姉はすべてを支配する。さればわれらも姉に従おう。

さいきごそ

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年上のひと

詠唱

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「ただいま」
 アルバイトにあたっての問題のもう一つは毎日のように遅くなる言い訳であった。
 かなり苦しまぎれで、学校を休んだ分の遅れを取り戻すために友達・・の家で勉強をしているという架空の話をでっち上げた。シギやロクの具体的な名前を出すと本人たちに出会ったときとか何かの拍子でバレかねないので、そこは曖昧にする小賢しくも稚拙な策を弄することも忘れない。
「お帰りなさい」
 姉はいつもようにダイニングのテーブルで美術関連の本を開いて読んだり、ノートを取ったりしていた。
 システムキッチンではパスタ鍋が沸騰寸前である。
 帰ってそのまま部屋へ行くのも何かをごまかしていると取られるような気がするのできちんと姉と顔を合わせるようにはしていた。
 ……本当、小賢しくて稚拙な策だと我ながら呆れる。
「お友達って、女の子?」
 本から目を離すことなく、不意に訊かれる。
「……どう、して」
 平静を装うのがこんなにも難しいとは。女の勘とやらはどこまでも僕を悩ませる。
「とってもいい匂いがするわよ」
 もちろんニカイドウさんの匂いだろう。ベリー系の、おそらくデオウォーター的なもの。と同時にもしタバコの匂いだったら、別の意味で危機に晒されることになるんだなと背筋が粟立つ思いがして緊張する。
「……し、知り合いの、勉強している友達とは別の人と話をしてて。コンビニで働いてる人なんだけれど、その人と長話してたからかも」
「可愛い子?」
 その瞬間、ミネラルウォーターを飲むべく、姉に背中を向けていてよかったと心の底から感謝した。おそらく顔に出ていしまっていたはずだ。
 気づかれない程度に小さく呼吸し、振り返ると、すでに本から目を離していた。こちらを見つめるその双眸は興味深げだ。
「可愛いっていうよりきれい、かな」
「年上の子なの?」
 ……しまった。
 口ごもってると、問い詰めるようなことを訊いてごめんさないと笑って、幸いその場は放免された。
「待っててね、すぐにできるから」
 立ち上がった姉は冷蔵庫から下準備を整えていた材料を出すと、パスタをゆで始めた。
 言葉通り、茹で上がったパスタを氷水で冷やし、サラダの要領で材料と和えるだけのお手軽冷製パスタは数分で完成した。
 トマトの酸味とバジルの香り、トッピングの生ハムの塩気が旨い今の季節にはぴったりの逸品だった。
 風呂上り、まだ分厚い洋書と格闘している姉に就寝の挨拶をするべくダイニングに顔を出すと、あまり無理しちゃダメよと声をかけられた。
 ベッドに横になると、無理というのは嘘の勉強と隠しているはずのアルバイト、どっちの意味でのことなのか考えたけれど、確かめるも怖くてアタマの中から、それらを追い出し目を閉じた。
 すると今度はニカイドウさんが現われて、悩ましげな瞳と言葉と格好でどこまでも翻弄し、心地よく落ちかけた意識を引き上げるのだった。

 コンビニではじめて会ったときのニカイドウさん。

 ファミリーレストランで再会したときのニカイドウさん。

 アルバイト先で仕事を教えてくれるニカイドウさん。

 どれくらい経った頃か、色々なニカイドウさんに囚われすぎたせいで、ついに睡魔に見捨てられた格好になり、開き直ってめずらしく読書に興じることにした。
 とはいえ、娯楽目的ではなく、睡眠への一縷の望みを託した読書。
 そう、睡眠誘発は難しい本に限る。
 あいにく僕の本棚にはそんな高尚にして詰屈な書冊はない。
 となれば、ふだん近づくことのない父の書斎の出番だ。
 目的の部屋へのアクセスはふた通り。
 ダイニングキッチンの奥にあるリビングと寝室からだけど、本来の意味での自室はスパーリング用となっている現在、ちょうどふたつの部屋に挟まれている書斎を含めてこれらはみごとに姉の活動拠点である。
 父から譲り受け、そして自ら買い集めた膨大な書籍の詰まった書斎は趣味と実益を兼ねるという観点からして姉には都合がいいのだろう。
 一階に下りると、クラシックだろうか、かすかに音楽が聴こえてきた。
 姉は寝室をその目的から外れた使い方、つまり音楽を聴くとか本を読むとか眠ること以外で使うようなことはしない。
 まだダイニングで調べものをしているのだろう。
 姉を忌避するわけでもないけれど、寝室からそっと書斎に向かった。
 姉のことだ。
 ふだんから縁のない書斎に立ち入った理由を答えようものなら、

「たっぷりカラダを動かせばぐっすり眠れるわよ」

 などと、すごくいい笑顔でハートマークを大盤振る舞いしながらスパーリングに誘ってくるだろうことは想像に難くない。
 もっとも、階段から隣りの部屋に僕が入って来た気配は察しているだろうけど。
 音楽が変わった。
 オペラの組曲のひとつ、確か唐辛子みたいなタイトルのアリアだ。
 軽やかで勇ましい前奏曲があまりに有名な作品だけど、主役の自由奔放で自業自得な末路ぶりに嫌悪を抱いたのを覚えている。
 前奏曲と同じくらい著名なアリアはそんな身勝手な女工ヒロインの性質を如実に現している。
 いつだったか姉に教えられたあらすじや歌詞を思い出していると、なぜかニカイドウさんが浮かんできた。
 おかげで件の歌はニカイドウさんが僕に歌いかけているような錯覚さえ抱かせた。
 それは予兆、一種の警句みたいなものだったのかもしれない。

 恋は流浪の民
 なにものにも縛られやしない
 好いてくれなくても、私が好いてやる
 私に好かれたら用心なさい

 放埓を地で行くような味わい深いヒロインの独唱のあとにコーラスがこうくり返した。
 なにか暗示するみたいな意味深長さで僕に忠告しているかのように短く、力強く。

 ――用心なさい
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