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2章 賢者と魔王

#9-2.宮廷魔術師との邂逅

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「ふぅ、疲れたわ……」
慣れない貴族達の宴の中、エリーシャは一人、バルコニーで夜風に当たっていた。
広い屋外は、同じように熱気を冷まそうとする者や、酔いを理由に好みの異性の関心を誘う若い女性や、灯りに賑わう城下の街並みを見渡す老人等で静かなムードが漂っていた。
「本当に、この手の宴というのは疲れるね。貴族や有力者の中に立つのはほんとうに……あ、隣いいかね?」
かと思えば、初老の白髪交じりの紳士がエリーシャの隣に立ち、うっすら風に身を任せていた。
「どうぞ。許可がいるようなものでもありませんわ」
エリーシャも、さほど気にせずそれを許す。
「ありがとう。私はベルクハイデで宮廷魔術師をやっている、アル・フラという者だ」
「ショコラの方でしたか。帝国の男性にしては、黒髪は珍しいなと思っていましたが」
帝国では男性は赤髪、女性は濃い目の茶髪が主であり、男女共に黒髪は珍しい。
そうは言っても諸国と交流があれば街中で黒髪を見かける事も少なくはないのだが、こうした上流階級が集うパーティー会場ではやはり茶髪が多いのも一つの現実であった。
「一応、礼儀で、お嬢さんのお名前をお伺いしてもよろしいかな?」
気さくに笑いながら、紳士はエリーシャの顔を見る。
「エリーシャと申します」
「エリーシャ……ああ、聞いたことがあるよ。大帝国を代表する勇者殿か。まさかこんな若いお嬢さんだとはね」
意外そうに驚いてみせるのだが、それはフリだろうとエリーシャは思っていた。
「もう年増ですわ。行き遅れて見るも無残な事になってます」
皮肉げに笑ってみせる。だがアル・フラはさほど気にする様子もなく右掌を左右に振った。
「いやいや、最近は若い娘さんも大人しめの服装になってきているし、君位の女性の方が落ち着きがあって男性の需用もあると思うがね」

 バルコニーから見える街並みには、数年前と比べて控えめないでたちの娘が多かった。
流行は移り変わっていくもので、かつてエリーシャが着るのを躊躇っていたような大胆な服装はなりを潜め、清楚さ、大人しさを前面に押し出した『大人びた格好』が人気を生んでいる。
流行の最先端を行く貴族の令嬢も同じで、今宵披露宴に参加している娘達も、その多くが露出抑え目な大人びた格好にまとまっている。
とは言え、若い娘のするそれらの格好はやや背伸びしたものとなっており、そういった観点で見れば、今のエリーシャのように『本当の大人の雰囲気』を漂わせる女性とは比べようも無い幼さが出てしまっていた。

「まあ、私は見ての通りいい歳だからそう感じているのかもしれないがね」
「すみません。少しナーバスになってまして」
年齢的にも少し適齢期を過ぎ始めているのもあり、エリーシャの周りの人間はそういった話題をしきりに口にするようになっていた。
特に皇帝は結婚させる事で少しでも戦場からエリーシャを遠ざけたい様子で、先ほども何名か優良そうな貴族の男性を紹介してきたりした。
将来性のある若い男性もいれば、今隣にいるアル・フラのような年齢の、妻に先立たれ後添いを求めている大貴族の紳士等も紹介されたが、エリーシャは今一その気になれないでいた。
「いや、失礼を許して欲しい。初対面の女性に易々と出していい話題ではなかったようだ」
アル・フラは一歩下がり、申し訳なさそうに目を伏せ、頭を下げる。
「やめてくださいな。私が勝手に気にしてるだけですわ。話題としては……そんなにおかしいものではないはずですもの」
本来エリーシャ位の歳の女性であるなら、周囲から紹介があるのは有難い事であり、大体はその流れでめでたくパートナーが見つかるものなのだ。
それを受けないのはあくまで我侭のようなものなので、それについて相手が手落ちを感じる必要は無いとエリーシャは思っていた。

「アル・フラさんは宮廷魔術師というお話でしたが、ショコラの宮廷では一体どのような魔法が研究されているのですか?」
場の空気が悪くなりそうだったので、エリーシャは話を変える事にした。
「うむ。宮廷では多くの魔術師が仕えていてね。多くは戦場で役に立つ強力な破壊魔法の研究が主流になっているが……私はそれらとは若干異なる色合いの、『衛星魔法』の研究を主にしている」
「衛星魔法……?」
それは、彼女には聞いた事の無い種別の魔法であった。
魔法といえば、破壊魔法、治癒魔法、幻惑魔法、転送魔法等に代表され、その他に日常生活で活用できる応用魔法等が存在する程度である。
言葉から見て星に関わる魔法なのかもしれないが、今一エリーシャにはピンと来なかった。
「珍しいだろう? まだ私しか研究していない魔法だから仕方ないかもしれんが、いずれ世界を変える魔法であると信じている」
胸を張り、誇らしげに笑うアル・フラは、どこか見覚えのある少年じみた表情であった。
「言葉だけではどのような魔法なのかが想像つかないですね」
「そうだな、一言で言えば、攻撃と防御、治癒を一手に担当する小さな魔法の光が、術者の周りをぐるぐると回るんだ」
ぐる、ぐる、と、空に指で円を描く。器用に応用魔法で空間を光らせたりなんかもする。
「そしてそれが、術者の意思や状況によって自在に動き、その都度必要な魔法を発動させる」
「魔法が魔法を発動するんですか? そんなすごい事ができるなんて……」
エリーシャとしても初耳である。というより、そんな事を考え付く人間がまずいなかった。
「まだ研究段階だが理論的にはもう可能であると結論が出ているんだ。後は試行を繰り返し、発動に対して最適な対価ともいえる魔力量の調節を行って、実用段階に持っていければいいんだが」
「ショコラの魔法技術は世界の最先端だと聞いていましたが、まさかそこまで進んでいるなんて」
驚きが隠せなかった。
北部諸国の魔法技術も近年目をみはるものがあると聞いていたが、流石は魔法大国と言うべきか、そんな想像を遥かに超えた新魔法の研究が行われていた等、エリーシャは思いもしなかった。
だから、思わず話にのめりこんでしまう。
「その衛星魔法、実用段階に持っていったとして、どれ位の技量があれば扱えそうですか?」
「そうだね……少なくとも空間把握ができなければいけないだろうが、今の所これの一番の問題点は燃費の悪さだ。だから技量よりは膨大な魔力量が何より重要となってくるかもしれない」

 人間にとって魔力とは実に不公平かつ理不尽な力である。
誰しもが持っている訳ではなく、持っているからとどこまで伸びるのかも解らない。
神童と呼ばれた若者が実はそれ以上は伸び代がなかったり、逆に才能が無いと烙印を押された者が厳しい自己鍛錬の末に大成し大魔術師となる事もある。
魔力の無い者には魔法は扱えないが、魔法が扱えるから魔力に溢れているかと言われればそうではなく、だからこそ大量の魔力を持つ者は人間世界においてとても貴重な存在となっている。

 多くの魔族が体外、空間から呼吸によって魔力を得るのに対し、人間のそれは元々体内から生み出されるものである。
身体を魔力を溜める為の器とした場合、鍛錬によって鍛えられるのはこの器の方であり、体内で作られる魔力の量は生来の物からほとんど変動しない。
その為、体内で作られる魔力がどれだけ膨大であっても、器の方が小さいままでは器相応の魔力しか発揮できないし、器の方をどれだけ鍛えてもまた、空の器を満たせるだけの魔力がなければ、強大な魔法を行使することはできないのだ。
魔力を大量に持つ者というのは、つまり大量に魔力を溜められる器があり、同時にその器を常時満たせるだけの魔力を生み出せる体質を持っているという事に他ならない。

 その点エリーシャは、都合よく魔力総量が一般的な魔術師より遥かに多く、魔法の才能にも秀でていた。
元々は魔法なんてほとんど知らない村娘に過ぎなかったエリーシャだが、父の死後、自己鍛錬を続ける内にその才能が開花し、膨大な魔力を持つという体質とマッチして非常に有力な遣い手となったのだ。
「もしその魔法が実用化したなら、私にも教えてもらえませんか?」
衛星魔法とやらがどこまで有用かは解らないが、半分は興味本位で、残り半分は『世界を変える』と胸を張ったこの紳士の言葉に胸を打たれたのもあった。
「おお、勿論だとも。友好国たるアップルランドの勇者殿に教えられるなど、私としても光栄な事だよ」
一瞬目を見開き、そして満面の笑みへと変わっていく。
アル・フラは手袋を取り、エリーシャに握手を求めてきた。
「こちらこそ、よろしく」
エリーシャも微笑みながら、その手を受け、交わした。
本来の作法と違う事など気にもせず、二人とも善い笑顔であった。


 それから少しの間、魔法に関しての話題で盛り上がり、その最中にアル・フラは「用事があるから」と会場へと戻っていった。
季節的に、肩や胸元が開けたデコルテだと薄寒く感じる事も有り、そろそろ戻ろうか、と思い、エリーシャは振り返った。
「……じー」
トルテがいた。隅っこの方でじと目でじっと見ていた。何故か不機嫌そうだった。
「な、何よトルテ。いつの間に居たの?」
「ずっと見ていました」
「え?」
「姉様が、どこぞの殿方とお話しているのを、トルテはずっと見ていました」
皇女様はとても寒そうだった。肩を震わせながら不機嫌そうに腕を組んでいたのだ。
「何よ、居たなら話しかけてくれれば良いのに」
「とても楽しそうにお話をしていて、入る隙間がありませんでした!!」
不機嫌そうなのは一人ぼっちにさせられたのと、自分に内緒で男と楽しげな時間を過ごしていたからだったらしい。
「もしかして遠慮したの?」
「だって、姉様楽しそうでしたし……お邪魔したら私の事をお嫌いになるのでは、なんて思ってしまって」
等とむくれながら可愛い事を言ってくれる皇女様である。
妹分の皇女様がやきもちを焼いてくれているらしいのに気づき、エリーシャは口元を押さえ笑いを堪えていた。
「何が面白いんですの!? 私は、『姉様が殿方と楽しそうにお話するなんて!?』ってすごくショックを受けましたのに!!」
その様に爆発したのか、トルテは寒いのも構わずずかずかと歩いてきて、エリーシャの肩を掴んだ。
あまり強くないが、トルテ的には全力で掴んでいるのかもしれない。
腕がぷるぷると震えている辺り、その全力さがエリーシャにも感じられた。
「別に、魔法の話で盛り上がってただけで、そんな、変なのじゃないから」
普段大人しいトルテが自分のことでここまで必死になるのが面白くて、エリーシャはつい破顔してしまう。
「姉様がいなかったおかげで私、色んな所の領主の方とか貴族令嬢の方とかに話しかけられてすごく困ってましたのに!!」
「いや、それは自分でなんとかなさいよ。仮にも皇族なんだから」
普段大人しいというか、人見知りが激しすぎる所が見事に仇になっていたらしい。
その分の怒りも追加されているらしかったが、こちらは単なるいい迷惑である。
「ていうか焼きもちなのかと思ったら普通に八つ当たりじゃないのよ」
「うぐっ……そ、そんな事ないです……よ? あの、姉様を取られてしまったのかと心配もしましたし」
半分くらいは図星だったらしく、露骨に大人しくなってしまった。解りやすい皇女である。
「まあ、いいけどね……それより、そろそろ寒いわ。会場に戻りましょ」
「はぅ、そうですね。あの、ずっと寒かったのです。姉様抱きしめてください」
「はいはい」
言われるままトルテを抱きしめる。
「ああ、姉様あったかーい」
幸せそうに深い溜息をついて胸に顔を埋めるトルテ。
「……そんな顔こすりつけられても、別に柔らかくないでしょうに」
「うぅ、お母様を思い出しました」
何気に腹が立つ台詞である。
「叩いていい?」
「ごめんなさい。私も別にそんなにないですから、怒らないで」
自分で胸をさすりながら「仲間ですから」等と言いながら真顔でいやいやする。
「はぁ、もういいわ。さっさと戻りましょ」
「はい」
その様があまりにも必死に見えて、エリーシャは怒る事もできず、スルーする事にした。
トルテもそれ以上は続ける気は無いらしく、素直に従っていた。
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