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1章 彼女たちとの出会い

#9-1.魔王の娘

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 ある夏の事である。シルベスタの賑わいも忘れ、魔王城はまた、静寂の中に荘厳な雰囲気を漂わせていた。
城の各所を固める城兵の魔物達は、今日もまた、異常がない事を願いながら整列する。
何者が来てもいいようにと、手に持つ槍の手入れだけは欠かさずに、ギラリと日に光らせていた。

 そんな魔王城に、転送陣を利用して現れた長身の男魔族が一人。
漆黒の闇にも溶け込めそうな深い色の外套を身に着け、片腕には何故か、少女の人形を抱えていた。
見た目だけは人間と大差ないこの老けた顔の魔族は、城門を守る魔物兵の、中々に練度を感じさせる敬礼に機嫌よさげに笑いかける。
「ご苦労、今後も勤しみたまえ」
口調はやや上から目線である。魔族から見た魔物は雑兵でしかない。
動物に多少の知性がついた程度の生き物である彼らは、魔界における理性ある霊長の長である魔族の作り上げたカーストの最下層に位置する。
戦時においては捨て駒にされたり、広範囲魔法発動の為の時間稼ぎ要員となったり、消耗戦の犠牲者になったりしている下等生物である。
魔王城の警備は彼らにとって比較的恵まれた環境であるが、それでも苛立った魔王が八つ当たりで放つ魔法の巻き添えを受けたりして死ぬ者は後をたたない。
そんな魔物兵達だが、生物的に上位の存在である魔族に対しては極めて忠実に働く。
中年魔族に声をかけられた魔物達も、その労いの言葉を素直に受け入れ、声として聞き取れぬ声を挙げ、喜んでいたようだった。

 男が城内に入り込むと、一番に出会ったのは城主ではなく、四天王の二位、黒竜翁だった。
「貴様、何しにきた」
城内のエントランスの先の階段である。
階上から見下すその長身の年寄りは、しかし外見に似合わず高圧的な物言いで男に問う。
「おや黒竜翁じゃないか久しぶりだな。いやなに、陛下の第一子がご生誕なされると聞き、急ぎ参ったのだ」
男はと言うと、その威圧感などものともせず、頭をポリポリと、人のよさそうな困り顔で応じた。
「エルヒライゼンからか。どうやってあのような辺境からここにこれたのだ」
「転送の魔法を使ったのだ。私の手元にはそういうのが得意な子がいてね」
そう言いながら、男は手元の人形を胸の前に出してジェスチャーする。
「……貴様の趣味がいかれているのは端から解っていたが、このような場にまで人形を連れてくるのはどうなのだ」
ジェスチャーは彼の意図どおり伝わらなかったらしく、黒竜翁は途端に不機嫌になる。
元々しわの目立っていた目じりか余計にしわだらけになり、厳しい眼光は嫌悪まで含んでいた。
「まあそう怒るな。私とて悩んだのだ。そして悩んだ末にこの子だけ連れてきたのだ、許せ」
怒った老人に全く焦る様子を見せずに、あくまで男はマイペースに話を進めていた。
「そんな事より、思ったより城が静かじゃないか。私はてっきり、もっと騒がしくなっているものと――」
何せ魔王の第一子が生まれるのだ。
世襲制ではないとはいえ、魔王の子ともなれば次期魔王の有力候補となり得る。
利己的な者ならば自勢力に取り込んだり取り入ったりして権勢を握ろうとするはずで、魔王に従う多くの魔族にとって、それは大変ただならぬ出来事であるはずだった。
ところが、この魔王城は相変わらず静寂に満ちており、この場には彼と目の前の老人しかいない。
普段なら当たり前のものであっても、今この瞬間にはあまりにも不自然な静けさだった。
「人払いをされているからな。多くの者には直々に『来るな』と言われているのだ」
「なるほどな。そういう事だったか」
いつもどおりはぶられていたこの男はそれを知らず、一人のこのこときた、という事らしい。
「黒竜翁、お前はもう帰るのか?」
「無論だ。ワシは今とても機嫌が悪い。さっさと帰って若い女でも抱かねばやってられん」
雑談などこれ以上するつもりは無いと言わんばかりに、黒竜翁は階段を降り始める。
そして特に何を言うでもなくそのまま男の隣を通り過ぎていく。
「何がそんなに気に喰わんのだ」
その様に妙な違和感を覚えた男は、空気を読まずに振り向いて黒竜翁に問う。
「……双子だ」
「双子? 珍しいとは思うが、何がそんなに腹立たしいのだ」
短く返す黒竜翁だが、その言葉だけでは今一要領を得ない。
「うるさいわ!! 貴様如きになんでわざわざ説明してやらねばならん。ワシは四天王だぞ、少しは敬え!!」
ついには怒鳴り散らすに至り、それ以上は喋る間も与えず、黒竜翁は足早にその場から立ち去ってしまった。
「相変わらず短気な奴だ。何をそんなに怒っているのか」
後に残された男は、ぽりぽりと頬を掻き、苦笑していた。

 黒竜翁とのやり取りを気にも留めず、男はどんどん先に進んでいく。
それ以上は誰かと会う事もなく、目的の部屋の前まで辿り着くのにそうは掛からなかった。
「あら、貴方は――」
ノックをし、開けたドアの先にいたのは、とても背が高く高圧的な蛇女。
四天王筆頭であり魔王の側近でもあるラミアだった。
「『伯爵』じゃない。久しぶりね、元気だった?」
続いて、その奥からも声がする。
男が見た先は、豪奢な天幕に覆われたベッドに横たわる、チョコレート色の髪の美しい女性だった。隣には大き目の籠。
「お久しぶりにございます。そちらも、お元気そうで何より――」
「伯爵、一体何をしにここに?」
「ラミア、彼はお祝いに来てくれたのよ。そうでしょう?」
黒竜翁同様、訝しげに問いただすラミアだが、すぐにベッドの上の女性が間に入る。
「ははは、そのつもりで来ましたが、なにやら人払いをされているようで」
伯爵と呼ばれた男は、纏った外套を静かに脱ぎながら、ベッドに向けて一礼をする。
例によって苦笑いで。
「人払いしたのはこの子達を守る為。万が一でも何かあっては困るから」
言いながら、籠から大切そうに布に包まった二つの何かを抱きかかえる。生まれたばかりの赤子である。
「双子ですか。おめでとうございます」
「ありがとう」
それをみてにこやかに笑う伯爵は、どこか母性を感じさせる微笑を見せる女性を、とても魅力的に感じた。
「男の子ですかな?」
「いいえ、どっちも女の子よ。双子の女の子」
眠っているらしく静かなままの双子を抱きしめ、母親の機嫌はそう悪くないらしかった。
「三百年もすればいい娘になるわ。二人とも私に似て美人になるはず」
「ははは、君の娘なら間違いない」
伯爵も素直に賛同する。これだけ美しい女性の娘なのだから、と。
「伯爵、もう少し口の利き方に――」
親しげな二人の会話が気に入らないのか、ラミアは不機嫌そうな面持ちで横槍を入れる。
「良いのよラミア。彼は特別。特別なのよ」
しかし、この部屋の主である彼女には逆らえないのか、それを許してしまうと黙ってしまう。
「ラミア、悪いけどしばらく席を外して頂戴。二人でお話がしたいわ」
「……かしこまりました」
次いで出た人払いの言葉に、ラミアは酷くショックを受けたらしく、のろのろと部屋を出て行った。出る前の礼も欠かさずに。
大した忠臣ぶりだと伯爵も感心するが、どこかその後姿は哀れにも感じた。

「本当に久しぶりね伯爵。今まで何をしてたの?」
二人きりになると、会話を切り出すのは女性からだった。
「エルヒライゼンを拠点に、色々集めたり、管理したりして――」
「ここに居た頃とそんなに変わらない事をしていたのね」
よくもまあ飽きもせずに、と、溜息と共に呆れの声が漏れた。
「私にとってはそれだけが娯楽のようなものだからね。他の連中のように暴れまわるのはあまり好きじゃない」
実際問題、暴れるのが嫌で拒否し続けた結果がエルヒライゼンなどという天然の監獄への左遷である。
しかし並の魔族なら絶望し自害すらしかねないその獄中生活も、彼にとっては何一つ差し障りの無いただの流刑地に過ぎなかった。
彼が変人呼ばわりされるのも無理はない話である。
「それで、エルリルフィルス。人払いまでしたのだ。何か用事があると思ったのだが?」
話の雰囲気が変わる瞬間。部屋を照らすカンテラの炎がちらちらと揺れる。
音らしい音の流れないこの場において、そのわずかな音だけが場を支配していた。
「……この子達がある程度の歳になるまで、城に住まわせようと思うの」
エルリルフィルスと呼ばれた女性は、それまでの親しげな、母性を感じさせる微笑を隠し、眼光鋭い魔族の女の顔になる。
「黒竜翁が、ひどく不機嫌そうな面で歩いていたが、あれは――」
「あの年寄り、この子を見て『忌み子だ』とか言いだしたのよ。殺してやろうかと思ったわ」
双子の片方の頬をふにふにと軽くつつく。
その時のことを思い出したのか、ひどく不機嫌そうに眉をひそめていた。
「忌み子とは穏やかじゃないな。どういう事かね?」
「こっちの子は産毛が黒いんだけど、こっちのは色が薄いのよ。近くで見て。ほら、解る?」
言いながら伯爵を近くに寄らせ、子供を見させる。
「ああ、確かに……というか、この子、肌の色自体が――」
布で包まれているせいで近くで見ないと解らないのだが、よくよく見ると双子の片方だけ、やけに色素が薄かった。
「そう、それよ。白変種らしいわ」
「双子の上に片方だけ変種とは珍しいな……」
多種多様な種族が存在し、その種族間で交雑が進む魔界において、生まれる子供が何らかの変種となる事はそう珍しいことではないが、魔王の後継者ともなり得る第一子が双子で、尚且つその片割れが変種であるなどというのは長い魔族の歴史でもそうある事ではない。
ラミア以下、配下の重鎮達はさぞかし困惑しただろうなと、伯爵は顎を撫でながらに想像する。
「白変種は災いを生むから、幼い内に殺したほうがいいとか……私、悔しくて泣きそうになったわよ」
「それはひどいな。全くあの男は、相変わらず口の悪い」
モノには言い方というものもあるだろうに、よく考えもせず思った事を口走るのだ。
黒竜族の悪い癖である。強すぎるが故の傲慢というか、そういったものもあって、魔界でも特に嫌われている。
流石に伯爵も腹が立ち、エルリルフィルスの言葉には全面的に同意した。
「そんなだから、城の外に出したら間違いなく殺されると思うのよね。ここで育てたいのよ」
「育てればいいさ、誰も反対しないだろう」
「ラミアがまず反対したわ」
魔王の側近からしてすでに反抗済みだったらしい。
「ラミアといえば魔王マジック・マスターの側近中の側近ではないか。何故君のする事に反対するんだ?」
魔王の側近は基本全員がイエスマンで、その言葉・行動・思想に何一つ反対する事のない連中のはずだった。
中でもラミアは古参中の古参で、歴代の魔王の側近を変わらずに務めていたというのだから、その魔王という存在に対する忠誠心は絶対のもののはずである。
最早フリークスと言っても過言ではない。
それが反対するとは一体どういう事なのか。伯爵も考え込んでしまう。
「私、子供って沢山欲しいのよね」
「それで?」
「暇そうだし、沢山産んだらその子守をさせようと思って頼んだら、すごい嫌そうな顔するの」
「当たり前だ」
エルリルフィルスの言葉に、伯爵は思わず吹きだしそうになる。それ位突拍子もなかった。
「いつの時代に子守させられる四天王がいるんだ……そりゃ反対されるよ」
「いい案だと思ったんだけど。そしたら、貴方がそいつらの代わりに戦場に出てくれればいいわ」
「断固としてお断りする!!」
自分にまで飛んできたとばっちりを全力で拒否すると、伯爵は複雑そうな表情でベッドに腰掛ける。とても気安かった。
「ま、期待なんてしてないわ。反対されたってやるって決めたしね」
「まあ、そうだろうなあと思っていたよ」
言われて何かを変えるような女ではなかった。伯爵はそれを痛いほど良く知っていた。
「沢山産んでやるんだから。そしたら、魔王城が子供だらけになるわよ」
「全員が魔王の子供になるのか……魔界はパニックだな」
後継者の大量増殖である。
一人二人なら安泰かもしれないが、増えすぎは混乱を招きかねず、滅亡の元である。
だがそんな事はエルリルフィルスは何一つ杞憂していないらしく、その顔は母親のものとなっていた。
「私はね伯爵、この子達にどこまでも愛を注ぐわ。母親としてこの子達をどこまでも愛してあげるの」
「君に、そんな感情がまだ残っていたとはね」
意思を感じさせる瞳を見て、伯爵は小さく呟く。
「感情は内から湧いて出てくるもの。そして、外からも与えられるものだわ。魔力に近いわよね」
確かに近いなと思いながらも、素直にはそれに応じない。
「君の愛は歪過ぎる」
いつもの苦笑と共に出たその言葉は、皮肉めいていたが。
「私の心を歪めたのは人間達だけど、私の愛が歪んだままなのは貴方のせいだと思うわ」
それくらいわかるでしょう、と、蠱惑的な瞳で流し目しながら、皮肉に対し皮肉で返してくる。
「……この子達の名前を聞き忘れていたね」
その魅惑的な視線から逃れるように顔を逸らし、伯爵は今更のように問う。
「黒髪の子がアンナスリーズ。長女よ。色の薄い子は……多分将来は淡い金髪になるかしら。カルバーンっていうの。こっちが妹なのよね」
最後に見た時にはもうその顔は慈愛に満ちた母の顔となっており、やはり女というのはすごいなと、彼は思ったものだった。
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