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4章 死する英傑

#10-3.歪んだ記憶

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「どうしたものかしらね、これ――」
それからしばらくが経過した。
黒竜姫は結局身動き取れずにその場に座り込んでしまい、足腰が立つまでの間、休息を取る事にしていた。
幸い椅子代わりになる侍女が転がっており、丁度良いサイズだった為に活用している。
「それにしても暗いわね。人間のお城って、こんなに暗いものなのかしら……?」
理解できない。侍女の持ってきた灯りを使って見る限り、回廊の壁にはところどころ燭台しょくだいのようなものが備え付けられている。
その割に、燭台には蝋燭が付けられておらず、結果城全体が暗くなっているのだ。
何故こんな不便な事をしているのか。何にしても、面倒この上なかった。
紛れ込むには楽でも、何かを探すには向かないのだ。
「別に暗いのが怖い訳じゃないけど、目標を見つける前に大事になったら困るのに――」
今はもうクタクタで、あまり人前に出せるような顔じゃない為、できるだけ速やかに目的を達成し、帰ってしまいたかったのだ。
一応、血まみれになってる部分はハンカチーフで拭き取りはしたが、到る所から鈍痛が響き、色々と洒落になってない事には気付いていた。
それでも、女勇者くらいなら殺せるだろうと思い、黒竜姫は立ち上がるタイミングを見計らっていた。

 やがて、またコツ、コツ、と靴音が聞こえてくるのに気付く。
(……まさか、こういう奴がまだ何人もいるんじゃないでしょうね……?)
結局この侍女が何者なのか解らずじまいのままで、そんな恐怖が黒竜姫の頬に汗を流させていた。
「ラズベリィ? どこに行ったのですか? ラズベリィ?」
か弱げな、やや震えた声のその主は、侍女の時よりも静かに、ゆっくりと近づいてきていた。
「ラズベリィ、居るのなら出てきてください。私を……一人にしないで」
やがて角を曲がってきたその娘の前に、黒竜姫は即座に躍り出た。
「えっ――」
「ちょっと、貴方――」
「っ――きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
耳をつんざくような乙女の悲鳴だった。
突然目の前に現れた背の高い人影。それは、彼女にとって恐怖以外の何物でもなかった。
そのまま悲鳴をあげられては困ると、黒竜姫はすぐに相手の口を押さえようとしていた。

「……そんな」

――していたのだが、出来なかった。
カンテラのぼんやりと光る灯り。黒竜姫の前には、見知った顔の娘が立っていた。
呆然と立ち尽くしていた。
叫ばれて厄介な事になったはずなのに、黒竜姫は何もアクションを取れず、ただただ、娘の顔を見ていた。
「あなた、一体――」
「やぁっ、こ、こないでっ!!」
娘は既にパニックに陥っているらしく、金切り声で叫びながら壁際に逃げようとする。
その腕を、黒竜姫は反射的に掴んでしまう。
「ひっ、いやぁっ」
「なんで……?」
そして、自分の前に引きずり込む。目と目が合う。色の薄い瞳。年端もいかない少女のようなあどけない顔立ち。
そして、自分を見て恐怖に怯えるその様に、黒竜姫は苛立っていた。
「なんで貴方がここにいるのよ!?」
怒声に近いそれが、目の前の少女に向けられていた。
「あ、あのっ、ごめんなさっ――」
「なんで貴方が……死んだはずじゃ――えっ?」
何故怒られたのか解らない少女は、涙目になりながら謝ろうとする。
しかしそんなものは黒竜姫に関係なく、目の前の少女に、思考が乱れていってしまう。
「どういう事……? だって……あの人はこんな外見じゃ……でも――」
目を見開き、身体を震わせ。そして、激しい頭痛に、頭を抱えてしまう。
「くっ――こんな……こんな事……なんなのこれは――どうして私は……」
「あ、あのっ……?」
突然の事に、逆に冷静さを取り戻してしまった少女は、目の前で頭を抱え始めた黒竜姫を心配そうに見上げていた。

「貴方は死んだはずなのに……死んでしまったはずなのに、なんでこんな所にいるのよ!?」

黒竜姫の叫びが、回廊をこだましていた。
「……えっ?」
「……思い出した。ずっとずっと引っかかってた『何か』。ずっと忘れてた、子供の頃の事。やっと思い出せた。こんな時に、こんな時だっていうのに!!」
少女から見たら、黒竜姫はどのように映っていただろうか。
可哀想な女に見えたかもしれない。何か心の病にかかっているのかもしれないと思えたのかもしれない。
だからか、少女は黒竜姫に、それ以上怯える事はしなかった。というより、それどころではなくなった。
そうして心に余裕が生まれ、柱の陰に倒れている『ソレ』に気付いたのだ。
「ラズベリィッ!?」
それは、彼女の侍女であった。大切な信頼の置けるパートナーであった。
それが、口から血を流し倒れている。
見れば、自分の目の前の女性も血まみれで……まるで、これでは――
「どうして……どうしてこんな事を――ラズベリィが一体何をしたというのですかっ!?」
怖くて震えながら、それでも、少女は、皇女トルテは、自分の侍女を襲ったと思しき黒竜姫を睨みつけていた。
「あっ――」
キッと睨みつけるそれは、黒竜姫には見慣れたものであった。
そして何より、怖いものであった。
黒竜姫は身を震わせた。目の前のこの女は、決して怒らせてはいけないのだ、と。
「う……くっ!!」
そう、解っていたのだ。だから、黒竜姫は逃げた。
「あっ、ちょっと待ちなさいっ、ここは三階――」
止める声も聞かず一目散に。
プライドも何も無く、窓を突き破って飛び降り、逃げ出したのだった。


「ラズベリィッ、ラズベリィ、しっかりしてください!!」
後に残ったのは、皇女トルテと、その侍女ラズベリィだけであった。
不審者が飛び降りた事などそれ以上気にもせず、トルテは侍女に駆け寄り、必死になって声をかけ、身体を揺する。
「ラズベリィッ!!」
「――うぅ……」
呼びかけの甲斐あってか、侍女はようやくにして意識を取り戻した。
「ぐぅ……姫様? 何故――ごほっ、ごほっ――」
頭を振りながら立ち上がろうとする侍女だが、激しく咳き込み、またバランスを崩す。
「大丈夫ですか? すぐにお医者様を呼びますわ。ここで待っていてください」
とりあえず無事らしい事に安堵したトルテは、わずかばかり冷静さを取り戻した様子で、ラズベリィに肩を貸した。
「いえ……私は大丈夫ですわ。それより、姫様はご無事で……?」
「え? えぇ、変な女性に襲われて……だけど、気迫で追い返しましたわ」
やりました、と、ちょっとだけ自慢げに腕を曲げる。哀しい事に細い腕には全く筋肉がついていなかった。
「……気迫で。そう、ですか……」
頭を押さえながらなんとか立ち、大きく溜息。侍女は困り果てていた。
「ラズベリィ……?」
「いえ、私もまだまだだなあ、と。姫様をお守りする私が、姫様に助けられるなど」
「そんな事を言わないで下さい。すごく強そうな方だったもの、こんな暗がりでは、仕方ないわ」
侍女の実力など微塵も知らないトルテは、やんわりと微笑みながら、侍女の背中をさする。
「とにかく、大丈夫ですわ。それより心配なのは、エリーシャ様や陛下、それにシフォン様ご夫妻ではないでしょうか?」
「そうですわね。私の声で衛兵が来てくれると良いのですが、何故このように暗いのか――」
「先ほどの女といい、何者かの意図を感じますわ。姫様、どうぞご注意を」
突然暗くなった城内に、実にタイミングより現れた侵入者。
何かがあると思って良いと、ラズベリィはそう考えたのだ。
「解りました。とにかく、今は衛兵が来るまで待ちましょう。貴方も顔色が悪いもの。誰かに運んでもらわないと」
「そうですね……無理に動くと危険ですしね」
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