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8章 新たな戦いの狼煙

#10-1.眠る事を許されなかった『彼女』

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 暗闇。それは、彼女にとって安寧のはずであった。
長く苦しい戦いからようやくの解放。
人生というものを終え、ようやく魂の休まる、その終焉の眠りの中にいたはずであった。
揺り籠は止まり、彼女の魂は再び覚醒させられる。
暗闇は、最早彼女にとって、安寧ではなくなっていた。

「……ここは?」
目が覚めれば、そこは見慣れぬ場所であった。
埃まみれのかび臭い石畳。
深淵とも言える暗さだが、不思議と瞳は闇の先を見通せていた。
「気が付いたようですね」
彼女の前には、男が立っていた。
長身痩躯のぼさぼさ頭。くたびれたローブをまとった眼鏡の若い男であった。
「貴方は――ネクロマンサー!?」
「ふふ、覚えていただけていたようで何より。いらぬ自己紹介をする手間が省けました」
驚く彼女に、男――ネクロマンサー――は愉快そうに笑って見せる。
毒気のない笑顔であったが、それが余計にその意味と、裏を彼女に感じさせていた。
「そんな馬鹿な、貴方は先代魔王によって殺されたはず。何故こんなところに――?」
死んだはずの者が生きていた。だから、彼女は問うのだ。
相手が相手だけに正しい答えが返ってくるとも思えなかったが、問わずにはいられなかった。
「この『城』の主に助けられたのですよ。私もかなり危ういところでした。おかげでこうして――生き恥を晒し続ける事ができています」
自嘲気味に眉を下げながら、ネクロマンサーは語る。
「まあ、そう警戒しないでください。私の性癖位知っているでしょう? 私は女性にはほとんど興味がない」
実際には例外は存在していたが、そんなものは説明無用であると彼は考えていた。
この場は彼女の警戒さえ解ければ良いと、それを優先したのだ。
「……まあ、貴方の性癖は知ってるわ。でも、だからこそ私は貴方が嫌いよ。気持ち悪い。近寄らないで頂戴!」
気の強そうな碧眼が揺れる。キリリと頬が引き締められ、勇ましくネクロマンサーを睨みつけていた。
わずかも劣っていない。『生前の』彼女そのままの眼力がそこにあった。
それは歴戦の猛者の眼であった。幾たびの戦いを経て染み付いた強者の証であった。
「ふふ、相変わらず口の減らない……貴方のそういうところは正直鬱陶しくて仕方なかったのですが、まあ、今はよしとしましょう」
彼女が嫌がったからか、ネクロマンサーは背を向け、数歩離れた。
まるで攻撃してくれと言わんばかりの無防備であった。


「本題に入ります。手を貸していただきたい。駒が少々……不足しておりまして」
そうしてまた、ネクロマンサーは振り向く。
口調もそのまま、表情も先ほどと大差なかったが、その身にはえもいえぬ威圧感があった。
彼女をして、思わず身震いしてしまうほどの何かが、彼にはあったのだ。
「貴方、私に何か勘違いしてないかしら?」
だが、彼女は皮肉げに笑って見せる。嫌味に聞こえるようにわざとらしく息をつきながら。
「私は貴方のお友達でも部下でもないわ。何をするのかも言わずに手を貸せですって? バカにしないで頂戴」
小ばかにしたように強烈に皮肉る。
相手は自分より遥か格上であると彼女は自覚していた。
だが、はいそうですかと従えるほど、この男には義理がないのも確かであった。
まして嫌悪すべき同性愛者。
そして、先代魔王に一人反逆した大罪人である。
彼女が従う理由など、何処にも存在していないはずであった。
「貴方は、伯爵殿――今代の魔王陛下の事を気に入っていたと思いましたが。違いますか?」
「……違わないけど。それが何だって言うのよ?」
別に恋慕でもなし、隠していたことでもないが、この男にそれを指摘されたのがなんとなしに腹立たしくもあり。
面白くなさそうに眉間に皺を寄せる。
「でしたら、私に手を貸す動機は既にあるも同然。私は彼を……陛下をお助けしたいのですよ。今のままではあの方は戦に敗れてしまうかもしれない。及ばずながら役に立ちたいと思ったのです」
「貴方が? 陛下のために? なんでまた」
彼女から見れば想像の外の動機であった。
何をしようというのか解からないのもあるが、目の前のこの男が何を考えているのか、本気で解らなかったのだ。
「そうですねぇ……身の程を教えていただいたのもありますし、贖罪の為、というのもありますか。色々ですよ」
考える素振りをするものの、その答えはあまり明瞭ではなく。
教えられて尚、彼女には理解できなかった。

「まあ、そんな訳で手を貸して欲しいのです。敬愛する陛下のためです。嫌ではないでしょう?」
「陛下のために何かするのは嫌ではないわ。でも、貴方に言われて何かするのは嫌」
じっとりとじと眼で睨む。
元々ゾンビだのグールだのが嫌いであったし、死者を操るなどという真似をする吸血族やこの男は嫌悪していた。
「むう。まさかそこまで嫌われているとは思いもしませんでした。別に、そんなに好かれてるとも思ってませんでしたが」
「当然でしょ。この魔界において同性愛ほど汚らわしいものはないわ。気持ち悪い」
言いながら、嫌悪感を滲ませた瞳で侮蔑したように一歩距離をとる。
ネクロマンサーは深いため息をつきながら、それを見守るのだが。
「では、貴方の双子の妹も、やはり嫌悪すべき対象、という事でしょうか?」
「……それは」
潔癖症の彼女であっても、大切な妹の事は別問題であった。
苦しいところを突かれ、答えることも出来ずに押し黙ってしまう。
「とはいえ、貴方が極度の潔癖症なのはまあ、昔からの事ですし。今更どうこう言うつもりはありません。死んでも直らないのだから貴方自身どうにもならないものでしょうし」
こつ、こつ、と、ネクロマンサーは歩み寄ってくる。
彼女は嫌そうに眼を背けるが、それ以上離れる事はしなかった。

「さて。貴方はお気づきでないかもしれませんが、『ソレ』は貴方自身の身体ではありません」
「なんですって?」
自分の身体を指差すこの男の言葉に、彼女は怪訝そうに顔を見る。
「貴方の身体はもうとっくに朽ちていますから。今のその身体は、外見だけそっくりに作った合成肉。デキの悪いハンバーグみたいなものなのです」
魔力も千分の一程度です、と、とんでもない事をのたまう。
「……は?」
そうして、彼女は男の言葉を理解しきれず、つい間抜けな声を上げてしまった。
「ですから、貴方はもう『ウィッチ』ではない、という事ですよ」
言われ、思わず自分の身体を見る。
しかし、それは紛れもなく見慣れた自分の身体。
傷一つない、あの時箒から落下する前の自分と何一つ違わぬはずのソレであった。
「何言ってるの?」
だから、理解できなかったのだ。
こんな自分がハンバーグなのかと。合成肉とは一体何のことなのか、と。
まして、ウィッチじゃない自分など意味が解からないとしか言いようがなかったのだ。
存在意義がすべて消し去ったような、そんな感覚を感じていた。
「むう。貴方位聡明な方なら、ちょっと説明すればすぐ理解してくれると思ったのですが」
「バカじゃないのは間違いないけど、貴方の説明はちょっと解りにくすぎるわ。きちんと説明してくれないと理解できない」
なんとも困ってしまっていた。この男は頭が良いのは間違いないが、あまり人に説明するのが上手くないのだ。
今更のように彼女はそれを思い出していた。あまり思い出したくもなかったのだが。

「まあ、はっきり言ってしまうなら、貴方はもう死んでいて肉体はどこにもないので、天に還りかけていた魂を私が捕まえて、代わりの肉体を用意して差し上げた、という事なんですが」
「……つまり、本来の私の肉体はもうどこにもないって事?」
「ええ。実際には魂だけの存在になっています。そのままでは私以外の生物には視認も出来ないし存在を感じることすらできないはずですね」
とんでも恐ろしい事をさらっと言ってのける。
――自分の肉体が自分以外の何かで構成されている。
彼女は唐突に強い怖気を感じた。『すごく気持ち悪い』という感情が、背筋を凍りつかせていた。
「それで、この身体は何なのよ? 何でできてる訳?」
先を知るのも怖いながら、それでも知らずにはいられず、つい聞いてしまう。
喉を鳴らしながら、恐る恐るの言葉であった。
「永遠の美貌だとか使いきれないほどの財産だとか、そんな下らないモノを求め外道に堕ちた女達の魂で構成されています。まあ、自動人形って奴ですね」
「人形? 自動人形って……陛下のお傍に置かれてるアレ?」
戦地では魔王とともに縦横無尽に駆け巡る人形兵団。彼女はそれを思い出していた。
「原理はそうなのですが。ただ、生憎と貴方の身体の元になった女の魂はそれほど美しくもなく優れている訳でもなかったので、あの娘達と比べて性能は格段に落ちてしまいますね」
「……魔力もそうだけど、それ以外も弱体化してるって事?」
「ええ。私の力の影響圏外に出ると魔物兵並の力しか出せなくなるはずです。今は下級魔族くらいですか」
元々上級魔族、それも竜族相手でもひけを取らないレベルだった彼女にとっては大幅な弱体化と言えた。
この男の傍から離れれば魔物兵並だなどと聞かされれば、最早絶望と言うほかない。
「冗談じゃないわ。なんだってこんな身体に――何考えてるのよ!?」
「いやあ。貴方位の実力者になると、今の私位なら真正面からでも殺されるリスクがありますからねえ。貴方も弱体化してますが、私も著しく弱ってまして。全盛期の半分も力が出ません」
困ったものです、と、ネクロマンサーは弱く笑う。
「……私に首輪をつけたつもり?」
「そう取ってもらって結構です。強い駒は欲しいですが、今の私の実力からしてそれは難しいですから。ですが貴方にはウィッチ時代に培った多くの経験がある。ラミアの副官という立場。黒竜王アルドワイアルディに気に入られるだけのその武威。貴方にはまだまだ利用価値があると思ったのです」
勝手な事を言ってくれるわ、と、心底嫌な気分になっていた。
ようやく死んで安寧の中眠りに付いていたのに、この男はわざわざそんな自分を叩き起こしたのだ。
挙句利用価値があるからなどと、どうして許せたものか。
思わず殴りかかってしまいそうになっていたが、確かに握り締めた拳には、思ったほどに力が入らなかった。


「――私は、貴方の操り人形になってしまったわけね」
悔しがりながらも、彼女は自分のおかれた立場と言うものを思い知らされていた。
「そうですね。貴方が私に協力してくれている間は操るつもりもありませんが、どうしても聞いていただけないなら、意志を奪って私の好きに動いてもらう事も考えています」
それではゾンビと何も違いがない。
そも、最初から選択肢などどこにもなかったのだ。
彼女は望む望まぬに関係なく、彼の計画に参加させられる。
まるで弄ぶかのような所業だが、この男はそういう奴なのだと、彼女は前々から知っていた。
そんな奴に捕まった自分が愚かだったのだと、深い深いため息を吐きながら。
「……仕方ないわ。陛下のためと言った貴方の言葉、聞くことにしましょう」
結局、彼女はネクロマンサーに従うことにした。自分の意志で。とても屈辱ながら。
「ふふふっ。そう言ってくれるのはとてもありがたい。私としても、貴方の意志を奪いたいなんて望んでる訳ではないのですから」
諦めるしかない。運がなかったのだと。せめて意志がだけマシだと思っておこう、と、彼女は小さく頷いた。
「では、話を進めましょうか。赤いとんがり帽子のウィッチ殿。これからは私の配下――そうですね、『シェリー』とでも呼ばせてもらうとしましょうか」
「好きに呼べば良いわ。はあ」
赤いとんがり帽子のウィッチ改めシェリーは、諦観に疲れきったような表情のまま壁に寄りかかっていた。
いろんな意味で脱力したのだ。馬鹿馬鹿しくなったとも言えた。
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