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7章 女王

#16-2.宴の中でウィッチと語り合う

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 その頃、魔王城では、無事帰還した魔王ら会談出席メンバーを中心に、大部屋を使っての祝賀会が開かれようとしていた。
第一回の成功。
その為尽力した多くの者達を労って魔王が計画していたものである。
「諸君、今回の成功は君たちの協力あってのものだ。どうか、今宵は楽しく過ごしてほしい。羽をのばしてくれたまえ」
魔王が乾杯の音頭を取り、集まっていた参加者たちもそれに合わせる。
静かに杯が持ち上げられ、穏やかな空気の元、宴は始まった。

 あくまで会談の成功のため頑張ってくれた者達の為の宴であったが、なんだかんだ、宴というのは華やかさ、賑わいも必要だろうという事で特別な縛りもなく、城内の者ならば自由参加で構わぬという形にしてあった。
そのおかげで、塔の娘らもこぞって参加してきており、宴は大層賑やかなものになっている。
城の女官や参謀本部の者達も、今日ばかりは仕事を休みなさいというラミア・アルル双方からの指示が降りている為、魔王軍全軍が今日に限り活動を完全に停止していると言えた。
今この瞬間、魔王城はとても穏やかな空気が流れているのだ。

「やあ、ようやく休めるな。ああ疲れた……」
魔王はソファに腰掛け、上等な細工の入った銀のゴブレットを片手に、蜂蜜酒をのんびりと飲み、宴の様子を眺めていた。
宴とは、古来より男女の繋がりを作る場でもある。
見れば年頃の魔女族の娘が、衛兵らしきトカゲ男に口説かれ、そう悪くない顔で敢えて困ってみせていた。
男を焦らして楽しんでいるのだろうが、男のほうが魔女の腕を取ると、抵抗するでもなくそのままするりと腕の中に入っていくのだ。
男の方も一瞬面食らっていたが、そのまま女に流されるように受け止めてしまう。
(やはり、女というのはあれ位じゃなきゃな)
そのまま会場を去っていく二人を遠目に見ながら、魔王は苦笑していた。
ただ男に傅くだけでも面白くないし、反発などされるのはもっての他だが、あれ位に上手く男の懐に入れる女というのは、中々魅力的に感じる。

 恋愛とは娯楽のようなものである。
夜魔などに言わせればゲーム遊びの一環なのだろうが、不思議と、魔王にもそれは共感できるのだ。
別に人心を弄びたいわけではない。
黒竜姫などのように、本気で人を愛する事の出来る娘は、それはそれで可愛いと思える。
だが、その思いの伝え方があまりストレートだと、魔王にはちょっと気恥ずかしく感じてしまうのだ。
自身が年老いたからそう感じるようになったのだと魔王は思っているのだが、どうにも、若い娘の直球をそのまま受け止められない。
逆に、先ほどの娘のように変化球でもって相手をいいように絡め取ろうとしてくる相手の方が、魔王には面白く感じるのだ。
そういうのは、いつの間にか自分が取り込まれているような気もして怖い部分もあるが、実に大人びていて洒落が利いている。
そういう娘との恋愛は、きっと色々な駆け引きが多く楽しいのだろうな、と思うのだが。

 ただ、魔王は妻を娶らないつもりだと決めているし、塔の娘に手を出すのはなんとなくラミアの策に乗った気がして癪なのもあり、そういった恋愛遊びにはあまり関わろうとしないのだが。


「陛下? お疲れですか?」
足を組み、ぼーっと宴の様子を見ていた魔王の後ろに、いつの間にか緑のとんがり帽子のウィッチが立っていた。
「やあ君は……アーティ。いやなに、私も歳だからね。しばらく気を張っていた所為か、どうにも気が抜けるとだらけてしまう」
頬をぽりぽりと掻きながら、組んでいた足を直す。
どうぞ、とばかりに手を横に出し、笑いかけた。
アーティはそのまま回り込み、魔王の隣へと座った。
「私も緊張しました。ラミア様の代役としてですもの。魔王軍の威信、それから、ラミア様の意向を受けてのお役目。とても重かったですわ」
今も宴には参加せず、本部で一人書類書きなどをしているらしいラミアを思い馳せながら、アーティは手に持ったコップを口元にあてがう。
「チョコレートか」
「はい。好きなんです。お酒と違って酔いませんし。身体があったまりますし」
ずず、と少しだけ口に入れ、にっこりと微笑む。普段と違ってやたら幼く感じる笑顔であった。
「私はどちらかというと辛党だから酒ばかり飲むが。まあ、チョコレートも嫌いではないよ」
「ブラックチョコなどは飲まないのですか?」
「ブラックチョコ……?」
聞きなれない単語に、魔王は首をかしげる。
いつの間にやら、ゴブレットは脇のテーブルへと置かれていた。
「チョコレートから甘味を抜いた物です。甘くないから私は好きではないですけど」
元からほろ苦く甘いチョコという実を煮て溶かし固めたのがチョコレートであるが、これから甘味を抜くとなると、中々に苦いものが出来上がるのではないか。
魔王は少しだけそのブラックチョコとやらに興味を惹かれてしまった。
「苦いのかね?」
「かなり。だけど、人によってはその苦さがいいのだという人も居ますね。何より健康に良いのだとか」
私は飲まないので解りませんが、と断りを入れながら、その未知の飲みものの説明をしてくれるアーティ。
「苦いのか……」
ううむ、と、魔王は唸ってしまう。
酒の苦味は嫌いではないが、どちらかといえば辛いほうが好きなのである。
だが、一度は飲んでみたいという気もする。こちらは好奇心であるが。
「まあ、覚えておこう。機会があったら飲んでみるのも悪くないかもしれん」
酒とは違うが、話の種くらいにはなるだろう。
魔王はそれ位の気持ちで考えておく事にした。


「君は、なんで塔に入る事にしたのかね?」
雑談も良いが、このウィッチについてはいくらか気になるところもあったので、そちらの話題へと移行する事にした。
「父の命ですわ」
「父親の……? 君の父親というと、確か――」
「ええ。ウィッチ族の長ですわ。当然、女性ですが」
そう、女性種族の長なのだから、彼女の父親は女なのだ。
「……女でも、父と呼んでいるのか?」
「そう躾けられました。私自身、何か違う気もするのですが。ただ、父にとってはそれは絶対であるらしくて……」
アーティ的にあまり思い出したくないことなのか、目を逸らしてしまう。
「先代様の熱烈なシンパだったのです。周りの者達の話を聞くに、元はそうでもなかったらしいのですが。ある時を境にそのようになったのだと」
「ある時を境に、なあ……」
なんとなくその境目が想像できてしまった魔王は、少しぐったりとした気分になってしまった。
「ですから、きっと私の事も、先代様の後継者であらせられる陛下に捧げる位のつもりで塔に遣わしたのではないかと」
「……なんか、歪んでるなあ」
先代のシンパというだけでもろくな奴な気がしないが、そんな理由で娘をハーレムに放り込めてしまうのもかなりイカれている。
魔族らしくないというか、自身の欲望のためだとか保身のためだとかでそれをするならまだ魔王にも理解できるのだが。
「沢山、悲しい思いをしましたから……」
どこか遠くを見るような視線でぽつり。
アーティはまた一口、チョコレートを飲む。
「悲しい思い?」
「ええ。先代様が倒れられた際にもショックは大きかったようですが、それだけでなく、少し前には伯母様も戦死なさいましたから……」
「君の伯母も戦地で亡くなったのか」
「ええ。私の前任を務めておりました。ラミア様の副官として、大層期待されていたのだと聞きましたが」
「なっ――」
それとなく聞いたつもりであったが、魔王は思わず唖然としてしまった。
「君の伯母とは、あの、赤いとんがり帽子の……?」
「ええ。父とは双子の姉だったそうで。あまり会う事はないものの、姉妹で大層仲睦まじかったのだと聞きますわ」

 意外な繋がりだった。
ラミアが教えてくれなかったのもあるが、アーティとは顔も似ていないし、何かしら接点があるのでは、と思いはしたもののまさか血族だったとは。
いや、そうであっても不思議ではないのだが、何よりあの娘がこのアーティの伯母というのが驚きである。
伯母と言う単語があてはまる歳だったのにも驚きであったが。

「伯母様が亡くなられ、父は酷く落ち込んでしまいました。私の出来が悪かったのも、父にとっては良くなかったようで……」
アーティは悲しげに会場を見つめる。
その視線の先には、女官たちに囲まれ困った顔の黒竜姫が立っていた。

「同じ母親の元生まれた娘なのに、ここまで差があるという事は、それは父である自分が劣っているからなのだと、父はそう思いこんでしまっているのです」

 どうやらここにも、過去と今との壁を自力で乗り越えた者達が居たらしかったが。
魔王はそこはあまり気にせず、小さくため息をついた。
「身も蓋もないが、種族の差というものはあるからなあ。父親が違えば、それは当然、娘にも違いは生まれるだろうが」
「ええ。ですが父は、それを種族の差と思えなかったのです。父は、もしかしたら先代様の事を愛してしまっていたのではないでしょうか?」
「だからこそ、力ある娘に出来なかった自分を情けなく感じている、というのかね?」
「……あくまでただの想像です。真実が何であるかは、私には解りません」

 同性愛というのはこの魔界においては忌み嫌われる行為である。
先代はその禁忌の果てに子を成したのだ。
ウィッチ族の長が元々そうだったかは解からないが、その過程で愛が生まれてしまっても不思議ではないのかもしれない。
だが、禁忌は所詮禁忌。禁じられるだけの何かがあるのだ。
恐らくは互いにとってあまり望ましくない結果となったのだろう。
それがアーティ自身なのかもしれなかった。

 魔法が苦手なウィッチという、本来ありえない存在は、今もこうして魔王の隣でチョコレートを飲んでいる。
ほどよい温かみをもったそれを飲むアーティは、どこかとても儚い存在のようにも感じられた。
「君は、自身の出自について何か思うところはあるのかい? その、普通ではない、というのは、色々大変なのではないかと思うが」
「そうですね――」
魔王自身好奇心だけで問うのはよくない、思い切った質問だとは思ったが、アーティは別段気にする様子もなく顔を上げる。
やがて視線を隣の魔王に移し、ぽつり、話し始める。
「全く気にしないといえば嘘になりますが。結果私はここに生きている訳ですから、父と先代様の間に起きた事を非難する気はありません。むしろ感謝しておりますわ」
「そうか」
「ただ――」
「ただ?」
「聞いてらっしゃるかもしれませんが、私は魔法が苦手なのです。何故そうなるのかは解りません。ただ、それがウィッチ族としては異常なことである、というのは解っているつもりです」
「知識だけなら他のウィッチと共有すれば補完も出来ようが、技術や能力までは無理だものなあ」
「ええ。知識だけは。この点だけは私自身、誰にだって負けるつもりはないのですが」
それ以外がちょっと、と、眉を下げる。
「このような欠点を持ったのが私だけなのかと思うと、ちょっとだけ切なく感じてしまいます。何か、誰かの役に立てるようになれればと思うのですが、生憎と、得意なこともそれほどなく――」
どうやら思ったよりもずっと不器用な娘らしかった。
ラミアに拾われなければ一族の爪弾き者にされる、というのも魔王には良く解った気がした。

「塔に入ったのも、父の命令というのは勿論ですが、私自身も何か変われたらと思ったのです。実際に陛下の関心を買うかどうかなど、あまり気にしていませんでした」
まさかこうしてお話できるとは、と、アーティは少しだけ表情を柔らかくする。
「まあ、塔に居るのなら私も君と話すこと位はあると思ったがね。何か変われそうかね?」
「そうですね――」
話題は、いつしか元の雑談に戻る。
柔らかな空気が戻ってきた気がした。
「お友達が出来たのが大きいでしょうか。エルフの三人の姫君。それからエリザベーチェ。他にも、ゴブリンの姫だとか、堕天使族の娘だとか、色々とお話する相手はできましたね」
「ゴブリンの娘はちょっと面白い子だよな」
「ええ。動きが小動物的で癒されますね。とてもはきはきとしていて可愛いというか」
「本人には悪いが、妾候補というよりは可愛い生き物位のつもりで見ている」
ゴブリンの姫君は塔の人気者だった。
「この間はエリザベーチェと人間の姫と、三人で追いかけっこをしていたのを見ましたが」
「人間の姫というと、ショコラのミーシャ王女のことかな?」
魔王は、ほんのひと時、妖精の城を共に歩き回った人間の姫を思い出す。
あれはあれで中々楽しかったな、と思いながら。
「恐らくは。種族の違いもあるのでしょうが、ああいう健康的な人はうらやましいですわ。私は、どうも運動が苦手といいますか、身体を動かすのが得意ではないので」
「まあ、なんとなく解る気がする」
参謀本部の面々を見ても解かるが、ただ軍人と言っても、上層部にはラミアのように戦うことを得意としない者も多い。
彼女の伯母だというあのウィッチが例外的に最前線で戦える猛者なだけで、アーティも含め、ウィッチというのはあまり動くのは得意ではないのだろうと思った。
「鍛えようと思ったこともあるのですが、どうにも、箒より重いものを持った事がなくて。箒も、長時間持っていると腕が悲鳴をあげるようで、どうにもままなりませんわ」
魔法が苦手なだけじゃなく、箒すらまともに持てないウィッチであった。
どっちもウィッチの代名詞なのに。一日中持っているのが当たり前だろうに、それが出来ないとは。
なんとも歯がゆさを感じさせる娘だと、魔王は苦笑してしまう。
見た目もあまり強くなさそうだが、箱入り娘なのかもしれないと感じもした。



「……」

 のんびりとした雑談に戻りはしたが、そんな中、魔王はさっきからとても強い視線を感じていた。
感じはしたが無視していた。
だが、その視線を向けていた本人が段々と近寄ってくるのにも気付いていた。
他でもない黒竜姫である。アンナスリーズである。
絶世の美女であった。アーティとは違って健康的なお姫様であった。度を越して。
装飾も華美な薄い緑色のドレスで着飾り、髪もスタールビーをちりばめられた赤百合の飾りが美しく輝く。周囲の視線もばっちりと引き寄せていた。

「いや。その、なんだ。言いたい事があるならはっきりと言ってくれてもいいのだが?」
流石に視界に普通に入り込むまで近寄っていた黒竜姫に、魔王は聞こえるように呟いてみせる。
ある程度皮肉を込めたような、非難するような口調で。
「……待っていただけですわ。別に、お邪魔するつもりもありません」
黒竜姫はというと、やはりこちらも非難げに魔王を見ながら、唇を尖らせ、そっぽを向いてしまう。
今のはちょっとだけ可愛い仕草だったなと、思わず感じてしまう。
だが、空気は重くなってしまったが、魔王は別に気にしない。
若い娘の嫉妬如きで取り乱すほど子供ではなかった。
「あ、あの、私はこれで――」
だが、魔王が耐えられるものも、アーティには厳しかったらしく。
空気の重さ、居心地の悪さから逃げるように退散してしまった。
「……」
「……」
後に残ったのは黒竜姫である。無言のまま、魔王の隣に腰掛けた。
魔王もそれに言及するつもりもなく、無言のまま、テーブルに置いたゴブレットをまた手に取り、一口で飲み干した。
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