東岸の子

直野 紀伊路

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ワタシの小学校は集団下校などがなく、そして当時は放課後に教室で遊ぶなんてことも許されていた時代でした。
その日は母が用事で遅くなるから、17時過ぎまでは家に入れませんでした。
学校の下校時刻が16時半だったので、そこから帰れば家の前で少し待つくらいで済む。
なので学校の教室で友達と喋ったりお絵描きしたりしながら時間を潰すも、友達は徐々に帰り始めて16時を過ぎた頃には教室にはワタシ一人になっていました。
何度か用事で教室に来る担任に上記の事情を伝えていたので、ワタシが遅くまで残っていることに対して何かを言われることはありません。
ワタシが暇潰しに宿題をしているのを見て偉いなと褒めてくれたり、たまに様子を見に来たりしていてくれたんだと思います。

下校時刻まであと5分くらいになった時のこと。
ワタシは帰る準備のために消しゴムのカスをゴミ箱に捨てたり、借りていたクラス共用の辞書を本棚に返したりと教室の中を歩き回っていました。
すると廊下から聞こえる足音。
パタパタと鳴るそれはスリッパで歩く大人の足音で、下校時刻が近付いてきたから先生が声をかけに来てくれたのだと思い廊下を見ました。

学校の教室の廊下側は前後に扉があり間は壁になっていて、そこには教室の正面にある物よりは小さめの黒板が掛けられています。
その下には30cm×60cmくらいの横長の開閉式の小窓が付いていて、廊下の教室側を歩く人の脛くらいまでか見えるようになっていました。
そこに見えたのはスリッパを履いた女性の足。
ちょうど扉から1m程下がった位置で立ち止まっているのが見えました。
足はこちらに向いていて、ちょうど壁に向かって何かをしている様子。
壁の向こう側には掲示板があったので、どこかのクラスの先生が掲示物を貼りに来たのだと思います。
ただ先生達はそれぞれ自前のスリッパや校内用の靴を履いているのですが、そのスリッパには見覚えがありませんでした。
他の学年の先生かなと思い、ワタシはランドセルを背負って荷物を持ち、後ろ側のドアから廊下に出ました。

「先生さような……ら……」

ドアから身体半分出たところで足の方に向かって元気に挨拶をした私は、挨拶の途中で言葉を失いました。
そして一気に身体から血の気が引きます。
そこに居たのは先生ではなく、

─── 膝から下までの足 ───

その足は掲示板の方に向かって立っていましたが、膝上は空に消えていました。

どれくらい経ったのかわかりませんが、私の身体は金縛りにでもなったかように固まっていました。
足は私に気付いたのかこちらに歩いてきます。
大人の歩幅より気持ち小さめで、ゆっくりとこちらに近付いてくる。
背中を嫌な汗が流れ、指先が冷たくなっていました。
息をしたいのに口からはハッハッと細切れの呼吸しか出来ず、酸素が足りないためかキーンと耳鳴りがして頭が眩みます。
そして足が私の1m程手前で来た時でした。

─── 放送委員です。みなさん、下校の時刻になりました。 ───

放送を知らせるチャイムの音と共に録音されている放送委員の下校を促す音声が流れます。
その音はいつもとは違い微妙に音割れをしていて時折ガガッとノイズが入りますが、何度か聞いたことのある音声に、身体がビクッと反応しました。
その瞬間に身体の強張りが取れ、私は教室から一気に駆け出しました。
誰もいない廊下を全力で走り抜け、階段の手前に来て一瞬立ち止まる。
あの足がどこまで来ているのか振り返ろうと思いましたが、何故か振り返ってはいけない気がして私はまた全力で階段を駆け下りました。
急いで脚はを細かく動かすのに、小学生向けの階段は段差が小さくなかなか前に進めない。
最後には何段か飛ばして降りていました。

下駄箱のある昇降口に辿り着いた時には、ワタシの息は切れていました。
膝に手を着きながら前屈みになりぜえぜえと肩で息を切っている。

「そんなに急がなくても、全部閉めたりしないよ。ゆっくり靴履きな。」

突然かけられた声にハッと顔を上げると、そこには竹箒を片手に児童用の出入口の扉の鍵を閉める校務のおじさんが笑っていました。
おじさんはドアの上下に付いている2つのサムターンを回すと、次の扉の方に歩いて行きます。
ドアの下の枠のところに溜まった砂を軽く掃くと、外側に開かれたガラス戸の扉を閉めました。
最後の扉だけはまだ残っている児童のために開けておくよう。

息が整ってきたワタシは、ゆっくりと後ろを振り向きました。
必死で駆け下りて来た階段は静まり返っていて、電灯の明かりが点いているものの夕暮れ時は仄かに暗い。
その薄暗さの中からあの足が出てくるのではないかと暫く見ていましたが、結局あの足が追いかけてくることはありませんでした。

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