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9章 変容する反乱

#6-3.嘘の効能

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 同時刻、グレープ王国北部・トラウベン。
王都マスカットからほどなくの距離であるこの地では今、サフランを攻略した北部諸国連合の前衛軍と、大帝国・グレープ王国連合軍とが激しくぶつかり合っていた。

「いやあ、なんというか、地味ぃな戦いですわねぇ」
「いいじゃない、地味な戦い。私は好きよ」
こちらの指揮を執るのは、『エリーシャより』こちらに回されたエリーセル・ノアールの両名であった。
勿論それは名目上で、実際は魔王の指示の元、エリーシャへの手助けとして回された訳であるが。
「それにしても変な感覚ですわぁ。一旦は私とエリーセルを傷物にしたあの方を助けるため、こうして戦地に立つことになるなんてぇ」
複雑そうに唇を尖らせるノアールに、エリーセルは難しい顔のままそっぽを向いてしまう。
「仕方ないわ。これが旦那様の考えなのだもの。例え昨日まで敵であっても、それが旦那様の為であるなら私はそんな矛盾は無視するわ」
「そうですわねぇ。エリーセルもあんまり納得できてないようですけど?」
「なっ、そ、そんなことないわっ!! 私は、アリス様みたいに旦那様のお言葉に疑問を抱いたりなんてしないもの」
見透かしたようなノアールの言葉にあっさり動揺してしまうエリーセル。場の雰囲気に似合わぬコミカルな様子であった。
「まあ、お互い、アリス様の気持ちが少し解ったという事で良いんじゃないかしらぁ? 私はそう思うことにしましたけどぉ」
間延びした声でつらつらと語るノアールに、エリーセルも黙りこくってしまう。
しばし、沈黙が場を支配した。

「敵軍は分散形態。本隊の位置や全体的な数は不明。地形上、大部隊での進撃は不可能――なんとも守る側が不利な状況ね」
沈黙を破ったのはエリーセルの方から。
トラウベンは中央にしては森林地形が多く、街道も存在するがその多くが遮蔽物となる森や林に囲まれていた。
行軍するには動きをカムフラージュし易く、それだけに守りを固める側としては防衛が難しい地域であった。
「普通に考えたらこんな所で防衛戦なんて被害が増すだけ。無理せずさっさとマスカットで防戦の支度をしたほうがよほどマシですわねぇ」
ノアールも口元に指をあて、困ったように眉を下げていた。
「あの女王の指示だから仕方ないわ。確かにここなら、大軍は活かせないけど相手の対軍攻撃も通用しにくいし、ね……」

 森林地形の恩恵。それは対竜戦闘でフルに発揮される。
防衛サイドが一番警戒しているのは、実は今ぶつかり合っている北部諸国連合軍ではない。
サフランに襲い掛かったのだという金竜エレイソン、ただこの一騎だけが、エリーシャをはじめ、多くの者達にとっては脅威であった。
何せ黒竜をも超える巨大な竜である。ブレスの一撃も喰らわされればひとたまりも無い。
そういう意味ではマスカットで守りを固めるというのは、サフランの悲劇を繰り返すだけで得の無いことであった。
彼らがマスカットを攻め滅ぼすつもりならとっくに金竜が攻めているだろうし、もしそうならマスカットに兵を置いても、やはりブレスで溶かされるだけで何の意味も無い。
それなら、多少守りにくかろうと上空からブレスでの狙い撃ちがしにくい森林の中で戦ったほうが、まだ幾分勝機があるというものだった。
まあ、相手が無差別に狙うつもりがなければ、の話なのだが。

「私達はここで、マスカットに迫ろうとする敵の部隊を倒し続けなくてはいけないわ。敵が諦めて帰ってくれるまで」
「長い戦いになりそうねぇ。ああ、旦那様の顔が恋しいわぁ」
ふわふわと髪の毛を弄りながら、ノアールがぶちぶちとぶーたれていた。
「……ノアール。確かに離れるのは寂しいけれど、戻ったら旦那様にハグしてもらえるわよ?」
「本当ですかっ!? やる気が出ましたわ、大暴れしましょうエリーセル!!」
普段独特のテンションでマイペースを装っていたノアールであったが、これには大はしゃぎであった。
「勿論よ、私達人形にとってこれほど嬉しいご褒美はそうそうないわ!」
エリーセルも興奮していた。こちらは元々テンションが高かっただけだが。


 場所は変わり、魔王城・玉座の間。
玉座に君臨する魔王は、両脇を黒竜姫とエルゼに囲まれながら、先の事を考えようと巡らせていた。
「むう。出来る限り手は打ったつもりだが、まだ色々できそうな気がするなあ」
「現状、ラミアの軍勢が液魔族とぶつかりあい、連勝を重ねています。塔の娘達は……まあ、遠からず助けられるのでは?」
「アーティさんも水晶で無事が知らされましたし、とりあえず安心ですねっ」
両脇から現状報告。どちらも近かった。
「うむ、まあ……それはいいんだが。本当にこれだけで終わるのかと考えてしまうと、ちょっとね」
まだ何かあるかもしれない。
そう考えると、現状で満足してしまって良いのかと、先にまだやるべき事があるのではないかと思ってしまうのだ。
「とにかく、アーティ達に迎えをやらないとな。今はまだ無事でも、何があるか解らん」
「あ、そうですね。折角無事なんですもん、助けてあげないと」
塔の娘達は幸い無事で、今のところ自衛もできているらしく、ラミアが救援に向かっている。
これに対し、アーティ達は二人きり、それも消耗している様子が見て取れたので、すぐさま助けを回す必要があった。
そうして二人は、黒竜姫のほうを見ていた。

「――そんな訳ですまんがアンナよ、二人を救援に向かって行ってはくれないか?」
「がんばってください姉様」

「ちょっ、なんで私がっ――」
突然のフリに困惑する黒竜姫。
「城の転送陣は『何故か壊れてて』使えないし、私はトランシルバニアに行った事が無いから転移できないし。そう考えると、すぐ移動できてすぐ連れてこれるのはほら、君しかいないじゃないか」
魔王としても別に嫌がらせで言っている訳ではなかった。
他に選択肢がないのだ。仕方ないとしか言いようがない。
「そ、それは……そうですが。でも――」
だが、黒竜姫は黒竜姫で、ちら、とエルゼの顔を見ながら渋る。
「大丈夫ですわ黒竜の姉様。姉様不在の間は、私ががんばって師匠と遊んでますから」
任せてください、と、満面の笑みで胸を張るエルゼ。
「そんなだから嫌なのよっ!!」
黒竜姫は涙目であった。実の妹に嫉妬丸出しである。
「まあまあアンナ、そう言わずに。ここは私の顔を立てて、な? 頼むよ。君しかいないんだ」
とにかく黒竜姫に飛んでもらわなくては話にならない。
魔王はなだめすかしてゴマまですって、黒竜姫をその気にさせようとしたのだが。
「……うぐ。わ、解りましたわ。陛下がそこまで仰るなら――」
効果がありすぎたのか、黒竜姫は顔を真っ赤にしながらそっぽを向き、離れてしまう。
「ですが陛下。帰ったら、その――私のこと、構ってくださいましね?」
それが彼女の精一杯であった。そのまま、急ぎ足で玉座の間を去っていく黒竜姫を、魔王は苦笑いで見送っていた。


「師匠、師匠、見てください。リボンを変えてみたんです。似合いますか?」
二人きりになった玉座で、エルゼは遠慮なく魔王に甘えてくる。
黒竜姫の懸念は的中していた。
そもそも、こうさせたくなかったから黒竜姫は牽制していたのだが。
「ああ、似合うよ」
べたべたとくっついてくるエルゼの頭をなでてやりながら、魔王は人の良い笑顔で素直に褒めてやる。
すると満面の笑みになり、抱きついてくるのだ。
「えへへ、師匠、だーいすきですっ」
そうしてそのまま魔王の腿の上に座って見上げてくる。
「そうか……まあ、私はロリコンじゃないから、あまり人前ではその、くっついてはいけないよ?」
既に軽く手遅れな気もするが、体面は気にしたい魔王であった。
「私は別に変な噂になっても気にしないのですけど。そういえば師匠、今、人間世界って内戦に突入してしまっているんですよね?」
「内戦というか、同族同士の殺し合いと言うか……まあ、国家間の戦争に突入しているね」
実際には魔王の仕組んだことも少なからずあってのことなので、これは他人事でもなかったのだが。
魔王は酷く乾燥気味に、他人事のように語って見せた。
「という事は、トルテさんが危ないのではないでしょうか? 師匠、私をトルテさんの所にいかせてはくれませんか?」
駄目ですか? と、請うように見上げてくる。
「ううむ……今は、よくないなあ」
しかし、魔王は渋る。理由は明白であったが、それもエルゼには明かせなかった。
「なんでですか?」
「変に干渉してしまうかもしれないからね。今、中央はとても難しい事になっている。政治的にも、勿論、軍事的にもだが、タルト皇女本人の立ち位置もある」
難しい状況になっているタルト皇女に魔族の姫君であるエルゼが会いに来た、という展開は、誰の得にもならない。
まだ中央は、人々は、そこまで魔族に慣れていないからだ。
勿論全て嘘であったが、魔王はわざとそのように嘘をついてみせ、エルゼを諦めさせようとしていた。
「……そうですか。残念です。私、トルテさんと会いたかったのに」
目に見えてテンションが落ちていた。この雰囲気なら許されると思ったのかもしれない。
「すまんなあエルゼ。こらえておくれ」
今はまだ早い。エルゼに全てを報せるのは、せめて世界が落ち着いてからでいいんじゃあないか。
魔王はそう考え、なんとかエルゼを騙し続けていた。
同時に罪悪感にもさいなまれ、エルゼの顔をまっすぐ見るのが辛くなる事もあった。
それでも。それでも、まだ幼さの残るこの娘に、辛い思いをさせたくなかったのだ。
「師匠がそう言うのなら、エルゼは待ちます。でも師匠、絶対ですよ? 絶対、トルテさんと会わせて下さいね?」
お願いします、と、再び微笑みながら魔王の身体をゆする。
「あ、ああ……うむ、そうだね。約束だ」
その約束は、果たせない。
解っていながら、しかし、今のエルゼを守るため、魔王は嘘を付かざるをえなかった。
今は、こうするしかなかったのだ。
楽しげに笑うこの娘を前に、魔王は、心がギシギシと締め付けられていくのを感じずにはいられなかった。
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