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3章 約束

#1-1.魔王様の進撃

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 朝。やや肌寒い中央平原の朝は、魔王城のそれと変わりなく、愛らしい小鳥の鳴き声から始まった。
徐々に明けていく。紺色がかった空が白やみ、鮮やかな薄青色が空を染め抜く。
人間の軍勢が本陣を構える『クノーヘン要塞』近郊の森で、魔王は一人、野宿などしていた。
鳥やら獣やらの鳴き声を聞きながら、焚き火で暖を取りながら、懐に忍ばせてあった小説などを読みながら。
魔王は、自軍の作戦が動き出すその時刻を待ち、時折懐中時計を確かめる。
最初、魔王は好きに暴れてやるつもりだったのだが、後から伝令が魔王の元に訪れ、ベェルら中央方面軍主力が各種作戦を同時進行で進めるそのタイミングで攻め込んで欲しいとの要望を伝えていた。

 特に重要なのは敵本陣の後方に位置する都市ヘレナへの迂回・襲撃作戦と、陽動で行われる近辺の砦への襲撃作戦。
戦力の分断と本陣の撃滅、増援の阻止を同時に狙った欲張りな作戦である。
いずれも時間による連携が必須な作戦で、こちらの意図が敵に割れた時には既に完了しているか阻止が不可能な状態にしなければ成功が難しくなる。
それでいて本陣におわす方面軍総司令ベェルは高みの見物といった所で、本来ならこのクノーヘン要塞も彼の本隊がどうにかする所を、『どうしても暴れたくて仕方ない』魔王にしぶしぶ譲ったという形だったらしいのも伝令から漏れ聞いていた。
魔王も思わず苦笑いの上級魔族しぐさである。

 不意にカチャ、と、鉄じみた音が森に響いた。
「戻ったか」
魔王は読みふけっていた小説を静かに閉じ、顔を上げる。
目の前にはアリスが立っていた。
「はい、お待たせ致しました」
鞘に納まった長剣を左手に持ち、アリスは主に微笑みかける。実に物々しかった。
「そろそろ時間のようだ」
懐中時計を見やり、時刻の確認。懐にしまい込み、魔王は立ち上がった。
「そういえば、他の二人はどうしたのかね? 姿が見えないが」
夜の間、アリスはエリーセルとノアールの二人を召喚し、話し合いをした後一緒に斥候に出たはずなのだが、今はその姿が見えなかった。
「他の子達への周知を済ませるために一旦帰らせましたわ。地形などは一緒に見てきましたのでご安心を」
「そうか……それで、敵の配置はどうなっていた? 門の辺りとか」
「要塞の前門前と周辺に十人程の規模のキャンプが二つ。後門には一つ見えましたわ」
話しながらに歩き出す。アリスもそれについていく。
「砦の兵器類は?」
「外壁部分から飛び出して見えるほど巨大な対竜用のカタパルトが砦の東西に二つ。対空用の矢射出装置が各方角に二つずつ見えましたわ」
「上空からの攻撃は徹底して防がれる訳か。まあ私には関係ないが」
カタパルトに関して言えば対地用としても使えるのだから、その威力を鑑みるに、本隊レベルの軍団がこちらに向かったならば被害は甚大となっていた可能性すらある。
「外側から読み取れる情報はそれ位が限界か。流石に要塞内部の備えまではわからんのは、仕方ないとはいえしんどいな」
「時間があれば旅の者を装ってそれとなく聞く事もできたと思うのですが、流石に時期も時期ですから……」
これから敵軍とぶつかり合いますよ、という緊張の極限に至っている時期にそんな事をすれば、最悪敵の警戒がますます強まる事になりかねないので、アリスの判断は妥当とも言えた。
「まあ、なるようになるだろう。敵も、まさか魔王が直接乗り込んでくるとは思わないだろうし」
あくまで魔王は楽観的である。自分も含め、人形兵団が人間の軍勢に敗れる所など想像だにしていなかった。
「前門は攻撃に警戒して閉じられていますが、後門は物資輸送の馬車やら傭兵団の出入りやらで基本開かれているようです」
「なら攻め込むのは後門からだね。旅人を装って近づいて一気に入り込むか」
こういう時に外見が人と大差ないというのはとても便利である。
少なくとも外見で警戒されることは少ないので、ほぼ完全な形で奇襲が決まる。
「他の子達の準備も整っているだろうね? もう間も無く会戦だ」
「各自準備は既に整っておりますわ。『コール』の魔法で呼んでいただければ即座に攻撃態勢に移れます」
「よろしい。では行こうか」
そうこう話している間に森は開け、巨大な要塞がその前面に映る。
陽は昇り、春の終わりを感じさせる暑さが世界を支配し始めていた。

 戦いは、本陣の置かれた湖の西から始まっていった。
アップルランドへの境界線に位置する砦テリーヌへの一個大隊による強襲。
これに対し、主戦場から離れ警戒の薄かったテリーヌの防衛隊はわずか五十名ほどの少数手勢で迎え撃つ形となった。
旧来ならばときの声に始まり、攻め手の喚声が戦場に響き渡るのが常であったが、現代戦においてそれらは行われず、歩兵の大隊はより小規模な隊ごとに分かれ、静かに侵攻していった。
砦側が魔王軍の接近に気づいた時には既に各自配置が完了している状態で、実に手際よく攻略戦が開始されていく。
ここにきて、ようやく戦場はにわかに騒がしくなり、喚声や悲鳴、狂気じみた叫び声などが響くようになる。
とはいえ人間側も防衛戦ならば慣れたもので、即座に増援要請の為に多数の騎兵を後方の砦に送り、篭城の態勢を整えた。
魔王軍からの視点では、この砦への攻撃は、大帝国からのクノーヘン要塞への増援の足止めが第一の目的である。
その為、攻略はさほど視野に入れられておらず、その意図を理解している指揮官は無理な攻撃はせず、相手の篭城に付き合う腹積もりでいた。

 それとは別に、伝令によって魔王軍の動きを察知したクノーヘンの司令部は、周辺地域への警戒を強めるよう指示を下した。
要塞の防衛姿勢も強固にし、前門の防衛部隊の数を増やしたり、対空監視要員を増やしたりして備えた。
「始まったようだな」
「ああ、生きて帰ろう」
後門では、兵士達が会戦について思い思い呟き、自らの士気を高めていた。
「うん? 何だあれは?」
ふと、若輩の門衛の一人が、街道を歩いてくる旅人風の男達を見つける。
「おい止まれ、旅人か? ここはもうすぐ戦場になる。引き返したまえ」
近寄り、すぐに離れるように促した。
「ああ、知ってるとも」
黒い外套に身を包む男は、それでもお構いなしに門に近づく。
剣士風の少女を引き連れているのを見るにつれ、門衛は彼らを傭兵団か冒険者の一行かと誤認した。
「傭兵か冒険者なのか? だとしたらどこの街のギルドの者だ? ちゃんと証明書を見せなさい」
「傭兵? 違うね。冒険者? いや、私は色んな所を旅しているが、そんなカッコいいものではないな」
ややしゃがれた声の中年男は、人のよさそうな苦笑いで兵を煙に撒く。
何かがおかしいと思ったのか、ベテランの兵士が腰の剣に手をかけようとしていた。

「私は、その、なんだ。ただの魔王だ」

 自嘲気味に笑いながら、魔王は歩いた。
「ぐっ……!?」
若い兵士は腹に違和感を感じて、それから、激痛に痺れながら倒れた。
魔王の後ろを歩くアリスの持った銀色に光る長剣が、いつの間にか赤に染まっていた。
「っ!? このっ!!」
魔王の言葉を理解するより早く、慣れた兵士は剣を抜き、振り上げ魔王に挑みかかった。
周りの兵士も遅れて剣を取り出し、アリスを囲む。
同じタイミングで、ゾブリ、という鈍い音と共に魔王の横腹に剣が突き刺さった。
相手の予想外の反応の鈍さに、ベテラン兵は意外そうな顔をする。
直後、その頭は吹き飛ぶ。
「た、隊長っ!?」
一瞬戸惑う兵士達の隙を見逃さず、アリスは神速で斬り捨てていく。
数秒後には、門前を守る兵士が無残な肉の山となっていた。
「弱いな。こんなものか」
「まあ、まだ始まって間もないですから」
門前部隊のあっけない全滅に、少々不足気味に感じながら、魔王とアリスは悠々と門に入っていった。

 一歩、また一歩魔王が歩く度、その後ろに人形が増えていった。
手にはそれぞれ様々なドラゴンスレイヤー。たまに果物ナイフとかも混じっている。
人形を自在に呼び出せるコールの魔法により、魔王の愛しき人形兵団が要塞へと次々進撃していく。
「ドールマスターが来たぞ!! 火矢の準備!! 魔術師隊は援護に回れ!!」
前衛指揮官らしき男が悲鳴のような叫び声で指示をぶつけていくのが聞こえた。
賑やかな戦場であった。統率の取れているような取れていないような、なんとも複雑な賑わい。やかましさ。
後門からの魔王の強襲という、予想外極まりない事態に要塞は一瞬だけ混乱したが、すぐさま大量の防衛部隊が魔王らの進軍を阻んだ。
かたやこの地域の将来を背負う中央の猛者が二万ほど。
かたや珍しく戦気満々で訪れた魔王と人形兵団あわせて二千と一。
キルレートは一人頭十人。それも最新の武装に身を固め、最新の魔法を持ち最新の訓練を受けた人類最精鋭の猛者相手に、である。

「……いや、ちょっと少なくないか?」

 剣を向ける兵士に肉薄して、首を掴み投げ飛ばす。直後嫌な音が魔王の視界の外から響いた。
怒号と悲鳴と喚声と武器のぶつかり合う音が響く要塞戦の最中、魔王は事前に聞いていた防衛戦力二万が、実際に戦ってみるとそれほどでもないように感じられていた。
それは、思ったより弱いというようなものではなく、純粋に数が聞いたよりも少なく感じたのだ。
「確かに、数が少なすぎます。二万は居るというお話でしたのに、これでは五千もいるかどうか……」
言いながら、アリスは魔王に近づく敵の戦士を長剣で無造作に薙ぎ払う。
直後、足首丈のスカートをまくり、腿につけた短剣を抜き、投げる。
「うぐっ――!」
投擲されたナイフは上階からクロスボウで狙いをつけていたスナイパーを狙撃していた。
「カッコいいなあそれ。いつだかの暗殺者のアレかね?」
「はい。密かに練習していたのです」
一瞬にこやかに笑い、また目の前の敵の気配に目を細めた。
「何かあると思ってよさそうだな。あるいは、ここ以外のどこかに」
「そうですわね。旦那様、いかがなさいますか?」
「事が始まった以上は戦うさ。しかし、これではただの虐殺だな。まるで戦いになっとらん」
戦況は完全に押し切っていた。
当然といえば当然で、相手に数の利がどれだけあろうと、地の利があろうと、人形兵団は不死の軍団なのだ。
胸を刺そうと首を刎ねようと立ち上がり、応急処置で糸を通せば切断した部位であろうと容易につながってしまう。
ドラゴンスレイヤー製の武器を持つ人形の一撃はまさしく必殺とも言える鋭いもので、人間側はそれを喰らえばたちまち戦闘不能か即死だというのに、人間が集団で槍や剣を突き刺しても足止めにしかならない。
なんとも理不尽な暴力が一方的に振るわれているような状況で、魔王的に何ともつまらない戦場と化していた。
俄然魔王のやる気もなくなっていく。大切にしていた人形がこんなつまらない戦いで傷つくのは見ていて忍びなかった。
「はぁ、本当に、戦争って下らないよなあ」
何の為に来ていたのかも最早どうでもよくなり、戦争の愚についてぼやき始めてしまう有様であった。
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