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1章 彼女たちとの出会い

#5-1.思い立ったら即実行

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 ある夏の日。今日、魔王はとても上機嫌であった。

 理解者など現れようも無いと思っていたこの魔界で、とうとう自分と趣味の一致する相手が見つかったのだ。
それはもう、巡り合うべく運命の相手と出会ったような、天にも上る夢心地であった。
まるでこの世の春とでも言うべきか、灰色の世界が唐突にカラーになったというか。
世界が綺麗に変わった感覚である。魔王は今、この瞬間だけなら世界中の誰でも許せる気がしていた。

 そんな上機嫌なまま、魔王はこうして吸血姫エルゼを自室に招待している。
ラミアも通さず、本当に個人的に自室に招待したというのは、魔王になってからは初めての事である。
「ここが師匠のお部屋……」
おずおずと部屋に入ったエルゼは、きょろきょろと部屋を見渡し、ベッドに座る人形達を見てぱーっと明るい表情になった。
「か……可愛いです!!」
どうやら気に入ったらしい。
可愛らしく魔王の袖をつかみ、人形を指差して何度も魔王と人形の顔を見る。
許しがもらえればすぐに人形に飛びつき抱きしめそうな子供そのままの顔で、可愛らしい瞳は好奇心旺盛にあちらをみてこちらをみてしている。
魔王もその様子に満足して、人形に触りたそうなエルゼの為にパン、と手を叩いた。
「もう動いても良いよ」
魔王が人形に向け優しく声をかけると、アリスを筆頭にそろそろとベッドの上の人形が動き出す。
ぴょこぴょこと可愛らしく集まる人形達に、エルゼは目を輝かせながら胸を押さえた。
「か、可愛い……」
頬を赤らめ、うっとりと人形達を見つめている。
――まるで人間の娘のように。

 魔王は同胞ができて嬉しい反面、この少女の苦労を察するにいたたまれない気持ちに支配された。
吸血族の姫として生まれ、16年間、ただ一人の理解者もなく孤独に耐えていたのだ。
魔族でも下級ならそういった俗的な趣味もある程度は見逃されるが、リスカレス家程の上等な王族ともなると娘に対する躾はとても厳しい。
上級魔族の若い娘の趣味と言えばお茶菓子作りやハーブの調合、占い等が主流の世界である。
そもそものところエルゼの持つ趣味を許容してくれるような社会ではないのだ。
今までそれを保てた事そのものが奇跡に近い。
それだけに、その感性は大切にしてやりたいなと魔王は思った。

「師匠、この子達はどのように動いているのですか?」
周りに寄ってきた人形の一体をそっと掌に載せ、愛しげに髪の毛を撫でながら。
エルゼはきらきらとした瞳のまま魔王に問う。
「この子達は全員自分達で魔力を生成して動いているんだ。全自動式だよ」
一般には呪いの人形だの言われてる自動人形だが、彼女達は自我があり、自分が動くための魔力は呼吸によって体外から取りこんでいる。
人形によって魔力の強弱はあるが、平均して下級魔族と同等、アリス他上位の人形達は中級魔族と対等の魔力を持っている。
弱い人形でも並の魔法使いを圧倒できる程度の魔法の行使ができ、耐性も高い。
アリスくらいになってくると物理属性以外のあらゆる魔法や状態異常を無効化するレジスト特性までついている。すごく強い。
「では、師匠が動かしている訳ではないのですね」
「ああ、でも定期的に魔力の入れ替えをしてあげないと、段々と弱っていってしまう」
体外の魔力とは空気そのものに近く、彼女達はその魔力を吸収はできても魔法として放出する以外の排出方法を持ち合わせていない。
多くの魔族は呼吸と共に体外から受けた魔力を排出できるのだが、人形達はそれが出来ない為、魔王の手によって透析してやる必要があるのだ。
これは魔王達の手持ちの人形全てに付属する問題点であり、完璧な自動人形に至るための当面の課題点でもある。

 そうは言っても、個々が下手な魔族よりはるかに強く、更にとても頑丈で部位が欠損しても死なないのだ。
それが数の暴力で襲い掛かってくるのだから、人間から見れば間違いなく恐怖の存在である。
実際には戦闘時には魔王の魔法によってサイズアップされ、等身大の少女そのもののサイズとなっている為、魔王同様、街中等に紛れられると人間の娘と全く見分けがつかない人形も多い。
隊列を為して攻め込んでもよし、魔王と共に街中にゲリラ的に乱入してもよしの万能兵団である。

 エルゼは可愛らしいその人形に頬擦りをしてからそっとベッドに降ろし、魔王の方に向き直った。
「師匠は、こんなに素敵なお部屋を持っていてうらやましいです」
「まあ、私は長年魔界で変人扱いされてきたからね。自分の部屋もこんなに開き直ってしまったよ」
ははは、と努めて明るく笑いながら自虐ネタ。
本当は変人扱いされているのは結構気にしていることなのだが、それでも、少しでもこの少女を笑わせたいと思い、わざわざ自分をさらけだす。
「ほら、そこの椅子に腰掛けてみなさい。机の上にはぱそこんもあるぞ」
「ぱそこん……?」
言われるままにおずおずと椅子に腰掛けるエルゼ。
銀髪がひらりと揺れ、それを無意識にか、そっと右手で流す。
「マジックアイテムだよ。聞いた事はないかね? 世界とつながれる――」
「はい、私は、ほとんど自分の部屋から出る事を許されませんでしたから……」
特に悲しげでもなく当たり前に出た言葉に、魔王は思わず泣きそうになった。
「でも、外の世界にはこんなすごいものがあったんですね。びっくりです」
どうさわったらいいか解らず、とりあえずモニター部分をそっとさするエルゼは、その訳の解らないモノですら楽しげに眺めていた。
「……君は、やはり背伸びしない方がいい」
「はい?」
ふと、ぽつりと呟いた魔王は、少しでもこの娘に幸があればと、目の前の銀髪を軽く撫でてやった。
「ふぁっ……」
突然の事に驚くが、エルゼは嫌がる様子は無い。
「頭って、撫でられるとこんなに嬉しくなるんですね……」
あまりにも当たり前な事をしみじみと言う。
こんなにも素直だというのに、何故吸血王は后候補等に出したというのか。
無理矢理に大人ぶらせて、素直な感性を塗り替えてまで、自分に嫁がせて何の意味があるというのか。
もう少し手元において、親として相応に可愛がってから泣きながら嫁にでも出せばよかろうに、何故こうも扱いが雑なのか、魔王は不思議でならない。
自分が親であったなら、などと陳腐な事は考えないが、せめてこの幼い弟子は目をかけてやろうと心に誓った。

 ぱそこんを開いて少しすると、お気に入りユーザーのログイン欄に見慣れた名前が表示された。
名前はリーシア。勇者と名乗っていた人間の娘、エリーシャである。
「この文字は人の名前みたいなんですね」
画面に表示された名前を指で指しながら、エルゼが後ろの魔王の顔を見上げた。
「実際、人の名前なのだ。この人は人間たちの中でも、私達の趣味にとても深い造詣を持っている」
「まあ、人間ってすごいんですね」
とても魔族とは思えない一言である。
何かの間違いでラミアにでも聞かれれば事件に発展しかねない問題発言だが、この部屋の者は誰一人気にしない。
「彼らはことサブカルチャー的なモノに関しては、我々魔族より遥かに進んだ場所に立っているのだ」
「何故彼らだけが……?」
自分達のように、魔族もそうなってもいいのに、とでも言わんばかりに、不思議そうな少女の瞳は魔王の顔を捉え続ける。
「魔族は、欲望に忠実すぎる――」

 自分に素直過ぎるという事は、それだけ我慢せずに実行してしまうという事。
更に言うなら、自身の頭の中に、そういったイメージが浮かぶ前に、身体が本能に従ってしまう。
恥だの外聞だのは後回しに、腹が減れば食事を取り、暴れまわりたければ戦場に飛び入り、快楽に溺れたければ素直に溺れる。
勿論理性はあるしそうは言っても若い娘や地位の高い者は羞恥心をしっかり持っている者も多いが、自分の感情に、もっと言うなら感性に素直に従えてしまう魔族は、人間と比べて予め物事をイメージする機会が少ない。
それ故に人以上に勘が鋭かったりもするが、ラミアのような知恵者がしっかりと指揮を執らなければ、あるいは魔王のような団結するに足るカリスマがいなければ、魔族は好き放題に暴れ、散り散りにばらけて、軍の体面を保てなくなる。

 対して人間は個々が弱く、団結する必要があり、それが故に個人間の繋がりを強く保つ為、何より先にまず我慢する事を覚えていた。
我慢とはイメージを増幅させるのにとても役立つ修行のようなもので、それが為人間は状況判断力に優れている。
サブカルチャーの製作能力に長けているのもその為で、日ごろ培った逞しい想像力を現実に映し出す為にはその想像力は必須とも言える。
それが解っている魔王からすれば、やはりこれは種族レベルで向き不向きがあるのだろうなという結論に至るのだ。

「それにしても」
魔王は、改めてぱそこんに映る名前を見ながら、顎に手を添える。
「今まで接続してなかったからどうなったかと心配だったが、無事なようで何よりだな」
「……?」
諸事情を知っている魔王にとっては、今このぱそこんにエリーシャがログインしているという事実はとても重要な事なのだが、そんな事エルゼは知る由も無く。
不思議そうに顔を傾けていた。
「実は喧嘩別れしてしまったのだ」
なんとも複雑そうに、魔王は呟く。あまり良い思い出ではない故に。
「仲直りはしないのですか?」
「したいのだが、今までずっと連絡が取れないままだったのでね」

 元々殺すつもりが更々無かった魔王は、あの瞬間、エリーシャを転移魔法で吹き飛ばしたのだ。
エリーシャのつけていた軽鎧の魔法耐性がずば抜けていた所為で、超至近距離での発動にもかかわらず耐性と発動がぶつかり合い、激しく爆裂したように見えたが、こうして無事を確認できたのは魔王にとって僥倖ぎょうこうなはずであった。
しかし、だからと言っておいそれと会う訳にも行かないのは解りきっていることで、一度魔王と知れたからには、そう容易くは再会できない。

 できない、はずなのだが。
「よし、会いに行ってみるか」
この魔王は、そんな常識など遠いどこかへと放り投げたのだった。
やはり魔族は、感性で生きるのだ。
「会えるのですか?」
「うむ、無事が確認できたなら、追跡も可能だろうからね」
エリーシャの魔力は人間としては破格に強いので、追跡自体もそこまで難しくは無い。
そうは言っても思い至ったからと即日会いにいける訳ではなく、ある程度の前準備が必要なのだが、そこは魔王である。
「アリスちゃんとノアールちゃん、それからエリーセルちゃんにやってもらおうか」
とりあえず、と振り向いた魔王に倣い、エルゼも椅子から立ち上がる。
『はい』『私もですか、くすくす』『えぇ、参りましょう』
アリスを筆頭に、名前を呼ばれた人形達がとてとてと魔王の周りに歩いてくる。
「さて、行こうかエルゼ、人間世界に直接飛ぶにはここは少々……手狭だからね」
「は、はぁ……?」
自分の師匠が何を言っているのか今一理解できていないエルゼは、困惑したように魔王の顔を窺っていた。
「ではアリスちゃん、転送の魔法を頼む」
『かしこまりました、ではノアール、エリーセル、力を貸してくださいな』
振り返り、アリスはその後ろの二体に指示を出す。
『目的地はどこでしょう?』
飴色の髪のエリーセルが魔王に問う。
「ここから西にある、エルヒライゼンだ」
『転送の人数はいかほどですかぁ?』
魔王が答えると、次はガーネットカラーの髪のノアールが間延びした声で問う。
「私とエルゼの二人だね」
『人数は二名、場所はエルヒライゼン……では転送を開始しますわ。旦那様、私はコールスレイブで参りますので――』
最後に、アリスが確認し、目を瞑る。
「ああ、それでいい、では頼む」
魔王が最後の確認を終えると、アリスはそのままに魔王の前に立つ。
あわせてエリーセルとノアールは二人を囲うように立ち、これによって三角形の魔法陣『トライフォース』が出来上がる。
「転送魔法陣が……一体いつの間に? こんな簡単に出せるものじゃないはずなのに……」
エルゼは驚かされていた。
高等な魔法である転送魔法は、誰にでも使えるという類の魔法ではない。
魔族の魔術師が数千年かけてようやく初歩に到達できるかどうかというレベルの高難易度魔法のはずなのだ。
一人の発動ではないとは言え、一介の人形がそれを実用段階にまで昇華させているのには驚きを隠せなかった。
「ふふ、皆これを見ると驚くのだ。この前も、お供のガードナイトがやたら驚いていたな」
魔王はというと、その驚きは心地よいものらしく、機嫌よさげに笑う。
「あちらについたら更に驚くぞ」
そうしてにやにやと笑いながら、魔王は不安そうなエルゼの頭をそっと撫でる。
『参りますわ』
アリスがそう告げると、トライフォースから光が溢れた。
『転送の陣よ』
『私たちの大切なお二方を彼の土地へ』
ノアール、エリーセル、と続いて告げる。
魔法陣は更に眩く光り、魔王もエルゼも視界が侵食されていく。

『いってらっしゃいませ』

最後に一言、可愛らしく人形達が告げると、もうそこには魔王達はいなくなっていた。
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