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6章 時に囚われた皇女

#10-2.勇者リットルの弟子

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「ベルクハイデが陥落した際、防衛していた宮廷魔術兵団と軍は壊滅し、王族や残った民は魔王軍に捕らえられたと聞いた」
ぽつぽつと語り始めたリットル。その声は力なく、静かであった。
「民については……これまでも人質になって無事帰還した民間人っていうのはいたから、そこはそれほど心配じゃないんだ。だが、魔王軍に捕らえられた王族は、未だかつて、一人だって人間世界に帰還してない――」
「まあ、恐らくは既に死んでるか、あるいは死ぬまで幽閉されてるんでしょうね」
カルバーンも、今代の魔王の時代になってからの魔族世界の内部構造がどのようになっているのかは全く解からないので、これに関してはあくまで想像で考えるしかなかった。
「……やはり、魔族は、捕らえた王族は殺すのか?」
その問いを彼女にするという事。つまり、リットルは、カルバーンが魔族だというのを知っている、という事を示す。
「私のことは?」
「シフォン皇帝から聞いた。あんたが魔族である事、そして、ショコラを陥落させた張本人である『ブラックリリー』とは双子だって事もな」
今度はリットルがカルバーンを睨む番であった。
茶の瞳がカルバーンの水色を睨み続ける。その眼光、まさに戦慣れした武人のそれであった。
「そう……ベルクハイデを陥落させたのはアンナちゃんだったのね……さすがアンナちゃん。ああ、そうと分かってれば私ももっと早くベルクハイデに行ってたのに」
「……姉貴に加勢するためにか?」
「いいえ? 誘拐して手元に置いておく為に」
なんで私がアンナちゃん手伝わなきゃいけないの? と、カルバーンは本気で首をかしげながら不思議そうな顔をしていた。
これにはリットルも毒気を抜かれ、唖然としてしまう。
「……まあ、いいや。俺は、俺の質問に答えてくれればそれで良い」
「なら答えてあげるけど……私は知らないわ。なぜかと言うと、私は魔界を飛び出すまで自分が置かれていた環境を正確に把握できてなかったし、飛び出してから今に至るまで、魔界の内情がどうなったのかなんて微塵も知らないから」
役に立たなくてごめんね、と、眉を下げながら。
カルバーンはあっさりリットルの望みを突き放した。
「そうか。もしかしたらと思ったんだが……」
「でも、なんで今更ショコラのことを?」
「いや、ずっと気にはしてたんだがな。今回、魔族との会談があると話に聞いたから、その辺り、事前に何か情報がつかめたらって」
なんともおしゃべりな皇帝である。
人の口に指を当てておいて、自分がそれをばらしていたら、何のための軟禁なのか分かったものではない。
カルバーンは苦笑してしまった。
「なんで笑う――あ、あんた勘違いしてるだろう。俺は確かに元々はショコラの勇者だが、今ではこの国の所属だ。ついでに言うと、会談に際して、出席者の護衛もかねて列席を命じられてる」
俺は関係者だからな、と、念を押す。
「あらそう。でもリットルさん? 貴方は確か、ショコラを、もっと言うなら宮廷や王族を見限って亡命したんでしょう? 今更王族に興味を持つなんて、やっぱり違和感があるわ」
何か理由でもあるの? と、教主殿はによによと興味深げに下から見つめた。
「確かに俺は王族を見限ったさ。宮廷の連中に良いように扱われて、恥も外聞もなくただ生きてる、プライドだけの奴らだったからな……一人を除いて」
リットルは、そんな教主の態度を気にもかけず、ぽつり、真顔で呟く。
「あら、腐敗したショコラ王家にも、まともなのはいたっていうこと?」
「まともっていうか……腐るほど愚かでもないし、利用されるほどの政治的な地位もないしで、なんというか……奇跡的に普通なままでいられた娘だったんだが」
なんとも歯切れ悪いリットルの調子に、カルバーンは何やら事情アリだと察した。
「婚約者か何か?」
「弟子だよ。魔法のな」
結局最後まで面倒はみてやれなかったが、と、頬をぽりぽり掻きながら付け足す。
「ふぅん。王族と師弟関係ねぇ。その弟子が無事か、師匠としては気になるって事?」
「ありていに言うとな。他の奴らはどうでもいいが、そいつだけは――それなりに長い付き合いな分、見捨て切れなくてなあ」
大きなため息。うなだれるように頭を下げ、がっくりとしていた。

「娘ってことは、王女様なのよね」
「ああ。第三王女のミーシャ姫だ。姫なんて言っても、結構普通の子でな。だから、話しやすくてそれなりに仲良くなった……つもりなんだが」
「惚れてるの?」
「バカ言えよ。十五も歳が離れてるんだぞ。俺はロリコンじゃない」
ちゃかしたつもりでつっついてみたカルバーンであったが、リットルは割と真面目に否定してきた。
軽そうに見えて、案外お堅い性格なのかもしれない。
「まあ、あなたがロリコンかどうかはどうでもいいけど、貴方としては、姫はどうなってるのが望ましい訳?」
カルバーンの指摘に、リットルは顎に手を当てながら考え込む。
やがて、彼なりに答えがまとまったのか、顔を上げた。
「そりゃ、無事ならそれに越したことは無い。きちんと飯を食えて、俺が知っている姫のままでいられる環境であってくれれば、な」
だが、リットルの希望は、あくまで希望でしかないことをカルバーンは承知していた。
敵に捕まり捕虜になった王族が、そんな幸せな捕虜生活を送れているとは到底思えなかったのだ。
「……そうね。一人でも心配してくれる人がいるんだから、王女はきっと、無事だわ」
その帰還を望む師匠がいるのだから。カルバーンは、慈愛を以ってその可能性を受け入れた。
それは、一つの宗教。ありえないものを信じ続けること。
ただの思い込み。ただの自己暗示。それを容認し、受け入れること。
原始的な、小さな信仰であった。
「ありがとう。あんたがそう言ってくれると、それだけでそんな感じがしてくる」
思いつめた様子だったリットルは、教主殿の言葉に安堵したように、かみ締めるように呟く。
それは、少しかすれたものだったが、教主には十分なものだった。
「そう――貴方は、救われたくてここにきたのね」
ようやくにして教主は悟ったのだ。この勇者が何を求め、ここにいるのか。
彼は、自分の迷いを認め、そして未来を信じることを誰かにわかってほしかったのだ。後押しして欲しかったのだろう、と。
「そうなのかもしれん。俺は、一人で考えるのが、抱え込んでいるのが、辛くなったのだ」
わずかばかりの救い。何の意味もないようなその場凌ぎの言葉でも、それでも今は乗り越えられる。
リットルは、緊張していた頬を綻ばせ、小さく頭を下げた。
「邪魔をした。これから会談のための会議があるんだ。俺はそこで、ショコラ王族の解放を、魔族との話し合いに議題として持ち出そうと考えてる」
「あら、良いことだと思うわ。通ると良いわね」
「ああ。ありがとう」
憑き物が落ちたようにさわやかに笑い去っていく勇者の後姿に、教主は苦笑してしまう。
(相談事があるなら最初からそう言えば良いのに)
素直じゃない勇者である。
だが、だからこそ人間くさく、勇者という立場であっても、彼はやはり一個の人間なのだと感じさせてくれていた。
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