姉はすべてを支配する。さればわれらも姉に従おう。

さいきごそ

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上四元クシナ

引鉄

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 どうやら僕は上四元クシナとつき合ってることになっているらしい。
 朝、校門を潜ったところで同級生に話しかけられた。
 彼はあの日於牟寺学園ここにやって来た上四元クシナを取り囲んでいた在校生のうちの一人のはずだ。
 曰く「どうやってあんな美人と知り合ったんだよ」
 その語調は熱を帯びていた。
 その次は女子、襟の学年章から判断するに先輩、二年生だ。
 下駄箱から廊下に出たところを呼び止められた。
 曰く「ねえ君、あの瓊紅保女子の子と仲いいの?」
 その語調は色めいていた。
 廊下を歩いていると他のクラスの男子が首に腕を巻きつけてきた。
 曰く「なあニノマエ、女子高に行ってる彼女いるんだって?」
 その語調は嘲りが滲んでいた。
 とどめはロク。
 曰く「お前、アツミさんの妹とつき合ってるのか」
 その語調は驚きに満ちていた。
 答えるより先に僕の表情でロクは理解したらしい。
「……まあ、そんなわけないよな」
 ずいぶんお前にご執心だったしなあ、クシナ様・・・・と皮肉を込めながら、感心とも呆れとも取れるため息をついた。
「アツミさんの妹じゃそうそう邪険にもできんだろうし、厄介だな」
 いつものように逆座りをしながら気の毒そうに顔を近づけてくる。
 三苫さんやシギのときに見せたロクの態度を鑑みれば真っ先に冷やかされるかとも思っただけに意外ではあった。
 隠すことでもないので、ナタデココ略取からズッパ・ディ・ファッロの材料購入までかいつまんで話した。
「……食ったり飲んだりばっかだな」
 たしかに。
「連日、瓊紅保お隣からお前に会いに来るとか甲斐甲斐しくもあるが、実際、鬱陶しいだろ?」
 ロクはそういうけれど、実のところ多少の困惑したものの、長々と振り回されれるわけでもないし、こちらの空気を読み取って切り上げてくれるので、正直、そんなに苦でもなかったりする。
「まんざらでもなさげに見えるぞ」
 その顔は笑っていない。
「ちょっと強引なところはあるけれど……まあ、年相応の女子だと思うよ」
 じっと抉るような視線が正面で留まっていた。そしてスッと斜め下に流すとお前の前じゃ素直なのかもな、と考え込むように指で唇を何度も擦ってみせた。
 その表情には邪気の類いは浮かんでおらず、らしくない思慮深さを感じさせた。
 上四元クシナは今日も現れた。
 彼女は優雅さと猥雑さ、強靭さと脆弱さ、大人の顔と子供の顔、初めて出会ってからはまだ見せたことのない相反するいくつもの表情を忙しなく覗かせながら、楽しげに僕を翻弄するのだった。
 ふだん家にいるときはどんなことをして過ごしているのか、趣味はなんなのか、好きなもの嫌いなもの、そんなごくありふれた会話を彼女と交わし合っていると、もうずいぶん昔からの知り合いのような気さえしてきた。
「まんざらでもなさげに見えるぞ」
 ロクの言葉が波紋のようにじわじわと広がっていく。
 僕の右腕に身体を預けている上四元クシナは時折しどけない目つきで僕を見やっては安堵を含んだ微笑みを見せた。
 今朝、同級生やら上級生に話しかけられたことでも再確認したけれど、容姿端麗な彼女は本当に目立つので、すれ違う人がお約束のように振り返る。
 当人は慣れている、というよりもそもそもそういう他人の視線など気にかけるような性格ではないのか、所作に優越を伴う感情の起伏など微塵もなかった。
「ねえ、ナナギ。今度はあっちに行ってみよう」
 数年前にできたショッピングセンターは食品売り場をメインにした大型の典型的な郊外店で広い駐車スペースを囲むように飲食店やアミューズメント施設等が居並んでおり、いつ来ても常に人であふれ返っている。
 ただ自宅や学校からは近いとはいえないので、積極的に自分から来ることはまずない。
 見慣れた緑の制服はちらほら見えるけれど、瓊紅保女子の制服はさすがに見当たらない。
 上四元クシナが目立つ理由はそこにもあるのだろう。
 彼女に手を引かれながら広大な敷地を横切っていると、振り回されている感じがしない自分に驚いてしまう。
 コバルトブルーの制服に身を包んだ彼女の今度の目的地は一階の書店を基幹とした文具、玩具、CDなどの売り場がひしめく大規模複合店だった。
 色とりどりのグッズが並んだ二階の文具コーナーは圧巻で、玩具とCDのエリアと比べて売り場のほとんどを占めていた。
 ここでも我が校の緑はチョコチップクッキーのチョコぐらいの割合で点在している。
 場所柄、女子ばかりなのは致し方ないだろう。
 上四元クシナは楽譜をくしゃくしゃにしたかのような物体を手にしていた。一瞬、売り物の五線ノートを勝手に破ってるのだと、奇をてらうのはお手のものな彼女ならやりかねないと失礼ながら思ったりしたけれど、どうやらペーパーウエイトらしい。
 見れば巨大な雨粒みたいなルーペにもなるものや気泡が浮かぶアクリル製のカラフルなりんご型のものなど、なるほど素材も容も違うアイテムが目白押しである。この手のモノが好きな人からすればここにいるだけで楽しく時間が過ごせるのだろう。僕も思わず見入る。
 と、目の端で緑が動いた。
 一瞬で胸がざわつく。
 よく手入れされた黒髪からこぼれる艶やかなきらめきが、透明感あふれる気配が心地よくすっと辺りに漂いはじめる。
 彼女はこちらに気づくこともなく、何を買ったのか、紙袋を手に店から出て行った。
「……………!」
 ふと、絡められていた腕の締めつけがきつくなる。
 上四元クシナは未だに多種多様なペーパーウエイトに夢中になっている。彼女・・には気づいていないはずだ。
 まるでこちらの感情を読み取ったかのような指の食い込みは次第に強まり、たった今浸っていたささやかな僥倖を容赦なく吹き飛ばす。
 視線はユニークなオブジェ群に向けられてたままだ。
 僕は本気で上四元クシナが恐ろしくなった。
 もう羽二生さんの姿は消え去っている。
 買い物を終えて、帰っただけ。
 ただ、それだけである。
 なのに、それが今、自分が置かれている立場も手伝って、とても理不尽なことのように思えてきて、不安定で不愉快な気持ちでいっぱいになった。
 胸に去来する暗澹としたイメージが軽い圧迫感を否応なく呼び起こし、耐え切れずに腕を振りほどきたい衝動に駆られる。
 ギュッと、強まる締めつけ。それは振りほどかれないための動きに思えてきて恐怖感はさらに増す。
「ねえ、ナナギ」
 手にしたペーパーウエイトをそっと戻しながら上四元クシナの声が緊張感を強いる。
「今、何考えていたの?」
 ……なんだって、いいじゃないか。
 声に出すまいと思いつつも、表情までには気を回す余裕はなかった。
「何怒ってるの?」
 彼女は先ほどまで見せていた無邪気な言動を封印し、外貌と声音に険を滲ませた。
「怒ってない……よ」
「怒ってるよ。間違いなく怒ってる。まるで八つ当たりでもしてるみたいに怒ってる」
 どこか勝ち誇っているかのようなもの言いは押し殺していた負の感情を刺激するには充分であった。
「仮に怒ってるとして、君に何の関係があるんだ」
「ナナギ、まるで子供みたい」
「……子供だよ」
 羽二生さんは別に上四元クシナと一緒にいるところを見たわけじゃない。いや、見たとしてどこに問題があるのだろう。
 見ても見なくても、彼女の興味は僕にはないのだ。
 羽二生さんは僕が誰といようと知ったことではないのだ。
 上四元クシナのいうようにこれは八つ当たりだ。
「僕は子供だよ、未成年だ。毎月お小遣いを貰ってる立場の立派な子供だよ」
 いったい僕は何をいっているのだろう。何を熱くなっているのだろう。
 上四元クシナは黙って僕を見ていた。そんなつもりはないのだろうけれど、その冷めた表情はまるで見下されているかのような錯覚を与える。
 現状から沸き起こる惨めで滑稽でぶつけようのない気持ちが見当違いな怒りにさらに火を注ぐ。
「子供だからなんだっていうんだ。それが君に何か迷惑をかけるのか。いつもバカにしたような態度だけど、自分は大人だから子供じみた僕を見て満足してるのか」
 上四元クシナの表情は気味が悪いくらい変化がなかった。それがなおさら止め処なくあふれ出る感情をかき乱した。
「はっきりいって」
 心の奥底にうっすらと残る冷静な情感がかすかに顔を出した気がしたけれど、それはすぐに沈殿してしまった。最後のチャンスが消え去った瞬間。
「毎日毎日僕に付きまとっていい加減、迷惑なんだ」
 やめろ。やめろ、みっともない。
「アツミさんの妹だから我慢していたけれど」
 大きく息を吸い込んだ。僕なりの上四元クシナに対する嫌味のつもりだったけれど、それがなんだというのか。彼女に指摘されるまでもなく、僕は子供だ。
「もう僕の周りをうろうろして欲しくない」
 無視していつもように勝手に自分のペースに持ち込むと思っていた。
 しかし、上四元クシナは微動だにせず、ただ、じっとこちらを見ていた。
 喜怒哀楽。どれにも当てはまらない無色透明な顔色が僕の不安を大きくする。
 八つ当たりにかこつけた感情の露呈を終えて、自分の行為が無性に恥ずかしくなった。
 それを誤魔化すために、まだ燻っている譴怒の熱をむりやり高めようとしても、ガスの抜けた風船のごとく萎んでいくだけであった。
 所在をなくした僕が取った行動は立ち去ることだった。実に子供らしい手段だ。僕にぴったりじゃないか。
 自分の立場から、上四元クシナから僕は逃げ出した。
 量りようのない気持ちを抱えながら家に向かう道すがら、ふたたび腹が立ってきた。
 その矛先は上四元クシナではなく、自分。

「毎日毎日僕に付きまとっていい加減、迷惑なんだ」

 なにが迷惑だ。ロクがいうようにまんざらでもなかったくせに、なにが迷惑だ。
 羽二生さんとのことは上四元クシナがいようといまいと何も変わらないくせに、自分はどこまで恥ずかしいやつなんだ。
 途切れ途切れに顔を出す、幼稚な激情に伴う羞恥の影を必死に抑え込もうと努力はするのだけれど、意識をそちらに振り分けすぎたせいで、もう一つの激情の副作用までは気が回らなかった。
 それは頬を濡らし、顎から止め処なくこぼれ落ちた。
 言葉にできないくらいのみじめな現状は顔に全身に容赦ない熱を供給し続けた。誤魔化すように歩を早めるけれど、家までの道のりは腹立たしいほど長く感じる。
 穴があったら入りたいどころではない、隔絶への渇望感は世の中にあふれる情報はおろか、過去の記憶さえも消してしまいたいほどであった。
 家に着くと、そのまま自分の部屋に向かい、布団をかぶった。何かから逃げるように。
 淀みなく込み上げる嫌悪感に苛まれながら、ただひたすら布団の中で煩悶し続けた。
 つい先ほどの表情が読み取れない上四元クシナがいつまでも脳裏から消えることはなく、僕をどんどん苦しめた。
 幼児性は、あとになって落とし穴を用意する。
 父の書斎にあった小説の一文が今になって胸に沁みてくる。
 どのくらい時間が経ったのか、姉が帰ってきた気配はなかったけれど、誰とも話をしたくはない今はありがたかった。
 そのとき、狙ったかのように玄関先に人の気配がした。
 その様子はどこか忙しなく、明日の朝までこもるつもりだった僕を這い出させるには充分な動機をもたらした。
 闖入者だったらという不安がちらと頭をもたげはしたけれど、はたしてそれは姉であった。
「……お帰り」
 階上からのかけ声に姉は「ただいま」と頷いて見せた。
 微笑んでいるものの、その笑みにも声にも力がなく、いつも見せている朗色さをごっそり拭い去ったかのようだった。
 イヤな予感がした。
 姉は言動でこそ示さなかったけれど、話がありそうな気がしたので、部屋には戻らずにそのまま一階へ降りていった。
 姉はリビングに整然と並ぶ、北欧生まれの家具量販店で購入した母がお気に入りのソファーにかけていた。
 薄いベージュのスーツと前立てにフリルをたっぷりと施した白いブラウスの組み合わせがどこで得たイメージなのか、新任の音楽教師を彷彿とさせる。
「あのね」
 声のトーンが沈んでいる。こういう姉は見たことがない。
「クシナちゃんなんだけど」
 下半身が落ち着かないのか腰を浮かせて位置を直すとソファーがぎゅっと鳴った。
 彼女の名前が出た時点でイヤな予感がカタチになりつつあった。
 そして数時間前の身勝手で子供っぽい感情の披瀝がどれほど愚かだったのか、イヤというほど思い知らされることになる。

「さっき病院に運ばれたって」
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