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11章.重なる世界

#3B-3.絶望の未来より

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 それから何百年が経過したであろうか。
世界は、人間と魔族の両雄りょうゆうの願いどおり、真なる平和への道を歩む事となる。
いがみ合っていた両者も、長い試行錯誤の繰り返しによって少しずつではあるが融和していき、もはや、戦争の事もうっすら、忘れられるようになりつつあった。

 そんな中、突如としてどこからか現れた金色の竜によって、ガトークーヘンという国が滅亡した。
魔族の襲撃かと人間側は警戒したが、これは魔族側も寝耳に水の事態であり、魔王ネクロマンサーは急遽討伐隊を編成。
ただ一人関わる事に反対し続ける黒竜翁を無視し、伯爵を筆頭にした上級魔族らで編成される討伐隊は、金色の竜の拠点と思われるディオミスに進撃するも、伯爵一人を残して皆殺しにされる始末であった。
そうして今度は、生き残った伯爵の証言により衝撃の事実が報らされる。

「あれは、竜などではない。他者に変異する化け物だ」

 苦い顔でネクロマンサーに報せる伯爵自身もかなりの重傷で、ヴァルキリーに付き添われ、辛うじて魔王城に戻れた次第であった。
「他者に変異する化け物……倒せたのですか?」
「いいや、すまん……金色の竜を追い詰めこそしたが、土壇場で私自身に変異されてな。驚くべき事に、無傷の時の私と全く同じなのだ。既に手傷を受けていた私には、手に負えなかった」
「そんな、伯爵殿が……」
先代魔王に匹敵すると言われた魔王軍最強の一角がそう言うのだ。
ネクロマンサーとて自身の力量に覚えはあるものの、戦慄するばかりであった。
「奴にもダメージは与えたはずだが、私よりは浅いだろうな。逃げられてしまったよ」
「申し訳ございません……私に、ためらいがなければ」
傍に控えるヴァルキリーは、俯きながらに謝罪する。
伯爵の傍にはヴァルキリーが常に寄り添っている。このヴァルキリーが在る限り、化け物に伯爵相応の実力があったとしても、これを倒す事は容易なはずであった。
だが、それはできなかったのだ。
「旦那様と同じ容姿、同じ雰囲気をしたあの敵に……私は、躊躇ためらってしまいました。その所為で、このような――」
「仕方ないさ。お前は気にしなくても良い」
自身を責めるヴァルキリーに、伯爵は笑って流そうとする。
「ですが、そうなると問題ですね。敵は、伯爵殿の姿をしたまま、いずことも分かれぬ場所に潜んでしまっている。恐らくは、傷が癒えるまでは人目に付くような事はしないでしょう」
顎に手を当て、考え込むネクロマンサー。伯爵も頷いた。
「私もそう思う。だから人間世界に周知が必要だ。私のような外見の者が現れたら、逃げるよう伝えねばならん」
もし彼と同じ姿のまま、また人間世界に襲撃してきたならば。
これは、魔族による攻撃と受け取られても仕方が無い事となる。何せ、人間には区別等つかないのだ。
ようやく訪れようとした平穏の中、泥をぶつけられたような形となってしまう。これはいただけない。

「それでしたら、私が各国を回り、伝えてまいりましょうか?」

 玉座の間に、女の声が響く。
玉座の間の入り口には、彼らには見慣れたチョコレートの髪の女が立っていた。
「おお、エルフィリース殿。来ていらしたのなら、一声かけていただければ」
難しげな顔をしていたネクロマンサーであったが、盟友の姿に頬を緩め、玉座から立ち上がる。
「ただ顔を見に来ただけのつもりでしたが、なにやら難しそうなお話をしていたもので。ガトークーヘンの襲撃者のお話ですよね?」
「うむ。そうなのだ。最初は竜の姿をしていたのだが、後一歩のところで急激に姿を変えてな……私と同じ姿になってしまった」
伯爵はというと、苦々しい表情のまま、エルフィリースへと向き直る。
「正直、我々でもてこずるかもしれん。人間側の方々に迷惑をかけるわけにもいかんが、最悪の事態を考え、退避を――」
「いいえ。そういう事でしたら、人間側からも兵力を出しましょう。きちんと説明すれば、その辺りの事情も解ってもらえるはずです」
私が間に立ちますから、と、微笑みながらに、ヴァルキリーの隣に立つ。
「協力しましょう。これは魔族だけの問題ではなく、人間の問題でもあるのですから。互いに手を取りあい、問題を解決するのです」
「……ありがたい。人間側の協力、感謝する。では、詳しい話をする為に各国の王らと連絡を取っていただきたい。こちらも戦力の投入には一切出し惜しみはしません。最悪を考え、総力戦のつもりで臨みます」
伯爵の力とはそれだけ絶大なのだ。これを倒すためには、相応の戦力を整える必要がある。
幸い人間側にもそれなりに戦力があるのだ。これと協力すれば、撃破も可能かもしれない、と、ネクロマンサーは考えた。
「解りました。では、私はこれで。戦いの際には、私も参加させていただきますわ」
小さくお辞儀し、エルフィリースは去っていく。
後にはほっとした様子のネクロマンサー達。
だが、ヴァルキリーは一人、どこか不安げに視線を泳がせていた。



 現実は、更なる地獄を演出していた。
倒れ伏す兵達。傷つき動けなくなった名のある武将達が、呻きながらにその戦いを見つめる。
戦いは熾烈を極めた。『伯爵』の姿をした謎の化け物は、その絶大な力を発揮し邪魔立てする全てのモノを破壊しつくした。
魔族であろうと人間であろうと関係は無い。全てを敵視し、襲い掛かった。

 死闘が繰り広げられていた。
魔王が倒れ、同じ顔をした男同士が、血を流しながらに闘っていた。
だが、完全な互角ではなく、やや一方が押し込まれる形であり、やがてその劣勢が大きなものへと変わり、敗北が確定的になってゆく。
「――くぅっ、まさか、自分と同じ顔をした奴に敗ける事になるとはな」
首を締められながら辛うじて吐いた台詞に、同じ顔をした化け物は哂った。
「悔しいか? 恨むならば、己が歩んできた道を恨むが良い。貴様の道は――余りにも血に塗れすぎた」
ぐぐ、と力を込められ、それと共に、腹に一撃、抉りこむように拳がねじ込まれる。
「ぐふぉっ」
「旦那様――」
「見ろ、お前の愛しい女が、助ける事も出来ずに見ている。愚かな事だ。お前のような異物は、この世界に来るべきではなかった」
遠巻きにそれを眺める事しかできないヴァルキリーを見やりながら、化け物は口元をにやつかせる。
「ふふ、いい、女だろう……? 私の為を思って、何も出来ないでいるのだ。あんなに、いい女は、そうはいない――」
「そうだな。だが安心しろ。私が代わりにもらってやる。この世界ごとだ」
ぎり、と首を絞める力をさらに強め……そうして、抉りこんだ拳を引き――手刀を打ち込んだ。
「――かっ……はぁっ」
手刀はそのまま伯爵の腹をつらぬき、やがてその内部を破壊しつくす。
終わりだった。全ての終わりだった。

「……あ、あぁ」
ヴァルキリーは、ソレを見ながらに、手を出せない己の無力を悔いていた。
それと同時に、これから起こるであろう事にも気づきながら。
「まさか……ネクロマンサー殿だけでなく、伯爵殿まで倒されるだなんて……」
絶望の表情ながらに隣でそれを見ていたエルフィリースに向き、一言。
「エルフィリース。どうやらここまでのようです」
淡々と告げ、そしてエルフィリースの前に立つ。
「ヴァルキリーさん……?」
「お逃げなさい。ここは貴方の死ぬべき場所ではない。旦那様がああ・・なってしまった以上、この世界はもう永くは保たないでしょう――」
じゃらん、と、手に持った長剣を振り、化け物を睨み付ける。
「数多くの者を逃がす猶予はないでしょう。ですがエルフィリース、貴方には、生きていて欲しい。万一を考えて、娘達を『外』に逃がしておいて正解でした。やはり、私はあの時の予感に従うべきだった」
「何を言っているのヴァルキリーさん? 戦うというなら、私だって――」
「無意味ですわ」
共に戦おうとするエルフィリースに、ヴァルキリーははっきりと言い捨てる。
「最早、この化け物を倒せばそれで済むというものではなくなりました。恐らくは私も――あの化け物とて、何の意味も無いのです。完全なる勝利の前には、全ての存在に、意味が無くなる」
一瞬だけエルフィリースの顔を見つめ、またすぐに化け物を……いや、その手に掴まれたまま、動かなくなった夫の顔を見た。
「あれは、外殻なのです。全てを破壊しつくしてしまう根源の化け物を押さえ込むための、『最強の魔王』という名の外殻。それが今、壊されてしまった。もう終わりです。この世界は、誰にも救えないわ――」
やがて、エルフィリースは自身の周囲に光が寄ってくるのを感じていた。
「何故ですっ!? それは一体――」
「『これ』は貴方に返しておきますよ。ありがとう。貴方のおかげで、私は愛しい方と、最後まで共に在る事が出来た。この身は滅ぶでしょうが――」
遠くなっていく意識、最後の最後、振り向いたヴァルキリーがエルフィリースの手に何かを握らせ――その背から、急激に膨張する『黒』が迫ってくるのが見えた。

「もしかしたら、同じ事が他の『この世界』でも起きるかもしれない。どうか……どうか、他の世界の旦那様を、そして貴方の大切な人達に、このことを――」

 そんな声を響かせながら。
遥か遠く彼方に飛ばされていく彼女が最後に見たのは、化け物も、ヴァルキリーも、倒れる人々すら、全てを飲み込んでゆく圧倒的な黒の存在。


 こうして、一つのシャルムシャリーストークが滅亡した。
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