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8章 新たな戦いの狼煙

#11-4.グランフォレストの戦いにて(後)

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「――それで、お前の横にいるそいつは何なのだ」
そうして彼が待望していたアイギスは現れた。隣に若い男を連れて。
ガラードは心底不機嫌になっていた。感情を爆発させてしまいそうになりながら、なんとか抑える。
「お前の新しい男か?」
「何を馬鹿なことを。この者はお父様の側近よ。レェンゲオルグと言うわ」
邪推されたのが気に食わなかったのか、アイギスも不機嫌そうに眉をひそめた。
「姫様、ここは私にお任せを。吸血族一の剛力、お見せ致しましょう!!」
「……」
アイギスの無言を了承と受け取ったのか、レェンゲオルグは気障な前髪を手であおり、ガラードの前に立った。
その仕草、さながら姫君を守る騎士か何かのつもりなのか。
ともかく、鬱陶しく、ガラード的に気に入らない男であった。おまけに空気も読まない。
「さぁいくぞ黒竜族の長よ。ここで引導を――」
「前置きが長すぎる。死ね」
そうして、口上を上げている最中にガラードの放った光の束に巻き込まれ――声も上げられず消滅していった。

「これは――」
アイギスの関心は、死んだレェンゲオルグではなく、煙の巻き上がるガラードの掌底に向けられていた。
「――王羅。俺の、いや、黒竜族の新たなる力よ」
どうだ、とばかりににやりと笑う。子供じみた笑顔であった。
「……オーラ?」
「王羅だ。すごく強いんだぞ。わが黒竜の姫もこの力の前には成す術もなかった」
一撃だ、と、ガラードは勝ち誇る。ガッツポーズを取ったりもする。
「なるほど。四天王の一角ともあろうものが何故自分より弱い兄に、と思ったけれど、一応理由はあったのね」
だが、アイギスは目に見えて動揺する様子もなく。
あくまで静かにその場に佇んでいた。動く気配も無かった。

「アイギスよ。お前は何故魔王陛下に付く。戦争が止まってしまえば、我らの存在意義は薄くなるのではないか?」
「貴方達と一緒にしないで欲しいわ。我ら吸血族は、別に人間との戦争などどうでもいいのよ。魔族同士の戦いですらバカらしいとすら思えるわ」
まるで同属のように思いこんでいるガラードに、アイギスは呆れたように首を横に振っていた。
「何より、私達と貴方達は互いに互いを監視していたはずよ。四天王とはその為にあり、四天王の二枠は、常にその為に埋められていたはずだわ」
各種族の監視。魔族同士での対立が激化しないようにする為の強力な抑止力。
それが四天王の本来の役割であり、魔王軍がまとまる為の第二のクサビであった。
それが今、第二席と第四席の離脱によって瓦解しようとしている。
「我ら魔族は、その性質、力の強さにより、一度大きな内戦になればおびただしい戦死者を出す事になるわ。人間との戦争以上に多くの者が死んでいく。それは、やがて魔界全土の、魔族全ての衰退に直結する危険極まりないもののはずよ」
「だが、魔王陛下は内戦を止めようとすらしなかったではないか。それを解った上で、内戦を放置したのだろう?」
「そんな事は知らないわ。だけど、それを知っている貴方が何故そんな事をしたのか、それが信じられないわ。ただ戦に出たいだけでこんな事をするなんて、子供のわがままより酷すぎる」
アイギスの瞳には、静かな怒りが溢れていた。

 別段、吸血族が普段から魔界全体の事を深く憂いている訳ではない。
黒竜族に対する私情も当然ながらある。
ただ、今回の事は事情が違いすぎた。
今の流れは、魔族の誰にとっても得をしない展開である。
人間相手に向けていた武力を同胞に向ければ、ただでさえ加速気味であった人口減少がより酷くなる。
反乱軍とて別に魔界を滅ぼすつもりはないはずで、そもそも彼らは何の前触れも無く人間と講和を結んだ魔王に対する反感によって反旗を翻したに過ぎない。
だが、今の反乱軍の行動は、そうした『本来の反乱の道筋』から大きく逸れてしまっている。
これでは互いの軍が消耗しすぎて、どちらが勝っても何も残らなくなりかねない。死滅戦争である。

「このような状況下で無理に互いの種族が決着をつける必要はないはずだわ。こんなのはナンセンスよ」
「だが、このような状況下でなくてはお前と話すこともままならなかった。まさか吸血領まで攻め込む訳にもいかなかったからな」
アイギスの厳しい指摘を、ガラードはからからと笑ってかわす。
「俺にとってはなアイギス。お前が戦地に出てくれた。そうしてこうやってまた話せた。それだけで十分反旗を翻した価値があったのだ」
「――この分からず屋!! だから貴方の事は嫌いだったのよ!!」
あまりにも空気を読まないその発言に、アイギスはつい、感情で叫んでしまった。
優雅な自分とは裏腹な感情的な自分。それを露呈させてしまったのだ。
「そうか。まだ嫌ってくれていたのか。ソレはよかった」
だが、ガラードはくじけない。鋼のメンタルであった。

「なら、後はお前を倒せば良いだけだ」
「自分だけが優位な力を持っているというその思い込み、ここで正してやるわ」

 先に跳んだのはガラードであった。
その場にいては何かがあると感じたのか飛び退いたのだが、案の定、ガラードの影から真紅の爪がトラバサミのように閉じていったのが見えた。
がちり、と鋭い音を立てたそれは歯のようにも見え、ガラードの両足を狙ってのものだったと伝わった。
「はぁっ!!」
しかし、ガラードも反撃する。立った地面で片手を溜め、放つ。
光の波動がアイギスめがけ進んでいくが、これが突然屈折していくのを見てしまい、ガラードは戦慄する。
「なっ――」
屈折した波動は、今度はガラードめがけ飛んでくる。
幸い光速と言うほどの速さではないため回避が間に合ったが、突然の事に度肝を抜かれていた。
「何が起きたのだ……アイギス、何をした!?」
「貴方の新たな力とやらは、私には通用しないという事」
表情一つ変えず、アイギスは爪先を動かす。
「むぅっ」
再び爪がガラードの影から現れる。
一瞬遅れ、ガラードの両の足は巻き込まれてしまった。
が、その足には傷一つ無い。挟まれた足は、しかし爪の力に押し負けず、そのまま開かれていた。
「……ブラッドトゥース」
だが、そこに一撃が加えられればどうだろうか。
足に力を入れている状態での背筋への攻撃。
どこからか漏れた赤い血が、ガラードの背後から巨大な牙を生み出す。
「ぐぉっ!?」
直撃する。それは見事突き刺さり、ガラードに貴重な一撃を加えたのだ。
「馬鹿な……血液の魔法は俺には通用しないはず――」
「技術は進歩する物だわ。貴方が私達を殺せる力を身につけたのと同じように、私も貴方達を殺せる魔法を身につけた」
また、爪が動く。手の平から零れ落ちる赤い水。
真紅の牙が次々にガラードに向け放たれる。
「がっ――はっ」
無数の牙が無慈悲にガラードに突き刺さっていく。
血は滴り、『その』条件は揃ってしまう。
「さようならよガラード。貴方を殺せば黒竜族はどうにでもなるわ。これで終わりよ」
ふぁさ、と、長く美しい銀髪を手で煽りながら、アイギスはトドメの一撃を狙う。
それは、宙空に描かれる赤い紋章。ガラードからこぼれた血を元に浮かび上がる人形(ヒトカタ)。
『血潮よ、渦となれ。赤き水よ、白き刃を突き動かせ』
「ア、アイギス……」
『――ギルモア・エクスキューショナリ――』
白い指先が、十字の紋章にそっと触れられた。

 直後であった。
「う……うぐ、ぐぐ……」
ガラードが、苦しげに膝を付き、腹を押さえ呻きだす。
「貴方は今、自分の血液を通して、内部から串刺しにされようとしている」
もう終わり、とばかりに、アイギスは眼を背けていた。
見たくなかったから。
「あっ――あがっ――はぁっ、ぐっ――」
ばきり、めきりと、何かが折れるような音がし、そして、ガラードの両の腕からぷしり、と、血が吹き出る。
「がぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
何を思ったか、突然立ち上がったガラードは、眼一杯の力を込めて己の腹を殴りつけた。
「なっ――」
これにはアイギスも驚きを隠せず、思わず直視してしまう。
勝ったはずなのに死んでいない。
そのありえない光景に、アイギスは眼を見開いていた。
「ぐけっ――がはっ……はぁっ、はぁっ――」
口から血を吐きながら、『それ』を必死に耐える。
やがて落ち着いたのか、そろそろと顔を挙げ、ニィ、と笑って見せた。
「さすがだなアイギス。俺の身体を腹から破ろうとするとは。まさか自分の肋骨に殺されそうになるとは思わなかったぞ」
「まさか、自分の肋骨を自分で破壊するなんて思いもしなかったわ」
ふらふらと、立っている事すらままならない様子であったが、ガラードは気にせず笑っていた。
「貴方は狂っている」
「よく言われる。俺が父上に認められなかった理由の一つだな」
アイギスの皮肉にも、ガラードは笑って返した。相変わらず、皮肉の通じない男であった。

「だが、どうするアイギス? お前の魔法は耐えて見せたぞ。あれだけのでかい隙だ。まさかもう一度喰らわせようなどとは思っていまい?」
「……まさか、貴方」
「どんな攻撃か喰らってみなければ対策も立てられんからな。一度位は喰らうべきだと思っていたのだ。思いの外痛かったが」
本来なら、条件付でいかなる生物をも即死させる最強の一撃のはずであった。
彼女がわざわざ魔王城の無限書庫まで出向いて獲得した最古の知識のはずであった。
だが、それはガラードの馬鹿げた発想によって陳腐化してしまっていた。
「なら最初からかわせばいいのに、なんで貴方という人はいつもいつも!!」
「俺はいつもこうだぞ。最初から解っていただろうが」
攻勢は入れ替わるする。
ガラードが詰め寄る。アイギスには認識できない速度であった。
気がつけば彼女は肉薄されていた。
「くっ!!」
即座に迎撃しようと爪を前に出す。
吸血族のあまり好まない近接戦闘。本来魔法のみで全てを片付けてしまう彼女たちの、その肉弾戦である。
「無駄だ!!」
ガラードは曲剣によってアイギスを斬り付ける。
「――あっ!?」
黒のドレスごと、その肩口に一閃。
白い肌に赤い筋。本来斬撃など意にも介さないはずの彼女の肉体が、すっぱりと斬れてしまっていた。
「なっ、なっ――」
生まれてこの方一度も傷つけられた事のない肌に傷を付けられ、アイギスは動揺してしまう。
その場は戦場、大将同士の戦いであったにもかかわらず、である。
「どうやら接近戦では屈折させる事はできないようだな。俺の勝ちだ」
刃を喉元に向け、余裕の表情でアイギスを見つめる。
「くっ――ガラードっ!!」
その瞳には涙が湛えられていた。
肌に傷を付けられたからではない。
自分が負けそうになっているからではない。
ただ、悔しかったのだ。

「貴方が、貴方が最初からそれ位強ければ、私は何も――」
「だから、強くなったから会いに来たのだ。認めろ。そして俺の物になればいい」

 唐突なプロポーズのような何かに、アイギスの瞳は揺れる。
「返事は我が城で聞かせてもらうぞ」
そうしてガラードは、アイギスが何か答える前に昏倒させた。


「はぁっ、はぁっ――おのれ、黒竜族めっ!!」
「くそっ、サムソン、返事をしろサムソンっ!!」
戦場も、凄惨なものとなっていた。
配下同士の戦いは案の定の泥沼であったが、黒竜兄弟とベテルギロスがぶつかり合い、五兄サムソンが戦死。
対してベテルギロスも修復が間に合わぬほどの重傷を負い、痛み分けとなっていた。
「このままでは済まさぬぞ、黒竜共っ!!」
「貴様ぁっ、よくも我が弟をっ!!」
互いに憎しみをたぎらせていたのも束の間。
一瞬、場が静まり返る。

 何事かと双方が振り向けば、そこには血まみれのガラードと、気を失い抱きかかえられるアイギスの姿があった。
これを見、黒竜族は沸き立ち、吸血族はざわめく。
「見るがいい吸血族の者達よ!! お前たちの総大将、アイギスは我が元にある!! 吸血王に伝えよ!! 『お前の娘は預かった』と!!」
勝ち誇ったような笑顔がそこにあった。黒竜族の勝利。これが決定した瞬間であった。
「馬鹿な……姫様が……」
唖然とするはベテルギロスである。配下の吸血族も消沈してしまっていた。
「この場は立ち去るがよかろう!! この上血に塗れさせたいのならば挑むが良い。だが、貴様らの中にこのアイギスを超えた猛者は居るまい!!」
そう、彼らの中で一番強いアイギスが、ガラードの手の中にある。
奪い返せないだろうし、恐らく勝つことは出来ない。
「くっ……姫様。申し訳ございません。爺がついていながら、このような――」
ようやく苦心して長族の一人を仕留めたというのに、それがこれでは。
無念としかいいようもなく、ベテルギロスは牙が砕けるまで強く噛み締めていた。
「――退け、撤退だ!!」
どうするのかと見守る吸血族らに、ベテルギロスは手を挙げ、指示を下す。
敗北の受け入れ。屈辱的な撤退指示であった。

 この戦いにより東部地域は完全に反乱軍、もとい黒竜族の支配下となった。
吸血族にとっては吸血王以上のブラッドマジックの使い手であるアイギスを失ったことは手痛い損失であり、この決着によって、魔王軍はますます窮地に立たされる事となる。
だが、ガラードも浅からぬ負傷をした事、五兄を失ったこと、兄弟とベテルギロスがぶつかり合う以前に少なくない数の黒竜がベテルギロス一人に負傷させられた事など、様々な要因が重なり、黒竜族がそれ以上の侵攻をする事はなかった。
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