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1章 彼女たちとの出会い

#8-3.聖竜の揺り籠

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「さて、この辺りで今日の議題は大体終わりでいいかしらね。各自、何かある?」

 予定していた最後の議題も話がまとまり、時計を見たラミアが会議の締めにはいる。
手元に置いていた書類をとんとん、と机でまとめ整えたりもする。
黒竜翁も吸血王もラミアの問いに対し首を横に振り、予定通りその日の会議は終わりを告げるはずであった。

「失礼ながら、少し時間を頂きたい」

 ヤギ頭の悪魔王が手を挙げ、金色の瞳を光らせる。
「私は構わないけれど、重要な事なのかしら?」
彼の性格上下らない事は議論に起こさないはず、とラミアも解っているが、一応形式上必要なので問う。
「近年の魔王陛下の活躍により、人間世界の際限なく成長し続ける『インフレーション』を妨害するシステムが生まれましたが……」
「長ったらしい前置きはいらぬわ。さっさと話せ」
席を立ち、規則正しく近年の状況説明から入ろうとするが、早速黒竜翁からクレームがつけられる。
「では大切な所だけ。まだ一部地域に限られていますが、人間の国家が増強されているという情報を、潜伏している者達から聞きました」
「それは、さっきのインフレーションとは関係ないの?」
悪魔王以外の三人が最初に思い浮かべたのはそれだった。
しかし、「いいえ」と首を横に振る悪魔王。
「それら実体の無い空気のような増え方ではなく、計画的に行われている自然な成長と言える増強のされ方なのです」
「攻めてきた我が軍に対抗する為に軍備を増強した、という事ではないのか?」
吸血王は気障ったらしく前髪を弄りながら、さほど面白くもなさそうに斜に構えていた。
「地域そのものが急速に繁栄し、その地域の軍備の拡張のみならず、兵の質そのものまでこの短期間で増強しています」
「悪魔王。察知しているのなら、明確な国家名と状況を説明して」
徐々に嫌な予感がしてきたラミアは、悪魔王の報告を肯定的に受け取る事にした。
軍を司る彼女は、敵の軍備増強の話を安易な可能性の否定でこじつけたくなかったのだ。
「大陸北部国家連合傘下の各国。とりわけアクアパッツァ王国とケッパーベリー帝国の二国はその中心であり、変化も顕著です」
大帝国アップルランドが中心となりまとめる大陸中央諸国の連合軍とは別に、南部は南部、西部は西部、北部は北部でそれぞれの諸国が連合となって魔王軍と戦っている。
山岳地帯である北部連合の中心は悪魔王の言った二国で、どちらもアップルランド程の大国ではないものの、古くより北部においてまとめ役として強い影響力を持っていた。
「兵の質、と貴方は言ったわね。どういう事?」
「純粋な兵の技量が大幅に向上しています。戦闘能力の向上と言いますか、戦術レベルの動きのよさと言いますか」

 通常、兵士とは指揮官の言うまま突撃し、槍なり剣なりメイスなりで殺しあう事しか出来ない。
あるいは後方から弓を射ったり魔法を撃ったりする兵もいるが、これらは訓練の必要な上級兵であり、どの国もそうやすやすとは増強できない兵種である。
一応クロスボウという扱いの比較的容易い中距離武器もあるが、まだ値段も高く、下級兵士が装備できるほどには数が確保できない国がほとんどである。
だが悪魔王の報告通りなら、下級兵レベルでの技能の向上が予想されるというのだ。
今まで魔物兵士一人に対して二人三人で当たっていた人間が、場合によっては一対一で渡り合えてしまう事になりかねない。
一部地域の問題とはいえ、そのようなバランスの変化を見逃せるほど四天王達は愚かではなかった。

「その他、『見たことのない新しい魔法が広まっている』とケッパーベリーに潜伏させた部下からの報告もあります」
「新しい魔法だと……?」
四人しかいない議場は騒然となる。それまであまり乗り気にならず聞いていた吸血王と黒竜翁も、無視できず身を乗り出し始める。
「どのようなものかは解りません。現存の魔法のバージョンアップか、それとも完全に新規の、新世代の魔法なのかも」
「馬鹿な、どういう事なのだ悪魔王。インフレーションとは別の、それらの原因は一体……」
吸血王は、その不健康そうな彫りの深い頬に汗を流し、悪魔王に問う。
他の二人も息を飲み、解を待つ。
「……部下から得た情報をまとめるに、それらは全て、一つの組織を中心に広められていると推測されます」
「組織……それは? その組織の名前は?」
唾を飲む。静かな議場の中。ろうそくの灯火が焼ける音だけが、その世界を支配していた。
「その組織の名は――」



「『聖竜の揺り籠』とな?」
「はい、それが、北部諸国が戦気に湧いている元凶です」
帝都アプリコット。
皇城『グローリアリーチ』の玉座の間で、エリーシャは恭しく片膝をつき、皇帝に話す。
本日、皇帝の傍らには、第一皇子であるシフォンが控え、父皇と共に報告に耳を向けていた。
「聞いたことも無い。それは一体どういう組織なのだ?」
報告を聞く皇帝・シブーストは、あごひげを弄りながら、難しそうな顔で息子の顔を見る。
すると皇子もやはりそれを知らないのか、首をかしげ、面持ちも硬くこわばらせる。
「北部に古くからある土地の郷土信仰を中心とした新興宗教組織ですわ」
「宗教か、それは面倒くさいな。できれば関わりたくない」
君主として国家運営に携わる皇帝は、宗教の恐ろしさ、面倒くささをよく知っていた。
「ですが、その教団が北部諸国の王族や貴族を焚き付けている可能性も高いのです」
「それもまた無視できん。全く、宗教という奴はどこまでもいやらしいな」
この場に宗教家は一人もいない。
エリーシャも、儀礼済みの装備の強力さ目当てに多少なりとも宗教に足を突っ込んでいるが、そこまで熱心でもなく。
それを知っている皇帝は、この場にその面倒くさい輩が一人も居ないのを良い事に、それでも小声でだが、好きに言っていた。
「エリーシャ殿。その宗教組織。一体どんな教義を持っているのですか?」
控えていたシフォンは、父皇が黙ったのを機に、代わりに問う。
「彼らの教義は、魔族の言う所の竜――つまり、ドラゴンへの畏怖が元になっています」

 いつの時代も人間にとっての最大の恐怖は、滅多に現れない魔王ではなく、比較的頻繁に攻め込んでくるドラゴンとヴァンパイアである。
どちらも恐怖の存在であるが、天候や地形に左右される都合で侵攻速度の遅いヴァンパイアよりは、どこへでも突然に現れ全てを破壊していくドラゴンの方がわかりやすい脅威であった。
だが、同時にドラゴンとは強者の象徴でもあり、恐れられている反面、その力に憧れる者も少なからず居た。
古の統率者の中には、その畏れを自身の権勢に結びつけ、自らをドラゴンの力を持つ王『ドラクル』であると名乗る者もいたほどで、そういった信仰自体はどこの地域にも多少なりとも存在するものであった。

「ドラクルか……今更そんなもの信仰していてもな。教会から目を付けられるのではないのか?」

 かつては大陸に幅広く点在していたドラゴン信仰だが、近年の人間世界において、それらは新たに生まれた『神』への信仰によって多くが形を変え、あるいは飲み込まれ消滅していった。
いつどうやって生まれたのかすら曖昧な『神』という存在への畏怖は、想像力豊かな人間達によって、ドラゴンへのそれとは比べ物にならないほどの恐怖と恩恵を感じさせ、巨大な『教会』という組織へと変貌していき、多くの国家を蚕食していった。
信仰は次第に欲深へとなっていき、他の宗教観を認めない独善的かつ閉鎖的な市民感情を作り出す事になる。
そんな教会が広く幅を利かせる世界である。新たな勢力の存在など許すはずも無い。

「目は付けられていると思いますが、既に北部の多くの国家が支援しているらしく、最早教会は下手に手を出せないものと……」
だが、それは現実的には無理な問題と化していた。
「私も外交を通して北部国家のいくつかの王族とつながりはあるが、そんな話は一度も聞いた事がなかった」
「恐らく、この短期間の内に、王族の方々を取りこめるだけの何かがあったのではないかと」
エリーシャも完全に把握している訳ではなく、どうにももどかしい。
「そもそものところ、聖竜とは何なのだ? 俺はドラゴンを竜と呼ぶのは知っているが、そんな竜はいるのか?」
また、皇帝が問う。代わりにシフォン皇子は聞く側に転ずる。
「いえ。私の知る限りでは、レッドドラゴン、ブルードラゴン、ブラックドラゴンの三種以外は……」
エリーシャの言うとおり、竜族は赤竜、青竜、黒竜の三種以外は存在しない。
聖竜等という種族の竜は、そもそも魔族には居ないのだ。
「では造語なのか。セイントだかホーリーだか知らんが、そんなドラゴンはいないものな」
「ですが、これは私達人間が知らないだけで、もしかしたら本当はいるのかもしれません」
何事も例外はある。エリーシャはそう考え、完全に否定する事だけはしないでいたが、やはりしっくりとはこない。
「組織としての活動は、教義の布教だけなのか?」
「最初はそうだったようですが、近年では軍事訓練まがいの事もし始め、私軍を持つようになったと聞きます」
「……テンプルナイツまで持っているとは。本格的だな」
教会に許された独自の戦力『テンプルナイツ』。
宗教紛争を解決する為に集められた信者の戦闘集団であるが、件の組織もその類の兵力を持っているのだという。
これは、組織として相当に強力なバックアップがあり、規模も一定以上あることを示していた。
「その私軍によって生み出された戦術や戦技、魔法が、パトロンとなっている各国に伝わり、それによって兵力が増強されているのではないかと思われます」
「それだけ聞くなら、そこまで問題ではない気もする。戦力が増強されるのは悪い事ではないのだし」
シフォン皇子の感想は至極真っ当であった。

 今は戦時であり、どこの国でも多くの戦力を欲し、兵の練度の向上を願っている。
魔王軍の目は大陸中央に向けられがちだが、それでも人口比の所為で兵を増やし難い北部諸国にとって、戦力の増強は目下の目標だったはずなのだ。
「だが問題はそこではないのだな。そうだろうエリーシャよ」
「はい。彼らの最大の問題は、魔族、とりわけ魔王を討つべしと、信仰に従う者を焚き付けている事にあります」
最も重要なことは、彼らが善意で人々を助けている訳ではなく、魔王討伐という目標を掲げた、営利的な宗教組織であるという点である。
「彼らの教義は元々土地にあったモノですので、正当性も感じられ、無条件に従ってしまう民は多いようですわ」
「民衆が宗教に操られるなど……そんな事は、あってはならない」
シフォン皇子の憤りは、若さから来る正義感だけではなかったが、エリーシャはどこか優しさを感じて、微笑んでいた。
「……失礼を」
乙女のその表情に気づいてか、ハッとした皇子は顔を赤くする。
「なに、お前のその若さは、とても大切なものだと俺は思うぞ?」
年長者らしくその様を笑う皇帝は、しみじみ思うようにあごひげを弄っていた。

「では陛下、私は再び、北部諸国の調査に参ります」
「そう急く事も無いだろう。今宵はここで過ごすが良い。トルテもお前に会うのを楽しみに待っておる」
「まあ、タルト皇女が……お戻りになられているのですか?」
エリーシャも懐かしい名前に顔を綻ばせる。
「つい先日の事だ。相応しい行儀を身につけさせる為にエクレシアに置いていたが、アレもそろそろ年頃だしな」
「もう8年になりますわ。覚えていていただけただなんて」
眼を瞑り、その記憶の中にある幼い皇女を思い出す。
可愛らしい小さな手が、エリーシャの手をいつまでも離したがらなかったのだ。
随分懐かれていたものだとエリーシャ自身懐かしむ。
「何せエリーシャ殿は、トルテにとっては憧れの姉上らしいですから。会わない間にどんどん美化されているやも知れませんよ?」
皇子も可笑しそうに笑う。少し意地悪だった。
「シフォン皇子、そのようにハードルを上げられては困りますわ」
苦笑するエリーシャは、しかしその言葉に有難さを感じていた。
「私などは、村で生まれた田舎者ですのに。勇者となっても、皇女とは月と星程に違いがあるというのに」
「何を言いますかエリーシャ殿。貴女は我ら皇族と並べても何の憂いもありませんよ」
皇子の言葉に皇帝も機嫌よさげに頷く。
「全く、我が子に欲しいくらいによくできた娘だぞ。俺はゼガの奴が羨ましい」
「父にとっては、あまり孝行な娘ではないと思います」
不意に出た父親の名に、エリーシャは途端に表情を曇らせる。
しまった、と、皇帝は後悔し、すぐさま取り繕うようにおどけてみせる。
「なに、そんな事は無い。ゼガとて、お前のその勇姿、その美しく育った姿を見れば喜ぶに違いない」
「ですが、父は私に、普通の娘として――」
言いかけて、エリーシャ自身もはっとする。
「申し訳ございません。余計な事を」
「いや、気にするな。俺も迂闊だった」
気まずい雰囲気になりかけたところで、気を利かせた従者の一人が一歩前に進み出る。
「陛下、そろそろトルテ様が、しびれを切らす頃ですぞ?」
初老の従者は恭しげに頭を下げながら、片目を閉じて合図を出す。
「うむ、そうであったな。エリーシャよ、疲れているかもしれんが、ひとつ……」
「はい。では、今宵はこちらのお世話になります」
皇帝もエリーシャも察して、話をそのまま流す事にした。
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