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9章 変容する反乱

#1-3.深緑と新緑の対峙

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「――まあ、予定通りだわ」
樹木人族達のやる気のなさをわかってか、さほど呆れた様子もなく樹の上から見守っていたウィッチが一人。
深緑のとんがり帽子を手で押さえながら、胸元の紫水晶を手で握り締める。

 そうして、ウィッチが次に現れたのは自身の館。
東部・トランシルバニアの領主館である。
人気はほとんどなく、相変わらず廃墟も同然であった。
光を通さぬその瞳にもかかわらず、かつ、かつ、と、ブーツを鳴らし悠々と歩いてゆく。
慣れたもので、ただの一度も躓くことなく、ただの一度も壁にぶつからず、自室へとたどり着く。
ぎい、と、ドアを開けると、そこには少女が二人。
開いたドアに驚いた様子で、唖然としていた。

「ようやく目を醒ましたようね。アイゼンベルヘルト」
深緑のウィッチは、さほど感情を感じさせない表情で己が娘を見ていた。
「父上……これは一体どういう事なのですか? 私たちは楽園の塔に居たはずです」
「そうね。確かに貴方達は昨日まで楽園の塔に居たわ。もう日付も変わってしまったけれど。それは私が保証してあげる」
「……良かった。まだそんなに時間が経っていたわけではないのですね」
父の言葉に、アーティはわずかばかり安堵した様子であった。
だが、気は抜かず、油断なくその顔を見つめる。
「大分前から、父上が共感覚から外れていたのが気になっていましたが……もしや、父上は何か……」
「まあ、簡単な話だわ」
立ち話が億劫なのか、深緑のウィッチはつかつかと部屋に入り込み、部屋の奥側にある安楽椅子に腰掛ける。
ぎぃ、と音が鳴り、椅子が揺れた。
「楽園の塔をわが同胞の下へと送り込んだ。貴方は私の娘だから、まあ、思うところもあってここに転送したけどね」
相変わらず変わらぬ口調のまま、しかし、口元だけはにぃ、と歪ませ、深緑のウィッチは笑うのだ。
「――まあ、計算が適当だった所為で、余計な者まで一緒に転送してしまったようだけれど」
それだけが誤算だわね、と、ウィッチの視線がアーティの隣――ミーシャへと向けられた。

「……計算が適当だったって。私、誤算でこんなところに連れてこられたの?」
とほほ、と、額に手を当てるミーシャ。
何か訳があってかと思いきやただの巻き添えだったのだ。やってられない。
「どうやらそのようです。ごめんなさいミーシャさん。貴方を巻き込んでしまったようで――」
「まあ、いいけど……今の話聞く限り、なんか、塔に残ったままでもろくなことにならなかったみたいだし」
ぺこりと頭を下げるアーティであったが、ミーシャは「気にしなくて良いわよ」と笑って済ませようとしていた。

「お友達かしら?」
割って入ったのはウィッチである。ゆらゆらと椅子を揺らしながら、娘の顔を覗き込むように見上げる。
「ええ。その、魔法の鍛錬をしたいというので、付き合っています」
「アーティにはお世話になってるわ」
尚も落ち着かない様子のアーティに首をかしげながらも、ミーシャも続いた。

「――そう。ロクに魔法も扱えない出来損ないの割には、お友達を作るのは上手だったようね」

 ぴしり、と。ウィッチの言い放った言葉に、場が凍りついた。
「……っ」
アーティは、父親からの痛烈な皮肉に耐える様に袖をぎゅ、と、握り締め、口元を締める。
「ちょっと、それどういう――」
逆に、ミーシャが口を出しそうになっていた。
ミーシャには、何故アーティがこの女の事を父と呼ぶのかも解らなかったが、今のはとても親の言う台詞には思えなかったのだ。
だが、アーティは腕を横に、それを制する。
「いいんです、ミーシャさん」
「でも――」
「あら、別に嫌味で言ったわけではないのよ? 貴方は魔法の才能なんてないのだから、そういう方向で才能があるならそれを伸ばせば良いわ。もしかしたらお友達なら百人くらい集まるかもしれないわよ?」
くすくす、と、嫌らしく笑ってみせるウィッチに、アーティは無言のまま俯いてしまう。
ふるふると震える肩。
やがてその感情は全身に、そして部屋の空気にまで伝染する。
「別に言い返しても良いのよアイゼンベルヘルト。気に喰わない事があるならいくらでも言い返しなさい」
「――いえ」
「あらそう。相変わらず内に溜め込むのね。まあいいわ。別に一年や二年他所に出したからと、そうそう変わるものでもないと思っていたし――期待もしていなかったわ」
所詮こんなものよね、と、父は笑って見せるのだ。
侮蔑を込めた、つまらないものを見下すような口調で。
それは、とても娘に対しての言葉とは思えない辛らつなものであった。

「いい加減にしてよ。自分の娘にそこまで言うのはいくらなんでもおかしいわ!!」
爆発したのは、やはりミーシャであった。
理性では我慢すべきだと、良く解りもしないくせに人様の家庭のことに首を突っ込むのは良くないと解ってはいた。
だが、すぐ隣で涙目になって震えている友人がいて何故それを見過ごせるのか。
そう、ミーシャにとっても、この隣の少女はもう立派な友人となっていたのだ。
「黙りなさい人間の娘。人間なんて見ただけで吐き気がするわ。ましてお前は――ベルクハイデの人間でしょう?」
しかし、盲(めし)いたはずの瞳でじ、と顔を見つめられ、ミーシャはびくりと震えてしまう。
「そ、そうよ。だから何よ」
「アイゼンベルヘルト。貴方は馬鹿なの? 貴方の伯母上は――私の姉様は、ベルクハイデで討ち死にしたのよ? 人間達に惨たらしく刺し殺されて――貴方は何とも思わないの?」
それは、憎しみすら籠められた圧力であった。
表情が変わらないのが余計に陰鬱で、言葉にのみ籠められた重みが、部屋の空気を一層暗く落としていく。
「……父上。ミーシャさんはベルクハイデの戦いとは何の関係もありません。伯母様が亡くなられたのは私も悲しいですが――それは、戦の中でのことなのです」
怯みながらも視線を逸らさないミーシャに勇気付けられてか、今度はアーティがキッと見つめながら話す。
「戦の中の事なら許されるの? 私は人間が憎いわ。私から姉様を奪った。それだけで、私がその娘を殺す動機になるんじゃなくて?」
「やめてください! 私が誹(そし)りを受けるのは……私の出来が悪い所為なのでしょう。だけれど、ミーシャさんには何の罪もありません!!」
冗談めかしながらも冷ややかに微笑む父に、アーティは必死になって食って掛かる。
この雰囲気。この空気の重さ。
この父は、冗談ではなくミーシャを殺しかねないのだ。
そしてそれを止める手段をアーティもミーシャも持ち合わせていない。
戦いになればまず間違いなく負ける。それ位の明確な実力差があった。
だから、必死になってそれだけは避けようとしていた。

「……ふん。必死になっちゃって。そんなにそのお友達が大切なのかしら?」
つまらなさそうな言葉だった。ウィッチは顔を逸らし、窓の外へ。
「大切です。父上は私が変わってないと仰いますが、そんなことはありません。私は、楽園の塔で過ごした日々のおかげで、ここに居た頃よりもずっと変われたと思っています!!」
アーティは、ミーシャの顔を一瞬見ながら、そうして、はっきりと言ってのけた。

「下らない感傷ね。そんなにお友達が大切だというなら、よろしい。貴方達の友情とやらを見せて御覧なさい」
「……どういう事ですか?」
「そう掛からず、この館は悪魔王配下の軍勢に囲まれるわ。まあ、元々利用してただけだけど、私の計画に勘付いたようだから。私は、貴方一人なら一緒に逃がしてあげても良いと思っていたけれど、そのお友達が大切なら仕方ないわ。二人で頑張って逃げなさい」
ふ、と、椅子から立ち上がる。ずれた帽子を直しながら、に、と、笑って見せたのだ。

「上手く捕まらずに生き延びたら、貴方達の友情と実力を認めてあげましょう。一介のウィッチなら容易に、もし姉様だったなら――ほんの一瞬で済む程度の難易度だわ。こなしてごらんなさい」
できるでしょう? と、大した問題でもないかのように言ってのけた。
「恐らく、捕まれば殺されるわ。いえ、その前に見せしめで陵辱されるかしら? 無数の兵士達に嬲(なぶ)り者にされて、拷問にかけられて。まあ、もしかしたらお友達と一緒に逝けるかもしれないから、それはそれでいいんじゃないの?」
いずれにしても見ものだわ、と。口元を歪ませる父であったが。
アーティは気丈にその顔を睨みつけていた。
「……教えてください父上。父上は、一体何をしようと――何故私をここに――」
「私が生きる理由はただ一つ」
人指し指を一本、ゆったりとした動作で立てる。
「私の愛した――あの方の為、あの方の理想の為、私は生きているわ」
頬をほう、と赤く染めながら。ウィッチは乙女のように胸を抱き、ほう、と息をつく。
「貴方はその理想の上で役に立つと思ったからここに連れてきた。だけど、貴方はどうやら変な方向に歪んでいるみたいだから……計画の歪みは、早いうちに排斥した方が良いでしょう?」
「自分の娘でも容赦する気はないのね」
なんて父親よ、と、ミーシャも呆れてしまう。
「――容赦して欲しいの?」
「いいえ。要りませんわ。私とミーシャさんなら、これ位の苦難は乗り越えられるはずです」
「あらそう。なら必要ないわね。精々頑張りなさい。嬲り者にされてはしたなく惨めに死んでいったとしても、父は最期まで見守っていてあげるわ。ははっ、あはははっ」
さも愉快そうに壊れた笑顔で、胸元のネックレスをぎゅ、と掴む。
「なっ――」
そうして――深緑のウィッチは部屋から消え去った。
重苦しい空気ばかりを残し、文字通り、二人の視界から消えたのだ。


「……なんかその、ごめんね。我慢できなかった」
残された二人は、しばし沈黙していたままだったが。
やがて、意を決してミーシャが呟くように謝罪した。
「いえ、私のほうこそ。ミーシャさんが怒ってくれたのは嬉しかったです」
「友達だからね。他人ならスルーしてたけど、友達があんなひどい事言われてたら、ちょっと我慢できないわ」
掌をグーにして力を籠める。ミーシャとしても相当イラついていたのだ。
「それにしても、なんかすごい大変な事になるらしいって言ってたけど……」
「ええ。この館に悪魔王の配下が押し寄せてくるとか……」
「不味くないの?」
「実は、かなり不味いです。今のままだと間違いなく私達は悲惨な末路を辿る事になるかと」
とても笑えないお話であった。アーティはそんな時でも真面目な顔をしているが、ミーシャはそれどころではない。
「どうするのよそれ!? 早く館から出たほうが良いんじゃ――」
「いえ、父の口ぶりからして、多分逃げの手は打てないのでしょうね。それよりは、館を利用してなんとか迎撃できるように考えましょう」
アーティは既に戦う気になっていた。というより、父の口ぶりから逃げても無駄だと悟っていた。
「……でも、戦うと間違いなく悲惨な事になるんでしょ?」
「考えがあります。ミーシャさん、私が最初に教えたこと、覚えてますか?」
「最初にアーティさんから教わった事……? 『魔法に飲み込まれないように心を強く持つべし』とかそういうのだったっけ?」
「それです。まず、これがとても大事なので、決して忘れないようにしてください」
お願いしますね、と、指を立てながらミーシャの顔を見つめる。
「うん、まあ……精神修行が大事って言うのは何度も言われてるし、それは大丈夫……だと思うけど」
ミーシャはちょっと不安になってしまっていた。
アーティが何をするつもりなのか。何を考えてそんなことをわざわざ聞いてきたのか。それが解からないのだ。
「よろしい。では、私達が生き延びる為の作戦です、真面目に聞いてくださいね」
ただ、アーティがとても真面目な顔で話しているのと、自分達が生きるために必要な事なのだというのは伝わったので、ミーシャは息を呑みながらアーティに従うことにした。
生きて帰りたいから。


 ほどなく、領主館は有象無象の魔物兵達に囲まれていった。
悪魔王は、どうやら自らを利用した女を許すつもりはないらしい、と、苦笑しながら。
自慢の娘とその友人の戦いぶりを見てやろうと、彼女は箒の上、雲の中からゆったりと眺めていたのだ。
「精々頑張りなさい。貴方ならきっとできるはず。魔法など扱えずともいい。あの方の血を継ぐ貴方なら、きっと機転を利かせ、この苦境を乗り越えられるはずだわ」
その表情は先ほどまでの憎たらしげな魔族の顔ではなく、慈愛に満ちた親の顔であった。
娘に自信ありの、どこか余裕すら見せた表情。
娘達が危機に陥っているなどと思いもせず、ただただ、娘の成長見たさに、彼女は宙空を漂っていた。

 こうして、楽園の塔からさらわれた二人の、明日を掛けた戦いが始まった。
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