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11章.重なる世界

#11-4.悠久の旅人は再び旅立つ

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「はぁっ、はぁっ――」
バルトハイム帝国、帝都デルタにて。
薄暗がりの路地の中、小さな本を胸に走る娘が居た。
長く美しいチョコレート色の髪が大きく乱れ、揺れる。
「いたぞ!! あそこだ!!」
声を荒げ、その背に追いすがろうとする男達の姿にびくりと背を震わせ、走る足に力を籠(こ)める。

 路地の先の路地。道の先の道を駆け抜け、小さな家屋へと入り込む。
そこは彼女が新たな命を産み落とした場所。良く知った隠れ家であった。
戸を閉め、鍵をかけて近くに置かれていた棚を倒して足止めにする。
すぐに戸を蹴りつけるような音が聞こえるようになるが、構わずそのまま奥に進む。
食卓の間のテーブルの下、床板を外すと、そこには階段があった。

「ライト・ウィプス」

 内側に入って戸板を元に戻すと、掌大の光の玉を呼び出し、先を確認しながら慎重に地下へと降りてゆく。
降りた先には狭いながらも通路があり、その先にははしごが掛かっているのだ。
これを登れば、家から少し離れた先にある倉庫に繋がるドアへとたどり着ける。

「――えっ?」
だが、このドアは固く錆び付いており、押しても引いても開くことができなかった。
鍵が掛かっている様子は無いが、とても女一人の力では開きそうにもない。
「くっ――」
必死に体当たりしたり、蹴りつけたりしながらこれをなんとか開こうとするも、努力虚しく。
『この先だっ、この先にあの女がいる!!』
『早く捕まえろっ、絶対に逃がすな!』
「あ……そ、そんな……」
やがて自分を追いかける男達の声が聞こえるに至り、彼女は身をすくませ、縮こまってしまう。
これから起きる事を想像してしまった。
最悪の事態とて覚悟はしていたはずだというのに、恐怖ばかりが心を支配し、身体が動かなくなってしまう。

「いたぞっ!! ここにいた!!」

 そうして、辿り付かれてしまう。
蒼い僧衣をまとった新興宗教の手先が数名。
逃げ道を失った娘――エルフィリースは、絶望の表情を浮かべながら、声すらあげられずにそれをただただ、見つめていた。 


 爆音が、鳴り響いた。閃光が放たれ、やがてそれが、僧衣の男達に突き刺さってゆく。
「なっ、何が――」
これで手詰まりかと思った最中の出来事。
エルフィリースの背後の扉が爆ぜて、そこから溢れた光が男達を襲ったのだ。
「――遅くなったのうエリス。無事かや?」
そして、にやにやとした顔の黒衣の女が一人、そこに立っていた。
黒いとんがり帽子、黒いレース編みのドレスコート。
指先を覆うグローブまで黒という、いかにも・・・・な魔女風の女。
「マリー!! 貴方がここにいるという事は、アンナ姉さん達は!?」
その姿に曇りかけていた顔は晴れ、エルフィリースは自分より背の高いその魔女を見上げていた。
「無論、無事じゃ。当然であろう? 妾《わらわ》が責任を持って無能な父上相手に、必死になって説得してやったのだぞ。この国はもう、怪しげなカルトなぞの好きにはさせんよ」
「そう……よかった、わ……」
マリーと呼ばれた黒魔女の言葉に、エルフィリースは安堵し、くたり、その場に座り込んでしまう。
「すまなかったな。お前に怖い思いをさせてしもうた。国が、もっと早くお前を認めていれば……」
微笑みを湛《たた》えながら、黒い唇をふ、と、緩め、エルフィリースの方に手を置く黒魔女。
「だが、安心して良いぞ。我がバルトハイムは、お前の掲げた理想を決して軽んじたりはせぬ。さあ、世界に往《ゆ》こう。妾とお前とが組めば、魔族めらとて説得できようよ!」
時代がかった古びた口調ながら、まだ年若い魔女殿は、聖女と二人、にこり、笑いあう。
「――ええ! がんばりましょう。人々の、平穏の為に!!」
そうして手と手を取り合い、歩き出す。


「……私が関わらなければあのドアは開くものと思ったけど、全く別の要因で閉まってしまうのね。そして、特定の条件を満たした上で『偶然』伯爵がこの街にいなければ助けられないはずのエルフィリースは、本来歴史の表に出ないはずの『皇女』に、救出される――」

 街では、数多《あまた》の兵士が、民衆が居並び、魔女と聖女を出迎えていた。
バルトハイム帝国第三皇女、ミーシャ・マルゲリータ=バルトハイム。
レプレキア家次女、エルフィリース・レプレキカ。
後の世に伝わる、魔族との戦争終結に関わった中心人物二人であった。

「――良かった。エリー、貴方はきっと、幸せになれるわ」

 喝采をあげる民衆に笑顔を振りまくかつての親友がどこか悔しくて。辛くて。何より悲しくて。
自分が隣にいたのでは、親友だったのでは幸せになどできないのを知っていて。
別の人物が彼女の親友となった現実を前に、そしてそれが故救われたエルフィリースを前に、侍女服の『魔王』は一人、世界が平和になっていく様を眺め、笑っていた。
溢れ出る涙を拭う事すらできず、ただ、ただ。
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