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竜胆桔梗

竜胆 桔梗という人間

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 「”怨嗟の鬼”の最優秀賞受賞は―――取り消すしかなさそうだな」







そう聞いたとき、私は自分の耳を疑った。私もあの作品を観させてもらったが、初心者が書いたとは思えない出来だった。それがどうして、受賞者発表後に、こんなこと。







 それを聞かされる少し前、私は”怨嗟の鬼”の担当編集者に任命されていた。正確には自分で大賞受賞者の中から選んだといった方がいいかもしれない。弊社のような企業は、大きな賞を獲った人にあえて若い新入りを担当として付けて、若手の成長を狙うというケースが多い。私の場合もそれは例外なく、私は五、六人の大賞受賞者の中から、自分のキャリア初の担当作家を選ぶことになった。当然私の同僚にあたる数人もその場にいて、一斉に手を挙げて、まるで競りのように決めることになっていた。ここまで聞くとなんとなく想像できるかもしれないが、誰も最優秀賞受賞者の担当に手を挙げることはなかった。こんな大きな賞の受賞者な上に、ナンバーワンともなれば、そのプレッシャーは想像するに易いだろう。







 かくいう私も初めはそのうちの一人だった。なんなら佳作くらいの受賞者と二人三脚でやっていけたら良いな、と思っていたくらい。沈黙に終わった最優秀賞受賞者の競りが終わり、優秀賞に移ろうとしているとき、私の頭の中にはこの仕事を選ぶまでの回想が走馬灯のように映し出されていた。















 本を読むのがとにかく好きだった学生時代。幼小中高と、私の側には常に本があった。ファンタジーからホラー、恋愛ものや推理小説に青春物語。ジャンルは自分の中の流行りに従ってコロコロ変わっていったものの、いつだって色々な世界に触れていた。私の本の読み方はいつだってその世界にダイブする感覚で、本を読めばまるで異世界に旅行しているかのような気分だった。







 そんな本漬けの生活を送っていた私だ、一度や二度、自分で本を書いてみたくなったこともある。自分が今までそうしてきたように、誰かを自分の世界に招待して楽しんで貰えるような、そんな作家になりたかった。仮にも常に本に触れてきているのだから、物語を書くのも簡単だろう、すぐにクオリティの高いものができなくても成長は早いだろう。自信に満ちながら始めた執筆は、意外にもすぐ壁にぶち当たることになる。







 まず、物語を作る、という第一歩目がとても難しい。誰かの作品に触れることと、自分でゼロから作品を作ることでは、大きすぎる差があった。というよりも、全くの別物であるような気さえする。まるでテニスを極めることで、道具を使ってタマを打つことを極めたつもりになっていても、野球でバットを用いてボールを打つことはできない、みたいな。とにかくいざ物語を書こうとした私の頭は、鎖で雁字搦めにされたかのように動くことはなかった。







 なんとか大体のストーリーが決まって、いざ文章を書き始めたらすぐさままた壁が立ちはだかった。ようやく一つ乗り越えたらこれか、もう勘弁してくれと思った記憶がある。その壁というのが、文章力である。書いているときは何も感じないのに、読み返したときその絶望は私の目の前に姿を現す。今まで多くの素晴らしい話を読んできたからこそ、自分の文章に”つまらない”という感情を抱くのは、とても堪えられるものではなかった。







 それでも、私は一冊ほどの小説を書ききった。当時は高校生だったのだが、高校生活にも支障がレベルでストレスのかかる執筆作業だった。そうして出来上がった私の処女作は、一生日の目を見ることはなかった。その理由はただ一つ、自分で好きになれなかったから。こうして私の作家人生は、誰にも気付かれることもなく密かに幕を閉じたのであった。







 こんな経験をしているからこそ、私は作家さんに対する尊敬の念が非常に強かったし、世界中に散らばっている作品とそれを生み出した人間に感謝していた。その気持ちが、いつの間にか”作家さんの力になれるような仕事がしたい”という思考に移っていった。丁度進路を決めなくてはいけない時期だったから、というのもあるかもしれないが。







 それから私は編集者になるための道のりをコツコツと歩んできた。時々辛くなることもあったけれど、執筆の時とは異なり、今回は自分の本漬け人生が背中を押してくれていた。そうして私は作家という天才達をサポートすることができる立場になった。そして今、目の前には天才達の頂点達の名前が羅列されており、この中の誰かの執筆をすぐそばでサポートできる立場にいる。



 回想が一通り終わった時、競りは佳作に差し掛かろうとしていた。その時私はいつの間にか手を挙げていた。







 「すいません、私有栖川照也先生の担当になりたいです」と一言添えて。















 担当になってから初めに何をすれば良いのか分からなかったが、とりあえず自分の紹介などの必要事項をメールで有栖川先生に送った。送った後で、こういうのは電話で直接言うべきだと気付き、自分で自分の太ももを小さく叩いた。この仕事に就いた時点で過去の人付き合いが苦手な自分とはおさらばしたはずなのに。ふがいない思いがとどまることを知らなかった。







 しかし、今更あえて電話するほどのこともなく、担当とは名ばかりの事務作業を淡々とこなして数日が過ぎた。その間私の毎日は、まるで常時たこ糸で吊されていたかのように当てもなくふわふわとしていたように思える。しかしそのたこ糸を無慈悲にも裁ち切り、私を地べたに叩きつけるほどの通達が、私の耳に届いたのである。それが例の、







 「”怨嗟の鬼”の最優秀賞受賞は―――取り消すしかなさそうだな」







というものだ。その会話は、編集長とあと何人かの役員のような人物の中で行われていた。新入社員にも分かるほどの古株やお偉いさんばかり。そんな人物達が、作品の受賞を取り消すなんていう冗談話をするようには思えなかった。しかし、なぜなのだろう。前述したとおり、あの作品は紛れもなく素晴らしいものだったはずなのに。
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