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7章 女王

#4-3.人魔同盟

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「――ピンチなんだ。助けて欲しい」
そして、ラズベリィが料理を手に颯爽と現れると、何故か卓についている魔王がいた。
部屋の隅には緑色の包みを持った金髪の等身大人形も立っており、ラズベリィは一瞬びくりとしてしまう。
「いきなり現れて助けろって言われても……ていうか、私これからご飯なんだけど」
反対側の席でじと目でため息をつくエリーシャは、ラズベリィの登場で、とりあえず言い訳を押し付ける事にしたらしかった。
「構わんよ。私もランチを持参した。アリスちゃん、広げてくれたまえ」
しかし魔王はデリカシーの欠片も無く、そのまま一緒に食べる事にしたらしかった。
魔王の指示で、アリスがテーブルの上に可愛らしいお弁当箱を広げていく。
見た目も美味しそうな可愛らしい手製弁当であった。
「……まあ、いいけど」
突っ込むのが面倒くさくなったのか、エリーシャはそのまま流す事にする。
「あの、エリーシャ様?」
「ラズベリィ、ごめんなさい、ちょっと席を外してくれないかしら?」
大事な話があるみたいだから、と、申し訳なさそうに片目を閉じてお願いのポーズ。
「はあ、解りました。一時間ほど外で時間を潰してきますわ」
大きなため息をつき、ラズベリィは部屋を出て行く。
「すまんね」
「いいわよ、別に」
去り際、魔王がかけた言葉に、ラズベリィは素のままで返した。


「それで、おじさん達を、なんで私が助けないといけない訳? まず何を助けて欲しい訳? 全部説明して頂戴」
一時間はプライベートタイムだった。
ラズベリィにしてみれば一時間なんて瑣末な時間でしかないだろうが、エリーシャにとっては大切な自分の時間である。
じと目はやめて、それなりに真面目に聞く姿勢で問いかけた。
「我々は今、大帝国相手に、世界史上初の会談を開こうとしているんだが、これがどうにも不味い事になってね」
「何それ初めて聞いた」
そんなの知らない、とばかりにエリーシャが魔王を見る。
当然といえば当然で、精神面の安定を優先して長らくの間情報の遮断されていたであろうエリーシャにとって、今の世界情勢は何一つとして知らない事だらけのはずである。
「一応、今の我々の方針の主軸とも言えるものでね……これの実現の為に、結構色んなものを犠牲にしたり、私達自身の首も掛かってたりと重要なものなんだ」
会談の明確な目的そのものは置いておいて、とりあえず現状から来る会談を潰される事の不味さを説明する事にしていた。
「皇女と君を護衛していたという衛兵隊が、この度帰還した。彼らは『皇女と皇太后を無事届けた後、魔族の襲撃を受けた』と報告しているらしい」

 そこまで話して、魔王は一旦エリーシャの様子を眺める事にした。
賢いエリーシャなら、これだけで解るはずである。
自分が何故敵対者であるはずの魔王に頼られたか。
何故彼らが困っているのか、と。

「あの場にいた衛兵隊は、私達を裏切ってトルテの誘拐に手を貸してたじゃない。それを……シフォン皇帝は? 彼はどんな反応をしたの?」
理解はできたらしいが、同時に困惑もしているといった感じで、エリーシャは複雑そうな表情のまま魔王に問いかける。
「解らん。ただ、それによって同時期に大帝国に訪問したガトーの国王が窮地に立たされたらしいとは聞いた」
「……ガトーが? っていう事は、ラムクーヘン? そうか、ババリア王。あの人が南部と手を組んで――」
一瞬でその先を構築していく。ほとんど事前情報もなかっただろうに、何故ここまですばやく状況を組み立てていけるのか。
魔王は思わず舌を巻いてしまう。恐ろしいほどの想像力。
そしてその多くが当たっているのだから、その推理力たるやすさまじい。
「君の不在が、奴らにとって都合よく働いているんだと思う。我々は城内の混乱を避けるために事件の事を隠したままだったが……これが間違いだったのかも知れん」
「どちらかといえば、相手の方が一枚上手だったって考えるべきだと思うけどね」
真面目な表情のまま、エリーシャはクスリとも笑わず、異論を挟む。
「意図せず貴方達は敵によって裏を掻かれた、という事かも」
「という事は、奴らはまだ、我々の意図には気付いていない、という事かな?」
「多分ね。南部にしろラムクーヘンにしろ、魔族のしようとしてることなんて想像もつかないでしょうし。魔族側に裏切り者でもいれば別でしょうけどね」
裏切り者のあては沢山あるが、とりあえずやろうとしてる事そのもの、本質の部分まで知っているモノはほとんどいないので、魔王はその辺りの可能性は切り捨てる事にした。
低い可能性にリソースを割くほど余裕はない。一番可能性の高いモノを取捨選択すべきだからだ。
「それから、見落としがちだけど、衛兵たちの目的が全く別の可能性も考えられるのよね」
「大帝国の内情を知るため以外の目的が?」
「そう。例えば……彼ら衛兵隊が、衛兵隊のまま復帰してしまったら。皇帝は、彼らをどう扱うと思う?」
「それは、シフォン皇帝は、彼らを裏切り者だとは思ってない訳で、つまり……そうか!?」
エリーシャの誘導で、魔王は一つの新しい可能性に気付く。
「皇帝が、危ない」
「そういう事。クーデターの第二波が起きようとしてるのかもしれない」
頬に汗が伝う。そんな単純な事に気付けなかった魔王。
いや、魔界の首脳三人が、どれほど想像力に乏しいかが痛いほど解ってしまう。
「私は、君に助けて欲しいのだ。我々では、奴らの動きを想像できん。そして、有効な手段がないのだ」

 魔王は、クーデターを望んでいない。
皇室が倒れれば、これもやはり、国にまとまりがなくなるのを知っていたからだ。
それがどのような志の元行われようと、政治を知らぬ者による革命は混乱しか生み出さない。
魔王は、大帝国が国として安定しているからこそ、対等な話し相手として有用であると判断したのだ。
西部でもなく、北部でもなく、南部でもなく。
中央部の、世界の雄と言われていた大帝国だからこそ、魔王の展望に適うのだ。

「三つ。貴方は知る必要があるわ」
はあ、と、小さくため息。
エリーシャは、皿の上のパスタをフォークでくるくると弄りながら、魔王のほうを見ずに呟く。
「まず一つ目。私には、貴方の事を助ける義理がない。トルテを助けてくれたならともかく、それを失敗した貴方に、それを願う資格はない」
「……承知の上だ」
魔王とエリーシャは、本質的には未だ敵同士である。
エリーシャが戦える身体ではないからこうした話し合いになってるだけで、かつてのエリーシャならば理由も聞かず剣を抜いても不思議ではない。
それ位の恨みが、憎しみが、エリーシャには残っていた。

「二つ目。貴方は自分の事優先で物事を考えてるかもしれないけど、私の、ひいては人間世界のことを微塵も考えていない。人間と魔族の会談ですって? バカを言わないで。私達は殺しあってた。今までもこれからも、どちらかが滅びるまできっとそうなる」
そんな簡単にそれが通ると思わないで頂戴、と、フォークを回転させながら。口元をにやけさせる。

「三つ目。私にお願いをしたい時は、可愛いお人形とか、お人形用の服をお土産に持参する事。私は人形に目が無いから、それを餌にされれば、いくらかは断りにくくなるわ」
顔を上げたエリーシャは、「どうよ?」と、したり顔で笑う。
「……もちろん、ただで助けてもらおうとは思ってなかったが。アリスちゃん」
名前を呼ばれ、それまで部屋の隅で黙って話を聞いていたアリスは、静かに頷いてどこからか荷物を取り出した。
「とりあえず、五十種類の衣装セット。それからさまざまなサイズの人形に持たせられるバッグや日用品等の小物。それと、エリーシャさんがご自身で思ったものを用意できるように、三十種類の生地セットも用意いたしました」
足りなければ随時お申し付けください、と、アリスは澄ました顔で説明する。
「……うわ。うわあ。さ、さすがおじさんね。私のことを良く解ってる」
エリーシャは一瞬取り乱しかけたが、桜色の布に包まれた荷物の方をちらちらと見ながら、なんとか冷静を装おうとがんばっていた。
やはりというか、皇太后になってもエリーシャはエリーシャであった。
「なんとなく、君が君のままでいてくれて安心した気がする」
話の流れ的にこのまま断られるんじゃないか。
そう思っていた為、魔王はこの対応には心底ほっとしていた。

「では、まずは私に協力してもらおうかしらね。アリス。貴方にも手伝ってもらうわ」
「はい。なんなりと」
私が関わるからには、私の方の都合を優先させる。
それが実質エリーシャの提示した最低限の条件であった。
衣装などは条件以前の問題の、当然の責務のようなものであり、エリーシャを知るなら当然ともいえる餌である。
なので、これに関して、魔王もアリスもエリーシャの指示に従うこととなる。
「まず、皇帝宛に手紙を書くから、これを上手くやって届けて頂戴。それから、アプリコットの内情を客観的に詳細にまとめて私にレポートを見せる事」
「かしこまりました」
楚々と礼をし、アリスはエリーシャの指示を受け入れる。
「おじさんは、南部に対しての攻撃を再開しなさい。最低でもリダ陸海地域は奪い返す。あの辺りは教会の精鋭部隊『レコンキスタ・ドール』が居座ってるから、それに注意してね」
「それは構わんが……いいのかね?」
魔王に戦争の指示をする元勇者、という構図は、ものすごく滑稽であり、そして魔王に強い違和感を感じさせた。
「構わないといえば嘘になるけど。でも、私はもう人類の何かを背負ってる勇者じゃないの。これから国一つ背負おうとしてるんだから、一つ二つは心配事を減らす協力位してくれてもいいでしょ?」
どうやらここにきて、エリーシャは魔王らを『利用』するつもりらしかった。
実に逞しい。実に自分勝手で、人間的で、そして、まぶしかった。
「解った。君が求めるのは相互関係。君が我々を利用し、私も君に助けてもらう。そういう事だね」
「そうよ。私は、貴方が魔族だろうと魔王だろうと関係なく利用する。あるものは全て自分の役に立てるわ。今までもそうしてきたし、これからもきっとそうする」
人間には余裕がないんだから、と。エリーシャは勝気に笑っていた。
それが魔王には美しく映る。刹那の時を生きる人間の、最も輝ける『今』がそこにあったような気がした。

「ラズベリィ」
ドアの外に向け、声をかけるエリーシャ。
「……」
無言のまま、難しい面持ちで部屋に入る侍女。
「そういう事だから、ごめんなさい」
自分に対し、静かな余生を過ごすように勧めた、その為に共にいてくれると誓ってくれた侍女を、エリーシャは捨てた。
それに対する謝罪であり、一つのけじめであった。
「エリーシャ様の選択ですわ。私には、何も申せません」
ただただ無念。そうとばかりに、侍女は苦渋の面持ちでそこに立つ。
エリーシャの胸は締め付けられていた。
「エリーシャ様。私は貴方様に従うのみですわ。何もお気になさらず。貴人は、下々の者の事など考えないものなのです。それをお忘れなく」
「……私は、ただの村娘だったけどね。貴人なんて器じゃない」

 皇族と違って、ただの一般人だったのだ。
今でこそ皇太后などという地位にいるが、これですら違和感の塊であり。
これから自身がしようとしている事が、しなくてはならない事が、その重さが、エリーシャにためらいを感じさせているのも一つの事実であった。
自分にそんな器があるのか。一番信じなくてはならない自分が、それに疑問を抱いているのだから。
だが、そんなエリーシャの内心を見透かしたように、ラズベリィはその瞳を覗き込む。

「エリーシャ様の身にも、静かにではございますが、高貴な方の血が流れておいでです。それは、必ずや貴方様を助け、支えてくれる力となりましょう」
「レプレキアの事?」
「はい。私は、貴方の祖先の方々と親交を結んでおりました。その大切な出会いが、関わりがあったからこそ、私は貴方に尽くしますの。貴方は人に尽くされるだけの血を、お持ちですのよ」
自信を持ってくださいまし、と、後押しする。
「……ありがとう。ラズベリィ」
こんな自分についてきてくれた。それがエリーシャには嬉しかった。
だから満面の笑みで迎える。この、祖先の友だったという侍女を。

「話は済んだようだね?」
「ええ。これで、憂いなく戦える。やっぱり私は、戦わないではいられないみたいだわ」
静かな生活なんて飽き飽きよ、と。エリーシャははにかむ。
「全く、私の願いは叶わないなあ」
魔王はというと、困ったように眉を下げ苦笑していた。
「君には静かにしていて欲しかったのに。またしても、巻き込んでしまった」
そうせざるを得ないからそうしただけ。ただそれだけなのに、罪悪感が半端ではない。
最もその道を歩ませたくなかった人を自分の都合のために歩ませてしまった。それが、魔王には残念でならなかった。
「それこそ、貴方の都合で考えるなって事よ。私は私の都合で動く。だから、そんな自分勝手な都合を押し付けないで頂戴」
エリーシャは気にしない。魔王の懸念等知った事ではないとばかりに、フォークに絡まったパスタを頬張る。
「……本当、君は強いな」
魔王も、弁当箱の上のソテーをつつき始める。
ようやく始まったランチ。二人の侍女は静かに微笑んでいた。
「とにかく、どちらにとっても対等の、私と君の初めての共闘だ。よろしく頼むよ」
「……そうね。よろしく」
常識で考えて、こういう場で酌み交わすのは酒であり杯であるが、魔王は形式に拘らず、水筒のコップを差し出した。
エリーシャは紅茶の入ったティーカップをそれに当てる。かこん、という奇妙な音が部屋に響き、杯は交わった。

 人類と魔族の共同の道のり。その為の密盟が、今こうして誕生したのだった。
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