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ふたりの少女
事件・前編
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十鳥オガミが騒ぎを起こしたと知ったのは放課後だった。
情報は五百旗頭君たちからもたらされた。十鳥オガミと同じクラスの五月女君によれば、やはり同じクラスの女子を引っ叩いたらしい。
すぐさま先生に呼び出され、どういうことなのかと問い質されたという。
コンビニ前と昨日の廊下での接触、時間にして十分、いやおそらく五分にも満たない対面であるけれど、彼女ならさもありなん、容易に場面が想像できる。
被害者は話の内容から、昨日、十鳥オガミのメモを手渡しに来た二人組の片方――シャギーさん――のようだ。
「彼女、生徒会の執行委員に推薦されちゃって、なんか召集されちゃったんですよ」
あの含み笑いがよみがえる。
けっきょく昨日、待ち合わせ場所に来なかったことも含めて気になる情報ではあった。
「それで、十鳥さんは?」
五月女君はちょっと不安げな様子で目を付けられたみたいと答えた。
「その頬を張られた女子が不穏な会話をしていたようなんです」
引き取った五百旗頭君の声はひっ迫している。
「殴られた女子とミス・ポンパドールはいつもつるんでひそひそと感じ悪いですからな」
五十棲君が頷きながら続く。あの独特なヘアスタイルはそんな名前だったっけ。
彼と五百旗頭君は小学校時代に知り合って以来のつき合いだけど、直後に存在を知った僕の姉のトリコになったとかで専属カメラマンを自認し、日々、チャンスがあればシャッターを切っていた。姉も姉で彼を信頼しきって自由に撮らせるという、なんとも不思議な関係を構築している。
ちなみに彼らより早く知り合った五月女君は理由は不明だけれど、どうやら姉が苦手のようだ。
「……きっとあいつら、十鳥さんに復讐をするつもりだよ」
五月女君が静かに、しかし忌々しげにいう。あのコンビが彼にとっては相容れない相手であることは明白だ。もちろん、僕も同じ。
「不穏な会話っていってたけど?」
「他校の男子に連絡していたようなんですよ、一氏」
芝居がかったいかにもな口調は五十棲君の特徴だ。太めで品のあるテンプルといわゆるアンダーリム――五十棲君は逆ナイロールという呼称にこだわっている――が目を惹く眼鏡がいやにおしゃれだけれど、これは姉さんの見立てらしい。
「むかつく女子がいるからやっちゃってよ、みたいな会話が聞こえたよ」
……糞ビッチが、と舌打ちがプラスされた。五月女君は心底あのコンビが嫌いなようだ。
「杞憂ならいいのですが」
五百旗頭君の声がますますシリアスさを増していく。
「具体的な場所とかは聞こえなかったの?」
「一度駅に向かうって」
五月女君の言葉に五十棲君が重ねるように添えた。
「今から駅に行ってみようかと思いまして」
「昨日、一君が彼女を気にしていたようなので、声をかけた次第です」
五百旗頭君が確認するような視線を送ってきた。答えは、決まっている。
「行こう」
頷き合う三人と共に駅へ急いだ。
五月女君がいうところの糞ビッチふたりはすぐに見つかった。
大きな紙バッグを脇に抱えながら、化粧室から出てきたところだった。私服にうっすらと化粧を施してある、分かりやすい放課後スタイル。
デザイナーブランドらしきデニムジャケットに際どい丈のミニスカートはシャギー女、ちょっと季節を先取りしているフリルの白いミニワンピースはミス・ポンパドール。ともにサンダルで足元を固めていた。制服を押し込んでいるのだろう、揃って大きなブランドロゴが仰々しい紙袋を肩から提げている。
ふたたび五月女君が舌を打ち鳴らした。彼女たちのファッションに対して心の中で罵っているのかもしれない。
出てすぐに二人は壁にもたれながら喋り始めた。
僕たちはその脇にある奥まったスペースに配置された自販機群前に移動し、そっとそっと顔を覗かせる。
シャギー女が端末を取り出していじり始めた。他校の男子とやらに連絡でも入れているのだろうか。
その脇で液晶を覗き見していたミス・ポンパドールがハッと身体をふるわせた。端末が呼んでいるらしい。
会話は途切れ途切れだったけれど、いないとか、じゃあ向こうに行ったんじゃないのとか、そんな内容だった。
そっちに行く、と伝えると、ミス・ポンパドールが端末を切った。
シャギー女もメールを送り終えたのか、端末をしまうところだった。
「じゃあ、先にぬぐほに行ってるから彼、連れて来てよ」
シャギー女がそういうと、ミス・ポンパドールと別れて改札へ向かった。
反射的にその後を追う。
後方に五百旗頭君たちの慌しい気配が感じられたけれど、振り返り、そっちをお願いとジェスチャーするので精一杯だった。
*
シャギー女が向かった瓊紅保市は於牟寺市から北にふた駅先にある、人口二十万人弱の、於牟寺市や周辺の市町村と共に県南部の広域振興圏を構成している市の一つだ。
ここ数年は、瓊紅保駅周辺に相次いでマンションやホテル、新興住宅地やらが目立ち始めており、街の景観もずいぶんと変貌しているようで、県内でも比較的、教育機関や学生等が多く見受けられ、近年では学園都市としての姿もあるのだそうだ。
姉や親友のアツミさんが卒業した女子高はこの町にある。
くもの巣みたいに張り巡らされているペデストリアンデッキを駆けながら、切っていた端末の電源を入れる。
新鮮な町の空気を堪能する間もなくシャギー女を追っていると、ロータリーからタクシーに乗り込もうとしているところだった。
これは予想外。数百円の電車賃ならともかく、行き先も分からないタクシー乗車とか学生の身分にはきつ過ぎる。……向こうも学生だけど。
しかし、迷っている暇などない。とりあえず、後を(出来る限り)追うしかないだろう。
そしてお約束通り、ものの数秒でタクシーを見失い、途方に暮れていると、端末が鳴った。
五百旗頭君だ。
「五月女氏から伝言です。図書館へ行ってみて下さい」
普段はおっとりしている五百旗頭君からは想像できない、まくし立てるような口調が胸の鼓動を否応なく早める。
礼をいって切ると、僕はタクシーの去った方角へ走り出した。
しばらくして瀟洒な住宅街が見えてきた。あちこちに分譲を知らせる看板やらのぼりがそこここに乱立し、なんとも賑々しいけれど、目を奪われている場合ではない。
走り出して十数分後、ぜえぜえと呼吸も荒くなった頃、開店して間もない感じのコンビニを見つけ、飛び込んでペットボトルのスポーツドリンクを買った。そして、本来の目的である図書館の場所を店員さんに訊いてみる。
バレッタで後ろ髪をたたんでいる、口元のほくろが色っぽいその店員さんはスキャナーを手に目をしぱしぱさせながら、不思議そうな表情を作って固まってしまった。
「……ひょっとして図書館、遠いんですか」
タクシーを拾ったくらいだ、ありえる。
「うん、あのね」
首を傾げた素敵な年上のお姉さんと然した店員さんの左手薬指に光るものがあった。
「すぐそこに公園があるんだけど、その公園と隣のホールに挟まれたところよ」
……つまり、あまりに近いからわざわざ訊く僕がめずらしかったということなのだろう。
照れ隠しを兼ねた少し大袈裟なお礼を口にすると、店員さんはにこにこしながら手をふってくれた。うれしいけれど、ちょっと恥ずかしい。
なるほど、公園と思しき緑で覆われた広大な空間が目の前に飛び込んできた。
改めて恥ずかしさがこみ上げて来る。
公園の北側にはコンサートなどで使われる多目的イベントホールが隣接しており、人妻店員さんが教えてくれたように図書館が公園とホールの間に挟まるように存在していた。
少し逡巡したのち、中へ入ろうとエントランスへ向かう途中、右手に見えるホールの裏手から複数の人の声が聞こえた。
あまり心地いいとはいえない蛮声はいやな予感を駆り立てるのにじゅうぶんだった。
一気にミネラル補給を済ませると、職員用駐輪場に並べられた、だいぶ乗られていないと思われる自転車のかごに空のペットボトルを入れた。もちろん、後できっちり回収、しかるべき処置はするつもりだ。
角を曲がると、目当ての人物はいた。
心臓のリズムが一気に乱れる。
紛れもない、コンビニ前で見た、十鳥オガミの毅然とした後ろ姿とその前に地元の学生だろうか、学制服に身を包んだ男子が三人、さらにその奥には端末を気だるそうにいじるシャギー女。
こういう緊迫した場面に遭遇した経験は、それこそ十鳥オガミと初めて出会ったときぐらいなもので平穏な日々を送ってきた身にはなんともヘヴィーな状況だ。
いや、かなり理不尽な経緯で他人に殴られたことが小学生の頃にあった。もう思い出したくもないけれど。
男子のうち、真ん中の長髪がこちらに気づいた。
「あー、取り込み中、取り込み中」
あっちに行けと手をひらひらさせるが、そんなことは僕には関係ない。
「十鳥さん」
十鳥オガミが首だけ動かして、不意にかけられた声の主を確認する。その表情には動揺など微塵も感じさせない、意思の強さだけが頑固に張りついていた。
……いや、多少、不愉快さが滲んでいるようにも思われる。それはこの状況に、ではなく、闖入者に対しての、二日前のコンビニ騒動で見せた、無関係の人間が何のようだといわんばかりの敵意むき出しの、あの表情。
「何のようかしら」
コンビニでの騒動収拾後や昨日廊下で見せてくれた、局地的な笑みは欠片も確認できない。
一瞬、怯みそうになるけれど、目的はただ一つ。
十鳥オガミの手を掴むと、さっさと立ち去ろうときびすを返したが、あっさり男たちに囲まれた。長髪が口元を歪ませた。センター分けした髪型はなんとなく垂れ耳の犬っぽい。
「なーに勝手なことしてんの」
「まさか恋人か」
男の中でいちばん背の小さいヤツがいう。顔のつくりが猿っぽい。
「少しおしゃべりしただけの仲だってさ」
シャギー女が答える。まだ端末をいじっているのだろう、相変わらずだるそうな声だ。
「関係ないヤツはすっこんでろよ」
テンプレ通りの発言は背の高い男。ガリガリの体躯とツンツンヘア、赤ら顔は鳥類、それも雉を彷彿とさせ、神経質そうに肩を揺らしている姿は疎ましさを覚えた。
「行こう、十鳥さん」
言い争うつもりは毛頭ない。もう一度声をかけるけれど、十鳥オガミは冷たくいい放つ。
「何をしに来たのか知らないけれど、見ての通り、今立て込んでいるの」
関係ないから帰れという代わりのつもりか、十鳥オガミは掴んでいた僕の手をゆっくり離すと僕から顔を背けた。
ドッと男たちが沸く。
「あららん、フラれちゃったねー、色男」
「かっこわりー」
イヌ男とサル男が囃してる間、キジ男が肩を怒らせながら睨めつける。機嫌と連動でもしているのだろうか、肩の揺れがいっそう激しさを増す。
「失せろ」
いわれなくたってすぐに失せてやるさ、こんな不快な空気の充満したところからなんて。
もう一度、十鳥オガミに手をかけようとした瞬間、イヌ男が奇声を発しながら前に躍り出てキックを放ってきた。
反射的にそれを避けると、腕を引っ張られて後方に投げられた。
犯人は十鳥オガミ。
「彼は関係ない。手を出さないで」
僕に顔を向けることなく、冷静に、きわめて冷静に続けた。
「あなたには関係ないことよ。早くここから立ち去ってくれないかしら」
「やっさしー」
意図的に感情を抜いた声を上げたのはシャギー女。まだ端末といちゃついている。
「立ち去るよ。ただし、十鳥さんも一緒だ」
「彼、人間の言葉が理解できないようだぜ」
イヌ男が拳を作ってニヤつく。お仕置きターイムなどと叫びながら、右のストレートを飛ばしてきた。
スリッピング。考えるよりも先に身体が反応した。
「……?」
イヌ男が意外そうな顔で自分の拳を眺めている。だっせーなと笑ったキジ男が右フックを繰り出してきた。
スウェーバック。考えるよりも先にやはり身体が反応した。
キジ男が大げさに舌打ちするのが聞こえた。次の攻撃はサル男かと思って身構えたけれど、戦闘要員でないのか、巻き込まれないように後ろに引いている。
「……なんだ」
この程度のやつは自分たちの攻撃で大人しくさせられるとでも考えていたのか、イヌ男は納得できかねるといった表情を容赦なく向けてくる。
「あんま調子に乗るんじゃ……」
ねえっ、とジャブを連打しつつ、突進してくるイヌ男の攻撃をブロッキングやパアリングで無効化させる。互いに素手なので正直痛いけれど、パンチを弾き返す快感が勝っている。
喧嘩とはまるで無縁な人生を送ってきただけに、この状況は受け入れがたいものではあったけれど、いざ渦中に放り込まれると、開き直れることを今さらのように学んだ。
「んだ、こいつ」
イヌ男が驚きを隠すかのような引きつった笑いを浮かべる。内心面白くないだろうことは曲がった眉毛が物語っている。
勘違いなどではなく、本当に連中の攻撃は大したことがなかった。こんな時間にこういうことをしているような連中だ。クラブで汗を流す生活とは縁などないのだろう。
まあ、人のことなどいえないけれど。
「そんなテレフォンパンチ、素人でも避けられると思うけど」
挑発などするつもりはなかったけれど、当たる気がまるでしない余裕が言葉を押し出した。
「もういいでしょう。十鳥さん、行こう」
連中の攻撃を適当に往なしたあと、十鳥オガミに声をかけたけれど、彼女は微動だにせず、こちらをじっと見ているだけだった。心の中を読み取るなど一切不可能と思われる、感熱紙に印字された時間の経った文字のような、すごく儚い表情。
落雷を浴びたかのような衝撃と共に視界が揺れたのはそのときだった。
殴られたと気づいた時には、地面に突っ伏していた。
「……一さん!」
痛みがじわじわと脳内で波打つように広がる。痛い。とても、痛い。穴が空くんじゃないかというくらい一点が集中的に、痛い。そして抉られたような不快で理不尽な痛みは怒りを伴いながら、順調に腹立たしいくらいすくすくと成長してゆく。しかし痛みの急成長に反して怒りは急激にしぼんでいった。それほどにするどく執拗な痛みは大きく、常軌を逸していた。
意識が混濁しそうになるたびに激痛に引き上げられてなんとも気持ちの悪い綱引きが展開される中、ようやく十鳥オガミが名前を呼んでくれたことにかすかな希望と喜びを見出していた。
情報は五百旗頭君たちからもたらされた。十鳥オガミと同じクラスの五月女君によれば、やはり同じクラスの女子を引っ叩いたらしい。
すぐさま先生に呼び出され、どういうことなのかと問い質されたという。
コンビニ前と昨日の廊下での接触、時間にして十分、いやおそらく五分にも満たない対面であるけれど、彼女ならさもありなん、容易に場面が想像できる。
被害者は話の内容から、昨日、十鳥オガミのメモを手渡しに来た二人組の片方――シャギーさん――のようだ。
「彼女、生徒会の執行委員に推薦されちゃって、なんか召集されちゃったんですよ」
あの含み笑いがよみがえる。
けっきょく昨日、待ち合わせ場所に来なかったことも含めて気になる情報ではあった。
「それで、十鳥さんは?」
五月女君はちょっと不安げな様子で目を付けられたみたいと答えた。
「その頬を張られた女子が不穏な会話をしていたようなんです」
引き取った五百旗頭君の声はひっ迫している。
「殴られた女子とミス・ポンパドールはいつもつるんでひそひそと感じ悪いですからな」
五十棲君が頷きながら続く。あの独特なヘアスタイルはそんな名前だったっけ。
彼と五百旗頭君は小学校時代に知り合って以来のつき合いだけど、直後に存在を知った僕の姉のトリコになったとかで専属カメラマンを自認し、日々、チャンスがあればシャッターを切っていた。姉も姉で彼を信頼しきって自由に撮らせるという、なんとも不思議な関係を構築している。
ちなみに彼らより早く知り合った五月女君は理由は不明だけれど、どうやら姉が苦手のようだ。
「……きっとあいつら、十鳥さんに復讐をするつもりだよ」
五月女君が静かに、しかし忌々しげにいう。あのコンビが彼にとっては相容れない相手であることは明白だ。もちろん、僕も同じ。
「不穏な会話っていってたけど?」
「他校の男子に連絡していたようなんですよ、一氏」
芝居がかったいかにもな口調は五十棲君の特徴だ。太めで品のあるテンプルといわゆるアンダーリム――五十棲君は逆ナイロールという呼称にこだわっている――が目を惹く眼鏡がいやにおしゃれだけれど、これは姉さんの見立てらしい。
「むかつく女子がいるからやっちゃってよ、みたいな会話が聞こえたよ」
……糞ビッチが、と舌打ちがプラスされた。五月女君は心底あのコンビが嫌いなようだ。
「杞憂ならいいのですが」
五百旗頭君の声がますますシリアスさを増していく。
「具体的な場所とかは聞こえなかったの?」
「一度駅に向かうって」
五月女君の言葉に五十棲君が重ねるように添えた。
「今から駅に行ってみようかと思いまして」
「昨日、一君が彼女を気にしていたようなので、声をかけた次第です」
五百旗頭君が確認するような視線を送ってきた。答えは、決まっている。
「行こう」
頷き合う三人と共に駅へ急いだ。
五月女君がいうところの糞ビッチふたりはすぐに見つかった。
大きな紙バッグを脇に抱えながら、化粧室から出てきたところだった。私服にうっすらと化粧を施してある、分かりやすい放課後スタイル。
デザイナーブランドらしきデニムジャケットに際どい丈のミニスカートはシャギー女、ちょっと季節を先取りしているフリルの白いミニワンピースはミス・ポンパドール。ともにサンダルで足元を固めていた。制服を押し込んでいるのだろう、揃って大きなブランドロゴが仰々しい紙袋を肩から提げている。
ふたたび五月女君が舌を打ち鳴らした。彼女たちのファッションに対して心の中で罵っているのかもしれない。
出てすぐに二人は壁にもたれながら喋り始めた。
僕たちはその脇にある奥まったスペースに配置された自販機群前に移動し、そっとそっと顔を覗かせる。
シャギー女が端末を取り出していじり始めた。他校の男子とやらに連絡でも入れているのだろうか。
その脇で液晶を覗き見していたミス・ポンパドールがハッと身体をふるわせた。端末が呼んでいるらしい。
会話は途切れ途切れだったけれど、いないとか、じゃあ向こうに行ったんじゃないのとか、そんな内容だった。
そっちに行く、と伝えると、ミス・ポンパドールが端末を切った。
シャギー女もメールを送り終えたのか、端末をしまうところだった。
「じゃあ、先にぬぐほに行ってるから彼、連れて来てよ」
シャギー女がそういうと、ミス・ポンパドールと別れて改札へ向かった。
反射的にその後を追う。
後方に五百旗頭君たちの慌しい気配が感じられたけれど、振り返り、そっちをお願いとジェスチャーするので精一杯だった。
*
シャギー女が向かった瓊紅保市は於牟寺市から北にふた駅先にある、人口二十万人弱の、於牟寺市や周辺の市町村と共に県南部の広域振興圏を構成している市の一つだ。
ここ数年は、瓊紅保駅周辺に相次いでマンションやホテル、新興住宅地やらが目立ち始めており、街の景観もずいぶんと変貌しているようで、県内でも比較的、教育機関や学生等が多く見受けられ、近年では学園都市としての姿もあるのだそうだ。
姉や親友のアツミさんが卒業した女子高はこの町にある。
くもの巣みたいに張り巡らされているペデストリアンデッキを駆けながら、切っていた端末の電源を入れる。
新鮮な町の空気を堪能する間もなくシャギー女を追っていると、ロータリーからタクシーに乗り込もうとしているところだった。
これは予想外。数百円の電車賃ならともかく、行き先も分からないタクシー乗車とか学生の身分にはきつ過ぎる。……向こうも学生だけど。
しかし、迷っている暇などない。とりあえず、後を(出来る限り)追うしかないだろう。
そしてお約束通り、ものの数秒でタクシーを見失い、途方に暮れていると、端末が鳴った。
五百旗頭君だ。
「五月女氏から伝言です。図書館へ行ってみて下さい」
普段はおっとりしている五百旗頭君からは想像できない、まくし立てるような口調が胸の鼓動を否応なく早める。
礼をいって切ると、僕はタクシーの去った方角へ走り出した。
しばらくして瀟洒な住宅街が見えてきた。あちこちに分譲を知らせる看板やらのぼりがそこここに乱立し、なんとも賑々しいけれど、目を奪われている場合ではない。
走り出して十数分後、ぜえぜえと呼吸も荒くなった頃、開店して間もない感じのコンビニを見つけ、飛び込んでペットボトルのスポーツドリンクを買った。そして、本来の目的である図書館の場所を店員さんに訊いてみる。
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「……ひょっとして図書館、遠いんですか」
タクシーを拾ったくらいだ、ありえる。
「うん、あのね」
首を傾げた素敵な年上のお姉さんと然した店員さんの左手薬指に光るものがあった。
「すぐそこに公園があるんだけど、その公園と隣のホールに挟まれたところよ」
……つまり、あまりに近いからわざわざ訊く僕がめずらしかったということなのだろう。
照れ隠しを兼ねた少し大袈裟なお礼を口にすると、店員さんはにこにこしながら手をふってくれた。うれしいけれど、ちょっと恥ずかしい。
なるほど、公園と思しき緑で覆われた広大な空間が目の前に飛び込んできた。
改めて恥ずかしさがこみ上げて来る。
公園の北側にはコンサートなどで使われる多目的イベントホールが隣接しており、人妻店員さんが教えてくれたように図書館が公園とホールの間に挟まるように存在していた。
少し逡巡したのち、中へ入ろうとエントランスへ向かう途中、右手に見えるホールの裏手から複数の人の声が聞こえた。
あまり心地いいとはいえない蛮声はいやな予感を駆り立てるのにじゅうぶんだった。
一気にミネラル補給を済ませると、職員用駐輪場に並べられた、だいぶ乗られていないと思われる自転車のかごに空のペットボトルを入れた。もちろん、後できっちり回収、しかるべき処置はするつもりだ。
角を曲がると、目当ての人物はいた。
心臓のリズムが一気に乱れる。
紛れもない、コンビニ前で見た、十鳥オガミの毅然とした後ろ姿とその前に地元の学生だろうか、学制服に身を包んだ男子が三人、さらにその奥には端末を気だるそうにいじるシャギー女。
こういう緊迫した場面に遭遇した経験は、それこそ十鳥オガミと初めて出会ったときぐらいなもので平穏な日々を送ってきた身にはなんともヘヴィーな状況だ。
いや、かなり理不尽な経緯で他人に殴られたことが小学生の頃にあった。もう思い出したくもないけれど。
男子のうち、真ん中の長髪がこちらに気づいた。
「あー、取り込み中、取り込み中」
あっちに行けと手をひらひらさせるが、そんなことは僕には関係ない。
「十鳥さん」
十鳥オガミが首だけ動かして、不意にかけられた声の主を確認する。その表情には動揺など微塵も感じさせない、意思の強さだけが頑固に張りついていた。
……いや、多少、不愉快さが滲んでいるようにも思われる。それはこの状況に、ではなく、闖入者に対しての、二日前のコンビニ騒動で見せた、無関係の人間が何のようだといわんばかりの敵意むき出しの、あの表情。
「何のようかしら」
コンビニでの騒動収拾後や昨日廊下で見せてくれた、局地的な笑みは欠片も確認できない。
一瞬、怯みそうになるけれど、目的はただ一つ。
十鳥オガミの手を掴むと、さっさと立ち去ろうときびすを返したが、あっさり男たちに囲まれた。長髪が口元を歪ませた。センター分けした髪型はなんとなく垂れ耳の犬っぽい。
「なーに勝手なことしてんの」
「まさか恋人か」
男の中でいちばん背の小さいヤツがいう。顔のつくりが猿っぽい。
「少しおしゃべりしただけの仲だってさ」
シャギー女が答える。まだ端末をいじっているのだろう、相変わらずだるそうな声だ。
「関係ないヤツはすっこんでろよ」
テンプレ通りの発言は背の高い男。ガリガリの体躯とツンツンヘア、赤ら顔は鳥類、それも雉を彷彿とさせ、神経質そうに肩を揺らしている姿は疎ましさを覚えた。
「行こう、十鳥さん」
言い争うつもりは毛頭ない。もう一度声をかけるけれど、十鳥オガミは冷たくいい放つ。
「何をしに来たのか知らないけれど、見ての通り、今立て込んでいるの」
関係ないから帰れという代わりのつもりか、十鳥オガミは掴んでいた僕の手をゆっくり離すと僕から顔を背けた。
ドッと男たちが沸く。
「あららん、フラれちゃったねー、色男」
「かっこわりー」
イヌ男とサル男が囃してる間、キジ男が肩を怒らせながら睨めつける。機嫌と連動でもしているのだろうか、肩の揺れがいっそう激しさを増す。
「失せろ」
いわれなくたってすぐに失せてやるさ、こんな不快な空気の充満したところからなんて。
もう一度、十鳥オガミに手をかけようとした瞬間、イヌ男が奇声を発しながら前に躍り出てキックを放ってきた。
反射的にそれを避けると、腕を引っ張られて後方に投げられた。
犯人は十鳥オガミ。
「彼は関係ない。手を出さないで」
僕に顔を向けることなく、冷静に、きわめて冷静に続けた。
「あなたには関係ないことよ。早くここから立ち去ってくれないかしら」
「やっさしー」
意図的に感情を抜いた声を上げたのはシャギー女。まだ端末といちゃついている。
「立ち去るよ。ただし、十鳥さんも一緒だ」
「彼、人間の言葉が理解できないようだぜ」
イヌ男が拳を作ってニヤつく。お仕置きターイムなどと叫びながら、右のストレートを飛ばしてきた。
スリッピング。考えるよりも先に身体が反応した。
「……?」
イヌ男が意外そうな顔で自分の拳を眺めている。だっせーなと笑ったキジ男が右フックを繰り出してきた。
スウェーバック。考えるよりも先にやはり身体が反応した。
キジ男が大げさに舌打ちするのが聞こえた。次の攻撃はサル男かと思って身構えたけれど、戦闘要員でないのか、巻き込まれないように後ろに引いている。
「……なんだ」
この程度のやつは自分たちの攻撃で大人しくさせられるとでも考えていたのか、イヌ男は納得できかねるといった表情を容赦なく向けてくる。
「あんま調子に乗るんじゃ……」
ねえっ、とジャブを連打しつつ、突進してくるイヌ男の攻撃をブロッキングやパアリングで無効化させる。互いに素手なので正直痛いけれど、パンチを弾き返す快感が勝っている。
喧嘩とはまるで無縁な人生を送ってきただけに、この状況は受け入れがたいものではあったけれど、いざ渦中に放り込まれると、開き直れることを今さらのように学んだ。
「んだ、こいつ」
イヌ男が驚きを隠すかのような引きつった笑いを浮かべる。内心面白くないだろうことは曲がった眉毛が物語っている。
勘違いなどではなく、本当に連中の攻撃は大したことがなかった。こんな時間にこういうことをしているような連中だ。クラブで汗を流す生活とは縁などないのだろう。
まあ、人のことなどいえないけれど。
「そんなテレフォンパンチ、素人でも避けられると思うけど」
挑発などするつもりはなかったけれど、当たる気がまるでしない余裕が言葉を押し出した。
「もういいでしょう。十鳥さん、行こう」
連中の攻撃を適当に往なしたあと、十鳥オガミに声をかけたけれど、彼女は微動だにせず、こちらをじっと見ているだけだった。心の中を読み取るなど一切不可能と思われる、感熱紙に印字された時間の経った文字のような、すごく儚い表情。
落雷を浴びたかのような衝撃と共に視界が揺れたのはそのときだった。
殴られたと気づいた時には、地面に突っ伏していた。
「……一さん!」
痛みがじわじわと脳内で波打つように広がる。痛い。とても、痛い。穴が空くんじゃないかというくらい一点が集中的に、痛い。そして抉られたような不快で理不尽な痛みは怒りを伴いながら、順調に腹立たしいくらいすくすくと成長してゆく。しかし痛みの急成長に反して怒りは急激にしぼんでいった。それほどにするどく執拗な痛みは大きく、常軌を逸していた。
意識が混濁しそうになるたびに激痛に引き上げられてなんとも気持ちの悪い綱引きが展開される中、ようやく十鳥オガミが名前を呼んでくれたことにかすかな希望と喜びを見出していた。
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物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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