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5章 『勇者に勝ってしまった魔王』のその後

#11-2.空白の歴史-カルバーン-2

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 カルバーンは、自分の母が魔王であったことを知っていた。
実に多才で賢く、そして強力な魔王であると、母の側近であり教育係であった『蛇女のなんとか』から聞いていた。
実際、たくさんの魔法を知っていて、たくさんの事を自分の姉に教えているらしかった。
少女は逃亡の末、いつしかそんな母に成り代わり、新しい魔王が戴冠したらしいことを風の噂に聞く。
新たな魔王の名は『ドール・マスター』。人形遣いの意である。
カルバーンは、すぐさまそれが、しばしば人形を抱えながら登城してきた、あの半笑いの中年男だと気づいた。
母を殺し、その魔力を奪った憎き男が、今は魔王として魔族を統べ、人間世界に侵略している。
それはまるで、逃げた自分を追い始めたのではないかと思えるほどに、迅速に。
魔王は、侵略戦争を再開したのだ。

 だから、彼女は思ったのだ。
魔王を、あの憎き男を殺さなくてはいけない、と。
人間世界の平穏の為そうなるというのはあくまで彼女個人の想像、ともすれば妄想に過ぎないが、自分の平穏の為にも、やはりあの男を殺さなくてはいけないのだと、彼女は強く思い始めた。
それは、強く慕っていた母を奪われたことへの復讐心もあったし、残したままにしてしまった双子の姉が心配なあまり、あせってそう思い込んでしまったのもあった。
カルバーンは、子供の頃から自分の考え優先で動いてしまう性質が強く、それが為一度行動に走ると止まることを知らない。
周りが見えなくなる暴走気質で、挙句力が強くとても賢い為に誰にも手がつけられなくなる。
金髪水色眼の少女が、新興宗教の教祖になるその下地は、この時既に粗方が出来上がっていた。

 金色の竜と出会ったのは本当に偶然であった。
逃げるなら、魔物も魔族も入り込みにくい山奥深くのほうがいいに決まっている、という思い込みによって、カルバーンはディオミスの山頂に逃げ込んだのだ。
世界一高い山の頂ならば、誰にも邪魔されず対魔王の対策を考えられると思ったのだ。
そして、そこに彼は居た。『何故こんなところに?』という驚きの表情をして、金色の竜は、その少女の姿に唖然としていた。
カルバーン自身、彼が自分と全く同族の『黒竜族の白変種』であることは露ほども知らず、まして彼の姿が、竜族が変身した際に取るトカゲ形態であるなどとも知らないまま、『でかいトカゲねぇ』位の気持ちで彼を見ていたのだが。
そんな馬鹿でかいトカゲが人の言葉をしゃべり、名を問うてきた事に酷く驚き、その知性あるトカゲの化け物に、同時に愛着が湧いたりもしていた。

 勝手に彼の元に居ついたカルバーンは、自身の素性を素直に話し、彼と打ち解けていった。
そんなに長い時間はかからない。
時間にして三日ほどで二人の間には不思議な信頼関係のようなモノが生まれていた。
それは、長らくの孤独に耐えかねた金色の竜が、カルバーンの身の上に同情し、幼き日の自分と重ね合わせたからに他ならないのだが、カルバーンはそんな事を知る由もなく。
ただ、父親らしい父親の姿を全く知らないカルバーンは、異性らしきこの巨大な竜族の同胞に、なんとも寄りかかりやすい、一緒に居て落ち着く父性のようなものを感じていた。
ある日、カルバーンが冗談めいて照れながら言ってみた「おとうさん」という言葉が、その後の二人の関係を築き上げていった。

 金色の竜には、名前がなかった。
自分のことは竜族の誰かしらなのだろうと認識してはいたが、ただそれだけで、だから、カルバーンは最初『おじさん』と呼んでいたし、『養父さん』と呼ぶようになってからはそう呼んで済ませていたが、それだけではなんとなしに寂しくもあり、カルバーンは、養父に名前をつけてあげる事にした。
竜族の名前等どうつけるのかもよく分からないカルバーンであったが、彼女なりに苦心した末、『エレイソン』という名がつけられることとなった。
エレイソンとは、魔族の女性に一般的に多くつけられる名前であり、魔族の男性ならば『フリード』だとか『グレゴリー』だとかつけられるのが一般的なものであったが、カルバーンは男の名前をほとんど知らないので女性名を養父につけてしまった。
養父も養父で魔界の常識を何一つ知らない辺境育ちの所為で、その名前が女性名である事も知らず、テレながらも娘のつけてくれた名前を喜び受け入れてしまった。

 本人も知らぬことながら、元々地元民から一定の畏怖と信仰を抱かれていたらしいエレイソンは、それそのものが宗教的なシンボル足りえる存在であった。
世界最強の生物となり、その願いのまま自分の望まぬ限りは決して人目に触れることのなかった彼であったが、それでも寂しくなる事があり、また、人々の『歌』にかすかに記憶に残る懐かしさを感じ、きまぐれに人前に現れることもあった。
そうして、人々の業の深さ、欲深さに失望し、先走った感情のまま殺めてしまう事もあったのだ。
人は、美しい歌を紡げる口を持っているのに、同じ口からなんとも汚らわしい願望を吐き出す。
エレイソンには、それがとても耐えがたく、悲しかった。思い出を穢された気がしてしまったのだ。
そんな彼の心情など人々は知ることもなく、ただ彼の非道を知り、人々は金色の竜への畏怖を強めていく。
エレイソン一人ではただそれだけで終わっていたことだが、人の世を歩いて回ったカルバーンは、そこに一種の宗教を感じていた。
それは、そのまま放置すれば畏怖されるだけで終わる話であったが、上手く利用すれば、自分の目的に近づけるのではないか、という発想の元、彼女に行動を起こさせるに十分な材料であった。

 目立つのを嫌う養父をなんとか説得し、頼み込み、親しみという弱みに付け込んでまでなんとか承服させ、それは組織として運営されることとなった。
養父はシンボルとして。自身はその意を伝える教祖として。
無名のぽっと出の少女が、人々に救いと叡智をもたらす聖女へと変貌した瞬間であった。

 組織運営に関して重要な事がいくつかあった。
一つは資金力。どんな組織も金なしには、物資なしには何もできないという点。
飢えた民をその日一日生かす為の金銭を集めることの難しさ。他者を救う為に必要な物資のいかに多いことか。
一つは政治力。どんな正しいことを言っていても、政治的な駆け引きができないではまとまるものもまとまらない。
いつかは国という障害にぶつかり、行き詰ってしまう。
一つは求心力。どんなにやりたい事があっても、人々が信じて従ってくれなければ、それは実行できない夢物語に過ぎない。
夢は、実現できなければただの妄想であり、その妄想をいかに人々に信じさせるかが、物事の成功の鍵であった。

 それらすべてをまかないうる魔法が一つあった。
軍事力という魔法である。それ一つあれば、それ欲しさに国は擦り寄ってくる。
国をパトロンとすることによって、資金繰りがよくなる。
当然、救える民衆の数も段違いになり、同時に国を味方につけることで政治力を持つ事が出来るようにもなった。
国を通して民衆はその宗教組織の存在を知り、やがてそれは教徒の増員、信仰の広がりに直結する。
まこと、新興宗教組織には軍事力の強化という奇跡の安売りは至玉の商品であり、これが軍事力を安価で強化したい北部諸国の事情と見事に当たり、新興宗教『聖竜の揺り篭』は一大宗教組織として世界に名を広めることとなった。

 だというのに。世界は彼女に優しくなかった。
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