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3章 約束

#3-3.有能な政務担当官誕生

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「あの……急に黙りこくってどうしたんですか? なんか、視線も気持ち悪いです」
色々と不安になってきたのか、アルルは一歩どころか二歩も三歩も下がって魔王との距離を開けていた。
値踏みするように上から下から見ていたのも心証を悪くしたらしい。
「いやすまない。君は政治や思想なんかの本を良く読んでいるのかね?」
「えぇ、まあ。好きですから、特に政治とかは」

 魔界において、政治はあまり重視されないジャンルである。
一億年近く昔の、名前すら忘れ去られたような魔王が気まぐれに作ったルールを未だに基礎として適用している等、魔界の政治構造はとても古い。
そもそものところ人間のように欲望や本心を幾重にも隠してやり取りすることの少ない魔族である。
欲しいものは金か身体か力づくで手に入れるのが常であり、力の無い者は力を凌駕できるだけの知恵と立ち回りを身に付けろと言われる世界である。

 とはいえ、一応、領地ごとにその領を治める領主がいて、その領主が定めたルールは存在するのだが、それもいい加減なものが多く、そのほとんどは領主が変わると共に無かった事にされたり新領主の原型台無しなアレンジが加えられる。
古くより続く王族や長族によって厳格に治められている領もある一方で、下克上が繰り返され度々領主の変わる不安定極まりない領も少なからず存在していた。

 魔王が政治を疎かにしているのは今代に始まった事ではなく、代々の魔王のそのほとんどが内政を蔑ろにし、戦争にばかり重きを置いていた経緯がある為、そもそもの所の内政に強い文官というものが育ち難い風土がある。
実際問題、今内政を取り仕切っている魔王城の女官達は、賢い有能な娘ばかりを集められてはいるが、彼女達は別段政治のエキスパートという訳ではなく、ほとんどが素人同然の者に付け焼刃的にラミアが教育して辛うじて内政要員として成り立たせているに過ぎない。
ラミアも性格と知恵の豊富さ賢さでは内政向きな面もあるが、時折魔王をして溜息もののザルなミスを繰り返す事もある為、この辺りは伝統的に育たないようになっているのだと魔王は考えていた。

「魔界の内政レベルの低さ。これを君はどう考えるね」
「実に無駄が多いと思います。もうちょっと効率化させればかけなくて済むコストが山のようにありますよ」
試す為の質問に、アルルは眼鏡をくいっとあげながら答えた。
「人的資源が全体的に足りていないと思うのだが」
「必要の無いところにかけているからそうなるのです。特に今の体制だとそれが顕著ですね。才能ある者はもう少し重用すべきでは?」
「何かを変えようとすると領主達が騒がないかね。特に政治に関しての事は連中、口うるさいぞ」
「それは陛下に求心力が無いからです。民に人気のある王なら、民がそれに従おうとする為、結果的に領主は王に逆らえなくなります」

 魔王にとって、アルルの言葉は実に耳に痛いものだった。
全く遠慮がなく、それでいて言われてみると「なるほど確かにそうかもしれない」と思えてしまうのだ。
言葉に説得力があるというのは強い。
そしてこの娘は使えそうだと、魔王は笑っていた。

「……あ、なんか嫌な笑い」
「そう警戒するな。私は今、とても嬉しいのだ。捜し求めていた人材を見つけられた気分だ」
適材適所。魔王は事あるごとにその必要性を感じていた。
自分やラミアはそれほど政治向きではない。女官達もいざという時の判断に困ることもあるだろう。
だが、この娘は違う。はっきりと言ってのけ、やってのけるだろう。
魔王はそう感じ、そして期待していた。
「人材……? それは一体……」
「君に、内政の仕事を一任しようと思うのだが」
魔王は、こうしよう、と思ったことはストレートに実行に移すタイプだった。
「嫌ですよ。私は本を読むのが好きなだけですから。まだしばらくはここで暮らします」
しかしにべもなく断られる。本の虫過ぎるのが玉に瑕だった。
「まあそう言うな。それにな、この図書館にある本など、実際には思想の偏った、一元的な見方のものばかりだぞ?」
だから魔王は、本の虫を釣るための餌をぶらさげる事にした。
「……そうなのですか? 私にはそう感じませんでしたが」
「そうだとも。私は人間世界の図書館にも行った事がある。ここほどではないが色んな本があった。そしてそれは、とても色々な視点から書かれていた」
「色々な視点……とは?」
ピクリ、とアルルの翼が動く。
顔は平静を保っているが、気になると身体の一部が動いてしまうのはエルフに似ているかもしれないと魔王は思った。
「人間視点、魔族視点、神の視点……時には作者自身の、エゴやリアリティを度外視した第三者視点で書かれているモノもある。思想もまるで違う。同じテーマについて書かれている本が魔界と人間世界では全く違う本のように感じるぞ」
「それは、どこにいけば読めるのですか?」
虫は餌をつつき始める。気になって仕方ない様子で。まるでじゃらし草を顔の前にあてられた猫のようにそわそわしていた。
「人間世界にいかないと読めない。だが、今の私はとても忙しい。何せ、事あるごとに内政判断を迫られる。人も足りない。有能な内政要員が増えれば、あるいは私も任せっきりにして人間世界に行き、色んな本を持ってこれるのだが」
わざとらしく、実にわざとらしくアルルを横目でちらりとだけ見る。にやりと笑う。悪党面である。
「陛下に協力すれば、陛下がその、人間世界の本を持ってきてくれるという事ですか?」
「ギブアンドテイクという言葉は知っているかね? 君が私に協力し、私が君に協力する。これは取引きの初歩だ」
「……陛下は王様よりは、商人の方が向いてそうだわ」
魔王の出した釣り餌は、アルルにとって相応に魅力的だったのか。
小さく溜息をつき、アルルの肩から力が抜けていくのが見えた。
「たまに言われる。趣味に走りすぎなければ、存外私は商人向きなのかも知れん」
魔王は、物事に関しての見識は相応にある方だと自分では思っていた。
人物の有能さも本質もある程度見抜ける自信はある。
ただ、魔王本人の性分がどうしようもなく道楽者で自分に正直なので、全てが台無しになっているのだが。
「でも陛下。私は不要だと思えば、陛下ですら排斥するかもしれませんよ? その時には、もう陛下お一人ではどうしようもない数の差ができていると思います。よろしいのですか?」
「ああ、私はそういう一本筋の通った者は嫌いじゃない。やれる自信があるならやってみたまえ。楽しみに待とう」
魔王自身魔王という地位にはさほど執着も無いので、自分より立派に果たせそうな者がそれを望むなら笑って退く位のつもりではあった。
元々、望んでついた地位ではないのも大きいのかもしれないが。
「……本当に良く解らない人ですね。まあ、ラミア様と並んで働けるというなら、悪い気はしませんが」
ラミアが好きすぎる娘だった。ウィッチもそうだが、ラミアにはたまに熱狂的な信者がいるから油断ならない。
「まあ、文官として働く気があるなら、少なからずラミアと関わる事はあるよ。好きなのかね?」
「好きというか、尊敬していますよ。魔界の女性はもう少しラミア様を崇拝してもいいはずです。だってあの方のおかげで不当な差別がほとんどないもの」
「差別なあ」
「女性っていうだけで出世できないとか、女は結婚して子供を産むものだとか、そういう考え。ラミア様が魔界のNo.2だから全部反論できちゃいます」

 アルルの言う事はある意味では正しいのだが、逆にラミアはその高い地位に居る事で差別的な思想の者から顰蹙を買い易く、敵が非常に多いのも事実であった。
それでも、そんな政敵の悉くを策謀と実力で蹴散らしてきたのがラミアという女であり、その点に関しては評価している者は少なくない。
少なくとも四天王の残り三人は三人ともラミアの言葉には耳を貸すし、軍部のほぼ全てはラミアが握っている。

 何より、代々の魔王の側近という地位が非常に大きい。
今代はともかく、先代までの魔王はそのほとんどが魔界最強の猛者ばかりである。
ラミアには従いたくなくとも、ラミアが言葉頭に「陛下が」とつければ、逆らった瞬間反魔王の烙印を押される。
当然、魔王に逆らった者の行く末は死あるのみである。多くはむごたらしく殺された。
こうしてラミアが自分の敵の屍の山の上に築いた『魔王の側近』という地位は、今代においても絶大なる威力を発揮している。

「実物は、案外それほどすごくは感じないものだがなあ」
しかし、実際その側近を間近で見ると、意外なほどにドジというか、結構馬鹿っぽい事を平然とやっていたりするのだ。
パン一つ落としただけで涙目になったり熱中症になって水場にぷかぷか浮かんでいたりと、心強いと思うよりは頼りないと感じる事のほうが多い、というのが魔王の実直な感想であった。
「そんな事無いですよ。好きなことには一生懸命ですから。むしろ好感が持てます」
それが役に立つ方向性に向いている時はとてもすごいのだが、ハーレム関係の暴走は眼も当てられないことになっている事もあり、それも状況によりけりだと魔王は思う。
「……まあ、君がラミア好きなのは解った。とりあえず話は通しておくから、明日からそのラミアと話し合って、内政担当として入ってくれたまえ」
「そ、そんな、初日からラミア様とお話が……? ズボンなんて履いてる場合じゃないわ。最上級のドレスを着ておめかししないと」
魔王の言葉に俄然やる気が湧いたらしく、アルルはすっかりノリノリになっていた。
「……いや、まあ、職務に差し障りの無い程度の装飾で頼むよ」
ひらひらとしたドレス姿で城内を駆け回られても困るので、一応釘を刺していた。
「はい、お任せ下さい!! 必ずやラミア様の役に立ちます!!」
「私の役に立ってくれ」
ツッコミが入ったのは言うまでも無い。

 こうして、翌日からアルルは魔王城の政務担当官として配置され、軍務に専念したいラミアの意向もあってか、内政全般を任せられる事となった。
悪魔王は我が娘の出世と更正を喜び魔王に感謝したが、自分が娘から疎ましがられていた事には気づかないままであった。
子の心親知らずである。
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