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2章 賢者と魔王

#5-3.第三勢力の影

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――戻って、アプリコットのティーショップ。
「そういえばアリスさん、師匠は今回、何故アプリコットに……?」
なんとなく魔王が街に行くというのでついてきただけだったエルゼは、自分の師匠がどういう意図でここにきたのかをまだ知らなかった。
「なんでも、エリーシャさんに確認したい事がある、という話ですが……」
「姉様にですか?」
トルテは不思議そうに顔を傾け、エリーシャらの座る席を見ていた。

「本題に入ろうか。例の教団について、知っていることがあったら教えて欲しい」
「例の教団……というと、アレしかないか。結構な速度で広まってるらしいじゃない」

『聖竜の揺り籠』という名の新興宗教組織は、拠点である北部諸国のほとんどを掌握し、陸続きである西部諸国にも浸透し始めている。
更に言うならば、宗教アレルギー状態に陥っている中央諸国にも軍事的な協力の打診が繰り返され、シブースト皇帝は対応を迫られているのだともエリーシャは聞いていた。

「どこの国も、軍事的に増強したいのは確かだから、国民の反発の少ない宗教経由での増強は願っても無いことだと思うわ」
「つまり、それだけ各国に浸透する速度は速いという事か……厄介な」
国が軍事増強の方向に舵取りをしようとすれば、国民の反発によってそれは間違いなく妨害される事となるのが今の世の常なのだが、人は宗教という存在に対してはどこか例外という感覚を持っている者も多く、人々の善意だとか平和への願いだとかを頼りに軍事増強する事に対して反発する民は少ないらしかった。
「あの宗教組織、教主は女性だとも、巨大なドラゴンだとも聞いたことがあるわ。直接会ってないから解らないけど」
エリーシャとしても、トルテの一件以来、あまり勇者として周辺地域の情報収集には出られない為、集められる情報には限りがあった。
なので、これはあくまで彼女が個人レベルで暇を見て集めていた情報に限られる。
「女性の教主……竜か、もしや、その教主、名をカルバーンと?」
顎に手をやり、複雑そうな面持ちで尋ねる。
「エレイソン……じゃなかったかな。少なくとも私が眼に入れた情報の中に、カルバーンなんて名前はどこにもなかったわ」
「エレイソンか……そうか。少々アテが外れたな。だが、しかしエレイソンとは……」
予想に反した答えに、魔王は少しだけ困惑し、同時に考え始めてしまっていた。
「どうかしたの? 確かに珍しい名前だとは思うけど」
「いやな。エレイソンという名は、魔族の女性としてはそう珍しくない名前なのだ。人間で言う『リーシア』とか『エレナ』と同じ位にはありふれているんだよ」
先代の娘の中にもエレイソンという名の娘は三人居るが、その三人は魔王が既に居場所も種族も把握している為、本当にエレイソンという娘が教主なのだとしたら、少なくとも教団を率いているのは先代の娘ではない事になる。
しかし、そうなると魔王のアテは外れてしまう形となり、どうにも格好が付かない。

「そもそも、教団の名前からして魔族っぽいわよね。聖竜って、つまりセイントドラゴンとかそんな感じのなんでしょ?」
「まあ、聖竜なんて生き物は魔界には居ないから、かつて人間世界で領主が自称していた『ドラクル』とかと同じ感じだと思うがね」
だが、エリーシャの指摘したとおり、教団の名前からして人間の感性では中々つけにくい名前である。
ドラクルは『ドラゴンの力を持つ者』という意味合いの造語であるが、人間は基本ドラゴンと呼べばいいものにわざわざ『竜』とはつけない。
それは人類の記憶に古くから残る忌み名であり、それが絶対的な恐怖であった頃のトラウマを呼び覚ます禁句であった。
故に、人は竜を魔族の呼び名では呼ばず、独自にドラゴンという呼び名をつけた。
そうしてまで記憶の中から遠ざけたいと願ったほどに、対抗手段のなかった頃の竜は脅威だったのだ。
襲われれば間違いなく全滅し、城砦が崩壊する。
今では考えられないほどの絶望が広まっていた世界もまた、歴史の中にはあったという事である。

「エレイソンっていう名前が魔族の名前だというなら、その教主、やっぱり魔族か何かなんじゃ……」
一応、他に人が居ないか確認しながら、エリーシャはやや小声で続けていた。
「まあ、仮に魔族だとして、魔王軍の味方をしよう、という考えはなさそうだけどね。ともすれば、第三勢力となる可能性もある訳だ」
魔王軍も一枚岩ではなく、中には魔王に反発する勢力も存在している。
そのほとんどはラミアによって押さえ込まれているが、それらが暴走すれば離反し、敵となる事も考えられない事ではなかった。
「宗教上は既に第三勢力になりつつあるけどね。無神論を掲げる大帝国と、女神を奉ずる教会、そして今回の教団の三つ巴ね」
経済的には中央諸国の無神論国家が圧倒的だが、教会は南部を中心としてまだまだ後ろ盾となる国家が多く、また多くの信者を抱えている。
聖竜の揺り籠は確かに新興宗教としては大規模なものとなったが、まだまだこれらと比べて弱小組織で、ようやく芽生え育ち始めたと言った所である。
「彼らは、民衆の不満を国家ではなく、魔王を始めとする魔族にぶつける事こそが正しい怒りの表現だと語っているから、結構過激派な印象もあるね」
「いやでも、実際にやってることはかなりしたたかよ。口では確かに過激な事も言うんだけど、その実人々に叡智を授けたり、恵まれない者を救ったりしてるみたい」
まるで前時代の大賢者を髣髴とさせる行動であった。
「救われた者が宗旨替えしたりして、信者が増えていく訳か」
「学の無い者、取り分け貧困層に分類される人達にも、安定した食事や寝床と引き換えに軍事的な訓練を施して、兵士としての職を斡旋したりしてるみたい」
これが結構強いらしいのよ、と、エリーシャは溜息混じりに続ける。
「それだけじゃないわ。魔法技術の開発もかなりの速度で進んでる。北部のほとんどの城砦では、既に魔法兵が中心の防備体制が整っていると聞くわ」
その信仰が広まった国家は、治安や国の教育・生活水準が大幅に上がっているのだという。
貧乏国家にはこれほどありがたい存在はないのではないのではなかろうか。
教会ですら、貧しきものを救おうとはしても、そこはやはり懐具合と相談してのものなのだからここまで手厚くはいかない。
何より、従来の宗教組織が『救う事』一点にのみ重きをおいているのに対して、教団は『救った上でそれを活用する』という、今までに無い営利的な部分に重きが置かれているのだ。

「それは、私に話して大丈夫な事なのかね?」
エリーシャの話している内容は、明らかに深入りしすぎていた。
まるでスパイのように、あっさりと情報を流してしまうその様に、逆に魔王のほうが心配になるほどに。
「調べれば簡単に解る事だもの。私から聞くまでもなく、そっちはそっちの間者から話が漏れてるんじゃなくて?」
「まあ、それはそうなんだがね……」
それでも、少々漏らしすぎではないだろうか。魔王はハラハラしてしまっていた。
「それともう一つ。教団が中央に手を伸ばし始めているというのは、大帝国としては迷惑な事なのよ。例えそれが、軍の増強に繋がる事だとしてもね」
宗教アレルギーになった経緯を考えれば当然のことで、国民は未だタルト皇女誘拐事件を忘れてはいない。
それが例え軍事の増強という、喉から手を伸ばしてでも欲しくなる程の美味い餌だったとしても、安易にそれに手を伸ばしてしまえば、国家としての存亡に関わる混乱に陥りかねないのだ。
「つまり君は、私にどうにかして欲しくて、敢えて情報を流す、という事かね?」
「まさか。そんなスパイみたいな真似はしないわよ。私は聞かれたから教えただけだわ。同じ趣味を持つ『同胞のおじさん』にね」
情報をくれてやる代わりに敵対する組織の妨害を依頼しているようなものである。
なんでこうも、自分の近くにいる女というのはしたたかで自分勝手なのか。
魔王は頬杖をついた右手でぽりぽりと頬を掻きながら、女という生き物の恐ろしさを思い知っていた。
「君も、随分と駆け引きが上手くなったものだ」
なけなしの嫌味を言って抵抗してみた。
「皮肉はいらないわよ。結果で示して頂戴」
あっさりとスルーされ、話を押し進められていた。

「私としては、あまり件の教団と事を構えたくないのだがね。私の目的と離れてしまう」
「それは私達も同じだわ。でも、受け入れられるだけの準備が、まだ私達は整ってないの」
正直な話、新たに生まれた宗教組織などどうでもよく、今は戦争にのみ注力したい、というのが無神論者達の考えである。
対する魔王軍は、北部が面倒な事になっているというならそれは無視して、さっさと他の地域を攻め滅ぼしたいというのがラミア達参謀本部の意向なのだ。
エリーシャと魔王の思惑は、噛み合っているようで実は現実とは全く互い違いになっているのだが、知ってか知らずか、エリーシャはそれを通そうとしていた。
「何より、向こうはおじさん達を目の敵にしてるんだから、『事を構えたくない』なんて奇麗事、通らないでしょ?」
貴方の戯言なんて聞いてくれないわよ、と、現実まで突きつけてくれた。ひどい勇者であった。
「はぁ、まあ、そうだね。現実で考えるなら、私の考えはただの理想でしかない。それに私の意志に関係なく、遠からず教団とは戦争状態に突入するだろうしね」

 アルファ連峰の更地化によって、北部諸国はますます魔族に対する警戒を強めている。
北部方面の魔王軍は現在、北部諸国へのこれ以上の侵攻はしないようにラミアから指示が下っているのだが、今のままならば人間側の軍勢が防衛にあたっている魔王軍と激突する可能性も十分に考えられた。
何せ教団の総本山は北部にあるのだから、教団に掌握された北部諸国の抵抗は生半可ではない。

 黒竜姫を使えば国の一つ二つは容易に滅ぼせるかもしれないが、それも場合によっては、付近に生息するという『金色の竜』によって完封される可能性すらあるのだ。
というより、その金色の竜が教団の教主である可能性がかなり高いのではと、魔王は考えていた。
その為、先代の娘の最後の一人を見つけ出せるかもしれないと教団についてあれこれ調べていたのだが、流石に魔族の身では深い部分にまで探りを入れるわけにもいかず、ここに至る訳である。

「まあ、教団に関しては、私の部下が好きに動くだろうから、私が指図するまでもないよ。世界は、ある意味君の理想どおりに動くんじゃないかな」
魔王が望もうと望むまいと、挑まれれば戦わざるを得ないのが戦争である。
ある程度の方針は指示する事は出来ても、現実に状況を見ているのはラミアであり、参謀本部の魔族達なのだ。
先代までの魔王は、ラミアに好き放題言った上で、自分は自分で勝手に人間世界に出撃して暴れまわっていたのだから、この構造は古の昔より変わっていないはずだった。
「そう、安心したわ。敵って、こういう時には役立つのね」
空になったカップを置き、口元をハンカチーフで静かに拭うエリーシャ。
その様はどこか出来ていて、まだ若いながらも淑女として形になっていた。
「さて、どうかな。私は君の言う事の裏をかいてしまうかもしれないよ?」
「あら、まさか私が言った事、全部本心から思ってるって考えてるの?」
そうして最後には、狸が二人。にやりと善くない笑顔を見せていた。


 空が朱に染まる頃に楽しいお茶会は終わり、五人は再会した時と同じ二組へと分かれた。
「いや、楽しいお茶会だったよ。ありがとうお嬢さんがた」
灰色の外套を羽織り、シルクハットを被った中年は、樫のステッキを片手に、エリーシャとトルテに恭しく礼を取った。
「どういたしまして。でもおじさん、あまり無理してこちらに来ないほうがいいわよ?」
「うむ。恐らく、当分来る事は無いと思う。色々と忙しくなりそうだからね」
それは、先ほど二人で話した事の為なのか、それとも全く別の用件でなのか、エリーシャには解らなかったが、どうやらそれが本当の事らしいというのは、エリーシャにはそれとなく感じていた。
そもそもの所彼は魔王であり、多忙な趣味人なのだ。本来なら、こうしてお茶会をしている暇などないのだろう、と。
「タルト殿も、どうぞ健やかに過ごされますように。エリーシャさんは私にとって大切な友人でもある。どうぞ頼みますぞ」
「あ、い、いえ。わ、私のほうこそ、姉様には、た、大切にしてもらっていて……」
一応、魔王としては皇族の娘に対してそれなりに気を遣ったつもりだったのだが、逆にトルテは恐縮してしまっていた。
見ると顔色も悪い。青ざめている。
というか明らかに魔王から距離をおいている。エリーシャの後ろに隠れてたりもする。
魔王は少しだけ傷ついた。
「ははは、それは良いですな。では、そういうことで」
そういえば男がダメなのだったと気づき、笑ってごまかしながら魔王は離れることにした。
「さようならトルテさん、またいつか」
「ええ、また。お別れが寂しいですわ」
すっかり仲良しになったのか、エルゼにはトルテもにこやかに返していた。
やはり男だからダメだったらしい。仲むつまじく手を取り合っている。
抱きしめあったりもしていた。頬にキスなんかもしたりしている。
人間は同性愛に比較的寛容とはいえ、これはどうなのか。魔王は複雑な気持ちになった。
「私だけ一人ぼっちです。寂しいですわ旦那様」
アリスはふてくされていた。優雅な魔王の人形は、らしくもなくお一人様を満喫してしまったらしい。
「いや、アリスちゃんも手を振ってみればいいではないか」
「お二人の間に割って入る訳にも行きませんわ」
一応、空気は読んだ上で孤独を味わっていたらしい。人の出来た人形だった。
「アリスさんも、さようなら」
エルゼと一通り別れを惜しんだ後、アリスのほうに向き直り、トルテはペコリと頭を下げていた。
「あ、はいっ、さようならですわっ」
アリスは酷く動揺していた。優雅さとは一体何だったのか。
長く付き合いのある相棒の、意外な一面の再来である。
「……帰ろうか」
焦ってあたふたとするアリスに促す魔王は、によによと善くない笑いを浮かべていた。
もしかしたら、魔王が知らないだけで彼女には沢山の色んな一面があるのでは、と、興味をそそられてしまったのだ。
そうでなくとも魔王にとっては愛しい、掛け替えのない一体なのだが。
まだまだ身近に興味を向けられるだけの関心事があると気づき、魔王は明日を迎える楽しみを感じていた。

 こうして、魔王らは城へと戻っていった。
この街での出来事が、後々どのように影響するかなど、まだ誰も考えもせず。
暢気にどんな話をしていたかなどと語り合いながら、帰って行ったのだった。
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