異能専科の猫妖精

風見真中

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贖罪編

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 陽が傾き薄暗くなったころ、俺はリルを連れてトシと一緒に食堂に赴いた。
 まだギリギリ夕方と言える時間で、しかも夏至が近いというのに窓の外は予想以上に暗い。
『匂うな』
「ああ、今夜は降るかもな」
 食欲を刺激する夕食の匂いに混じり、換気のために開けられた窓からは湿気た土や草木の匂いが漂ってくる。
 梅雨入りしてから少し安定していたのだが、今夜は結構な雨が降る気がする。
 昼間に出かけた時にはさほど気にならなかったが、鬼無里は結構な山奥だ。山の天気は変わりやすい。
「まあそれなりに涼しいから、山奥も悪くないけどな」
「それは言えてる」
 トシの言う通り、鬼無里は山だけあって海抜も高い。東京で言えばスカイツリーよりも遥かに高い位置にあり、同じ市内でも繁華街のある盆地より平均で二、三度は気温が低いだろう。
 去年の今頃は実家で冷房を付けていたはずだが、今年はまだお世話になっていない。そもそもこの辺りの民家には、クーラーがない家も多いとか。
「いや~、ホントにこっちは涼しいよね。夏に東京とか行ったことある? あれもうサウナだよ、サウナ‼」
 そう言って俺たちの座ったテーブル席にやってきた人物が誰なのか、俺は一瞬分からなかった。
「お、お前……⁉」
 俺と並んで座るトシの正面に山盛りの料理を乗せたトレーを置き、そいつは花のような笑顔を振りまいた。
「やほー。久しぶりだね、大神くん!」
 ウエーブのかかった、金色に近い長い茶髪。袖の余ったダボダボのカーディガン。
 俺のよく知る少女の、虚像。
 あの事件以前の東雲八雲が、椅子を引いて座った。
「そっちの背の高い人が、大神くんのお友達の円堂くんだよね? ネコメちゃんから聞いてるよ」
 よろしくー、と東雲はトシに握手を求めるように手を伸ばした。
 その手をおずおずと握り、トシはぎこちなく「よ、よろしく……」と返した。
「大神くんからあたしのこと聞いてる? 霊官で、一応クラスメイトなんだけど」
「あ、ああ、聞いてるよ。ちょっとイメージ違ったけど……」
 トシが異能で見た俺の中の東雲の情報は、あの時俺が思い浮かべた表面的な情報だ。
 事件以前の東雲は、トシにとって完全に未知の存在だろう。
(短い時間で仕上げてきたな、東雲のやつ……)
 鎌倉一味と里立以外のクラスメイトは、当然東雲が休学してから今までどこで何をしていたのか知らない。
 そんなクラスメイトたちに不信感を与えないために、東雲は霊官の長期任務から帰ってきたばかりということになっている。
 つまり、事件以前の東雲を演じ続けるということだ。
「円堂くんはサトリの異能混じりなんだよね? 今あたしが何考えてるか、とかも分かっちゃうの?」
 トシの異能に興味津々なフリをしながら、あくまで『初見のクラスメイトに接する』という演技をする東雲を見て、俺はキョロキョロと周囲を伺う。
「東雲、ネコメは?」
「ネコメちゃんならまだ列に並んでるよ。冷たい麺の列が長くて」
 寮の食堂はメニューの種類によって食券を渡すカウンターが違う。
 空気が湿気を伴って若干蒸し暑い今日は、ネコメ同様に冷たい麺類を求める生徒が多く、時間がかかっているわけか。
 俺は周りに同じクラスの人間がいないことを確認し、小声かつ早口で、簡潔に事情を説明する。
「それならちょうどいい。トシは事情を知っている。一応三人目の護衛ってことになった」
 俺がそう告げると東雲は一瞬だけ目を見開き、すぐにお調子者の仮面を被り直す。
「そっか。じゃあ、あたしのこととかは?」
 漠然とした質問だが、つまり東雲は自身の事情についてどこまでを知っているのかということを問うているのだろう。
「……すまん」
 ここで誤魔化してもすぐにバレることなので、俺は素直に打ち明けることにした。
 俺の謝罪で全てを悟った東雲は、「そっか……」と呟いてからわざとらしく頰を膨らませる。
「もー、悪い子だな大神くんはー。女の子の秘密簡単にバラしちゃうなんてー」
 行儀悪く手足をジタバタさせる東雲に、トシはテーブルに額を押し付けるような勢いで頭を下げる。
「大地は悪くない。俺が異能を使って無断で聞き出したんだ。すまない、東雲さん」
 頭を下げた体勢のまま動かないトシに、東雲は「顔上げてよー」と明るく笑いかけた。
「あたし気にしてないよ。わざとじゃなかったんでしょ?」
 東雲の言葉に、トシはためらいながらも頭を上げた。内心では罪悪感に苛まれているのかもしれないが、大勢の生徒がいる食堂内であまり目立つ行動をするのは避けた方がいいことは、トシにも分かっているだろう。
 俺たちの仕事はあくまでもネコメの護衛。しかも本人にさえ正確な情報を秘匿している、言わば極秘任務なのだから。
「サトリの異能が味方なんて、頼もしいよね。よろしく、えんどーくん」
 二パッと笑い、東雲は表情を隠した。
 貼り付けられた仮面のような笑みと、お調子者を演じる薄っぺらい会話。
 時折テーブルの近くを通りがかったクラスメイトから声をかけられ、東雲は笑顔を向ける。
 寒気を感じるほど、東雲は事件以前の東雲だった。
(無理してるんだろうな……)
 顔や態度に現れなくても、感情を完全にコントロールできるはずはない。
 心の整理がつかないうちに演技をすることになった東雲は、恐らく多大なストレスに見舞われているだろう。
 その証拠に、料理と湿気の匂いに混じる東雲の体臭は、以前のように甘くはなかった。
「あ……」
 窓際の生徒たちがにわかに騒ぎ出したのと同時に、窓の外から土の濡れる匂いが漂ってきた。
 雨が、降り出していた。
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