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7章 女王

#9-2.まずは南部から

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 皇族専用馬車の中には、シフォンと教主カルバーンが乗っていた。
街中をゆったりと進む為揺れも少なく、窓も日よけ布で閉ざしてある為に、密室の中、どう進んでいるのかも解からない。
「ほんと、皇族って人気なのですね。民衆がこの馬車に向けて喝采あげてるの、見えなくても解るわ」
ランプで照らされた馬車の中、カルバーンは対面して座るシフォンに微笑みかける。
「ありがたい事です。これも代々の皇族が、民を重んずる政策を続けていた結果でしょう」
シフォンも悪くない顔で口元を緩めていた。
「ええ。外交で他の国に顔を出した事もあったけれど、この国の皇族程に民に人気が有る首長一家は、そうはいなかった」
この国の皇族の民衆人気は生半可ではない。
タルト皇女もそうであったが、シフォンも皇子時代から女性人気がとても高かった。
皇后ヘーゼルも貴族、とりわけ子女からの支持が強く、皇太后エリーシャは勇者時代もあり軍人や勇者などから人気がある。
「王様一人優秀でも後に続く王様がダメなら台無しですし。そうやってバランスを取ってなんとか運営してるのが他の国だけれど、この国はずーっとバランスが崩れる事無く続いてるんですよねぇ。脅威の安定性というか」
顎に手を当てながら、うんうん、と自分で頷くカルバーンに、シフォンは照れくさそうに頭を掻いていた。

 突如起きた世界的な技術インフレーションとデフレーション。
タルト皇女の誘拐事件発生。
南部諸国とベネクト三国の裏切り。人間同士の血みどろの戦争。
世界を揺るがし国の内政を破壊しかねない事件というのは尽きる事無く、実際にそれで身を持ち崩す国家も続出したが、この国は未だ揺るがず、民衆の信仰は変わる事無く常に皇族を中心に組み上げられている。
これは、人間国家としては非常に強いのではないかと、カルバーンは常々思うのだ。

 先帝シブーストの時などがわかりやすい例だが、南部に攻められるからと村を水没させるだの、大規模工事によって周辺地形を大改造するだのという大胆な政策は、成功失敗如何に関係無しに国民感情を大きく左右するものである。
有事の備え・雇用の創出と言えば聞こえが良いが、自分たちの暮らしていた環境を大きく変化させる政策は民の不信を招きかねない危険な賭けでもある。
そしてそれによって防衛に成功したのだとしても、民にとっては変わらぬ平穏しかないのでその成果が実感しにくい。

 何が必要かと言えば、やはり皇族に対する民の信用である。
彼らがいかに皇族に肩入れしてくれているか、それが大きい。
そういう意味では、今のこの喝采。皇族人気は何より代え難い貴重な強みであった。
どんなに強大な国家でも、内部から蚕食されては意味がない。
実際衛兵によるクーデターなどと言う前代未聞の事態が起きはしたが、このように国家に不満を抱く輩によって国が覆される事すらあるのだ。
その時は先帝と皇族を恨む衛兵達によるものであったが、これが民衆主導の反乱になればより悲惨な状況へと推移する。
首のすげ替えだけに留まらず、国家内部を荒らす革命へと変貌してしまうのだ。
そうなってはもう国は体制を維持できなくなる。魔族との戦争など不可能に等しい。
それが起きないだけ、起きる恐れが極端に少ないだけ、この国は優れているのだ。安心できると言っていい。

 それだけに、カルバーンは残念でもあった。
この馬車の向かう先、シュトーレンの街には、先日安全のためにと移動させたキャロブ王一行とその護衛として回された勇者リットル、それとあと一人、行方知れずとなっていたはずの皇太后エリーシャが居るのだという。
どういう腹積もりか、魔族側の会談関係の手紙は全てエリーシャの方に回されており、これによりエリーシャも会談の内容について知ったのだと言うが、それにしても唐突な話であった。
結局会談そのものもシュトーレンで行うという話で、シフォンを始め会談に参加する予定の者は多くがこの行進によりシュトーレンへと向かっていたのだった。
皇族の移動は世界的に見てもとても目立つ。何よりシフォンが皇城に居ないのだから、他国には瞬く間に広まるはずであった。
つまり、もう大帝国側にカルバーンを縛り付けておく理由が無くなった。

「はぁ。残念ですわ。せっかくヘーゼル様とも仲良くなれたのに」
少しずつ賑わいが遠ざかっていくのを感じながら、カルバーンは眉を下げ静かに呟く。
なんだかんだくつろいでいた軟禁期間は終わり、シュトーレンの街に着き次第、カルバーンは開放される事となっている。
ホームシックにもなっていたのでディオミスに帰れるのは嬉しい事に違いないのだが、折角仲良くなったヘーゼルや侍従らと別れるのはそれはそれでつらいものがあったのだ。
「貴方には申し訳ないことをした。教団の指導者をわが国の都合で拘束し続けてしまった事、いくらお詫びしても足りません」
「まあ、それは仕方ないです。私だって、貴方の立場なら似たような事をしたと思うし……」
心底申し訳なさそうに眉を下げ謝罪するシフォンであったが、カルバーンは全くと言っていいほど怒りを感じていなかった。
仕方のないこと。そう考えれば割り切れる程度のものだったのだから。

「でもシフォン皇帝。貴方はこれからどうするつもりなのですか? もし、もしも魔族側から、和平を持ちかけられたら……?」
別れる前に聞きたかったことはいくらでもあった。
会談をどのようなつもりで臨むのか。カルバーンはまずはそれを知りたかった。
「……私も一国の指導者だ。それによって民が救われるなら。不平無く平和が訪れるなら、いかような手段でも取りたいとは思いますが」
少しは迷うかと思ったシフォンはしかし、小さく息をつき、はっきりと言ってのけた。
「民の為なら、魔族にも魂を売ると?」
「それでは彼らの奴隷だ。そんな真似はしない。だが、どのように言い繕っても、わが国だけが良い目を見るようになれば、きっとそのように見られるでしょうね……」
どのような話し合いになるのかすら解からない。
だが、他国の反応は火を見るより明らかだった。
恐らくそれが、他国に侵攻される理由にもなりうる事位、シフォンは承知していたのだ。
「だが、例えどのように罵られようと、魔族との戦争に何がしか区切り目が付けられれば、それはとても大きな事なのではないかと思うのです。今の時代では評価されまいが、いずれは」
「そうですね。きっと歴史の上では偉大な国家として名が残る。裏切りに見えたそれが、もしかしたら世界に平和を生み出す呼び水となるかもしれないですし、ね」
それ自体の重要性は、カルバーンにもある程度理解できていた。

 この戦争は、どうにも終わりが見えない。
魔王さえ討ち取れば今よりマシになるはずだと思っても、それでも先が見えないことには違いがないのだ。
心配だった双子の姉も意外と元気そうだったというか、そんなひどい目にあってる感じでもなかったのもあり、カルバーンの心にも若干の余裕が生まれていた。

「私としては、例え敵になったとしても、真っ先に潰しあうのだけは避けたいですけど、ね」
「ああ。それは同感だ。それではどちらが残っても南部が得をしてしまう」
この二人の共通の敵は、南部諸国連合。そして教会組織である。
二人、目を細めながら互いの眼を見つめる。

「まずは南部から」
「そして、我らを謀った者を潰す」

 これからの両者の方針が決まった瞬間であった。
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