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4章 死する英傑

#9-1.オーク族の集落へ

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 魔族世界極南部・緑生い茂る原生の森。
妖しげな野鳥の鳴き声がいたる所から響き、草揺さぶりの音がそこかしこで聞こえる。
赤いハエのような虫が無数に飛び回り、小さな羽虫の群れを食い破っていく。
なんともおどろおどろしい、エルヒライゼンとは違った魔境がそこにあった。

 そんな森の中、漆黒の外套を羽織った魔王は、浅黄色の防寒マントを纏った人形と共に道なき道を進んでいた。
「こんな森の中に住んでるなんて、オーク族というのは変わり者なのですねぇ」
間延びした声。アリスと同じ位の背丈、似たような顔立ち。髪の色は深いガーネットカラー。
エリーセルやアリスとは違い、装飾の少ない、大人しめのシックな服装をまとったノアールが、今の魔王の隣を独占していた。
「オーク族は何より戦闘を好む。そして、その戦闘時において最大限に力を発揮できるように鍛える為、彼らは日常においても自らを厳しい環境に置きたがるのだ」
「だからってこんな森の中に住む事もないでしょうに……ストイックな種族なのですねぇ」
魔王の説明に、ノアールはやや大げさに驚いた様子で目をぱちくりさせ、ゆっくりと口元に手をおいていた。可愛らしい。

 この森。季節はもう冬だというのに、草木は枯れるどころかむしろ荒々しく茂るほどで、虫も動物も活発に動き回っている様子が窺える。
水場は分厚く凍て付き、魔王らが上を歩いてもヒビすら入らないほどなのだが、そんな寒さも関係無しに、水場の魚達は泳いで回っていた。
極寒の寒さの中ながら、この地域の動植物はこれに耐え、栄華を極めている。
オーク族もその例に漏れず、寒さに耐性の無い種族なら凍死も有りうるこの極限世界の中、逞しく集落を作り生活しているのだという。

「もうすぐ到着するはずだ。原生の森と聞いたから得体の知れん魔獣でも襲いかかってくるのではないかと思ったが、思いの外この森の生き物は大人しいようだね」
「そうですわねぇ。まあ、平和で何よりですわぁ」
そこかしこから聞こえる獣の唸り声などは、今にも魔王達に襲わんとしているかのように感じられたが、実際にはテリトリーに入り込んだ異物に対して警告を放っていただけで、必要以上に近づかなければ襲うつもりもないらしかった。

「さあ、ついたぞ」
時刻は昼過ぎだろうか。魔王が軽く空腹感を感じ始めた辺りで、集落の入り口らしき場所に辿り着く。
アーチ状の入り口にはオーク族の集落を示す髑髏のオブジェが二つ。左右に飾られていた。
「……なんか、すごいですわねぇ」
それがとても悪趣味に見えたのか。ノアールは気分悪そうに口元をマントの袖で押さえる。
「まあ、彼ら基準で勇ましい集落の入り口なのだろう」
亜人の趣味は魔族には理解が難しい。
人間ほど複雑ではないにしろ、やはり異種族、それも近年まで敵対していた相手である。
その文化についても、計り知れない部分は多い。
「さて、用件もある。さっさと入らせてもらおうか」
言いながら、魔王が一歩、集落の入り口に近づく。

「……待ってもらおうか」

 すると、それまでどこにいたのか、巨大なオークが二人、魔王らの前に立ちはだかった。
いや、彼ら基準では標準的なのかもしれない。魔王よりやや高い程度の背丈しかないのだから。
その標準的なオーク二人は、鉄の鎧とヘルム。
そして巨大な鉄剣を装備し、構えている。なんとも前時代的な武装であった。
「警戒されているのか。困ったな」
魔王が来るのは事前通知も何もなしにである。毎度ながら、突然その場に現れるのが今代の魔王という人であった。
神出鬼没。とても気まぐれ。その行動は多くの者にとって予想外この上ない。
当然、彼らにも魔王が訪れる事など知らされていないはずで、彼らの目には、魔王らは未知の侵入者のように感じられたに違いない。
「何者だ。ここは我らがオーク族の集落。迂闊に近づけば、その命、貰い受ける事になるが」
「それとも、我らを倒し、武威を示して集落へ入るか? 選ぶが良い、迷い人よ」
どうやら迷い人と思われたらしく、好戦的な彼らが即刻攻撃してこなかったのはそれが故だったらしい。
「待ってくださいまし。こちらの方はぁ――」
ノアールが即座に魔王の前に立ち、説得しようとしていたが、魔王はそれを手で制する。
「……旦那様ぁ?」
「構わんよ。彼らは戦いたがっている。戦士の目をしている。久しぶりの『敵』に、目をギラつかせている」
魔王は笑っていた。口元を歪め、戦士達をみやっていた。
「……ほう!!」
「面白い。我らが心待ちにしていた相手であったらしい。素晴らしいぞ戦士よ。我らが同胞よ!!」

 オークの戦士二人は、待ちかねた『敵』に心躍らせていた。
集落の防衛など、彼らには最も退屈な任務だったのだ。
戦地で暴れ、殺し、殺されたい。それこそが彼らの望みなれば、求めているのは、敵との邂逅。戦いである。

「オークの戦士よ、私は中の勇者に用がある。だからお前達を打ち破り、入らせてもらうぞ」
この意味の無い戦いに、しかし魔王は楽しげであった。
ノアールにはそれが理解できないが、どうやら主が楽しんでいるらしいのでそれでよしと割り切り、腰のベルトから短剣を二本取り出し構える。
「勇者殿は強いぞ。会いたいのならば我ら程度瞬殺してみせろ!!」
「ゆくぞ見知らぬ戦士よ……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」
鍛え抜かれた戦士の雄たけびは、森に大きくこだまする。
鼓膜を突き刺す音の波紋は、魔王らの身体をもびりびりと振るわせた。
強烈な殺意。オークの戦士達は、巨大な剣を振り上げ、魔王らに襲い掛かる。
「ふんっ」
轟音を響かせ風を切る大剣を、魔王はぎりぎりの所でかわす。
最低限の動きで相手の懐に入り込み、一歩大きく踏み込んだ。
「吹き飛べ!!」
腹鎧に打ち込まれた掌底の一撃でズドン、という爆音が響き、巨体が吹き飛ぶ。
「ぐふぁっ」
一人目。集落の入り口に激突し、そのまま気を失った。
「オノレェッ!!」
一瞬硬直した魔王に隙を見たのか、相方のオークが突進する。
「貴方の相手は私ですわ」
背を見せたままの魔王に、ノアールがフォローに入る。
「邪魔するな小娘っ!!」
突進したままの勢いで大剣を振り上げ、下ろす。
「――いやぁっ!!」
耳をつんざくような強い覇声と共に、ガキリ、と金属の乾いた音が鳴り響く。
クロスした短剣で大剣を押さえ込むノアール。
その表情は、歴戦の戦乙女そのままに、気迫と戦気に満ちていた。
「ぐ……このっ!!」
上段から全力で振り下ろしたはずの大剣を、少女人形は耐え切っていた。
この重量差、この物理的な圧迫感、視覚的な威圧感をものともせず、ノアールは戦士に睨みを利かせる。
「この位ならアリス様の剣の方が重いですわねぇ」
余裕の笑みでオークの大剣を押し返し、そのまま飛びかかる。
「ぐっ、バカなっ、この俺がっ――」
体勢を崩したオークが見たのは、ずっとスカート下に隠れていたノアールの膝。
「ごぁっ!?」
真下から繰り出された膝蹴りを顎にまともに喰らい、そのまま倒れこんでしまった。
「……さすがの巨体でも、生物的な弱点を突かれると存外脆いものだなあ」
魔王はその戦いを楽しげに傍観していた。余裕である。
「まあ、正面から切り結んでこれなら不意でも打たれない限りは負けませんわぁ」
彼らは、相手が悪すぎた。勇敢なオークの戦士とはいえ、この二人相手では勝負にもならなかった。
二人としては、解りきった未来であった。
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