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3章 約束

#5-3.最終兵器ゴーレム

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 コツ、コツ、と城の牢獄を歩く。
後ろにはアリスと、本日誘拐してきたエレナという人間の女司教。
程なくして牢獄を出ると、そこは緑豊かな庭であった。
夏の日差しを感じさせる鋭い光に、エレナは一瞬、顔を手で遮った。
「やあ、いい天気だ。今年も暑くなる」
暢気な事を言いながら、魔王はどんどんと前に歩いていく。
「あ、あの……質問をしても、よろしいでしょうか?」
エレナはその場に立ち止まり、魔王に許しを請う。
「構わんよ。何かね?」
魔王はやはり振り向かず、その場に立ち止まる事でそれを許した。
「私は、貴方達魔族から見て敵のはずです……セレッタを牢に入れたのに、何故私は――」
「君は、我ら魔王軍の捕虜になった者が、どういった生活をしていたか知っているかね?」
最後まで言うまでもなく、魔王は明確な答えを返していた。
「……森のような所に作られた集落に連れて行かれると。そこには、同じように捕虜になった人間がいると聞きました」
「その通りだ。私の政策は、相応に効果を発揮しているらしいな」
人間世界にも一定量広まっているそれら情報は、魔王にとっても都合よく作用しているらしく、魔王の声は弾んでいた。
「ほとんどの場合、我が軍に捕らえられた人間は、捕虜のみで集められた村に送られ、人間側の国家との交渉によって帰されるその時まで、安全に暮らせる保障をしている」
森の周辺はエルフの集落が取り囲んでおり、人間に対し差別的な感情を持っている魔族や魔物から襲われる心配もない。
魔界においては、人間達にとってこれ以上無い安全な環境であった。
「あのセレッタとかいう男は、捕虜の中に放り込んでも善くない事を企みそうだから牢に入れたが。君に関しては、その捕虜達の集落で暮らしてもらう事になっている」
「では、私も人質返還の交渉次第で、人間世界に戻れると……?」
「さて、どうだろうね。私の部下次第だが。ともあれ、君にはしばらく、その村で聖職者としての職務を全うしてもらおうと思う」
肝心な所は濁し、魔王は顔だけエレナに向け、にかりと笑った。
「安全と自然環境である程度心落ち着けるはずだが、やはり捕虜というのは精神状態に善くない影響を与えるらしいからね。君達の持つ宗教的思想とやらで、彼らの不安を取り除いてやってくれたまえ」
魔王が彼女に求めて居るのは、森で暮らす捕虜達の精神安定剤たる事であった。
「私が、逃亡を図ったり、捕虜達を扇動するとは思わないのですか?」
「思わんね。君に何のメリットも無い。今必死になって人間世界に戻っても、君には居場所そのものが存在しない。捕らえられ、今度こそ処刑されるかね? それは馬鹿馬鹿しいと思うが」

 エレナは、はっきりと言い切るこの男に、心底叶わないと思い知らされていた。
目の前のこの魔王は、エレナの置かれていた状況全てを把握していたのだ。
間も無く捕らえられるであろうと覚悟していた時に誘拐され、今こうして話してなどいるが、本来ならば今頃は忌々しきデフ大司教に捕らえられ、拷問なり処刑なりされて惨めな事になっていたはずである。
仮に今人間世界に戻り、自らの潔白を証明しようとしても、今の彼女はただの逃亡犯である。
恐らくは魔王の言うとおり、地位も名誉も居場所すらも残っていないに違いなかった。

「聖人よ、清らかに生きたまえ。君が自身を正しいと思うのならば、まずは目の前で困っている者を救うのが、その正しき在り様なのではないかね?」
事もあろうに、魔王が説くのだ。聖人の在り方を。宗教の正しき道を。
「それは、ものすごく腹立たしい言われようですわ。屈辱ですわ」
一番言われたくない相手である。そもそも、人間と魔族の戦いによって人々は心を病むのだ。
平和な世界ならば皆が幸せに笑っていられるはずだと考えるエレナは、この戦争を扇動した魔王にこそその責任があると思っていた。
「ふふ、まるで私一人が戦争犯罪人のようだ。違うぞ? 戦争など、遥か昔から始まっていたのだ。何億年もの過去の魔王と人間に、その責任はある」
魔王は、道化のように笑って見せた。エレナのその怒りが、下らない感傷であるとでも言いたげに。
「いや、あるいは、責任など誰にも無いのかも知れん。この世界が、そういう世界なのだという前提で創られているなら、我らの戦いは、必然として起こったものなのかもしれんなあ」
それがどこまで正しくどこからが的外れなのか。
エレナはおろか、魔王自身にも良く解らず、だからこそ、その疑問はエレナの深い部分に突き刺さった。
「……何が言いたいのですか?」
「人と魔族の争いなど、広い見方をすれば、存外下らない理由で成り立っているのかも知れん、と悪戯に思ったまでだよ」
にや、と悪戯じみて笑いながら、魔王は再び背を向け、歩き出した。

 その後、魔王直々に案内されて連れてこられた森の集落で、エレナは聖人として人々の心の苦しみを癒す役目を受けることとなった。
心の拠り所を失いかけていた集落の捕虜達は、忘れて久しい神への信仰によって乾いた心が癒されていくのを感じ、そう経たずにエレナは人々に崇められ、彼らの宗教の教祖へと祀り上げられていった。
清廉を善しとするエレナの思想は、実際問題ある物で為すしかない集落での生活においては実に的を得たものであり、集落で暮らす者達には自然と受け入れられていったのだ。


 それから一週間ほど経ち、リダ陸海諸島部に陣取っていた魔王軍南部方面軍は、想定外の強敵と遭遇し、後退を余儀なくされる。
皮肉な事に、二人の誘拐を企てた直後、かねてよりエルフィルシアで研究が行われていた新技術『ゴーレム製造術』が完成し、これによって鉱物の巨兵『ゴーレム』が誕生してしまった。
ゴーレムは完全なる無機物で構成されており、操作権を持つ者の意思がそのまま反映されて動くようになっていた。
それ単体では物理的な存在の為に亡魔を滅する事は出来ないのだが、このゴーレムの内部に魔法使いが搭乗する事により魔法を扱う事が可能となっている。
何よりその巨体による破壊力と全身鉱物という防御力の高さ、パーツのいずれかが欠損しても関係なく動くという、言わば『人間版ドール・マスター』とも言える戦力であり、上位吸血族ならまだしも、南部方面軍の中核となっている下級吸血族やゾンビ、グール、亡魔では相手にもならないという有様であった。

 また、構成する鉱物によって性質が変わるらしく、例えばミスリル製のゴーレムは魔法攻撃が使えない代わりに相手からの魔法攻撃も一切通さず、ガーネット結晶石製のゴーレムは魔法出力が大幅に上昇するなどの特徴があった。
その代わりに製造コストもすさまじいものとなるが、元々宗教によって多額の寄付を集めていたエルフィルシアの財力は底なしと言っても過言ではなく、この『最終兵器』を金にものを言わせて短期間で大量生産し、前線に一気に投入した事により、南部方面軍の敗北は決定的なものとなってしまっていた。

 幸いにして、南部方面軍の大半は実体の無いバブル戦力の為、その損害そのものは魔王軍にとって何の痛みも無かったが、軍団単位では対人最強と思われていた吸血族中心の軍団が完全敗北したという事実は、ラミア含め、魔王軍の主要幹部の間に新たな脅威を感じさせるに十分足りうるものであった。
キメラによって経済的・軍事的圧迫を受け、ギリギリのラインまで追い詰められていた南部諸国であったが、今回の大勝によりその勢力をにわかに取り戻し、人類圏におけるパワーバランスも、ゴーレムという最終兵器を手にした事によって完全に覆した形となった。
これにより、南部と西部の一部に限られていた神への信仰が息を吹き返し、時代の流れに乗り遅れそうになっている中央諸国も、その在り方、大帝国に従い無神論を通す事への疑心を感じ始めていた。
これも全て魔王の想定した事か、それとも全く想定外の事態なのかは誰にも解らず、世界はただ、新たな混沌へと突き進もうとしていた。
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