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童貞の客
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三人目のあと、少し長めの待機になった。
時計は午後七時を回っていた。
インカムから店長の声。
「佐倉さん、次いけますか?」
美咲は一瞬だけ間を置いて、
「はい」
と答えた。
もう“考えてから返事する”余裕はなくなっていた。
ドアが開いて入ってきたのは、大学生くらいの男の子だった。
背が高くて、細くて、リュックを胸の前で抱えている。
目が泳いでいた。
「……よろしくお願いします」
声が裏返っていた。
美咲はいつもの動作で頭を下げる。
「こちらこそ」
椅子に座るまでの動きがぎこちない。
コートを脱ぐのに時間がかかり、
靴の位置を何度も直す。
沈黙が長かった。
美咲が天気の話を振ると、男の子は過剰にうなずいた。
「はい」
「そうですね」
「たしかに」
全部、台本を読んでいるみたいだった。
しばらくして、彼は急に言った。
「あの……」
声が震えていた。
「たぶん、僕……初めてで」
美咲は一瞬だけ止まった。
講習会で聞いたフレーズを思い出す。
《驚かない》
《否定しない》
《安心させる》
「大丈夫ですよ」
自分でも驚くくらい自然に言えた。
「分からないことあったら、言ってください」
男の子は深く息を吸って、
「実は……今まで、彼女できたことなくて」
と続けた。
「周りはみんな普通に恋愛してて。
でも僕、どうしてもきっかけなくて」
美咲はうなずいた。
もう何人目か分からない“人生告白”。
「それで……検索してたら、ここ出てきて」
自嘲気味に笑う。
「最初は冗談だと思ったんですけど。
気づいたら予約してました」
美咲は思った。
検索履歴の先に、ここがある。
それだけの話だ。
マニュアル通り、ゆっくり説明する。
ここでは何ができて、何ができないか。
男の子は何度も「はい」と言いながら聞いていた。
まるで試験前の学生みたいだった。
途中で、彼の手が震えているのに気づいた。
「緊張してます?」
と聞くと、
「めちゃくちゃしてます」
即答だった。
美咲は少しだけ笑った。
「みんな最初はそうですよ」
これは本当だった。
終わったあと、男の子はしばらく立ち上がれなかった。
顔が赤く、目が潤んでいた。
「……変な客で、すみません」
と言われた。
美咲は首を横に振った。
「変じゃないです」
それも本当だった。
ここでは、彼は平均的だった。
帰り際、男の子は小さく頭を下げた。
「ありがとうございました」
その言い方が、あまりにも真面目で、
美咲の胸の奥が少し痛んだ。
ドアが閉まる。
静かになる。
控室に戻ると、健太が伝票を見ながら言った。
「今日、初めての人多いね」
ただの業務報告だった。
リナが缶コーヒーを差し出してくる。
「お疲れ」
美咲は受け取った。
「童貞っぽい子だった?」
とリナが軽く聞く。
美咲は一瞬考えて、
「……たぶん」
と答えた。
リナは肩をすくめた。
「まあ、そういう年頃だよね」
それで話は終わった。
美咲は思った。
彼にとって今日は“人生の出来事”かもしれない。
でもここでは、
ただの一コマ。
ただの一枠。
スマホが震える。
《本日の累計:36,000円》
帰り道、駅の階段でふらついた。
手すりにつかまりながら、
美咲は心の中でつぶやいた。
――みんな、どこで間違えたんだろう。
でもすぐに打ち消した。
誰も間違えていない。
全部、正規ルートだ。
時計は午後七時を回っていた。
インカムから店長の声。
「佐倉さん、次いけますか?」
美咲は一瞬だけ間を置いて、
「はい」
と答えた。
もう“考えてから返事する”余裕はなくなっていた。
ドアが開いて入ってきたのは、大学生くらいの男の子だった。
背が高くて、細くて、リュックを胸の前で抱えている。
目が泳いでいた。
「……よろしくお願いします」
声が裏返っていた。
美咲はいつもの動作で頭を下げる。
「こちらこそ」
椅子に座るまでの動きがぎこちない。
コートを脱ぐのに時間がかかり、
靴の位置を何度も直す。
沈黙が長かった。
美咲が天気の話を振ると、男の子は過剰にうなずいた。
「はい」
「そうですね」
「たしかに」
全部、台本を読んでいるみたいだった。
しばらくして、彼は急に言った。
「あの……」
声が震えていた。
「たぶん、僕……初めてで」
美咲は一瞬だけ止まった。
講習会で聞いたフレーズを思い出す。
《驚かない》
《否定しない》
《安心させる》
「大丈夫ですよ」
自分でも驚くくらい自然に言えた。
「分からないことあったら、言ってください」
男の子は深く息を吸って、
「実は……今まで、彼女できたことなくて」
と続けた。
「周りはみんな普通に恋愛してて。
でも僕、どうしてもきっかけなくて」
美咲はうなずいた。
もう何人目か分からない“人生告白”。
「それで……検索してたら、ここ出てきて」
自嘲気味に笑う。
「最初は冗談だと思ったんですけど。
気づいたら予約してました」
美咲は思った。
検索履歴の先に、ここがある。
それだけの話だ。
マニュアル通り、ゆっくり説明する。
ここでは何ができて、何ができないか。
男の子は何度も「はい」と言いながら聞いていた。
まるで試験前の学生みたいだった。
途中で、彼の手が震えているのに気づいた。
「緊張してます?」
と聞くと、
「めちゃくちゃしてます」
即答だった。
美咲は少しだけ笑った。
「みんな最初はそうですよ」
これは本当だった。
終わったあと、男の子はしばらく立ち上がれなかった。
顔が赤く、目が潤んでいた。
「……変な客で、すみません」
と言われた。
美咲は首を横に振った。
「変じゃないです」
それも本当だった。
ここでは、彼は平均的だった。
帰り際、男の子は小さく頭を下げた。
「ありがとうございました」
その言い方が、あまりにも真面目で、
美咲の胸の奥が少し痛んだ。
ドアが閉まる。
静かになる。
控室に戻ると、健太が伝票を見ながら言った。
「今日、初めての人多いね」
ただの業務報告だった。
リナが缶コーヒーを差し出してくる。
「お疲れ」
美咲は受け取った。
「童貞っぽい子だった?」
とリナが軽く聞く。
美咲は一瞬考えて、
「……たぶん」
と答えた。
リナは肩をすくめた。
「まあ、そういう年頃だよね」
それで話は終わった。
美咲は思った。
彼にとって今日は“人生の出来事”かもしれない。
でもここでは、
ただの一コマ。
ただの一枠。
スマホが震える。
《本日の累計:36,000円》
帰り道、駅の階段でふらついた。
手すりにつかまりながら、
美咲は心の中でつぶやいた。
――みんな、どこで間違えたんだろう。
でもすぐに打ち消した。
誰も間違えていない。
全部、正規ルートだ。
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