異能専科の猫妖精

風見真中

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編入編

鬼の里

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 鬼。日本の昔話ではポピュラーな妖怪。
 人と同じように手足を持ち、人と同じような二足歩行を行う、人に近い妖怪。
 人を超える筋力を持ち、人を食らう、人類の敵。
 日本妖怪の代表格、恐怖の象徴のような異形が、俺たちの目の前に立っていた。
「な、なんで……? 鬼無里の鬼は、大昔に滅んだって……」
 呆然と呟く俺の眼前に一歩、鬼が歩みを進めた。
 ズシン、と校庭が揺れ、茂みの木々がざわめく。
「ね、猫柳……」
 倒れ伏した東雲を背に庇い、俺は前に立ちふさがる猫柳に縋るような声をかけた。
「大丈夫、任せてください」
 そういって猫柳は腰を低く落とし、右手に装着された銀の鎖、対異能用の『爪』を構える。
 絡新婦の異能者で、異能のプロの霊官である東雲を一撃で昏倒させた鬼に、異能初心者の俺が太刀打ちできるとは思えない。
 今俺ができることと言えば、辺りを飛び回る妖蟲から東雲を守りつつ、猫柳があの鬼を倒してくれることを祈るだけだ。
「大神君、妖蟲はお任せします」
「あ、ああ!」
 猫柳の短い指示に俺が頷くと、猫柳は顔を半分だけこちらに向け、冷や汗を浮かべる顔で微笑んだ。
「来ます‼」
 猫柳がそう叫んだのを皮切りに、辺りを飛び回る妖蟲たちが一斉に俺たちのもとに飛び掛かってきた。
 蜂、トンボ、カブトムシのような妖蟲が羽音を響かせ、蟻、ムカデ、芋虫のような妖蟲が地を這う。
「く、来るんじゃねえ‼」
 まず地を這う妖蟲たちに向けて足を踏み下ろす。
 普通の虫よりはるかに大きく、力強い妖蟲たち。
 普通の虫とは訳が違うが、異能者になった今の俺の筋力も、河川敷で襲われた頃とは訳が違う。
 一度踏み下ろすだけで芋虫の柔らかい体をぶちゅりと圧殺し、ドロドロのゼリーみたいな粘液がスニーカーを汚した。
 身の毛のよだつような光景だが、嫌悪感で人は怪我をしない。
 鳥肌が立つのを我慢し、続けて蟻とムカデの頭を頭を踏み潰す。
「な⁉」
 蟻は一踏みで動かなくなったが、同様に頭を潰したムカデはその長い胴体のみで向かって来た。
「クッソが‼」
 二度、三度と胴体を順々に踏み潰し、全体をぺしゃんこにした所でようやく動きを止めた。
「ッ⁉」
 空気を切り裂く羽音に顔を上げると、地面の妖蟲を潰している間に翅を持つ妖蟲が迫ってきていた。
 俺は左脚に重心を預け、付着した妖蟲の粘液を撒き散らしながら右の回し蹴りを放つ。
『ギッ!』
 限界まで脚を上げた回し蹴りは筋に嫌な感触を覚えながらも蜂の頭を吹き飛ばし、地面に落とす。
 蹴りの間を縫って接近してきたトンボは、耳障りな音を放ちながら動く翅の一枚を右手で掴み、力任せに引き千切ってやる。
 一枚の翅を失ったトンボは不規則に動きながら高度を下げ、そこに引き戻した脚で踵落としを決める。
「ッ⁉」
 トンボを潰した瞬間、残ったカブトムシが眼前まで迫っていた。
 鋭く尖った角を俺の方に向け、翅を翻して突進してくる。
 河川敷で妖蟲の角に手を貫かれたことを思い出し、俺は反射的に身をよじって突進を回避する。
「しまっ⁉」
 俺の顔スレスレを通過したカブトムシは、俺の背後に横たわる東雲に向けてその角の矛先を変えた。
「ヤメロォ‼」
 猛然と走り、カブトムシを蹴り上げる。
 しかしカブトムシは大きく旋回して俺の蹴りを避け、Uターンしながら再び俺に向かって角を突きつけてきた。
「こっの!」
 俺は思わず拳を握り、迫り来るカブトムシの胴体に右フック気味のパンチを当てる。
 硬い外皮が砕け、大きくひしゃげてカブトムシは地面に落下した。
 モゾモゾと翅を動かして再び飛ぼうとするカブトムシを一息に踏み潰す。
「いっづぅ……」
 カブトムシを殴りつけた右手は、皮膚が裂けて血が滲んでいた。
 カブトムシの様な甲虫の皮は、要は体の表面を覆う『骨』だ。あいつらは筋肉や内臓を骨で覆い隠す形で進化してきた生き物で、体を守る役目を担っている以上その硬度は高い。妖蟲ともなれば尚更だ。
 再び迫り来る妖蟲達を、俺は主に蹴りで、それが間に合わない時はやむおえず拳で迎撃していった。
 一度拳を振るうたびにその硬い殻に皮膚を裂かれ、飛び回る妖蟲を全て落とした頃には俺の両手は真っ赤に染まっていた。
(ダメだ……素手じゃ限界がある……!)
 辺りに妖蟲が居なくなったことを確認した俺は、鮮血に塗れた両手を見て歯を食いしばった。
 妖蟲は、倒せない相手じゃない。異能混じりになった俺からすれば快勝できる、言わばザコだ。
 しかし、それには武器がいる。
 猫柳の爪のような、東雲の糸のような、鎌倉の鎌のような、異能に負けない武器がいる。
 何か使えそうなものは無いかと辺りを見回すが、生憎転がっている妖蟲以外は校庭の備品しかない。野球部のバットでも放置されてないかと期待したのだが、そもそもこの少人数の学校に野球部があるのかすら定かではない。
(猫柳は……?)
 一頻り痛みの波が引いたところで、俺は鬼と対峙しているはずの猫柳の方に顔を向けた。
 そこで行われていたのはもはや戦いではなく、あまりにも圧倒的なワンサイドゲームだった。
 鬼の振るう拳に対し、猫柳はそれを軽々と回避する。
 数秒遅れて猫柳のいた場所に拳が振るわれ、離れた場所にいる俺の髪を揺らすほどの凄まじい威力が空振りに終わる。
「ハァ‼」
 鬼が腕を引き戻す前に、その腕に猫柳の蹴りが二発、三発と叩き込まれる。
 再び拳を構えた鬼の視界から猫柳が消え、鬼がその姿を捉えるより早く後方に回り込んだ猫柳の痛烈な回し蹴りが延髄の辺りに決まる。
 猫柳のスピードは、完全に鬼を置き去りにしていた。
 鬼が構えるより早く猫柳の蹴りが決まる。
 かすりもしない鬼の攻撃は、振るった箇所そのものが猫柳の格好の的となる。
 やがて、鬼をスピードで翻弄した猫柳の爪が、ガラ空きになっていた鬼の首に突き立てられた。
「やった!」
 鬼を圧倒する猫柳に、俺は思わず声を上げる。
 しかし、
(硬い……!)
 爪が鬼の赤銅色の皮膚に触れた直後、猫柳は苦悶の表情を浮かべて後退した。
 見れば鬼の皮膚にはまともな傷跡はなく、火傷のように皮膚の一部が爛れているのみだった。
『オオオオッ!』
 鬼は爪の当たった首を掻き毟るようにさすり、苦痛にかぶりを振った。
(何で、当たったのに……?)
 猫柳の銀の爪は、異能生物である鬼に対して有効ではあるようだ。しかし、触れるだけで妖蟲を中毒死させていた銀の毒が、鬼にはそれほど効いているようには見えない。
「猫柳、大丈夫か⁉」
 妖蟲の追撃がないことを確認した俺は、鬼とある程度の距離を取る猫柳のもとに駆け寄る。
 俺の鮮血に塗れた両手を見た瞬間、猫柳が眉をひそめる。
「大神君、手が……」
「大した事ない。それより、あの鬼……」
 警戒しながら鬼に視線を向けると、鬼は東雲の糸に絡まって校庭に転がる妖蟲に赤銅色の手を伸ばし、鷲掴みにして口に運んだ。
『ギギッ……!』
 短い断末魔を上げ、妖蟲は東雲の糸ごと咀嚼されていく。
 硬い外皮をバリバリと噛み砕き、歪な歯の並ぶ口の周りを粘液まみれにしながら、鬼は妖蟲を飲み込んだ。
「く、食ってる……⁉︎」
 異能生物は、異能を食べる事で強くなる。知識では学んだ事だったが、実際に目の当たりにしてみると目を背けたくなる光景だ。
 しかも、鬼が妖蟲を二度、三度と捕食するたびに、猫柳が与えた首の火傷がドンドン治っていっている。
「傷まで治るのかよ……?」
 驚愕と共に呟くと、隣で猫柳がふるふると首を振った。
「あり得ません。鬼が、再生能力を持っているなんて……」
 その顔に困惑の表情を浮かべ、猫柳はそう言った。
「それに、あの肌は硬すぎます。今までにも何度か鬼と呼ばれる異能生物とは戦いましたが、アレはそのどれとも違う。新種の鬼だと思われます」
 猫柳の言葉に、俺は目を見開く。
 言っていることの意味を全部理解できる訳じゃないが、要約すると猫柳にとってもあの鬼は未知の異能生物だってことらしい。
「そんなの、どうすれば……」
 霊官である猫柳にも分からない異能生物なんて、どう対処すればいいのか見当もつかない。
 話している間にも鬼は妖蟲を食べ続け、ついに首の傷は完全に塞がった。
 傷を癒した鬼は再び俺たちに向き直り、緩慢に歩み始めた。
「大神君、あの鬼は未知の鬼ですが、足は遅いです。リルさんと寮に戻って、応援を……」
「馬鹿言うな! お前と東雲を置いていけってのかよ!」
 いくら猫柳が機動力で鬼に勝っているといっても、気を失っている東雲を庇いながらあの鬼を相手にするのは無理があるように思える。
 何より、まだ寮内の間取りに詳しくない俺が今から寮に戻ったところで、あの鬼に対抗できる霊官を見つけるのにどれくらい時間がかかるか分からない。
 それより、俺と猫柳であの鬼を倒す方が幾分か現実的だ。
「……猫柳の爪、例えば、目や口みたいなとこなら刺さるんじゃないか?」
「え?」
 目や口の中といった粘膜、鍛えられない箇所を攻撃するのはケンカのセオリーだ。
 そして同時に、禁じ手でもある。
 口内ならともかく、本気で目を狙って攻撃をすれば取り返しのつかない傷を相手に負わせることになる。
 ケンカ慣れしているやつほど、そういう怪我では済まない箇所を狙わずに相手を無力化するものだが、今回は相手が相手だ。遠慮なく狙うべきだろう。
「確かにそれなら効くかもしれませんが、あの鬼、動きが遅いというのに力は強いです。明確な隙を作らずに接近すれば、私ではあのパンチを受けられません」
 猫柳の言う通り、あの鬼は一撃で東雲を戦闘不能に追いやっている。
 小柄な猫柳が鬼の顔に攻撃を当てるには、接近した上でジャンプしなければならない。
 そんな不安定な体勢で、外したら致命的な特攻。危険な賭けになる。
(猫柳が接近する隙を作るために、俺に出来ることは……)
 俺が全力で殴っても、あの鬼に隙を作れるかは分からない。
 せめて何か武器になるようなものがあれば、と改めて辺りを見回したとき、妙案が浮かんだ。
「俺に考えがある」
「考え?」
 不安そうに俺を見る猫柳に「十秒稼いでくれ!」と言い残し、俺は体を反転させて走った。
 俺が駆け出すと同時に、鬼は猫柳に向けて拳を振りかぶる。
 緩慢に振るわれる拳を猫柳は難なく回避するが、後方に東雲を庇っているので大きく動けないでいる。
 俺は猫柳と鬼の戦闘を横目に、目当ての場所にたどり着いた。
 それは、校庭に設置されている朝礼台。
 加工された金属板と、そこに溶接された上がるための階段と四本の脚。約一メートル四方の金属だ。
 先程俺と東雲が乗っていたそれの、ペンキが剥げて錆びた脚を両手で掴む。
「フンッ‼」
 腰を落として歯を食いしばり、掴んだ腕に力を込める。血圧が上昇し、自分の顔が真っ赤になっているであろうことは想像に難くない。
「ッッッッッ‼」
 全身に力を込め、リルから受けた異能を全力で高める。高まっていく異能と、それに伴い増強する筋力。呼応するように、足元のリルが『アン!』と一声鳴いた。
 バキン、と音を立てて、握った朝礼台の脚がひしゃげた。
 全霊の力が体に満ちたとき、砂埃を舞わせながら朝礼台は持ち上がった。
 俺は朝礼台の脚を肩に担ぎ、鬼と猫柳の元へ歩き始める。
 猫柳の蹴りが何発決まっても、鬼はビクともしなかった。爪を通さない硬い肌は元より、全身が分厚い筋肉に覆われているから生半可な攻撃では効かないのだ。
 だったら、巨大な武器でもって重い一撃を与えてやるだけのことだ。
 ダメージは与えなくてもいい。一緒でも隙ができれば、猫柳がきっと決めてくれる。
 ズシン、ズシン、と足が地面に触れるたびに体が揺れるが、俺は一歩ごとに、確実にその速度を上げていく。
「ね、こ、やなぎぃぃぃ‼」
 歯を食いしばりながら猫柳の名を呼ぶと、鬼と向かい合っていた猫柳が振り向き、瞠目した。
「な、なにを⁉」
「どけぇ‼」
 硬直しかけた猫柳は、俺の意図を汲み取ったらしく瞬時にその場から離脱した。
 朝礼台はメチャクチャ重く、全力で走っても小走り程度の速度しか出ていないが、それでも鬼の方が遅い。
「だりぁぁぁぁ‼」
 俺は仰け反りながら朝礼台を振りかぶり、鬼に向かってフルスイングした。
 ゴォン‼
 鈍い音を立ててバラバラになる朝礼台と、殴り倒される鬼の巨体。
 反動で尻餅をついた俺の横を、銀色の影が通り過ぎる。
「ハァ‼」
 起き上がろうと手をついた鬼に、一閃。
 白濁した目の片方に猫柳の銀爪が深々と沈み込む。
 ぐちゅり、と瑞々しい音を立てて猫柳が爪を引き抜き、赤黒い血を払うために振るわれた指が虚空に銀の軌跡を描く。
 一瞬の後、鬼が慟哭する。
『ガォガァァァァ‼』
 全身に走る猛毒にのたうち回り、鬼はやがて動かなくなった。
 先程までの轟音が嘘のように、夜の校庭は静まり返る。
 脅威が去ったことを認識したことで、全身からどっと汗が噴き出してきた。
「た、倒した、のか……?」
 呆然と呟いた俺に、猫柳が頷く。
 放心していた俺はゆっくりと立ち上がり、鬼の亡骸を見下ろす。
 痛みと苦しみの表情のまま絶命した鬼は、貫かれた片目から大量の血を流していた。
 それはさながら、赤い涙のようでもあった。

 ・・・

 鬼は四肢を持つ直立二足歩行の異能生物。人間に近い姿をしている。
 そんな鬼を絶命させたことに、妖蟲を潰した時には感じなかった嫌悪を抱いてしまった。類人猿に対する意識と近いかもしれない。
 気分が沈んだ俺と猫柳は、ジャージと壊れた朝礼台の脚を使って担架を作り、藤宮先生が宿直しているという宿直室に東雲を運んだ。東雲が小柄とはいえ、人を運ぶには体力が必要なので、二人とも異能を発現したままだ。
 妖蟲駆除がある土曜日は不測の事態に備えて保険医が宿直する決まりになっているらしい。
「先生! 藤宮先生!」
 保健室の隣にある宿直室のドアを叩き、猫柳が先生を呼ぶ。
「どうしたの、ネコメ? 初仕事で大神が怪我でもした?」
 先生はすぐに出てきたが、昼間と同じように下着姿だったのでたじろいでしまった。しかし、目の保養とニヤついている場合ではない。
「俺じゃなくて、東雲が!」
 床に置いた担架の上でぐったりしている東雲を見て、藤宮先生が表情を険しくした。
「保健室に運んで。私もすぐに行くわ!」
 そう言って先生は一旦宿直室に戻り、保健室の鍵を投げて渡してきた。
 俺はすぐさま保健室のドアを開け、猫柳と二人で東雲を運び、ベッドの上に寝かせた。
 すぐにシャツとスカート、白衣を纏った藤宮先生が保健室に入ってきて、東雲の触診を始める。
「一体何があったの? 妖蟲相手に八雲がここまでやられるなんて有り得ないわよ?」
 東雲の腹部を撫でながら問いかける藤宮先生に、猫柳が不安げな表情で答える。
「鬼が出たんです。それも見たことのない、新種の鬼が……」
 猫柳の答えに藤宮先生は「お、鬼ぃ⁉」と目を丸くした。やはり藤宮先生にとっても想定外の事態のようだ。
「鬼無里の鬼が絶滅したのなんて、十年や二十年前の話じゃないのよ? それが本当なら、私の手にも余る事態だわ……」
 一通り触診を終えた藤宮先生は、ベッドの周りのカーテンを閉じて腕まくりをした。
「私は八雲の施術をするから、ネコメは彩芽に連絡して。その鬼も回収した方がいいわ」
 素早く指示を飛ばす先生に頷き、猫柳はケータイを取り出して諏訪先輩に電話をかけるために保健室から出た。
「先生、俺は? 何かできることないか?」
 自分だけ何もしないでいるのは居心地が悪いと思って問いかけると、先生は椅子を指差して座るよう促した。
「アンタは治療待ちよ。その手、軽傷じゃないでしょ」
 言われて自分の手を見ると、両手の甲の傷を思い出した。
 流れ出た血は固まって黒く変色しており、傷口からは未だに鮮血が溢れ続けている。
「妖蟲相手に素手で殴りかかったってところ?」
「そ、そうっす」
 先生の言葉に頷きながらも、俺は傷が大して痛くないことに首を捻った。
 怪我をしたときはそれなりに痛かったが、鬼と戦っている間に痛みが完全に消え、今も全く痛くない。
 どういうことかと考えている間に、電話を終えた猫柳が戻ってきた。異能を解除して、茶髪に戻っている。
「会長と烏丸先輩、まだ生徒会室にいたみたいで、すぐに来るそうです」
 猫柳の報告に「そう」とだけ言って、藤宮先生はカーテンの中に消えた。東雲の治療を始めるのだろう。
「東雲、大丈夫かな……?」
 隣の猫柳に問いかけると、猫柳は「大丈夫ですよ」とぎこちないながらも笑ってみせた。
「藤宮先生は名医です。骨や内臓の損傷くらいなら、手術することもないでしょう」
 さすがは異能の医者だな、とホッとして、俺は猫柳に倣って異能を解除した。
 体から力を抜き、全身を覆っていたオオカミの力が霧散する。そしてリルが一声鳴いたのを聞いた直後、激痛が走った。
「いっがぁ⁉」
 両手が痛い。いや、熱い。
 今まさに炎で炙られているような錯覚を覚えるほど、手の甲の傷が痛み出した。
「お、大神君⁉」
「ちょっと、何事?」
 猫柳が駆け寄り、治療を中断した藤宮先生もカーテンを引いて現れた。
 俺は涙にボヤける目を見開いて、傷の状態を確認する。しかし、手の傷は先程までと何ら変わった様子はない。
「異能を使いなさい、大地」
「え?」
 視界の端に、車椅子に乗った諏訪先輩とそれを押す烏丸先輩が現れた。
「今まで痛みを感じなかったのは、異能の効果よ。もう一度異能を使えばとりあえず痛みは引くわ」
 諏訪先輩に言われるがままに異能を発現する。
 再び頭の上に獣の耳が現れ、ジャージのズボンの中に尻尾が生える。
「は、はぁはぁ……」
 先輩の言う通り、異能を発現させた瞬間からドンドン痛みが引き、ちょっとヒリヒリする程度まで痛みが治まった。
「大丈夫ですか大神君?」
 心配そうに顔を覗き込んでくる猫柳にぎこちなく頷き、俺は保健室に入ってきた諏訪先輩と烏丸先輩の方を見る。
 諏訪先輩は満足そうに頷き、車椅子のタイヤを回して俺の前までやってきて、おもむろに俺の頭に手を伸ばした。
「オオカミの異能と混じった人を、狼男とかウェアウルフ、ワーウルフなんて言ったりするわ」
 そう言いながら先輩ひ伸ばした手で頭の上に現れた耳に触れ、クリクリといじり始めた。
「国によって呼び方は様々だけど、ベオウルフ、ベルセルク、バーサーカーなんて呼ばれ方もするわね」
「ば、バーサーカー?」
 バーサーカーといえば、漫画やゲームなんかでもよく目にする、理性を失った狂戦士のことだ。
「歴史的には、オオカミに噛まれて狂犬病に感染して正気を失った人を、悪魔の仕業だとか言ったってことになっているけど、実際はオオカミの異能混じりが異能を制御出来ずに暴走した状態のことなのよ」
 言いながら諏訪先輩は両手で左右の耳を弄び続ける。引っ張ってみたり、毛を撫でてみたり、とにかく俺の耳で遊びたい放題だ。
「お、おい先輩、いい加減に……」
 抗議の声をあげようとする俺の耳にふぅ、と息を吹きかける。
「うひぃ⁉」
 ビクン、と背筋が跳ね、変な声が出てしまった。
「あら、耳が感じ易いのね?」
 ニヤリと笑う諏訪先輩に非難の目を向けるが、当人は相変わらず何処吹く風といった感じで知らんぷりだ。
「そ、それで会長、そのウェアウルフの話……」
 成り行きを見守っていた猫柳が、何故か顔を赤らめながら口を開いた。変な声聞かれたな。
「ウェアウルフ、狼男は、アドレナリンやβエンドルフィン、ドーパミンといった脳内物質を無意識に多量分泌するの。そのせいで痛みを感じないし、テンションも異常になったりするわ」
 それは、確かに思い当たる。
 烏丸先輩と戦ったときも痛みを感じなかったし、横槍を入れた東雲にも強い言葉を使ってしまった。
「だから異能を使ってれば、痛みは感じにくくなるわ」
「わ、分かった……」
 俺は異能を発現させたままにし、「騒がせないでよ」とため息をついてカーテンの中に戻る藤宮先生を見送った。
 俺の反応がお気に召したのか、諏訪先輩は俺の耳をいじるのをやめない。
「うーん、ネコメのネコミミもいいけど、私やっぱり犬派なのよね~。動物タイプの異能混じりはホント癒されるわ」
「お嬢様」
 夢中で人の耳で遊ぶ先輩に辟易していると、烏丸先輩が口を開いた。助け舟でも出してくれるのかと思ったが、保健室のドアを引いて出て行こうとしている。
「私は鬼の死体を回収してきます。それと、妖蟲の処分も」
「そうね、お願いするわ」
 烏丸先輩は頷き、保健室から出て行った。
「妖蟲の処分って?」
 確かに校庭には俺や猫柳が殺した妖蟲の死骸が落ちているし、東雲が捕まえたやつに至っては生け捕りにされてその辺に転がっている。
「まとめて燃やすのよ。あのままにしてたら他の異能生物のエサになっちゃうから」
 そのまま放置するとは思わなかったけど、まさか燃やして処分するとは、エゲツないことするんだな。
「鬼は、どうするんだ?」
「……完全にイレギュラーな事態だからね。とりあえず解剖するわ、ネコメの言っていた再生能力のことも気になるし」
 神妙な顔でそう言いながら、先輩は俺の耳をそっと撫でた。
 先輩の手の温度を感じながら、猫柳と三人で東雲の治療が終わるのを待つ。
 夜はすっかり更けて、外は静寂に包まれていた。
 こうして、俺の霊官研修員としての最初の仕事は終わりを迎えた。
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