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3章 約束

#10-1.偽手紙作戦

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 間も無く冬になろうという頃の事である。
中央諸国連合軍と魔王軍中央方面軍との対峙は、ティティ湖を挟んでのにらみ合いのまま、長丁場の様相を呈していた。
戦闘は、小部隊同士の作戦展開中に起こる遭遇戦が最も多くなり、それによって自然、双方の敷いた防衛ラインが地図上に浮かび上がるようになっていった。
連合軍の最大人数の四万人の内、実質本隊の作戦に回れるのは二万で、一万は要衝たるクノーヘン要塞詰め、残り一万の大半はヘレナ他、戦地の後方に位置する街や集落に分散してしまっている。
戦力の集中を図り敵主力を一気に追い詰める事も可能だが、これをやった場合一極集中で後方の街や村が襲われた際に目も当てられない事になってしまうので、割かざるを得ない状況であった。

 今回の戦いでの特徴的なところは、魔族側の本隊の数が明らかに少ないにも関わらず、人間側が人的損失を嫌がり本格的な攻撃を仕掛けない事にある。
敵の方面軍を丸ごと一掃できるかもしれない状況下において、しかしそれは多くの国にとって本意ではなく、それが故決定的な攻撃に踏み出せないまま、無為に時間が流れていった。
戦争に対し懐疑的な目を向ける市民が増える昨今では、連合軍もリスクにがんじがらめにされている有様で、折角優秀な司令官がついたのに、かつてのようには活かせなくなってしまっていた。

 魔王軍はと言うと、数的な不利は承知の上で、予定の日付までの間、わずかなりとも時間を稼げとの指示を受け、新司令官のグレゴリー他方面軍上層部は、少ない手札をいかに有効活用するかに腐心していた。
一見難題とも言える命令ではあるが、精鋭揃いの部隊が多く、勝てと言われれば不可能に等しくとも、負けるなと言われれば存外それは不可能ではないライン設定であり、実際今まで見事に人間の軍勢を牽制し続けていた。
定期的にヘレナ周辺まで威力偵察をさせたり、いざという時の為にクノーヘン要塞の警戒には当たらせているものの、敵の本隊が動くでもなければ実質指示通りこなせていると言える状況で、比較的上層部の表情は明るかった。


「グレゴリー司令、ラミア様から命令よ。敵の本隊から分遣隊が派遣されているから、その目的を把握し、状況次第では撃滅せよ、と」
本陣には司令官となったグレゴリーと、そのお目付けとして派遣された赤いとんがり帽子のウィッチ、そしてグレゴリーの腹心ダルガジャが今後の展開について話し合っていた。
まずはラミアからの指示を伝えるウィッチだが、グレゴリーは抜かりなしとばかりに静かに笑った。
「敵の分遣隊に関してはあらかじめ放った偵察部隊が既に察知しております。移動方向からして、敵が新たに設定した補給集積地の防衛の為の部隊らしいですが、この集積地には既に襲撃部隊を手配済みです」
「対応が早いわね。それにしても補給集積地なんて……よく察知できたわね?」
思いの外状況が進んでいた事にウィッチは驚かされていた。
「これまで敵の集積地となっていた場所の防衛部隊の数が減っていましたからね。『これはどこか別の場所に移したかもしれん』と思い、それとなく地図上の戦闘が全く起きてない地域を偵察させたのですよ」
それで実際に見つけられたのだから、大した洞察力である。
「驚いたわ。前線において、そんな兆候があるなんて」
その高圧的な態度から前線の兵や指揮官には高飛車とも陰口が叩かれるウィッチだが、これには素直に感心せざるを得なかった。
「防備を固めた後の集積地は攻撃が困難ですから、そうなったら攻撃せず、遠巻きに監視するのです。そうすると、いろんなことが解るのですよ。敵兵の士気が高い時期なんかも解ります」
「なにそれ? どういう事?」
マメ知識的なものの気配を感じ、ウィッチは耳をピクリと動かした。
グレゴリーも、自分の言葉に耳を傾けてくれるウィッチに、嬉しそうに話を続ける。
「人間達はどうやら、定期的に故郷の一族の者や恋人から手紙等が届くらしいのです。人間達にとって、それは非常に大切なものらしいのですよ」
「ふぅん……変なの。手紙一つで士気が上がるものなの?」
「私達魔族はそうは感じないでしょうが、人間にとってはモチベーション維持に欠かせないのかもしれませんね。内容は、実にくだらないものが多いのですが」

 その多くは自分達の近況を伝えたり、送った相手に会いたい、戻ってきて欲しいと言った懇願、その他兵士に対しての気遣いや激励など、他愛もないものばかりである。
人間的には絶大な効果を誇るメンタルケアなのだが、魔族的には「だからどうした」程度のくだらない物にしか映らず、前線の魔族にとっては、人間という生き物の不可解さが良く解る一面とも感じられていた。

「たまに鹵獲ろかくした敵の補給物資の中に混じってるのですが、奴ら、食料や他の物資よりもその手紙などが入った馬車を優先して守ろうとするのです。よほど大切なんでしょうな」
「良く解らない生き物ねぇ。そんな紙切れ一つでおなかが膨れるでもないでしょうに」
面白い人間の習性ではあるものの、訳が解らない、とばかりにウィッチは両手を振り振り、溜息をついた。
しかし、すぐに何かピンときたのか、ウィッチは眼を輝かせ微笑む。
「……どうかなさいましたか?」
「いい事思いついたの。ちょっとラミア様に打診してくるわ」
「はあ……」
言いながら立ち上がり、ニマニマと笑いながら場を後にするウィッチ。
後に残ったグレゴリーとダルガジャは、顔を見合わせ「上級魔族様の考える事も良く解らんなあ」と苦笑していた。


 後日、ラミアから作戦実行の許可を得たウィッチは、その思い付きを実行に移した。
人間に化けた魔族数名を後方の街に紛れ込ませ、戦地へ送る物資が各街や村落から集積されるタイミングを狙ってそこに集められた手紙をすり替えたのだ。
勿論全ての手紙ではなく、適当に選別した手紙五百枚程を、非常に地道ながら偽造して、その内容を実にネガティヴなものに書き換えさせた。
食料などは毒が混じっていないか必ず検査が入るが、手紙に関しては特別検閲もされず、これらは素通りして戦地の兵の元に届いてしまう。
いつもどおり家族が元気に暮らしているだの、愛する妻の激励の言葉だのを見ようとした兵士達は、そこに書かれている内容に絶望した。

 例えば、子供が突然の病気で死んでしまったという手紙。
例えば、愛する妻からの、別の男が出来たので別れて欲しいという手紙。
例えば、故郷の村が賊に襲われ壊滅したという手紙。

 ウィッチの目論見はうまく当たり、人間側の現場の兵隊達の士気は大いに下がっていった。
読んでしまった兵は、状況に絶望し、時には除隊を願い出たり、自暴自棄の余り自殺してしまう者まで出てくる始末であった。
また、偽手紙を取らなかった兵士達にも、『もしかしたら自分達もそうなるかもしれない』という不穏な空気が流れ始め、幸せな者と不幸な者とで対立が起きたりと、軍全体の規律問題にまで発展する事態に陥っていく。
人間達にとっての戦地のメンタルケアはこれによって破壊され、小部隊単位での作戦遂行率にも大いに影響が出てしまう。

 損失0で人間の軍勢を内部から崩壊に追い込むこの『偽手紙作戦』は、人間側がそうだと気づくまでの長期間、猛威を振るい続けた。
今回の戦いでは、水面下でのこういった作戦展開も数多く遂行されており、これによって数に勝る人間側の軍勢を内部から混乱させ、足止めし続けていた。
諜報に勝る魔族の利点を最大限に活かした事例の一つであった。
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