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1章 彼女たちとの出会い

#2-1.亜人類種族の投降

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 ある冬の日。魔王はとても幸せそうな良い笑顔で君臨していた。
いつもの執務室ではなく、玉座である。
世界中で魔王のみが座する事を許された至高の玉座。
……の上に可愛らしい猫の絵が描かれたクッションを敷いて、魔王は機嫌よく補佐であるラミアの報告を聞いていた。
ちなみに猫のクッションは先代魔王のお気に入りをそのまま流用している。
人類はおろか魔族にまで恐れられたマジック・マスターは、実は可愛いもの好きだったというのを知る者は少ない。

「――という訳で、此度の戦を会戦する前と比べ、我が魔族の領土は13%程広まりました。移民も同時進行で始まっておりますわ」
「そうかそうか。それは素晴らしい。被害が少なく済むというのは面倒がなくて良いな」
魔王の機嫌のよさというのは、一つは戦争に圧勝し続けている事にある。
あまり戦に興味がなくなったとは言っても、それでも勝てば嬉しいのは人情ではなかろうか。
要するには、まどろっこしく強い勇者が、最近はあまり出てこないのだ。
恐らくそういった連中の中でも最高峰であったであろう勇者がこの魔王によって容易く葬られたのだから無理もないのだが、やはりそんな事情を知らない魔族側としては、楽で良いなあ、くらいにしか思わないものなのだ。
「それで、以前私が言い付けた事は、当然きちんと守ってくれているのだろうね?」
「あ、はい。その件でしたら問題なく。陛下の御言いつけどおり、きちんと人間の女子供は捕虜にしております。非戦闘員に限り、ですが」
「うむ、それでいい。抵抗したら殺すのは仕方ないからね」

 別に魔王は無益な殺生を好まないから捕虜をとっていた訳ではない。
通常、魔族は人間を捕らえずに殺す。
もし生かして連れ帰った場合、大体は暇つぶしになぶり殺しにするだとか、陵辱して憂さを晴らすだとかの為にそれらは行われるのだが、魔王は特別そういうつもりもない。
とにかく捕虜として捕らえ、連れ帰る。死なれても困るので余計な手は出さない。
その為の村も作り監視下に置き、生きるのに最低限の暮らしもさせる。
そうする事によって、残された人間は無関心で居られなくなるだろう。というのが魔王の読みだった。
皆殺しにするより、捕らえてそれを人質にしてしまう方が楽に進む事もあるだろうという思惑の下、魔王は非力な女子供を捕虜にする事にしたのだ。

「陛下の仰る通りに捕虜と引き換えに明け渡しを要求したところ、何件かの砦が応じ、結果的に無血・無破壊での占拠に成功した地域もあったようです」
「うむ、人間とはやはりそうするようだな。大変結構だ」

 人間は、弱い者、足手まといとなった者を中々無視できない。
個人単位ではそれができても、共同体となるとそれは難しいらしいのだ。
魔族などは親しい相手ならともかくとして、大体のところ他人は都合が悪くなると容易く切り捨てるものだが、人間は見栄だとか他者への遠慮だとかが邪魔をしてそれができないのだ。
流石に人間も城まで明け渡せとなると頑なに拒むだろうが、前線の小さな砦くらいならと明け渡してしまう。
こういう時だけは感情ではなく勘定で考えるのだが、どこか抜けていて、それによって起こる弊害を予測しないまま明け渡す者も少なくない。
そうした結果、それまで安全だった別の街が襲われ、更に捕虜は増えていく。
人類にとっては致命的な悪循環の小さな始まりだ。

「意外でしたわ、人間がここまで同族を大切に思っていたとは」
「まあ、普段はそこまででもないかもしれんがね。ただ人間は意外と『いざという時』に発揮する力の度合いが他の種のそれよりも強いらしい」

 いざという時。
例えば死の間際だとか、死を意識した瞬間に多いのだが、生物というのは最後の最後で強く力を発揮する事がある。
一瞬だけ身体のリミッターが外れ、本来その種が持つ肉体のフルスペックを発揮させる事によって起こる現象なのだが、この世界の人間は5割から6割ほどリミッターにかけているので、簡単に計算しただけで倍以上の力が出る事になる。
人間一人の力は下級の弱小種族の魔族やそれ以下の魔物と大差ない者が多いが、その倍の強さともなると一隊の隊長クラスと対等に戦える者も少なくない。しかも数が多い。
対して魔族側は、種族にもよるが、リミッターそのものが存在しない事が多い。
大体は常に本気。たまに変身したり魔王のように普段実力を隠している者も居るが、大体は最初からフルスペック。
つまり、それまで互角に戦えてたくらいの下級魔族だと、リミッターの外れた人間には一方的に殺されてしまう。

 ただ、救いがあるとするなら、そういった時の人間は往々にして理性のタガまで外れていて、冷静に一歩離れると意外なほど隙だらけな事がうかがえる。
その上、フルスペックなどと言っても大体は本来身体が追いつかない動きを取る為、放って置くと腕の筋肉が断絶したり、骨があらぬ方向に捻じ曲がって勝手に戦闘不能に陥る。
まあ、そうは言っても戦闘中の出来事なので、戦地で冷静に動けるかどうかは本当に個人レベルの問題になってくるのでどうしようもないといえばどうしようもない。
全員が全員そんな状態の人間ばかりではないので、そんなのと当たってしまったら不幸だと思え、くらいのものなのだ。

「そして種族間のつながりもそれなりにあるから、自分の妻や子供が殺された、となるとタガが外れる人間も多くなるだろうね」
「殺さずに捕虜にする事によって、敵兵の強さも変わるという事ですか?」
「まさにそういう事だ。殺さない事によってこちらの兵の損耗も減る。捕虜になるようなのは元々非戦闘員なのだから、生かして帰してもさほど脅威にはならないしね」
実際には、女子供を生還させる事によって種としての繁殖率が一定量維持されてしまうので、種として人類を滅ぼしたい場合にはあまり向かない方法なのだが、はじめから絶滅させるつもりが更々ない魔王はその辺りは解った上で無視していた。

「ま、それは置いておいて、もう一つ、私が言いつけたことがあったはずだ」
「はい、そちらの方も問題ありません。人間達の住居等はほぼ無傷のまま手に入れてあります」
魔王にとっては、どちらかというとこちらのほうが気がかりだった。
「よろしい。彼らは意外といいマジックアイテムを持っていたりするからね、無遠慮に傷つけられては困るのだ」
「はあ……そういう事でしたか」
ラミアはというと、そんな上機嫌な魔王の姿に『ああ、またか』と呆れて小さく溜息をつく。

 一応、わざわざ言いつけられたのだから何がしか意味はあるものなのだろうと思っていたが、捕虜の件のように意外と戦果に繋がる発想なのかと思いきや、こちらはただの魔王の趣味だったのだ。
戦争に関して大真面目に取り組んでいるラミアとしては、若干苛立ちも覚えた。
が、とりあえず戦争で指揮を執れる喜びに溺れている今のところは、それ以上の不満はないので魔王のすることは気にしない事にした。

「では、少し視察してくるか。ラミア、ちょっと出かけてくるので後を頼むぞ」
「陛下自ら視察ですか? アイテムの回収くらいでしたら、配下の者に任せていただいても……」

 自分からアイテム回収係にまわる魔王なんてラミアは聞いた事もなかった。
そういった仕事は下っ端の魔物がする事であって、魔王は黙って座って下の者がご機嫌取りで献上してきた物を受け取れば良いのだ。
しかしこの魔王はそんな偉い人らしい事は微塵も考えず、宝物を探しに小冒険に出ようとする子供のように爛々と眼を輝かせ、今にも走り出しそうなのだ。困った魔王である。

「何を言うラミア。君も解ると思うが、私の趣味はね、下級魔族なんぞには理解されない……して欲しくても出来ないものなのだ」
「それは、まあ、解りますが……」

 魔王の趣味は高尚過ぎて他の魔族には到底理解が追いつかない。
今回の人類に対する魔王の推察のように、妙に博識な所もある魔王だが、元々変人扱いされていたその理由は、やはりその特殊過ぎる趣味の所為だ。
人形を愛で、人間らしき少女の描かれた絵画を好み、謎の駆動鎧を組み立てたり改造したりする。
彼の愛読する書物は他の魔族には読み解けない謎の多い代物で、何が面白いのかこれを不気味に微笑みながら読むのだ。
魔界でも相当に賢いはずのラミアですら、彼が何を考えそうしているのか全く理解できない。
これは知識ではなく、感性の問題なのではないかとラミアは最近思い始めていた。

「私が求めるものは私にしか解らないと思うのだよ。だから私が行くのだ」
「そうですか……解りました。では護衛の者を用意しますわ」
「なんだ、君は来ないのか」
「戦後処理と次の戦の為の準備が……それに、同時進行で進めている作戦もありますので」
ラミアとしては、本音でもこの魔王と一緒に現地視察なんてしたくなかったし、職務的にも、参謀本部の置かれている魔王城を今離れる訳にはいかなかった。
「そうか、まあいい。忙しそうだしな。だが護衛はいらないよ」
「そうは参りません。いかに陛下がお強くても、護衛無しでは見栄えがよろしくありません」
「見栄えが悪いか……そういうことなら仕方ないな」
見栄えは、すごく大事だった。

 結局魔王は護衛のガードナイト(すごく強い)を五体連れ、この度魔王軍が陥落させた街に視察に向かった。
その間、ラミアはというと、魔王城内に開設された参謀本部に戻り様々な作戦を展開し、同時に部下からの報告を受けたり指示を飛ばしたりしていた。
額に汗しながら普段の何割も真面目にキリッとした顔で指示を飛ばす彼女は、同じく本部で指示を受ける部下達からも憧れのまなざしで見られていたりする。
彼女の指揮は速やかに各地に派遣された方面軍に伝わり、それによって攻撃の目標が決まる。
戦略は大胆に、戦術は細やかに、かつ経験に裏打ちされた的確さによって次々と紡がれ、彼女の言霊はまるで魔法の如く全軍を動かしていく。
普段疲れきった顔で気だるげに魔王の秘書まがいの仕事をやってる時等とは打って変わって、こんな時の彼女は実に有能で厳格なのだ。
その変化を喜ばしく思いながら、部下のウィッチが報告を始める。

「ラミア様、先の戦いまで人間側に立ち、我らと対峙していた各亜人類種族が投降の意思を見せ始めました」
「亜人どもが……?」

 亜人類種族。亜人。
人間の形をし、しかし人間ではなく、魔族でもなく。
最も新しく人類から分化され進化した、霊長類の一つの形。
――等と言うと難しいが、つまるところエルフだとかオークだとか、そういう人間と少し違った人型の種族だった。
そもそもの血が人に近い事もあり、また文化や生活圏も人の影響を受けている部分が少なからずある為、彼らは最初は人間に味方し、魔族に対しては自らの領土を侵す侵略者であるという態勢を取っていた。
人間達と協同作戦を取ることもあり、それぞれの種族が人間と比べて部分部分で特化されている分、ずる賢い人間と組むと手が付けられない事も多々あった。

 そんな亜人類種族だが、どうやら最近は状況が変わってきているらしい。
「最近は人間の軍勢は前に出ようとせず、亜人達に戦わせようとばかりしていますから。嫌気が差してきたのでは?」
「いくつかの砦や街が陥落して、戦力の消耗を抑えようとしているのかしらね。それが人間自身の首を絞めるとは、愚かね」

 人間側は、亜人達の軍勢は自分達の支配下の軍勢のようなものだと思っているらしく、『対等な同盟軍』として援軍を派遣していた亜人達には理不尽な指示が下される事が多い。
最初こそはそれでも人間世界が守られれば結果的には自分達に利するので、と我慢していた亜人達だが、一部地域での敗勢が濃厚になってくると不満が噴出し始め、いよいよもって人間側になど付いていられぬ、と爆発したらしい。

「実際に投降し始めてるのはどの種族? 多いの?」

 だが、例えばここで一つ二つの種族が独断で投降したところで、正直戦略の面から考えればどうでもいい事この上ない瑣末な問題だった。
とは言っても、ここで亜人類種族の大半が一度に寝返ったとなれば話は別で、彼らの戦力が全て魔王軍に下ったとするなら、それは中々に魅力的な戦力増強と考えられた。
亜人類種族は、個々の種族の人口は少ないがとにかく色々と居て、『亜人類種族』というくくりだけで見るなら結構な数人口があるのだ。

「今のところ、エルフとオーク、ドワーフにゴブリン……後は、エルフ族に付き従っていた獣人達も寝返りそうですね」
「獣人ねぇ……そういえばそんなのも居たわね」

 獣人とは、人以外の哺乳類と魔族を足して割ったような生き物で、人よりは魔族や魔物に近い。
非常に多くの種族がいて、そのいずれもがおおよそ似ついていないが、かなり乱暴にひっくるめて『獣人』と呼ばれている。
これに関しては本人達も余り気にしていないらしく、自分達を自称する際にもそれが使われる為、彼らを指す言葉として広く使われている。
そんな彼らは、基本的に森や比較的人の集落に近い山間部等で暮らし、生活域のかぶりやすいエルフとは主従のような関係を築いている。

「獣人はともかく、亜人の中でも特に勢力の強いそいつらが投降するのは大きいわね」
「はい、これは他の亜人類種族にも多大な影響を与えると思われます」

亜人の中でも、エルフは知恵と魔力で、ゴブリンは社会性で、オークは武力で、ドワーフは技術力で、それぞれ他の亜人類種族を圧倒しており、これらは亜人の四大種族と呼ばれていた。
それらの持つ特性は、時として人間達の大きな力となり、頼みの綱とされる事も大いにあったはずで、それが失われる事は、人類にとって大きな打撃となりうる。
当然、他の亜人類種族も動揺して、同じように投降するに違いない、とラミアは考えた。
これは、戦況が大きく変わる前触れである。

「よし、他の亜人が居る地域全域に投降を促しなさい。『4大種族は我らについた』と。『今投降すれば我らが末席に加える』と」
「はっ、了解しました」
ラミアが指示を飛ばすやいなや、ウィッチは各地域に指示を伝えるべく走り出した。
残るのは戦況に満足し、微笑むラミア。
「面白くなってきたわ。これで人間側は今まで以上に戦争が難しくなった」
亜人達と人間の連携は、魔族側には実に鬱陶しく厄介だったのだ。
それが解消されるとなれば、これは近年では中々の歴史的な快挙とも言える。
変な魔王の相手は大変だが、それでもこうして労が報われる結果が待っているなら、やはりそれはラミアには掛け替えのない職場なのであった。



 かくして、ラミアの思惑通り、特に勢力の強かった四大種族が早々に魔王軍に降った事により、他の亜人類種族も雪崩をうって投降し始め、一月足らずでほとんどの亜人は人類と袂を分かった。
だが、各種族それぞれが連携を取っていたわけではなかった為、人間側の領土の近くを拠点にしていた種族の集落は、その裏切りに激怒した人間側によって攻撃を受け、魔王軍への参列すらできず滅亡していった。
人間からの攻撃を逃れ、無事魔王軍の末席に加えられた者達も、やはり魔王軍としては新参者の為ラミアはこれを信頼せず、
人間と同じく、魔族も彼らを最前線へと追いやったのだった。
元々戦闘狂な面があり、その扱いを妥当だとして受け入れるオークは別として、四大種族のうちの残り三種族はこの扱いに大いに不満を感じていた。

 だが、今更後には退けず、かと言って自分達だけで独立できるほどの力も協調性も持たない彼らは、結局のところ不満を抱いたまま魔族に従うほかないという事実を受け入れることになる。
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