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第一章 突然の来訪者

第1話 星辰流れるとき

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 広い、広い海の一画に、この世界で唯一の大陸がある。
 だが、この世界は人には過酷な場所であった。

 海には小島ほどもある海竜達。
 周囲の海には岩礁に住まう魚を目当てにした海獣達。
 大陸の東部には大河と森林に住まう巨大生物達が闊歩する。

 唯一、海側の断崖絶壁と巨大な中央山脈によって凶悪な生物と遮断された大陸西部のみが、この世界の人間にとっての住みかとなっていた。

 この狭い世界は、百年ほど前にとある国によって統一された。
 かつてルーリアト王国と呼ばれた、西部のルリ半島にあった国による一大征服事業によってだ。 
 その統一までの行程と統治は苛烈を極めた。

 兵を殺し尽くし、街を囲み、降伏しなければ女子供含めて殺し尽くした。
 もしも王国を裏切れば、一族全てを殺し尽くした。
 その残虐を以って大陸をまとめしは殺戮者にして国父ボスロ。

 彼は統一を持って国名をルーリアト帝国へと変え、皇帝を称した。

 統一を迎えた大陸を統べる方法もまた、過酷だった。
 国々から文字を奪い、言葉を奪い、帝国辺境の商用言語であるラト語を公用語とした。
 拒否するものは殺した。
 商いの仕組み全てを壊し、若い官僚の独断に任せ再編した。
 膨大な餓死者を出した。
 過酷で、平等な法を敷き、大陸全土を帝国騎士の刃で覆い尽くした。

 その刃は十万の命を奪い、さらに捕らえた百万の命を用いた巨大事業は大陸から水害を無くし、長大な街道を作り出した。

 血を絞り大陸を潤したは、優しき血の皇帝。
 女帝リュリュ。


 そして血と膿は流れ尽くし、大陸に平穏が訪れた。

 臣民を安定して生かす義務を皇族と貴族に課し、自らの手足を縛り、貴族と臣民にその力を分け与えた。
 貴き者たちの義務は重くなり、臣民の生活が年々良くなるころ。
 大陸から血の匂いが消えた。

 傷を癒やし、自らの力を分け与えるは温和帝、サールティ二世。

 これらの三人の皇帝により帝国の形はなった。
 
 そして現在。
 過酷な統治は過去のものとなり、現皇帝サールティ三世は自ら一大改革を実行した。
 
 武勇を誇る貴族や騎士が幅利かせる中、近衛騎士団人事担当官であるイツシズを取り立て、彼の政治力を以てボスロ帝以来の悲願である、権力の民衆への移管を実行に移したのだ。

 サールティ三世は皇帝を皇族たちの中から貴族院、民衆会議の議員達によって入れ札で選ぶ制度を導入。
 自らが、即位後に入れ札による信任を得ることで、新制度の実効性を広く内外に示した。
 
 そして自らの権限もさらに分散し、貴族や商人、そしてわずかながらも民衆へと移していった。
 この動きを、民衆とかつての属国である帝国連合加盟諸国は歓迎した。
 無論反発もあった。

 甲冑の一族と呼ばれる姓持たぬ貴人たる皇族たち。
 それに仕える強豪な皇室直轄騎士団と、四天王と称される四公爵家、ダスティ、キーロス、コールル、ラト。

 彼ら特権階級は表立っての反発は避けたものの、改革には消極的だった。

 だが、停滞しつつあった帝国の体制はにわかに活性化し、それはある種のうねりとなって、帝国全体を覆っていた。

 これら一連の改革を民衆主義改革と呼び、帝国は新しい時代を迎えた。

 

 そんな中、王国時代から数えて第三十八代の皇帝サールティ三世の娘として、グーシュリャリャポスティは生まれた。
 グーシュは名を表し、統治者を意味する。リャリャは母親の名で、剣を意味する。そしてポスティは三番目の皇帝の子供を意味する。姓は無くこれらすべてが名であり、近しいものはグーシュ、家臣や臣民はポスティ殿下と呼ぶ。

 帝位に興味の薄い、最近の若い皇族らしい少女で、帝王学や学問より体を動かすことや空想説話を好む。
 少々、いや、かなり変わった少女ではあるが、何事もなければこの新しい体制と価値観が訪れつつあるこの時代。
 それなりに平穏な人生を送れたはずだった。

 しかし、そうはならなかった。

 そう、ある日。
 この大陸に来訪者がやってきたあの日から、すべてが変わってしまったのた。






「ぽすてぃ殿下、やはりこれは未知の星辰ですぞ」

 ルーリアト帝国の帝都。
 その中央にそびえる城にある、ひときわ大きな物見の塔で、帝室星見官ていしつせいけんかんの老人が後ろで毛布に包まる少女に声をかけた。
 それを聞いた少女、グーシュリャリャポスティは、視線を手元にあった『星辰史』という本から老人が見る星空に向けた。

「やはりか! わらわの思った通りであるな。星辰史には星流れの記述こそあるが、あのように規則正しく空を巡る、単一の星の記述はない! 」

 そう言って、グーシュは毛布を剥ぎ取ると老人の隣に座った。
 グーシュは虫の糸から織られた滑らかで薄い、袖の短く腹の見える上着と、白い太ももがよく見える短い股引きを着た活発な印象の少女だった。
 蒼黒で滑らかな、首筋程の長さの髪が気品を感じさせるが、言われなければ誰も第三皇女だとは思わないだろう。

 グーシュが言ったように、数日前からこの帝都から見える夜空を、星が規則正しく流れるようになっていた。
 神官たちは神の僕が降臨する予兆だと言い、臣民は酒の肴に夜空を眺め、お付きのミルシャはいいから勉強しろと言った。

 しかしグーシュにとってはこれはが捗る絶好の種であった。

「最近臣民の間で流行っている、説話のようなことが起こる前触れかもしれんな」

 そう言ってグーシュは『星辰史』とは別の本を老人に見せた。
 その表紙には『対決! 騎士団対星辰より来たりし侵略者』とあった。
 それを見た星見官の老人は朗らかに笑った。

「今はその説話がお気に入りですか、それはようございました。ではあの流れる星は星辰界より来る侵略者ということで?」

 乗ってくれた老人に対し、嬉しそうにグーシュは話し始めた。もし尻尾があればさぞ激しく揺れていただろう。

「それも面白いが、少し前に出た『星から来た使節団』のように交渉に来たのやもしれんな。そちらの方が少し退屈だが、実際に起こるとするとそちらのほうがいいかもしれん。が、爺様はどうだ? 昔重装歩兵で鳴らした腕前を奮って見たくはないか? 若い騎士では刃が立たぬ、侵略者の鉄の騎兵や歯車騎士相手に、爺様のような老兵が知恵と経験で立ち向かう展開は熱くなるぞ!」


 こうなるとグーシュは止まらない。
 口から出るのは皇室の人間がまず読まないような臣民が読む通俗説話の話ばかり。

 特に最近は星辰関係の説話に夢中で、講義をサボってはこの老星見官の元を訪れて星辰の話を聞いたり、気に入った説話や妄想を延々と語っていた。

 はじめは畏まっていた老星見官も今ではすっかり慣れたもの。

 孫のようなグーシュと話せるのが楽しいらしく、半分も意味がわからないグーシュの話にニコニコと相槌を打っていた。

 しかし、楽しい時間はここで終わる。
 鬼の形相でグーシュのお付き騎士、ミルシャがやってきたのだ。

「グーシュ様!」

 塔の階段を息を切らせ登ってきたのは、グーシュと同い年の少女だった。

 黒色の髪を簡単にまとめ、軽騎士が身につける硬革鎧を胴に身に着け、下半身は文官同様の足首まである布の股引を履いている。
 鎧の胸元にある剣と兜を模した紋章が、第三皇女のお付きであることを示していた。

「ゲエ! ミルシャ!」

 グーシュは嫌そうに声をあげた。ミルシャがここに来たということは皇室作法の講義をサボったのがバレたのだ。

「ゲエ! じゃありません、はしたない。星見官殿、申し訳ありません。姫様が仕事の邪魔を……」

 顔を伏せたミルシャに老人は皺だらけの笑みを向けた。

「いやいや謝罪などおやめください。このみすぼらしい年寄にとっては光栄なことです。お若い皇族のお方に、わしなんぞの知識を請われ、年寄りが知らぬことを聞ける。こんないい時間はありませんぞ」

「はぁ……そういっていただけると……グーシュ様、どちらへ? 」

「うぐぅ! 」

 ミルシャが顔を上げると、コソコソとグーシュが脇を抜けて行こうとしていた。こういう所ばかり達者なのがミルシャにはもどかしい。

「グーシュ様、あなたはやればできるお方なのに。その説話の中身や空想の設定ならすぐに覚えられるのに、なぜ皇室作法や法学は覚えられないのです……僕は悲しゅうございます」

 そう言ってミルシャは涙ぐむ。同い年にも拘わらずその言動や態度は母親もかくやというほどだ。

 お付きの騎士は皇族に生まれた者に、十歳になると必ず付けられる者たちだ。
 幼いころから英才教育を受けた、主と同い年の文武に優れた者が選ばれ、寝食を共にする。


 その仕事は身の回りの事から秘書業務まで多岐にわたり、しかも生涯続く。

 皇帝になっても、貴族に嫁いでも、戦場に行っても、だ。
 そのため一昔前は主と恋愛関係になることが推奨され、幾人かのお付は皇太子や皇女を生み、愛人となったという。

 無論今ではそのような事は無い。
 生涯仕えるのは変わらないが、結婚もすれば家を持つことも出来る。
 多忙な仕事ではあるが、衣食住から結婚相手まで皇族に世話してもらえるため、人々にとっては人気の役職でもあった。

「い、いやぁ、説話ならいくら読んでもするする頭にはいってくるのだが。高尚なわらわの頭にはどうもああいった俗世の知識はこう、なんだ。はいってこないのだ」

 苦笑いしながらグーシュは答える。そう言いながらも四つん這いで這うようにミルシャの隣に移動すると、立ち上がりそっとミルシャの肩を抱いた。

「そう泣くなミルシャ。なーに、わらわの出来が悪かろうが、適当な貴族に嫁いで世継ぎさえ産めばあとは文句は言われん。その後に一緒にのんびり暮らせるばよかろう」

 今ではそのような事はない、が。今でも主従がそういう関係になることは嗜みと見なされていた。グーシュとミルシャにとっても例外ではなかった。

「そんな事にならないよう僕はグーシュ様には……はぁ、今日はもういいです。夕食のお時間ですよ、まいりましょう」

 グーシャは、ミルシャをいつものように丸め込めた事にニンマリと笑みを浮かべると、老人に小さく礼をいって二人で階段を降りていった。仲睦まじく肩を抱いたまま。

 老人はニコニコとそんな二人を見送ると、静かに二枚のレンズがはめ込まれた星見筒を覗き込み、珍しい星辰の動きを記録する仕事に戻った。

 老人の若い頃。皇族とは畏怖と恐怖と暴力の象徴だった。
 尊大で、強く、恐ろしく、頼もしい。
 グーシュが言ったとおり重装歩兵として治安維持に従事していた老人にっては、そういうものだった。

 だが時代は変わった。
 今では戦乱は遠く、大陸全土から争いは薄れ、飢えも駆逐されつつある。
 最近帝都では、虐待され、山に放逐された子供が保護されたという話が話題になっていた。

 逆に言えば、こんな事件が話題になるほど今は治安が良いのだ。
 老人が若い頃ならばこのような出来事はありふれていた。
 当時は帝都のスラムに老若男女問わず死体が転がっていたのだ。
 子供一人の悲惨な出来事が帝都で噂になるなど考えられなかった。

  皇族もポスティのように身分や性別に囚われず、老人のような者にも分け隔てなく接する新しい世代が育っていた。
 眉をひそめる者もいるだろうが、老人にはあの親しげな少女が笑顔で説話の話をすることが、何より平和の証に感じられた。

「殿下にあの不思議な星の仮説をお聞かせしたいもんだ」

 それが自分が出来るあの殿下に出来る何よりの贈り物になるだろう。
 どうかあの説話好きの殿下とその恋人に幸あらんことを……。
 老人は願いながら、新しく空を流れる星を見るため、星見筒を覗き込んだ。

 しかし、老人が覗く星にはそんな思いを裏切るような。明確な意志があったのだ。
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