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10章 世界の平和の為に
#5-3.解放
しおりを挟むザクリ、という音が玉座の間に響き、それは止まった。
衝撃。ウィッチは、自身の背から伝わる冷たい感覚にびくり、と痙攣し、そのまま倒れる。
「――油断したな? ウィッチ如きが」
後に残ったのは、頭が欠けたままウィッチの身体から黒い鎌を抜き取る、悪魔王の姿であった。
「かはっ――ま、さか、身体そのものが――」
血を吐きながらもなんとかその場から動こうとするウィッチに、悪魔王は容赦なく足を上げ――踏み潰した。
「ぐぅっ――が、ああっ!!」
アルルごと自身を潰そうとするそれから、なんとか両の手をつかえにしてアルルを庇おうとするウィッチ。
ぱきりぱきりと全身の骨がへし折れる音が響き渡る。
「ぎぃっ、あっ、あっ!」
「お前、如きが」
足を狙い踏みつければ、ウィッチの足は脆く砕けた。
「我の、邪魔をするなど――」
「ぐっ――あぁっ」
その背に再び蹴りを入れ、重圧し、鎌を突き刺す。
「身の程を――」
とどめとばかりに一撃を加えんとしたところで、悪魔王は違和感を感じていた。
既に頭の吹き飛んだ彼には解らぬ事ながら、耳鳴りのような感覚に戸惑いを覚え――そして、身体が動く。
「――っ!!」
飛び退きながらも構えられた鎌は、自身に向け振り下ろされた箒を受けていた。
ぎり、と柄を掴む手が軋む。
「お、お前は――」
「私の妹に――手を出すなぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
驚愕する悪魔王の前に立っていたのは、死んだはずの、あの、赤いとんがり帽子のウィッチであった。
ずぱりと、光を纏う箒が悪魔王の正面を鎌の柄ごと斬り裂く。
「ぐっ、ぐほぉっ」
「ね……さま――?」
どこから出しているのか、苦痛に呻き声を上げながら後退する悪魔王。
妹達を庇うように立ちながら、赤のウィッチは尚も追撃を加えんと箒を振りかぶる。
「燃え尽きろ――メギド!!」
業火の渦を悪魔王に向け放ちながら、キラキラと光る箒を振り下ろしてゆく。
「ぐっ、貴様っ、調子に――乗るなぁぁぁぁぁぁっ!!!」
だが、悪魔王とてただやられているだけではなかった。
一撃を加えんと向かってきたウィッチの箒の光に切り裂かれながら、その身体を飛沫へと変え、呪いに穢してやろうと襲い掛かったのだ。
「――そんなもの!」
しかし、何故かこのウィッチには呪いが通じない。
肌を汚し、顔にまで浴びせたはずの呪いは、しかし、何の影響もなく、ただの泥としてこびりついているに過ぎなかった。
「なっ、き、貴様はっ、何故だっ、何故――」
「これで、終わりよ!!」
そうしてとどめの一撃は、この赤いウィッチのものとなった。
眩いばかりの光が箒と、ウィッチ自身の掌から溢れ――悪魔王の身体を溶かしてゆく。
「ぐはぁっ、ひ、光が――やめ、やめろぉぉぉぉぉっ!!!」
液状となって飛び散り、半狂乱となって暴れようとする悪魔王に容赦なく振り下ろされる光の箒。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
『ホーリー――バッシュ!!』
その光は巨大なラインとなって、飛び散った悪魔王のその全てを飲み込んでゆき――消滅させた。
「……ぁ、あ……」
一部始終を理解できたのは、虫の息のウィッチがただ一人。それきりであった。
「……一人だけで、よく頑張ったわね」
全てを終え、自身の元に戻ってきた姉に。
死んだはずの、二度と会えないと思っていた姉の姿に、深緑のウィッチは涙を流していた。
「ねえ、さま……姉さま、わ、わたし――」
「うん」
「わ、たし、がんばったわ……あいする、あの方の為……あの方の、夢見た未来の為に、わたし、がんばっ……の――」
震えながらになんとか紡ぐその言葉を、姉は遮ったりせず、微笑みかけながら聞いていた。
「はぁっ、ねえさま……いま、どんなかおをしているの……? みえないの、ねえさまの、かおが、なんにも、みえないの……」
震える妹の手をそっと手に抱いて、自身の顔にあてがう。びくりと、背が震えていた。
「つめたい、わ……ねえさま、つめたい……」
「ごめんなさいね。弱い貴方を置いて、私は先に旅立ってしまった。蘇った訳ではないの。遠からず、私はまた天へと還らなくてはいけない――」
「――じゃあ、一緒ね。わたしたち、いっしょになれる。とるてさまと、ねえさまと、ああ、何も、怖いこと、なんて――」
「そうよ。何も怖くない。だから安心して。アーティもきっと、幸せに暮らせる世の中になるから」
「……うん。やっと、あえるんだわ、トル……さまと――ああ、ながかっ――」
そうして、一つの命が消えた。
「……う、ん」
アルルがようやく意識を取り戻した時には、既に誰も生きてはいなかった。
目の前には、俯くようにして深緑のウィッチを抱き抱える、赤いとんがり帽子のウィッチ。
彼女はアルルが目を醒ました事に気づき、生気のない瞳でぼんやりと見つめ、「ああ、生きてたのね」と、微笑んでいた。
「貴方は……たしか、死んだはずじゃ」
「ええ。もうすぐこの娘と一緒のところに還るわ。善い事ばかりしてた訳じゃないから、きっと二人揃って地獄行きでしょうけど」
はっきりし始める意識と共に、死んだはずの彼女がここにいる事に、アルルは強烈な違和感を感じていたのだが。
そんなことがどうでも良くなる位に、目の前の惨状は強烈であった。
「一体何が――私は確か、父上に」
「……悪魔王はもういないわ。私達が殺したの。これで、陛下の治世は、後一歩――」
ウィッチが言い終える前に、ぐら、と、その身体が揺れ、崩れ落ちる。
「ちょっと!?」
勢いのまま足に力を込める。なんとか立てた。
そのまま、ふらつきながらもアルルはウィッチに駆け寄ったのだが。
「――タイムリミットね。ちくしょう、ネクロマンサーめ、もうちょっと、融通利かせてくれたって――」
地べたに鼻先をつけながら、もう動かない身体を恨めしげに見やりながら。
ウィッチは、ただただ語り続ける。
「ラミア様に、お伝えして頂戴。『折角目を掛けていただいたのに申し訳ございません』と、私が謝っていた事。『あの日あの時、傷ついた私たち姉妹を、命がけでかばってくれた事、そのご恩、死しても、決して忘れません』と」
「そんな、貴方――」
「はぁ……あなた、生きなさいよ。絶対に、生きるの。陛下の治世は、きっと愉しい事だらけだわ。幸せな世界が待ってる、はず――」
止め処なく涙を溢れさせながらも、次第にその瞳からは色が薄れ、身体は急激に無機質に硬化してゆき――
「私も、その未来が見たかったけど――ああ、もういいわ、いいたいこと、ぜんぶいえ、た」
憑き物が落ちたような、さっぱりとしたような顔のまま、動かなくなる。
やがてその身体はぴしりぴしりとひびが入っていき、音もなく崩れ去った。
「……」
アルルは、しばし固まっていた。
あまりにも短時間の間にいろんなことが起きすぎて。
あまりにも突然の事が多すぎて、その心が、頭が、処理が追いつかずに困惑ばかりを生み出していたのだ。
だが、やがて押し寄せる感情の波はその身体を震えさせ。
「う――」
その瞳は耐え切れず、大量の涙で溢れてしまう。
「うぅっ――う~~~~!!」
悔しさに、やるせなさに、虚しさに、怒りに、悲しみに。
様々な感情がない交ぜとなり、奥歯を喰いしばりながら泣き声を噛み殺す。
それでも押さえきれず、嗚咽(おえつ)となってしまった。
こうして、世界がまた一つ、平和へと近づく。
それを許せぬ天使がいる事も知らぬまま。
魔王の治世は、平和へと進んでしまったのだ。
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