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第一章 突然の来訪者
第6話 妙な贈り物
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早朝からグーシュは出立の準備に追われていた。
とはいえ、荷物を詰めるような作業をしていたわけではない。
そういった作業は女官たちが黙っていてもやってくれる。
では何をしているかと言えば、皇室の者に付き纏う義務、公式行事用の甲冑を着込む作業である。
軍用の実用性を重視したものではない、儀礼用の見た目を重視した鎧のためただ着るだけで途方もなく時間がかかった。
グーシュ自身がまず着飾り、その後金属甲冑をまるでパズルのように決められた順番で着込んでいく。
それもただ単純に着るだけでは無く、一つ着込んだら専用の蝋を塗り込み、磨いて艶を出し、また着込んだら磨きの繰り返しだ。
今回は急ぎの、しかも出立の儀式という言わば帝国内々の儀式のため二時間ほどで済んでいるが、子爵領について海向こうの使者に会うために着るとなれば三時間以上はかかるだろう。
その拷問じみた作業に、グーシュは文句も言わずに黙っていた。
甲冑係の者たちは訝しんでいたが、なんの事は無い。
海向こうからの使者と会うのが楽しみな事と、昨夜寝ずにミルシャと盛り上がったせいで眠かったのだ。
すると、唐突に眠気を覚ますような訪問者がやってきた。
帝弟、つまり叔父のガズルだった。
「おう、やっとるな。立派立派、ああ、よいよい作業は続けろ」
「ああ、叔父上」
叔父のガズルは帝室では有名な好色家だった。
女官はもちろん付き人や貴族、庶民や街の花売りにまで手を出すと評判で、正妻側室妾愛人お気に入り、ほうぼうに五十人も子供がいた。
グーシュに対しては概ねよい叔父を演じてくれてはいたが、グーシュ自身やミルシャを見る目があまりにあからさまで、グーシュとしては珍しく苦手な人物だった。
それでも姉のシュシュリャリャヨイティが帝都にいた頃はまだマシだったが、最近では露骨な態度に出ることが多かった。
これだけなら問題人物だが、本人にも多少自覚があるのか「俺は無能だから政治に関われば迷惑がかかる。帝室を絶やさぬ仕事だけする事にする」と宣言、放蕩の限りを尽くしていた。
グーシュ的に何が一番嫌かというと、放蕩皇族という事でこの叔父と同じ括りで扱われることだった。
「お久しぶりです。ここニ、三週間顔を見ませんでしたね。わらわの出立の儀式に? 」
グーシュの言う通り、普段なら城の中をうろついて周り、空き部屋に女官を連れ込む姿が目撃される叔父がここの所おとなしかった。
その事を指摘すると、叔父の無駄に整った顔に、一瞬喜びと焦りが入り混じった様な表情が浮かぶ。
「叔父上? 」
「あ、ああ。儀式にはでんよ、私は公的なことにはかかわらんからな。実はとてもいい女性を見つ……出会ってね。すっかり夢中になっていたのだよ」
「大食いの好色家が入り浸るとは、よほどの……」
「ああ、あの娘は本当にすごいぞ。それでな、彼女なんだがお前の熱狂的な支持者らしくてな」
「わらわの?」
「お前が庶民にも分け隔てなく接する皇族と聞いて、一度会ってみたかったんだと。だがお前を街で見かけてもついつい尻込みして話しかけられなかったんだそうだ」
グーシュも皇族ということを考えればあまりに当然のことであったが、彼女が酒場で食事するような気安い皇族であることを考えると、なるほどその美人は随分と奥手なようだ。
「叔父上、まさかそこに付け込んで……」
「違う違う……そんな恐れ多い、ではなくて、それでな、これを渡してくれるよう頼まれたのだ」
そう言って叔父が差し出してきたのは、親指の爪ほどの青い宝石をあしらった首飾りだった。
見たことが無いほど繊細で精密な細工が施されており、宝石に興味が無いグーシュをして唸らせるほどだった。
(この細工……帝都の物ではないな、南方式とも北方工業都市とも違う……)
「き、気に入ったか? ぜひお前に身に着けて貰いたいとのことなんだが、ああ、それが嫌ならせめて持っていてほしい。あれだ、身を守る祈りが込められて……」
「叔父上!」
「う、うん? 」
「ありがたく頂戴しましょう。ありがとうございました」
「おお! そうかそうか。彼女も喜ぶ。ではな、大切にしろよ」
一息にそう言うと、叔父はそそくさと退室していった。
「殿下、何か妙でしたよ? あの方の贈り物など貰わない方がよろしいかと」
不自然な帝弟の動きに部屋に居た馴染みの女官が心配げに言った。
「確かにわらわの尻も撫でないで行ってしまうのは妙だが、これを見ろ! 見たことの無い細工の首飾りだ。これは珍しいものだ。後で細かく調べてみよう。おい、首に下げてくれ、鎧の下なら目立つまい」
しかし珍しいものに目がくらんだグーシュには無駄だったようだ。
諦めたように女官が首飾りをグーシュの首に下げた。青く透き通った石が静かに揺れる。
グーシュが居た部屋から少し離れた空き部屋。
そこに帝弟は慌てたように入った。
入る際は周囲を確認するほど気を使ってだ。
部屋には先客がいた。目立たない格好をした一人の女だ。
「ガズル様、首尾は? 」
女が冷たく問うと、帝弟はすがりつくようにしながら応えた。
「うまく行ったぞ、当たり前だ。私はグーシュには好かれているからな。しっかり受け取った。あいつは、ああいう物に目がない、大丈夫だ。しばらくは近くにおいて離さないはずだ」
「ありがとうございます。では、いつものようにお屋敷で……」
女がそう言うと、帝弟は表情を蕩けさせた。口からよだれを垂らし、恍惚とする。
「おう、おう。ああ、お前の紹介してくれた女達は本当に素晴らしい……今までの女漁りが無為に思えるほどだ、今日も頼んだぞ、本当に頼んだぞ! 」
興奮しながら、帝弟は部屋を出ていった。
興奮したその目は血走るほどだ。
部屋に残された女は、”キツイ目つき"でその様子を眺めていた。
とはいえ、荷物を詰めるような作業をしていたわけではない。
そういった作業は女官たちが黙っていてもやってくれる。
では何をしているかと言えば、皇室の者に付き纏う義務、公式行事用の甲冑を着込む作業である。
軍用の実用性を重視したものではない、儀礼用の見た目を重視した鎧のためただ着るだけで途方もなく時間がかかった。
グーシュ自身がまず着飾り、その後金属甲冑をまるでパズルのように決められた順番で着込んでいく。
それもただ単純に着るだけでは無く、一つ着込んだら専用の蝋を塗り込み、磨いて艶を出し、また着込んだら磨きの繰り返しだ。
今回は急ぎの、しかも出立の儀式という言わば帝国内々の儀式のため二時間ほどで済んでいるが、子爵領について海向こうの使者に会うために着るとなれば三時間以上はかかるだろう。
その拷問じみた作業に、グーシュは文句も言わずに黙っていた。
甲冑係の者たちは訝しんでいたが、なんの事は無い。
海向こうからの使者と会うのが楽しみな事と、昨夜寝ずにミルシャと盛り上がったせいで眠かったのだ。
すると、唐突に眠気を覚ますような訪問者がやってきた。
帝弟、つまり叔父のガズルだった。
「おう、やっとるな。立派立派、ああ、よいよい作業は続けろ」
「ああ、叔父上」
叔父のガズルは帝室では有名な好色家だった。
女官はもちろん付き人や貴族、庶民や街の花売りにまで手を出すと評判で、正妻側室妾愛人お気に入り、ほうぼうに五十人も子供がいた。
グーシュに対しては概ねよい叔父を演じてくれてはいたが、グーシュ自身やミルシャを見る目があまりにあからさまで、グーシュとしては珍しく苦手な人物だった。
それでも姉のシュシュリャリャヨイティが帝都にいた頃はまだマシだったが、最近では露骨な態度に出ることが多かった。
これだけなら問題人物だが、本人にも多少自覚があるのか「俺は無能だから政治に関われば迷惑がかかる。帝室を絶やさぬ仕事だけする事にする」と宣言、放蕩の限りを尽くしていた。
グーシュ的に何が一番嫌かというと、放蕩皇族という事でこの叔父と同じ括りで扱われることだった。
「お久しぶりです。ここニ、三週間顔を見ませんでしたね。わらわの出立の儀式に? 」
グーシュの言う通り、普段なら城の中をうろついて周り、空き部屋に女官を連れ込む姿が目撃される叔父がここの所おとなしかった。
その事を指摘すると、叔父の無駄に整った顔に、一瞬喜びと焦りが入り混じった様な表情が浮かぶ。
「叔父上? 」
「あ、ああ。儀式にはでんよ、私は公的なことにはかかわらんからな。実はとてもいい女性を見つ……出会ってね。すっかり夢中になっていたのだよ」
「大食いの好色家が入り浸るとは、よほどの……」
「ああ、あの娘は本当にすごいぞ。それでな、彼女なんだがお前の熱狂的な支持者らしくてな」
「わらわの?」
「お前が庶民にも分け隔てなく接する皇族と聞いて、一度会ってみたかったんだと。だがお前を街で見かけてもついつい尻込みして話しかけられなかったんだそうだ」
グーシュも皇族ということを考えればあまりに当然のことであったが、彼女が酒場で食事するような気安い皇族であることを考えると、なるほどその美人は随分と奥手なようだ。
「叔父上、まさかそこに付け込んで……」
「違う違う……そんな恐れ多い、ではなくて、それでな、これを渡してくれるよう頼まれたのだ」
そう言って叔父が差し出してきたのは、親指の爪ほどの青い宝石をあしらった首飾りだった。
見たことが無いほど繊細で精密な細工が施されており、宝石に興味が無いグーシュをして唸らせるほどだった。
(この細工……帝都の物ではないな、南方式とも北方工業都市とも違う……)
「き、気に入ったか? ぜひお前に身に着けて貰いたいとのことなんだが、ああ、それが嫌ならせめて持っていてほしい。あれだ、身を守る祈りが込められて……」
「叔父上!」
「う、うん? 」
「ありがたく頂戴しましょう。ありがとうございました」
「おお! そうかそうか。彼女も喜ぶ。ではな、大切にしろよ」
一息にそう言うと、叔父はそそくさと退室していった。
「殿下、何か妙でしたよ? あの方の贈り物など貰わない方がよろしいかと」
不自然な帝弟の動きに部屋に居た馴染みの女官が心配げに言った。
「確かにわらわの尻も撫でないで行ってしまうのは妙だが、これを見ろ! 見たことの無い細工の首飾りだ。これは珍しいものだ。後で細かく調べてみよう。おい、首に下げてくれ、鎧の下なら目立つまい」
しかし珍しいものに目がくらんだグーシュには無駄だったようだ。
諦めたように女官が首飾りをグーシュの首に下げた。青く透き通った石が静かに揺れる。
グーシュが居た部屋から少し離れた空き部屋。
そこに帝弟は慌てたように入った。
入る際は周囲を確認するほど気を使ってだ。
部屋には先客がいた。目立たない格好をした一人の女だ。
「ガズル様、首尾は? 」
女が冷たく問うと、帝弟はすがりつくようにしながら応えた。
「うまく行ったぞ、当たり前だ。私はグーシュには好かれているからな。しっかり受け取った。あいつは、ああいう物に目がない、大丈夫だ。しばらくは近くにおいて離さないはずだ」
「ありがとうございます。では、いつものようにお屋敷で……」
女がそう言うと、帝弟は表情を蕩けさせた。口からよだれを垂らし、恍惚とする。
「おう、おう。ああ、お前の紹介してくれた女達は本当に素晴らしい……今までの女漁りが無為に思えるほどだ、今日も頼んだぞ、本当に頼んだぞ! 」
興奮しながら、帝弟は部屋を出ていった。
興奮したその目は血走るほどだ。
部屋に残された女は、”キツイ目つき"でその様子を眺めていた。
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