスについて尋ねてみる。

「はい、あります。勇者ステータスというものがあるそうなのですが、教えていただけないでしょうか」
「……おお、そういえば。勇者ステータスね、確か聞いた話では……あ、いや、説明は秘書から聞いてくれ。長くなるのでな」

 王様は、勇者情報の中でも重要な部類であるステータスについてあいまいな言い回しをした。
 面倒臭いのか、はたまた実は知らないのか、間髪入れずに話を秘書に投げた。
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