上 下
2 / 5

2

しおりを挟む
 そして、今日私は社交界デビューだ。学園よりももっとたくさんの人たちが集う場所。

『コリンヌに会えるといいわね』
『ええ、アネット。今度こそと期待していますよ』



 きらびやかな王宮でのパーティー。私はお兄様のエスコートで入場した。

『どう? ベルナール。コリンヌらしき人はいる?』
『うーん、今のところいませんね……』

 それにしても本当にたくさんの人だ。これだけの人数が集まった場所は初めて。しかも、それぞれに前世がついているのが見えるから、いかに王宮の大広間が広いといえども人と動物と植物が密集していて酔ってしまいそう。

『大丈夫ですか? アネット』

 心配そうなベルナール。

『え、ええ……ちょっと人と前世の多さに酔ったみたい。バルコニーで風にあたってくるわ』

 そっとドアを開け、バルコニーへ。シャンデリアのキラキラした光や香水の匂い、人々のお喋り。そういったものから解放されて、静かな月明かりの下で私は息を深く吸った。

『ああ、落ち着く……もう大丈夫よ、ベルナール』

 しかし、ベルナールから返事はない。

『どうしたの? ベルナール』

 見上げると、ベルナールは一つ向こうのバルコニーに目が釘付けになっていた。そこにいるのは若い男の人と……浮かんでいる女性。

『コリンヌ』
『えっ』
『コリンヌです! アネット、コリンヌがいました! こちらを向いて……私に手を振っています!』
『本当なの? あの人がコリンヌ?』
『はい! アネット、お願いです! あの方のところへ行って下さい……!』

 私は急いで大広間に戻り、コリンヌがいたバルコニーへ向かった。ドアを開けようとすると、立っていた兵士に止められてしまった。

「失礼ながらレディ、こちらのバルコニーは今、出ることが出来ません」
「えっ……」

 この警備の厳重さは、もしかして。

「申し訳ありません。王族の方がいらっしゃるのですね」

 慌てて一礼しその場から下がろうとしたのだけれど、ベルナールが切なげに叫ぶ。

『アネット! コリンヌがそこにいるのです! バルコニーに出て下さい!』
『ダメよ、ベルナール。きっと、王太子様だわ。私では簡単に近づくことは出来ないのよ』
『ああ! コリンヌがそこにいるのに……!』

 悲しむベルナールのために、王太子様が出てくる姿を見せてあげたい。そう思って少し離れた場所で待機していた。

 するとドアが開き、王太子様が現れた。黒髪に青い瞳の美しい方だと評判の、シリル様。私と同い年だけど少し大人びて見える。
 しかしそれより目を引いたのは、ふわりと浮かんでいる美しい女性。淡い金色の髪は柔らかいウェーブを描いて背中に流れ、薄い紫の瞳は可憐な花のよう。絵本に出てくるお姫様みたいな昔風のドレスを着た彼女は、広間に入るなり顔を輝かせてベルナールを見た。何かを喋っているようだけど、私には聞きとれない。

『ああコリンヌ! 会いたかった!』

 二人は互いに手を伸ばしているのだけれど、いかんせん私とシリル様の距離が遠すぎる。すると私の足がギギギっと動き始めた。

『ちょっと、ベルナール! やめてよ! あんまり近づくと不敬になっちゃう!』
『だって……コリンヌがそこに……コリンヌ……』

 シリル様のほうも足が止まってしまっている。おそらくシリル様は王族の席へ向かおうとしていたはずだけど、私のいる方へと顔が徐々に向き始めた。その間、コリンヌは必死でベルナールに手を伸ばしている。
 やがて、コリンヌが疲れ果てた顔をしてふう、と息を吐くと、動けるようになったのかシリル様は立ち去って行った。

『コリンヌ……』

 頭の上でベルナールがさめざめと泣いている。

『良かったわね、ベルナール! 会えたじゃない!』
『ええ、アネット……今日、来て良かった……ありがとう』

 本当に良かった。生まれ変わるタイミングがズレていれば、生まれた国が違っていれば、二人は出会うことはなかったのだから。これでベルナールも満足出来たに違いない。

『アネット、では次はダンスです。ダンスを踊って下さい。そうすれば、私はコリンヌと話が出来ます』
『ちょ、ちょっと待って。あなたも貴族だったなら知ってるでしょう? 王太子様とダンスなんて、こちらから誘うことは絶対に出来ないのよ?』
『もちろんそうでしょう。でもコリンヌがきっと、なんとかしてくれます』
『……シリル様もコリンヌと話せるのかしら』
『あの様子だと、たぶん話せていないでしょうね』

 やはりそうか。シリル様の目にはベルナールはおろか私も映っていなかったもの。なんで自分の顔が横に向いているのかわからない、といった雰囲気だった。

『だったら、ベルナールの話をして協力してもらうことは出来ないわね……』

 そんな話をしていると、ダンスタイムが始まった。
 シリル様はまだ婚約者が決まっていないので、ファーストダンスを踊る相手は誰なのかと皆興味津々だ。
 私は、とりあえずお兄様の横へ行く。お兄様の婚約者、マリアン様には申し訳ないが、デビューの日に一度も踊らないわけにはいかないのだ。私みたいなお子ちゃまに他の人が申し込んでくれるはずもないし、さっさとお兄様と一曲踊ってあとは隅っこに行っておこう。

 ところが、ざわめきが聞こえ、人の波が割れた。その中をゆっくりと歩いてくるのは、シリル様。

『まさか、ベルナール……』
『ええ。コリンヌの力ですよ』

 嬉しそうにベルナールが呟く。

 私の前で立ち止まったシリル様と、横で慌てふためいているお兄様。シリル様はゆっくりと私に手を差し伸べ、踊っていただけますか? と仰った。その横で、両手を握りしめて真っ赤な顔のコリンヌ。

『早く、返事を! アネット! コリンヌの力が尽きる前に!』

 ベルナールに促されて私は急いでシリル様の手を取った。

『光栄でございますわ、王太子殿下。よろしくお願いいたします』

 嫉妬の目が降り注ぐ中、私とシリル様はフロアの中央に進み出た。
 私とシリル様が密着しているから、ベルナールたちも抱擁し合っている。二人とも涙を流して嬉しそう。でも、話の内容は聞こえない。

(そういえば、魂同士で話す時は、私には聞こえないんだって言ってたな……)

 ぼんやり考えながら踊っていると、シリル様に話しかけられた。

「失礼ながらレディ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「あっ、申し遅れました。私はアネット・ベジャール、ベジャール侯爵が長女でございます」
「そうか、ベジャール侯爵の。もしかして今日が初めての社交界ですか」
「はい。兄と一緒に参りました。まさか殿下のファーストダンスのお相手に選ばれるとは、想像だにしませんでしたが」

 するとシリル様は不思議そうに首を捻りながら微笑んだ。苦笑、という感じではあったけどイヤな気はしなかった。それくらい美しい微笑みだったから。

「私にもよくわからないのですが、誰を誘うか広場を見回していた時に君のところで顔が止まってしまって。まったく動けなくなってしまいました。だからこれは運命の出会いかもしれないと思い、ダンスを申込んだのです」

 それはきっとコリンヌの力だ。でもそれをシリル様に言うわけにはいかない。

「ありがとうございます。光栄ですわ」

 そう答えたがそれっきり、お互い話が続かない。それはそうだろう、さっきまで名前も顔も知らない同士だったのだから。私のほうに【王太子妃になる】という明確な目標がないので媚びる必要もないし。

 無言のままダンスを終え、微妙な顔をしているシリル様に一礼するとフロアから早々に引き上げた。
しおりを挟む

処理中です...