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10章 世界の平和の為に

#7-3.その頃の迷子二人

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「――んぅ」
彼女が目を醒ましたのは、随分と時間が経ってからであった。
最後に起きていたのは一体いつだったか。
「くぁ――はぁっ」
上身を起こし、ぐぐ、と背伸び。
辺りを見回すと、彼女にとって見慣れた金髪のお姫様と目が合う。
「……ミーシャさん」
「ようやく起きたのねアーティさん、よかった」
本を片手に、紺色の絨毯の上にしゃがみこんでいたミーシャは、彼女――アーティの無事ににっこりと微笑む。
「あれから、どれだけの時間が――?」
「んー、わかんないわ。すごく長い時間だと思うんだけど。私が目を醒ましてから大分経つし。それよりアーティさん、ここすごいわね! どこかの図書館かと思ったけど、なんか本棚の中に食べ物とかあるし! 近くにはトイレとシャワースペースもあったわ。おかげでアーティさんを待ってる間割と快適に過ごせたの」
寝るのだけちょっとしんどかったけどー、と、興奮気味に本棚を指差すミーシャ。
「ここは……魔王城の地下図書館……?」
周りをふらふらと見ると、かすかに見覚えのあるような天井、そして巨大な書庫。
何度か立ち入った記憶から、アーティは今の居場所になんとなしに思い当たっていた。
「ふぇっ? なに、ここって魔王城内だったの?」
「そのようですね……ただ、ここがどの辺りなのかが解らないのがなんとも――」

 少なくともすぐさま危険のある場所ではなかった。
ただ、今まで自分達がここに居て、誰もここに訪れなかったのだとしたら。
そう考えてしまい、アーティは顔面蒼白になっていく。

「どうしたの?」
「いえ、あの……ここってもしかして、ほとんど人の来ない『最奥の最奥』なんじゃ、って」
「なにそれ? 図書館の奥だと、何か不味い事があるの? 立ち入り禁止だったとか?」
事情の解らないミーシャは首を傾げるばかりだが、ある程度それがわかるアーティには恐怖であった。
「その、ここの図書館って、特定のルートを踏まないと決してたどり着けない場所があるらしくて。それが『最奥の書庫の最奥』って言われる、この図書館の最深層のことなんですけど……」
「今私達が居る場所がそこって事?」
「解らないですけど、ミーシャさんが起きてから、誰かと会ったりとか、しました?」
「ううん。誰も通りかからなかったわ。だから、アーティさんをほっとく訳にも行かないし、必要がなければ動かないでいたんだけど……」
流石におトイレとかは仕方ないけど、と、苦笑していたが、アーティが気にした問題はそこではなかった。
「その……通常、この図書館にはルールがあって、十字路に出たところですぐに引き返せばいつの間にかエントランスに戻ってしまうはずなんです……けど、噂に聞いた限りだとその『最奥の最奥』にはそのルールは適用されてないらしくて。つまり、帰り道が解らないと、最悪は延々迷い続けることになる可能性も……」
「……なんで図書館で迷うの?」
まずそこから分かっていないミーシャの頭にはクエスチョンばかりが浮かんでいた。
「そのー……うーん、なんていうのかなあ。ううん――」
アーティとしても図書館のルールを説明しにくく、俯いてしまう。
「まあ、説明しにくいなら良いわよ。とにかく、帰れないかもしれないって事?」
「そうなります……救援を待つにしても、私達がここにいるのかが誰にも伝わってないと流石に――」
「転移魔法とかは? 時間を掛ければ無理矢理にでも戻れるんじゃ?」
アーティの知識と魔力、ミーシャの魔法操作力があれば、難易度の高い転移魔法とて掛ける時間次第で可能かもしれない。
そんな希望にすがろうとするも、アーティは首を横に振る。
「残念な事に、この図書館内は一切の魔法使用が禁じられています。ここに居る間は、私達はただの少女です」
困った事に、手立てなしという方向で結論が出てしまった。
これにはミーシャもお手上げである。
「……どうするの?」
「ううん……私一人なら百年単位で迷い続ければもしかしたら出口を見つけることも可能かもしれませんが、ミーシャさんを連れてとなると迂闊に動かないほうがいいかもしれませんね。何より、どこにでもトイレとお風呂がある訳ではありませんから。近場にそれらがあるというなら、いっその事ここでひたすら救援を待つのも手かもしれません」
幸い、最低限のライフラインは図書館自身によって確保されている状態である。
本棚を見れば時間の経過で置かれる本が変わっていくのだから、ある程度の退屈も紛れるかもしれない。
「……本を読むのが嫌いな訳じゃないけど、流石にずーっとここにいるのは息が詰まるわねえ」
ミーシャは不満げであった。仕方ないといえば仕方ないのだが。
「ですが、このままここにいるのも――」
「あっ!」
「きゃっ――な、ど、どうしたんですか? 突然大きな声を――」
困りながらも、とりあえず今のままで居るしかないのだと説得しようとしたアーティであったが、突然声を上げたミーシャにびくりと身を縮こませてしまう。
「ごめん、なんか今、誰かがそこを通ったような」
ミーシャが指差す本棚の曲がり角。アーティも注目するが、今は何も居なかった。
「本当ですか? 何も――」
「こっちよ、ついてきてっ」
しかし、ミーシャは構わず走り出してしまう。
「あっ、ミーシャさん待って――ああもうっ」
勝手に先を行くミーシャに、頭を振りながらアーティも走り出した。


「いたっ、あそこっ!!」
走り続けてほどなく、ミーシャは人影を見つけ、指差す。
「えっ――あ、本当……」
今度はアーティもそれを見る。本棚に挟まれた一本道。その最奥に、ココア色の髪の女性が歩いていた。
「そこの貴方、待ってくださいっ、私達道に迷って――」
必死に駆け寄るミーシャ。しかし追いつけない。歩いているだけのその影に、いつまでもたどり着けない。
「なんで、こんな――」
こんなに遠いの?
自分の視覚に異常でもあるのか。幻影でも見ているのか。
理解できないまま、しかしそれでも追い続ける。それしか、彼女たちにはなかったのだ。

「はぁっ、はぁ――」
「う……っく、ひっ、はぁっ――」
そうして見失い、立ち止まって息を整えるミーシャ。
遅れて、アーティがのろのろと歩きながら肩で息していた。
「はぁ、ふぅっ――はっ、はぁっ」
荒い息。振り向いて、ミーシャがアーティの背中をさすった。
「ごめん、アーティさん。見失ったわ」
「ふぅ、ふ……っ、はあ、そう、ですか」
くったりとその場に膝を付いてしまう。
体力のないアーティにとって、例え短い距離でもミーシャに追いつくために全力疾走したのは苦しすぎた。
「アーティさん、体力なさすぎ」
だが、ミーシャは苦笑するばかりであった。
お姫様育ちの自分もそんなに体力があるほうじゃないけど、それにしてもかよわ過ぎるんじゃ、と。可笑しくなってしまったのだ。
だが、そんな和やかなムードも、次にはもう消し飛んでいた。
「ねえ、あの扉、何かな?」
なんとなしに周りを見たミーシャ。はるか先に見える突き当りに、巨大な扉があるように見えたのだ。
「扉……? ここの図書館には、出入り口以外に扉はなかったはずですが――」
何故そんなものが、と、ようやく息を整え終わったアーティが正面を見据える。
「でも、ありますね、扉。何でしょう」
実際問題あるのだ。色々疑問に思うが、気になる事も多い。
「ね、アーティさん。さっきの人、もしかしてあの扉の先に――」
「その可能性はありますが、何か危険な事があるかもしれませんよ。私が知る限り、この図書館にあんな扉があるなんて、誰からも聞いたことはありませんでした」
なにせリスクが大きいのだから、迂闊に入らないほうが良い、とはアーティも思うのだが。
「でも、今のままじゃ埒が明かないわ。入りましょ」
だが、ミーシャはかえりみなかった。ほら、と、手を差し出し、アーティに立ち上がるように促す。
「もう、仕方ないですね――はぁ」
そのままでいても仕方ないというのはアーティもわかっていた事ながら。
自分ひとりでは絶対選ばない選択をこの友人が選び続けていくその様には、アーティも感じるものがあった。
「解りました、行きましょう。でも、危険かどうかが解らないですから、私が前に立ちます、いいですね?」
「え……で、でも、何かあったときに私が後ろよりは、前に立ったほうがアーティさんも逃げやすくない?」
先ほどのアーティの鈍足と体力のなさを見ていれば、いざという時にアーティが前に居たのでは、そのまま逃げ遅れてしまう恐れもある。
足の速い自分が前に出たほうが、二人揃って逃げ出すにはいいんじゃ、とミーシャは考えたのだが。
「いいえ。私は魔族ですから人間の方が死ぬようなことでも、場合によっては死なずに済む事もあります。逆に私が負傷で済むような事でも、貴方にとっては即死になる事もありますから――」
華奢に見えるアーティではあるが、それでも人間のミーシャと比べれば大分身体は頑丈に出来ている。
基礎的な部分で身体のつくりが違うのだ。こうした時、その差は大きい。
「それに、貴方だと何かの際にどんどん前に進んでしまいそうで怖いですし……」
「ひどっ――もう、いいわよ。アーティさんに任せる」
友人による突然の子ども扱いに、ミーシャはちょっと傷ついていた。

「いいですか? 開けますよ?」
「うん、覚悟できた――押せる?」
扉に手をかけるアーティ。重そうな扉はしかし、意外なほどすんなりと押せてしまい――
「えっ」
「これは――」
そうして、二人は扉から溢れた光に飲み込まれ――消えた。
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