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2章 賢者と魔王

#3-4.恋する乙女は無敵だった

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「なんだ、お説教中かね。邪魔したら悪いし、後にするか……」

 あろう事か、そこに魔王が現れ、状況が一変した。
「えっ、へ、陛下っ!? 何故ここに?」
驚きのあまりとんちんかんな事を聞くセシリアであった。
「何故も何も、この塔は私の所有物なんだがね……まあ、エルゼとお喋りをした帰りだよ。また蜂蜜酒でも飲ませてもらおうかなと思って来たのだが……どうやらタイミングが悪かったようだね」
相変わらず人のよさそうな、とても魔王の地位にいる高貴な方だとは思えないような困ったような笑顔であった。
「いえあの、そんな事ありませんわ。セリエラ、すぐに蜂蜜酒を用意して頂戴。チップスもよ」
しどろもどろになりながらも、セシリアは無理に笑いながら侍女に席を用意させた。
「無論、既に用意してありますわ」
「い、いつの間に……」
エクシリアは驚きに声を上げる。
当然の事であるかのように、いつの間にかテーブルの上には酒の入った容器とチップスを盛り付けた皿、そして木のコップが人数分用意されていた。
「ささ、陛下もどうぞお掛けになってくださいまし。お茶会をしていましたが、急遽酒宴に変えますわ」
「お説教の途中ではなかったのかね?」
「つまらない話ですから、もうやめました」
「そうか」
切り替えの早さにグロリアもエクシリアも「えっ」と唖然としてしまったが、セシリアの機嫌が戻ったらしいのでとりあえず胸を撫で下ろした。
「ささ、セリエラ、二人にお酒を注いで頂戴。陛下の分は私が注ぎますわ」
「いや、悪いね。君に酒を注いでもらえるのはなんというか、いい時間に感じてしまうのだ」
要領よく魔王の酒を注ぐセシリアに、魔王はねぎらいの言葉を忘れない。
「何せ美しいエルフの姫君だからね。こうして傍にいてもらえると、そのなんだ、私も心乱されて時が流れるのを忘れるのだ」
「う、美し……そんな、陛下――」
褒め殺しであった。
同族以外からは『可愛い』と言われはしても『美人』と言われた事の無いセシリアは、その言葉につい舞い上がってしまう。
しかも想い抱く殿方にそれを言われたとあれば、エルフの姫君としてはこれ以上無い照れ照れな有様になってしまった。
「グロリアもエクシリアも美人だとは思うが、私から見れば君も十分、美人だと思うがね。何より明るくて、一緒にいると楽しいのが良い」
こちらは魔王の本音で、実際に一緒にいると楽しく感じるのは他でも無いセシリアであった。
同時に愛玩動物的な可愛らしさも感じてはいたのだが、そこは空気を読み言葉には出さない。
「も、もう……っ。私は、私はそんな風に言われたら……て、照れてしまいます」
赤く染まる頬に両手を当て、首を振り振り。耳をきゃぴきゃぴとせわしなく動かす。
見て取れるほど動揺していて、誰がどう見ても恋する乙女の仕草であった。
(ああ、これが堕ちる瞬間なのか)
侍女含め、その場にいた者は皆、同じような事を感じていた。


「ではな、中々楽しかった。これで失礼するよ」
「はい、どうぞまた、気が向きましたら遠慮なくお越し下さいまし」
酒宴も程ほどに、立ち去る魔王を階層の出口まで送り、セシリアはニコニコと極上の笑顔で別れを告げた。
その愛らしい様にちくちくと心に刺さるものを感じながら、魔王は階を降りていた。

「ありがとうございました。まさか魔王陛下に助けられるとは」
二階層降りた踊り場で、ふと、背後から声がした。
セリエラという侍女だったか、と、魔王は振り返らずにその言葉を聞き流した。
「ですが、不可解でもあります。何故陛下ほどの方が、一介のエルフの姫の機嫌を取る為にあんな芝居を?」
声は続く。道化じみたいつもの冷めた口調ではなく、冷淡この上ない、恐らく彼女が本来持つ声質である。
「……話を全て聞いていたわけではないが、あれ以上セシリアが何か言うのは、あの場に居た全員にとって良くないことだったのではないか?」
相手の真面目さに合わせてか、魔王も真面目にその問いに答えていた。
「勿論その通りですわ。セシリア様は、昔から物事を真面目に受け取りすぎる悪癖がございますから」
それは魔王も良くわかっていた。
正直、さっきのべた褒めもいらぬ誤解を生む元になりかねないので、多用は控えたい所だった。
「なら、助けが入ってよかっただろう。安心したのではないか?」
「質問の答えになっていませんわ」
「それまで仲良くしてたのが、下らない事で仲たがいするのなんて、見ていていい気分じゃあない」
セリエラからしてみれば不可解かもしれないが、魔王は別に『魔王』という役に扮しているに過ぎない一人の魔族なのだ。
そこに立ち位置の高さだとか、そんなものは無意味なものであり、彼がそう感じたからそう動いた、としか言いようがなかった。
「私はエルフ族に長く仕え、多くの魔王という存在を敵側の立場で見ていましたが……魔王とは、多くが陛下のような方だったのですか?」
「いいや? 私が知る限り、君達の感じていた魔王像と違う魔王など、ほとんどいない」
彼は、魔王としても特異な存在なのだ。その存在から魔王となった経緯に至るまで、全てが。
「……それを聞いて安堵致しました。長らくの我らの宿敵がこのようなお人よしでは、死んで行った同胞が浮かばれないですから」
小さく溜息が聞こえると、セリエラの気配は全く感じなくなった。
居なくなったわけではないのはかすかに聞こえる息遣いで魔王にも解るが、驚くべき事にその存在が背中越しには感じられない。
「エルフではないと思っていたが、何者だ君は?」
「とある種族の王ですわ。セシリア達エルフの王族とは、長きに渡り盟を結んでおります」
魔王が振り向くと、そこには何も居なかった。
「申し訳ございません。真の姿を見られるのはその、恥ずかしがり屋なのでご勘弁を」
言葉は、常に魔王の背後から聞こえていた。冷淡さは消え、照れくさそうな温度ある声だった。
「人の背中を取るのが趣味なのかね?」
「見られないようにする為ですわ。何せ私は他の者と比べてその、かなり特異な容姿でして」
ならば侍女の風を装ったまま接触すればよかろうに、と魔王は思うが、あえて口には出さなかった。
「まあ、陛下の思われる通り、侍女の格好のままで居れば良い話なのですが。これが私なりの誠意というものだと思っていただければと」
「誠意はわかったが、とりあえず人の心を不用意に読むのはやめてくれたまえ。それは人に嫌われるぞ」
どういう手段を以て心を読み取ったのかは魔王にも解らないが、言葉に出して無い部分まで覚られるというのは、正直あまり良い気分はしない。
言わないのは言えなかったり言う必要が無いから言わないのであって、それを表に出してもいいことは何も無いのだ。
「ふふふ、気をつけますわ。セシリアが想いを寄せる殿方の言葉ですもの」
「……前から気になっていたが、彼女は私の何がそんなに気に入ったのかね?」
エルフは美男美女揃いの種族である。当然異性に対する目も肥えていると思われる。
同じ美形の男子に惚れるならともかく、歳のいった中年男に惚れるのは魔王には理解できなかった。
だからこそ最初、魔王はセシリアの態度を『助平親父の魔の手から妹分の姫達を守ろうとして警戒していた』と思っていたのだが、最近になってそれはただの誤解で、魔王が他の娘に気を向けるのが嫌で、独占したいがためにアプローチしていただけだったのだと気づかされた。
「相手との出会いの第一印象の大半は、外見で決まると良く聞きますわ。更に言うなら、自分に無い特徴を持った相手には、強い魅力を感じてしまう傾向が強いらしいです」
良く聞く話だが、その例を以て何が元で気に入られたのかが魔王にはわかってしまった。
「ああ、もういい。解った。別に私は君に用事もないし、用が済んだなら戻ってくれないか。私も部屋に戻りたい」
「ふふふ、かしこまりました。因みに陛下」
「なんだ?」
「私とセシリアは、物の好みがものすごく似通っているのです。どうかご注意を――」
言うだけ言って、声も息遣いも聞こえなくなり、その存在は完全に場から消えうせたようだった。
結局あの侍女が何者なのかはよく解らないままであるが、言いたい事だけ好きに言われた感じがしてどうにも好きになれなかった。
「どう注意しろというのだ。全く――」
一人ごちると、魔王は小さく溜息を付き、また階段を降りて行ったのだった。

 こうして、春という刻は一見無為に流れてゆき、季節は穏やかに夏へと向かっていった。
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