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10章 世界の平和の為に

#10-3.誰よりも他者の幸せを願った女王

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 大帝国帝都アプリコットは今、騒乱に支配されていた。
女王エリーシャに反対する民衆は城を囲み、最早一刻も待てず突入せんと騒ぎ立てていた。
門衛らの姿はどこへやら、今は堅く閉じられた城門のみが民衆を抑える壁である。

「エリーシャ、もうここまでだな」
私室にて静かに佇む女王エリーシャの前に、快気したばかりの勇者リットルが立っていた。
その表情は怒りに満ちており、肩は震えていた。
「――そうね。もうすぐ終わるわ」
対して、エリーシャは窓の外を眺めながら、力なく答えるばかりである。
「なんでだ――」
その様にリットルは抑えきれず、吐露してしまう。
「なんであんたは、最後までそんな・・・なんだ!? 民衆がここまで行動を起こしてるんだぞ!? もっと、もっと前もって察知できてただろ? 国民をなだめるための行動だって、あんたなら取れただろうに!」
「ええ、取れたわ。でも、それじゃ意味が無いもの」
興奮気味に詰め寄るリットルに、しかしエリーシャは微動だにせず、微笑むばかり。
「意味ならあるだろ! あんたが長生きできる。さっさと女王なんて退陣して、皇帝に全部押し付けりゃいい!! これ以上自分を削るような事をしなくたっていいだろ!!」
「駄目よ。私が長生きしてどうするのよ。そんな事より、この国の未来の方が大事よ」
赤い髪留めにまとめられた亜麻色が揺れる。
自分の肩に手を置き引っ張るリットルの手を包みながら、窓の外へと視線を向ける。
見渡す限りが人で埋め尽くされていた。分厚い窓は外部からの音を遮断するが、それでもその熱気が伝わるほどに。
人々は、エリーシャという悪女の排斥の為、熱くなっていた。
「素晴らしい事よ。私という国難を排斥するために、国民が団結して動いている。こんな素晴らしい光景、私はどこの国でだって見た事が無いわ」
幸せそうにとろけた瞳をしながら、エリーシャはリットルに笑いかけるのだ。
その手には何ら力がこもっていない。

「……なんで」
「……?」
「なんで、あんたじゃなきゃいけなかったんだ? 他の誰かじゃ駄目なのか? こんな事して、こんなに弱るまで自分を犠牲にして、守ろうとした民にまで嫌われて、追い出されようとして。あんたは、何が楽しいんだ? 幸せなのか?」
「何を言ってるのリットル。私の大切な人達が暮らしたこの国が、世界の中心となった。人々は団結しているのを確認できた。平和な世界を見られないのは残念だけど、私の後はきっと、シフォン様が、そして新たに生まれたカシュー君が引き継いでくれる。こんなに満足な事はないわ」
悔しげに歯を噛むリットルに対し、エリーシャは満面の笑みであった。ソレが余計、リットルの感情を腐らせていく。
「ただの村娘がここまでやったのよ? 悪名位、何だって言うのよ。残りの人生を投げ出してでもやる価値は、十分にあったわ」
何一つ不満を感じていない。自分がこれからどうなるかなんて解った上で、それでも構わずその先に進もうとしていた。
彼女はもう、進むことしかできなかったのだ。後ろに下がるなんて選択肢は、最初から捨てていたのだから。
「――俺は」
だが、リットルは承服できない。
そんな彼女の笑顔が、たまらなく憎たらしく映っていた。
「俺は、あんたのそんな顔を見たくてあんたの傍にいたんじゃねぇんだぞ!?」
「リットル……?」
突然の怒鳴り声に、さしものエリーシャも驚いていたが、リットルは構いもしない。
「なんであんたがそんな苦しむ必要があるんだよ!! あんた一人がっ、もっと周りを頼れよ!! 『助けてくれ』と、『手伝ってくれ』と言ってくれよ!! 俺はなっ、惚れた女が周りの奴らにこき下ろされてっ、そんなんでも笑ってるところなんて見たくねぇんだ!!」
あまりにも自分勝手な怒りであった。だが、本心からの叫びであった。
「幸せにっ……もっと良い幸せがあるだろうがよ……誰も、あんたの献身なんて望んじゃいないんだ。皆が願ってることをわかってくれよ。俺は、俺達は、皆、あんたが笑えたらって、幸せになれたらって、そう思って傍にいたのに――なんで肝心のあんたが、そんななんだよ……どうしたらいいんだよ。どうしたらいいんだよ、エリーシャ!!」
そんな彼の涙ながらの吐露に、やがてエリーシャは悲しげな顔をして、俯いてしまう。
そうしてしばし、沈黙。

「ありがとうリットル。だけどね、違うの。これは無理をしてるとかじゃなくって。私にとってはこれが幸せで、こうしたかったからこうしただけなの。だから、貴方の期待に添えなくて、ごめんなさい」
「期待っ――違うんだよっ、違うんだ……これは、これは、ただの俺のわがままなんだ。傍にいて、少しでもあんたが、俺から見て幸せなようになれればって……そんな、身勝手なことを考えてただけなんだ」
自分の想いは押し付けに過ぎなかったのだと、リットルは解っていた。
解っていたが、こらえられなかったのだ。
「なあ、頼むよエリーシャ。今ならまだ間に合う。俺と一緒に逃げてくれ。俺ならあんたを守れる。いや、守り抜いてみせる」
それは、告白なのか。あるいは彼自身の慰めの為の言葉だったのか。
いずれにせよ、エリーシャにとっては嬉しいものであったが。
「……リットル。貴方に最後のお願いがあるの」
エリーシャは意にも介さず、じ、と、リットルを見つめていた。
歯を噛みながらに訴えていたリットルは、しかし、そんなエリーシャの瞳に何も言えなくなる。

「『私を倒すために』彼らの先頭に立ってあげて。打倒エリーシャを掲げて、私を討ち取って欲しいの」

 そうして、待った言葉は、彼の心を一層締め上げるものとなっていた。
がくり、その場に崩れ落ち、リットルは声を殺し泣いてしまった。これ以上は、堪えられなかった。
(……ごめんね、リットル)
最後の最後まで自分に尽くしてくれた盟友を突き放すような事を言ってしまった。
それがどれだけ彼を傷つけたのか、解った上で、それでもそうしなればならなかったのだ。
(せめて、貴方は英雄として後の世界に語り継がれてね)
自分でもひどい事をしていると思いながら、エリーシャはその崩れ落ちた頭に手を当て、静かに髪を撫でていた。


 エリーシャの私室を出たリットルは、廊下を足早に歩いていた。
歯を食いしばり、拳を強く握りながら。力強く、そして苛立ちを露にしながら。
これから自身のする行動は、惚れた女をとことんまで貶める行為である。
今も尚城内に突入せんと城門をこじ開けようとしている民衆の前に立ち、「共に女王を倒そう」と音頭を取らねばならぬのだ。
そうして城内に突入、女王を発見し、殺さなくてはならない。
恐らく、エリーシャは抵抗しないだろう。できないだろう。討ち取る事は容易に思えた。
だからこそ、自分がその最後を見てやらねばならないのだ。と。
苦渋の末。しかし、それが彼女の最後の願いであるというなら、無視する事はできなかった。
本当に酷い女だ。本当に最低だ。悪女だ。
自分の心を見透かした上で、それがどれだけ傷つけるのか解った上で、それでもやってくれと頼んできたのだ。
度し難い。あんな女に惚れた自分が情けない。と。
情けないが、そんな選択をできてしまう彼女の言う事を、無視なんてできなかったのだ、彼は。

「……っ!?」

 そうして、靴音が聞こえた。
出会ってしまう。
漆黒の外套に身を包む長身の中年男。
どこで失ったのか、左腕がなくなっていたが、そんな事は気にもならなかった。
「――まるで死神みたいなタイミングで着やがる」
相対し、一言。皮肉の一つもぶつけてやらねば気が済まなかった。
最後に会った顔見知りという地位すら、この男は奪おうというのだ。憎たらしい。腹が立つ、と。
「エリーシャさんは?」
「『まだ』生きてるぜ。だが、会うなら早いほうが良いだろうな。俺はこれから民衆の前に立つ。エリーシャを討たなきゃいけねぇ!」
苛立ちながらのリットルの言葉に、しかしこの中年は考えるように顎に手をやり、そのまま歩き出す。
「ありがとうリットル」
言いながら手を挙げ、言われたように先を急ぐ様子であった。
「俺が駆けつけるまでにはいなくなっとけよ。面倒ごとになるのは、エリーシャだって望んでないはずだ」
「ああ、解っている」
その背に向けられた言葉を、魔王はありがたい、とばかりに素直に受け取っていた。
「――ちくしょうめ。なんだって、あんたなんだ」
惚れた女の傍にいられるのは、よりにもよって敵方の総大将だった男だなんて。
三流の芝居でももう少しはまともな結末だと、リットルは皮肉げに喚きながら歩き出した。
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