上 下
261 / 474
6章 時に囚われた皇女

#11-5.全ては  の思うまま

しおりを挟む

 ぶつん、と映像が切れるような音がし、それですべてが終わる。
こうして上映は終了し、元の世界へ。
無理矢理過去という名の幻影へと沈められた意識は、今度は現実という名のリアルへと無理矢理引き上げられていき、まぶしい元の世界へと追い立てられる。
思い出させられた過去は、しかし思い出すまでもなく彼の心に刻み付けられており、当たり前のように彼の人生の『最も辛い出来事』として居座り続けている。
ヴァルキリーの願いは、しかし呪いのように彼を苦しめ続ける事によって、彼の心に、記憶に深く残ったのだ。
だから、彼は忘れられないでいる。ヴァルキリーという愛しき侍女の存在を。
その思い出を最大限に美化し、その思い出をどこまでも最良のモノと思い込み、彼の勇者ですら隅に追いやって、一番の、最高の、最も愛しき存在へと昇格させていく。
想いは消えない。彼がヴァルキリーを忘れない限り。
彼は忘れない。ヴァルキリーの愛が、彼の傍に在り続ける限り。


「……む」
目が覚めると、そこは知らない空間だった。
「良かった、旦那様、ご無事なようで……」
心配そうに自分を見つめていたアリス。
それから、見覚えのある青い髪の女が一人、視界の端に立っている事に、魔王は気付いた。
「アリスちゃん。それから、レーズン、か……?」
侍女の姿をしていた時とは全く違う外見ながら、その気配の強さは、『魔王』レーズンそのものであった。
「ようやくお目覚めのようね。危なかったわ」
ふう、と大きくため息をつくレーズンに、魔王は立ち上がり、ふらふらと頭をゆする。
「何が起きたんだ……? 私達は、確かシナモンに向かっていたはずだが……」
とても長い夢を見ていたような、そんな感覚に陥る。
何を見ていたかは思い出せないながら、胸がずきずきと痛み、それがあまり良いものではないらしいのは、なんとなく解っていた。
「空間転移中に、無理矢理別次元に転送されたのよ。そのまま意識を奪われて……心を操作されそうになってたわ」
さらっと恐ろしい事を説明してくれるレーズン。魔王は戦慄した。
「なんだそれは? 別次元に転移っていうのもアレだが、意識を奪って心を操作って……」
割と洒落にならない話である。
そのままのんきに夢の中にいたら、知らぬうちにマインドコントロールされていたという事だろうか。
「あの女神の仕業よ。あいつめ、何を企んでるんだか……気をつけなさいよ?」
どうやら元凶ははっきりしているらしく、犯人は例によってあの女神だったらしい。
「……なんだってまた、あいつはそんな事を。意味が解らん」
何の得があってやるんだと思ったが、途端に理由が思いつき、沈黙する。
「まあ、大体は『面白そうだから』じゃないかしらね」
そしてレーズンがご丁寧に説明してくれた。
「だよなあ」
魔王も納得してしまう。ろくでもない女神のろくでもない暇つぶし。そんな程度のものなのだろう、と。


「だが女神も解らんが、君がここにいるのも不思議だぞ。ましてその姿で」
魔王たちにしてみれば、この空間も大いに謎が多く、この場にレーズンがいる事にも違和感を感じずにはいられない。
まさか偶然居合わせたというものでもないだろうし、だとしたら何を理由に今自分たちの前にいるのか、と。
魔王はレーズンに疑惑の視線を向ける。
「私もシナモンに転移しようとしてたのよ。そしたら引きずり込まれた。多分、貴方達の強制転移に巻き込まれたんだと思う」
たまんないわよねぇ、と、レーズンは手を広げ首を振った。
「シナモンになあ……なんだってまた、君が?」
エリーシャの傍に控えていたはずの彼女が、わざわざシナモンに足を運ぶ理由とは何なのか。
魔王もアリスもレーズンに注目した。
「いや……エリーシャ様の人形を、ね。持ってきてって言うから。実家に置いたままだったらしいのよ」
「それは……すごく重要な任務じゃないか。がんばりたまえ」
人形関連はとても大事だった。
「でも人形ってよくわかんないのよねえ。貴方達はわかる?」
「ああ、よく知ってるぞ」
「トリステラはエリーシャさんの一番のお友達ですから。私、よく存じておりますわ」
聞かれて胸を張る人形収集家と人形。レーズンは逆に不安になった。
「……エリーシャ様、人形が一番の友達なの?」
それって寂しくない? と、哀れみを込めて。
「いやいやいや。そんな事ないって。人形が一番の友達でも寂しくないよ!!」
「そうですわ。人形にだって心はあります。傍にいれば人の心を癒せますし!!」
二人とも必死であった。だからこそ余計に、レーズンは不安になっていくのだが。
「ああ、もういいわ。さっさと行きましょ。ほら、空間に穴空けるからさっさと入って」
もう色々と面倒臭くなったレーズンは、さっさと先に進むことにした。
こんなところで足止めを喰らうのもばかばかしいから、と。


「そういえばレーズン」
「あによ?」
まだ何かあるの? とばかりに、かったるそうに顔を向けるレーズン。
「なんで君、侍女の姿じゃなく昔の姿に戻ってるんだ?」
魔王からしてみれば、色々と謎なのだ。
侍女の姿のままなら、エリーシャからの遣いとでも言えば目立たずに目的の品を探せただろうに、わざわざ目立つ姿で村に行こうとしていたのだから。
青髪なんてこの世界ではあまり多くない髪色だし、特に田舎では目立つ。
目立つのを嫌うレーズンとしては、実に珍しい行動パターンだった。
「――たまに」
「うん?」
「たまに、こうやって元の姿に戻らないと、本当の自分が何なのか思い出せなくなっちゃうのよ」
ぴん、と自分の顔を指差す。どうやらこれが彼女の『ありのままの姿』らしかった。
「何度か見覚えがあると思ったが、それが素だったのか」
「まあそうよ。ちなみに顔とかはハーニュート人の平均そのものだからね。でも決してモテない訳ではなくてこれでも子供のころは――」
「そうなのか。まあそれはどうでもいいな」
「そうですね」
特に聞いてないことまで答えてくれたが、魔王もアリスもスルーした。
「……」
レーズンはひそかに傷ついた。
「何かね?」
「別に何でもないわよ。さっさと入ったら?」
意図も汲めず魔王が声をかけると、頬を膨らませながら、先に入るよう促してくる。
「そうさせてもらうよ。アリスちゃん」
「はい。参りましょう」
アリスの手を引きながら、魔王は空いた空間の裂け目に入り込む。

「――む?」
直後、ズキン、と、激しい胸の痛みを感じたのだが。
「どうかされましたか? 旦那様?」
「いや、なんでもない」
魔王は、気のせいだろうと思い込む事にした。
しおりを挟む

処理中です...