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2章 賢者と魔王

#8-3.かくして物語は始まった

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「色々と思い出せたかね? ついでにもう一つ。カルバーンという少女を覚えているか?」
「カルバーン……確かに、聞き覚えが……」
カルバーン、カルバーン、と、何度か呟く。
ふと、ぱん、と掌を叩き、目を見開いた。
「カルバーン!! あの色白の、幾度言い聞かせても言う事聞かなかった子!!」
ろくでもない覚え方だった。
「まあ、そうなんだが。その色白の娘だが、現在行方知れずでな」
「えっ……行方知れずなのですか?」
「うむ。そこで黒竜姫のところに話が戻るのだ。カルバーンの種族を思い出してみろ」
ラミアは、少しの間考えるように間を開けるも、「あっ」と小さく声をあげた。思い出したらしい。
「あれ、じゃあ黒竜……アンナスリーズ様の双子の妹なのに、黒竜族は……」
「うむ。アンナスリーズしか姫として扱っていないのだ。それとなく黒竜翁に確認もしてみたが、やはり奴らの頭からカルバーンに関しての記憶が消えている」
「確かに。黒竜翁はカルバーンに関しては、蛇蝎の如く嫌っていた節がありますから」
黒竜の恐怖とも言える白変種。金色の竜。それがまさに魔王城に居たのだ。
今にして思えば、当時の黒竜翁の心境も理解できよう。
「では、エルリルフィルス様は、黒竜族からカルバーンが暗殺されるのを恐れ、あのような魔法を?」
「そこが解らんのだ。考えても見ろ、彼女が死んだ時には、アンナスリーズもカルバーンも共に成長し、その実力は大人の黒竜を遥かに凌駕していたはずだ」

 少なくとも今の黒竜姫と大差ないほどの実力はあったはずで、そんな最強の双子の片割れを相手に、暗殺などしようとしてもできるはずがない。
ましてや、魔王城は最強の魔王・エルリルフィルスによって常に警戒態勢を敷かれていたのだ。
確かに彼女は時たま人間世界に出ては、かつての恨みを晴らさんとばかりに暴れまわっていたが、その間は当時『伯爵』と呼ばれていた現魔王が魔王城に収まっていた為、そのような不埒な輩は入り込む余地も無い。
双子が幼い内ならともかく、成長した時点で暗殺など恐るるに足らないはずなのだ。

「彼女は、末期には私に『娘達を守って欲しい』と頼んできた」
「それは、言葉だけ考えるなら『カルバーンを守って欲しい』とも取れますが……」
「うむ。私は最近、それはおかしいと思うようになっていたのだ。本当にそれであっているのか? とな」
先ほどの疑問がその根拠の全てである。何かがおかしい。だから魔王は考えに考えていた。
様々な書物をもう一度読み漁り、見落としている点が無いか調べたりしていた。
「では陛下、『カルバーンから娘達を守って欲しい』と言い換えてみてはいかがでしょうか?」
「うん? カルバーンから? 何故そう思ったのだ?」
突拍子も無い意見だった。ありえない発想だった。それは、少なくとも魔王には思いつかないものだった。
「いえ、カルバーンって、なんか跳ねっ返りでしたでしょう? だから、よく悪魔王の娘と喧嘩したりしてたじゃないですか」
「おお……なるほどな。確かに、カルバーンは……いや、よく考えられてる。そうだ、そうに違いない!!」
ラミアの言葉は、多分思いつきで出た程度のものなのだろうが、魔王にとっては思いがけない絶妙のアドバイスであった。
「ラミア!! 君に話して正解だった。そうだ。エルリルフィルスは、きっとカルバーンを警戒していたのだ!!」
思考は現状と結びつく。
魔王の中でずっと疑問だったものは、ほんのわずかな時の問答で見事に解決に向かい進歩してしまっていた。
「ですが、カルバーンはエルリルフィルス様には絶対……と言いますか、極度のマザコンでしたわよね、あの娘」
「ああ、アンナスリーズは逆に、エルリルフィルスのことを嫌っていたがね」
色々と対照的な姉妹であった。外見は黒と白金で分かれ、性格は静と動で異なる。
病弱で控えめな性格だったアンナスリーズと、健康そのもので暴れん坊な性分のカルバーン。
母親嫌いだった姉と比べ、妹は母にべったりであったと魔王は記憶している。
「いや、違うな。べったりできなかったから、母に焦がれていたのか」
自分の記憶の中のそれらに若干の修正を加えながら、その時のことを思い出す。
「アンナスリーズ様は……というか今更様づけもなんですわね。まあいいですわ。なんというか、自分の名前から何から色々気に入らない事だらけで反発していたようですわ」
「そうなのかね?」
「えぇ。当時の彼女は、病弱で思うように動けない自分に強いコンプレックスを抱いていたようですから」
大人しかった、というのは実は違っていて、大人しくせざるを得ないからそうしていただけというのが真実らしかった。
それでようやく、現在の黒竜姫としての彼女の振る舞いと記憶の中の少女とが繋がりを見せ始めた。
「でも、妹の事は溺愛していたんです。なのに、エルリルフィルス様はアンナスリーズばかり構うものだから、カルバーンが悲しむ所を見たくなくて、アンナスリーズは何度も母上に反発していたのですわ」
「何故エルリルフィルスは、アンナスリーズばかり構ってたんだ? 『分け隔てなく愛する』と言っていたのに……」
「存じません。強いて言うなら、カルバーンが白変種である事が原因の一端かもしれないと、考えられるかもしれませんね」

 構う、の内容も良く解らないが、そこは彼女らしくないな、と魔王は思ってしまう。
皆が幸せになるのを望んで奈落の底まで落ちた女のやることとはとても思えない。
魔王になっても理想は理想として、信条としては保っていたものである。
自分の娘の片一方だけえこひいきしていたとは考え難い。
となれば、後に考えられるのは『結果的にそうなってしまった』という可能性である。
ともあれ、彼女と一番近い位置に居たラミアが記憶を取り戻したのは重要な事で、おかげで魔王が一人で悩んでいたものが大幅に解決されていった。

「黒竜姫が当時の状況を思い出してくれれば、色々わかる部分も多いと思うんだが……」
「それは……どうでしょうね。当時の状況は、必ずしもアンナスリーズ本人に幸せなものではなかったでしょうから」
ラミアのように涙する程度ならまだいいが、現状と記憶の中との齟齬が大きければ大きいほど、そのショックは多大なものとなるのは魔王も解っていた。
「怖いのはそれだ。今の黒竜姫は私にとってあまり得意な相手ではないが、だからと記憶と現実の狭間に置いて気が狂われでもしたら……それは流石にいたたまれん」
「はい。できるだけ慎重になさった方がよろしいかと」
もしやるにしても色々と前準備が必要だった。
そして、できれば誰かが教えることによって思い出すのではなく、自分自身の力で思い出させるのが一番である。
この、目の前に明確な手がかりがあるにも拘らず迂闊に手を出せないというお預け感は、魔王にとって中々にたまらない代物であった。
やはり、彼は変人なのかもしれない。

 兎にも角にも、話は進み、過去は時を刻み始めたのだ。
止まった時はようやく動き出し、失われていた記憶は徐々にその色を取り戻し始める。
一人の魔王から起こった物語は、今ようやく始まりを見せていた。
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