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11章.重なる世界

#3C-2.魔王城の奇跡(後)

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「伯爵殿。刀身がここにあるという事は、ヴァルキリーさんは?」
やがて間を置き、魔王がわずかばかり落ち着いたのを見計らって、エルフィリースはヴァルキリーの刀身を拾っていた。
世界が違うとはいえ、親友の身体である。その本体が何処にあるのかが気になったのだ。
「身体は見ての通りだ。だが、私はアリスちゃん達を犠牲にしてまで、あいつを蘇らせる事は、できなかったんだ……」
そう、ここは、一つの選択の末の世界。
魔王が、ヴァルキリーよりもアリス達と共にいる事を選んだ世界なのだ。
「つまり、ヴァルキリーさんの魂が収まれば、また蘇る可能性がある、と?」
「それはそうだろうが、肝心の魂がな……アリスちゃん自身が消滅してしまった今となっては、恐らく――」
魔王は苦笑する。諦めの笑いだった。力の無い笑いだった。
「師匠……」
そんな魔王に、エルゼは悲しそうに眼を背ける。
そんな師は、見ていたくはなかったのだ。大人が悲しみに打ちひしがれる姿は、少女にはひどく辛いものであった。
だが、エルフィリースは笑っていた。
「そう。解ったわ――」
トルテと全く同じ顔で、しかし、どこか大人の余裕を感じさせる笑顔を見せながら、彼女は立ち上がる。
手にはヴァルキリーの刀身と、それから――あの時に預かった、逆十字のネックレス。
「その十字架は――エルリルフィルス、君は一体――」

「蘇りなさい。ヴァルキリーさん。貴方は、まだ死ぬには早い――」

 彼女が知る良しもないが、偶然、彼女の世界のネクロマンサーがやったように、柄に鎖を、刀身に逆十字を当て、そう唱えていた。
神聖な光が辺りに広がる。眩い光が、魔王の、カルバーンの、そしてエルゼの眼を白の世界へと誘った。

 一瞬の光の中、二人の影が立っていた。
一人は、魔王とエルフィリースにしか見覚えの無い、侍女の姿をした金髪碧眼の天使。
そしてもう一人は――アリスであった。
「――アリスちゃんっ!! それにヴァルキリー!?」
「旦那様っ!!」
「これは……エルフィリース、貴方が……?」
涙ながらに抱きしめあう魔王とアリス。
それを見て、ヴァルキリーは自身の前に立つエルフィリースの顔を見る。
「……ええ。私一人じゃ、なんとなく寂しかったから」
貴方も道連れですよ、と、小さな拳をヴァルキリーの腕にあて、笑った。

「おかえりなさい。ヴァルキリーさん。また会えて嬉しいわ」
「ええ、私もです。エルフィリース」


「ねえ妹」
「誰が妹ですか……なんです?」
「私、状況が全くわかんないんだけど、あんた解る?」
「解りません。全くわかんないです。だけど、すごく居心地が悪いです」
本来当事者の一番近くにいたはずの二人は、何故だか二人して謎の疎外感に包まれ、ぐんにゃりしていた。

「ん……?」
そんな二人に気づいてか、ヴァルキリーはカルバーンの前に立つ。
「え、な、なんですか……?」
アンナちゃんよりもすごいのでは、と思うほどの美貌に、思わずどぎまぎしてしまうカルバーン。
「……アリス、貴方、翼はどうしたのですか!? この母から受け継いだ翼は!?」
そうかと思えば、突然肩をがっと掴まれ、その切れ目の瞳で睨みつけられながら揺すられる。
「えっ、うわ、や、やめっ」
ものすごい力であった。カルバーンをして抗えぬほどの剛力。
そしてその剣幕はとても怖く、隣に立っていただけのエルゼは最早涙目である。
「一体どうしたというのです!? 何があって天使の翼を――」
「落ち着いてくださいヴァルキリーさん。その娘、アリスではないわよ?」
そんな二人の様子に苦笑しながら、エルフィリースが寄ってきてぽん、とヴァルキリーの肩に手を置いた。
「……アリスでは、ない?」
はっと我に返り振り向き、エルフィリースを見つめる。
「この娘は……なんていうのかしら。この世界だと、私に良く似た人? の娘みたい。だからね、貴方の娘じゃないのよ、その娘」
カルバーンを指差しながら「間違えないであげてね」と、にっこり微笑む。
「そんな……そうでしたか、ごめんなさい、私とした事が」
「あっ、そ、その……うん、もういいです」
ヴァルキリーはすぐに過ちに気づき謝るも、完全に恐縮してしまったカルバーンは、その恐怖にがたがたと震えながら視線を逸らすばかりであった。

「よくよく考えれば、アリスとエリステラは、世界の外に逃がしたのでした。こんなところにいるはずが無いのですね」
「そうでしょう? 私もおかしいなあって思ったわ。ヴァルキリーさん、意外と娘の事になると周りが見えなくなるのね」
面白いわ、と、からからと笑うエルフィリース。
「……お恥ずかしい限りですわ」
ヴァルキリーは照れたように俯き、頬を赤くしていた。


「――今の話を聞く限り、君たちのいた世界では、私はヴァルキリーと子を儲けた、という事になるのかな?」
一連の流れを愉快げに見ていた魔王は、その状況をまとめ、問う。
「そのようですね。同じ旦那様のはずなのに、今の貴方からは、私の愛した方とは違うような印象を受けます……」
何故でしょう、と、口元に手をやるヴァルキリー。
「なぜかは私にも解らんが、しかしなんだな。娘にアリスと名付けたのか。そちらの世界の私は」
「ええ。私を復活させるため、犠牲になった人形の為に……」
まだ涙目になったまま、魔王の後ろで袖を握っていたアリスを見やりながら、ヴァルキリーは微笑む。
「ですが、この世界では、その人形が、私の代わりに旦那様の傍に居続けてくれたのですね。そして、ドッペルゲンガーは、消えた」
「……なんにも無い奴だった。あいつと私は、きっと似ていたんだ。だが、根本的な部分で違っていたのだろうな。似ていただけだったんだ」
既にクレーターとなっているだけの床を見ながら、魔王は頬を引き締める。
「私になどならなければ、過ぎた力を持たなければ、もしかしたら、分かりあえる事もあったかも知れんが。だが、私もたくさんのモノを失ったなあ」
折角分かり合えたエレイソンを失い、大切な部下までも失ってしまった。
思うところは多いのか、魔王の言葉に一堂、皆黙りこくってしまう。

「……まだ終わりじゃないですわ。外では戦いが続いています」

 沈黙を殺したのは、りんとした声。
参謀本部だった部屋の入り口。どこかで見たような侍女の格好をした娘が、そこに立っていた。
「うん……君は、レスターリーム……いや、違うな」
「――アンナちゃんっ!」
魔王がその侍女の正体に気づくのと、カルバーンが向かっていくのはほぼ同時であった。
「アンナちゃんっ、アンナちゃんっ、ああ会いたかったよーっ」
「うぐっ――ちょっ、は、放しなさいカルバーンっ、いま大切なっ――」
「あははははっ、ああよかった。また会えたねっ、アンナちゃんアンナちゃんアンナちゃんっ」
うれしさがフルカウントで突き抜けてしまい、カルバーンにはもはや、アンナの言葉など耳に入っていないらしかった。
「黒竜の姉様……顔が、顔が青くなっていっています」
「ヴァルキリー、頼めるかね? 私は、外で戦っている連中を止めたい」
「お任せを」
おろおろとするエルゼを尻目に、魔王は後をヴァルキリーに任せ、城外、門前に向かった。


「くぉぅっ、まさか、我がリザード族の英傑と戦うことになるとはっ!」
「くははははっ、死して尚、同族の猛者と戦うことになるとはなぁっ!! ネクロマンサー殿には感謝しても足りぬ!!」
死者との戦いは過激化していたが、生者の側の優勢となっていた。
その中での一騎打ち。かつてエリーシャと一騎打ちの末破れたレイドリッヒと、グレゴリーの副官ダルガジャとの闘いであった。
「ふぬぅ……でやぁぁぁぁぁっ!!!」
「ぬぉっ」
しばし剣と剣とが舐め合う力比べであったが、やがてダルガジャが気合と共に押し切り、大きく踏み込む。
「喰らえぃっ!!」
曲刀を大きく揺らし、太刀筋をかく乱させながら斬り付ける。
「くははっ」
しかし、これをレイドリッヒは容易く受け払い、回転の力を利用して斬りつけんとする。
これを、ダルガジャは必死に跳ね除け、追撃の尻尾の切り払いも防いで見せた。
「くぅっ!? さ、流石は我ら一族随一の剣の遣い手。一筋縄では行かんかっ」
「くははっ、中々愉しませてくれる。これだ。こういう闘いがしたかった! 人間の勇者も中々の腕利きであったが、からめ手無しで我とここまで渡り合えたのは貴様が初めてだ!!」
続く突進からの一撃を盾で受けたものの、その動きは素早く、ダルガジャは押され気味であった。
「本来なら、決着が付くまで心往くまで闘いたかったが……だが、時間切れのようだ」
にや、と口元を歪め、レイドリッヒが笑う。
「……? ああっ――」
何を見て笑ったのか一瞬解らなかったダルガジャであったが、自身の背後にそろそろと眼を向け、そして気づいた。
門の上に立つ長身痩躯の男。その姿に。


「――苦労をかけた。私はこうしてここにいる。城に巣食っていた『偽者』は倒した。これにて――この戦いは終わりだ!!」
何事かと驚きながらも道を開ける兵らの中を進み、その中心で叫ぶのだ。
「戦いは終わりだ。各々、武器を納め、持ち場に戻れ。諸君らの忠誠。忠義。そして働きは、決して忘れん!!」
魔王は、笑った。子供っぽい悪戯顔だ。威厳などどこにもありはしない。腕も一本、欠けたままだった。

「――魔王陛下だ」

 だが。兵達の指揮を執っていたグレゴリーは、ぽつり、呟いてしまう。
これだ。これこそが、このよく解らない感じが、あの陛下なのだ、と。
「魔王陛下っ」
「よくぞお戻りで!!」
「ずっとお待ち申し上げておりました!!」
兵らも口々に声を上げる。誰一人、魔王を拒まない。
全員が、魔王の存在に何の疑問も抱かず、その姿を称えた。
相応しき者が、この城に戻ったことを喜んだ。

「くくく、くははっ、さすがだ。流石は魔王陛下。これ位でなくては、我らが死して尚、手を貸そう等とは思わなかった!」
消え往く身体に何の不満も無く。レイドリッヒは笑いながらその空気を愉しんでいた。
「レイドリッヒ殿……?」
「楽しかったぞリザードのツワモノよ。良く鍛錬しろ。魔族一の遣い手になれ。あの陛下に尽くすなら、それ位は必要、だ――」
にやりと笑い言葉を遺しながら、やがて消え去っていった。
ネクロマンサーの不死の兵団は、皆彼のように満足げな顔で、その魔王の雄姿に、もう動けない自分達に代わり、彼に忠義を尽くそうとする心強い兵らの姿に歓喜し、後を託しながら消えていった。

 魔王城最後の戦いでの戦死者、戦傷者は0であった。
不死の兵団は、誰一人魔王城の兵に傷を負わせなかったのである。


 こうして、世界に一つの平和が訪れた。
最後の最後、世界を不穏に陥れた偽者騒動も幕を閉じ。
魔族と人間とが争わぬ、静かな世界が取り戻されたのであった。
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