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6章 時に囚われた皇女

#6-4.王女ミーシャの受難1

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 同日、魔王城にて。
人間達との会談に向け、ある程度の草案や進行スケジュール等が形になってきはじめ、あわただしいながらも、城内は次のステップへと移行し始めていた。
それは、人間達との接し方の模索である。
魔族とは、さまざまな種族がおり、当然外見も種族別に多種多様である。
魔王やウィッチ族、魔女族のように外見的に人と全く違いがない種族もいるにはいるが、それはどちらかといえば少数派で、顔や体型は近くとも角や翼が生えていたり、下半身が巨大な蛇だったり、爬虫類や両生類の顔をしていたりするのだ。
中には物質としての肉体を持ち合わせていない者や、液状化していて定形を持ち合わせない者までいる。
人質として捕らえた人間達の反応を見る限り、これら人間と外見の異なる魔族を前にすると、冷静さを保てなくなる者が多数、という実数結果が出ており、ラミアをはじめ、会議に参加する予定の魔族達はこの点を問題視していた。
何より、魔族側も人間とまともに話すのは初めてという者がほとんどであり、元人間であった魔女族や夜魔族などは例外としても、やはりこのあたり、なんとかしなくてはならないというのが上層部の見解であった。

「――という訳でして、なんとかして人間との会談をスムーズにできたら、と思うのですが……」
私室でくつろいでいた魔王の元へラミアがこの話を持ち込んだのは、その日の夜の事であった。
「ふむ、中々難しい問題だな……」
アリスら人形たちの定期メンテナンスをしていた魔王であったが、ラミアの訪問、そしてこの相談に、とりあえずは作業を中断し、真面目そうに考えてみたりもする。
何せ言いだしっぺである。要点こそ部下に丸投げしたものの、ある程度考えるべき所は知恵を出すべきだとは自分でも思っていたのだ。
「アルルは何か言っているのかね?」
机の前の椅子にふんぞり返りながら、魔王はラミアを見上げる。
この問題は、魔王とラミア、そしてアルルの三人でなんとかしていくつもりだったので、とりあえず魔王は内政担当のアルルの意見を気にしてみた。
当然、ラミアなら事前に聞いてあるものと思いながら。
「アルルは、『陛下にお任せすれば良いんじゃないですか』と何か投げやりな感じでふてくされておりましたわ。陛下、何かなさったのですか?」
「まだむくれてるのか……意外と意地っ張りというか、子供っぽい部分もあるというか……まあいい、つまり、君もアルルもお手上げという事だな」
先日の事を未だに気にしてるのかと魔王は苦笑してしまうが、あんまりアルル頼りもよくないだろうと思い、再び考えをめぐらせ始める。

「つまり、人間側も当然ながら、君たちもあまり向こうとは話した事がない、という事が問題な訳だろう?」
「ええ、仰る通りで。もちろん『話すのが怖い』などとチキンな感情に支配されている訳ではございませんが。ただ、なんというか――」
「相手の反応が分からないと、話を進めにくい、という事か」
「はい。陛下のお望みの展開が、脅迫の末成し遂げられるものではない、とは私も存じておりますので……ただ、いかに怯えさせないようにするか、それが、私たちにはなんとも――」
ラミアも魔王の意を汲み、それに沿った行動を取ってくれようと考えているようなのだが、ここにきて種族の違いが大きな壁となっていた。
戦争行動に関しての人間のパターンは熟知しているラミアであるが、それが自分と相対し会談する、などというのは、全くの初体験なのだろう。
魔界きっての知恵者であるラミアをして、今回の件にはほとほと苦労させられているらしかった。
「んー……人質にした人間達では、あまり練習にはならないか」
「はい。前もって集落の人間達を集め、レクリエーション的なものを催した事もあるのですが……私の姿を見ただけで泣き出す娘や子供が……」
あれは傷つきましたわ、と、ラミアは思い出し頬に手を当てる。
「まあ、君は一見、かなり迫力があるからな。でかいし、地味に目の色が銀色とかも人間視点では怖いのかもしれん」
「生まれ持っての外見の事を言われると返す言葉もございませんわ……正確には脱皮を繰り返してのものですが」

 蛇女は蛇女という種族名のまま、下半身が蛇となって生まれる種族……ではない。
元々は『オロチ』と呼ばれる巨大な蛇型爬虫類種族の変種であり、オロチとして生まれた女性体の一部が、脱皮を繰り返すごとにこのラミアのように人間の女性状の上半身を獲得していくのだ。
女性体のみがこのような外見になる為、蛇女として種族名を冠せられたが、正確には悪魔族の中のオロチ族の中の変種、というのがラミア達蛇女の明確な種族的扱いである。

 この蛇女であるが、上半身は人間の女性と大差ないが、下半身の蛇部分の長大さはいかんともし難く、その全長は変身状態の竜族を除けば全魔族でもトップクラスの巨体を誇っていた。
更に銀色の眼は心理的に興奮すると紅く染まり、これがまた人間視点で見て不気味この上ないのだ。
見た目から来る『ツワモノ感』は生半可ではなく、出会った勇者などは初見で「これは絶対に人間では勝てないレベルの化け物に違いない」と思い込むのだが、実際はそんな事はなく、本来はとてもおとなしい、軍人よりは文官向きの種族である。

 一応、ラミアも丸裸ではなく、上品な薄緑の衣を纏い、長めのスカートを履いたりしてその下半身が見えないように気遣ってはいるのだが、それでも座高丈は黒竜姫以上の高身長。背の高さからくる威圧感は強かった。
魔族に対して強い恐怖心を抱く人間の一般市民からしてみれば、こんなのが近寄ってきたら半狂乱で泣き叫んでも何ら不思議ではないのだが、この辺り魔王はラミアを不憫だと思ってしまった。

 人間は、今代の魔王を見て魔族と思う者はほとんどいない。
どこかの見知らぬ貴族か金持ち、という印象を抱くのが普通で、たまに不審がられても、それらしく振舞う事で簡単に払拭できてしまうのが常であった。
対して、ラミアなどは誰がどうみても魔族であり、強キャラ臭漂わせる化け物である。
戦えない者からすれば恐怖以外の何者でもなく、戦える者が見てもまずは油断なく睨み付けるような相手であった。
顔が美しいのも余計に悪いのかもしれない。整った顔立ちというのは、恐怖をより彩らせたりする。
つまり、ラミアは不細工であるべきだったのだ。

「よし、ちょっと顔を不細工にしてみるか」
「なんですかその結論は!?」
魔王の、拳に力を溜めながらのあまりに突拍子のない意見に、ラミアは思わず後ずさってしまう。
そのまま背後のドアに激突し、「おぅっ」という間抜けな呻き声。
激突時の音に何事かと視線を向けた二千の人形たちは、それを確認するや、すぐに何事もなかったかのように自分たちのメンテナンスを再開していた。
「いや、君のその顔立ちが変われば、怖さも半減するかなあと」
「陛下、ことは私一人変えてどうにかなる問題ではございませんから……」
顔はやめてください、と、両手で顔をかばいながら指の隙間から見つめてくる。
少しだけ可愛い仕草だな、と、魔王は笑ってしまった。

「んー、そうだなあ。一般市民で無理、というのはよく分かった。だが、よくよく考えれば、今回会談する相手というのは、多くが相手方の皇族や文官、という事になるのだよな?」
馬鹿げた話はここまでになり、魔王は魔王なりに思いついた考えを伝えていく。
「ええ、恐らくは。中には軍人もいるかもしれませんが、政治的な色合いの強い会談である以上、相手は代表者としての皇族や、そのブレインともなる文官が主体となるでしょうね」
「なら、それに近い地位にいる人間……つまり、同じように王族や文官を練習台にしなくてはいけないのではなかろうか?」
「はあ……ですが陛下、一般市民とそれら王族・文官とで、何か違いはあるのでしょうか? 同じように怯えられるだけでは?」
ラミアは、魔王の言わんとしている事の意味が今一解からずにいた。
人間である以上、そして、それが戦慣れしている軍人でもなければ、やはり自分たちを恐れるだけで意味がないのでは、と。
だが、魔王は小さく首を横に振り、「いいや」と続ける。
「そんな事はない。人間は、その地位、立場によって強くもなり弱くもなる。確かに初見では魔族を恐れるかもしれん。だが、市民のように怯えに怯え泣き叫ぶ、というみっともなく映る真似は、あまりしないと思うぞ」
彼らが職務や自らの立ち位置をきちんと理解しているのなら、と付け加え、魔王は笑った。
「やってみるといい。人間の王族と模擬練習だ。きっと君たちには良い経験になるだろう」
「はあ……まあ、陛下がそう仰るのであれば――」
今一納得がいかない様子のラミアであるが、ひとまず主の言葉ならば、と、飲み込んだ。
「少し前に陥落させたショコラの人間がまだいくらか残ってますから、これを使って練習する事に致しますわ」
「うむ。それでいい。私も気が向いたら顔を出そう」
あくまで気が向いたらだが、と、魔王はくるりと椅子を回し、またデスクの方を向く。
「用事は済んだかね? 今のうちにアリスちゃんたちの手入れをやってしまいたいのだ。これから忙しくなるだろうからね」
「……はい。では、これで失礼致しますわ」
話の打ち切りを感じ、ラミアはぺこりと頭を下げ、静かに部屋から去っていった。


 こうして、かつてベルクハイデで権勢を誇っていたショコラ上層部の何人かが、緊急で魔王城に移送される事となった。
事情をまともに聞かされていない彼らは、しかし諦観を以って「いよいよこの時がきたか」と勘違いし、多くの者が無言のまま運命を受け入れたのだが。

「なんで――」
移送途中の馬車の中、甲高い、若い女の声が響き渡る。
「なんで私が魔王城なんかに連れて行かれなきゃいけないのよぉぉっ!!!」
その悲痛な魂の叫びは、しかし、誰に反応されるでもなく。
ただ、売られていく仔牛のように、周囲から無意味な抵抗として聞き流されていた。
旧ショコラ王家第三王女ミーシャの、その旅路の終わりは近かった。
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