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竜胆桔梗

正義の花と芽生える闇

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 「その事態は把握しきれていませんでした、申し訳ございません。―――しかしそれでもこれはやれる、やれないではないんです。私と有栖川先生が、やりたいんです。私は直に有栖川先生から想いを聞いて、私の想いとも重ねて、この結論に至って編集長にお願いしているんです」







わかってください、編集長。あなたも、元々は担当編集だったのでしょう。







 「勿論会社のことや政府のことを考えていないわけではないです。それよりも有栖川先生の願いを叶えることを優先しただけなんです―――」







こみ上げる言葉をそのまま口から発していたせいで、唐突に言葉に詰まってしまった。しばらくの沈黙の後、ついに編集長がゆっくり口を開いた。







 「ここまで言っても食い下がらないのなら―――それはもう、そういうことなんだろうね。その気持ち、受け取ったよ」







酸欠の脳では、その言葉を理解するまでに時間がかかってしまった。今、私の気持ちを受け取った、と言いましたか。それはつまり、期待しても良いということですか。







 「僕の方から、リストを改めて変更しておくよ。しかしこれはできる限り慎重にやらなくてはならないからね、リストに有栖川先生の名前を加えるのは授賞式の前日にするよ。でも有栖川先生にはあらかじめ、というか今すぐにでも報告しておいてね。前日にやっぱり授賞式出席してください、なんてのは酷だから」







わたしはただうんうんと頷くことしかできなかった。だって今でも編集長がこちらに傾いてくれていることを信じ切れていないのだから。







 「後、佳作の受賞者の中から一人、代表でスピーチをするんだけど、それも有栖川先生に任せてもらって良いかな?丁度元々スピーチするはずだった作家さんがやっぱり嫌だって言い始めてね。有栖川先生なら元々最優秀賞だったはずの人物だし、その役割に不足ないでしょ」



 「はい、それも伝えておきます。―――でもこんな、いいんですか。自分からお願いしといて何ですけど、スピーチもなんて」



 「いいんだよ、言ったでしょう?僕も彼らのやり方には眉をしかめていたんだ。こんくらいの小さな反発くらい、許してほしいものだよ。まぁ実際は手違いってことにするんだけどね。わざとやったなんてバレたら怖いし」







なるほど、皆思いは同じだったわけだ。そうと決まれば今すぐ有栖川先生に連絡しなくては。



 私は編集長に深々とお辞儀してその場を去った。いくつものお礼の言葉を残して。そこから有栖川先生へ電話をかけるまで、私はなんだかワクワクしてしまっていた。いたずらとかを画策している子ども達は、多分こんな感覚なんだろう。無性に気分が興奮しているのが分かる。そんな調子で、私はスマホで有栖川先生の名前を探し始めた。















 竜胆が去った後の会議室で編集長は一人、スマホと向き合っていた。







 「大人は汚い、とよく聞くけどさ、僕はそれ間違いだと思うんだよね。だって汚い大人はいつから汚くなったの、って話じゃないか」







そして改めてスマホを見つめ、編集長はニヤリと口角を上げてみせる。







 「ま、そんな汚い大人にやられないためにも、自分も汚くならなきゃ―――だよね」















 ブーッ、ブーッ。耳元で俺のスマホが俺を振動で起こそうとしている。あれ、いつの間に寝ちゃってたんだろう。揚羽は―――トイレかな、姿が見えない。







 スマホの画面を見ると”竜胆桔梗”の文字があった。思ってたより速いな。これだけ速いとなんだか不安になる。ダメだと一蹴されてしまったのではないか、と。







 「あい、有栖川照也です」



 「有栖川先生、聞いてください!―――ってまさか寝起きですか」



 「いやぁ?そんなことないですけどね」



 「全く、私が勇気を振り絞っている時に当の本人は爆睡していたとは―――まあいいです、それより聞いてください、佳作に入れる話が通ったんですよ!」



 「え―――え?」







竜胆さんらしからぬ高いテンションに、寝起きの俺はついていけていなかった。いやそんなことより今、なんて?佳作に入れて貰えるって言った?







 「しかも何やら佳作の受賞者の中での代表スポーチも有栖川先生に任せる、とのことでした。これならこれでもかってほど爪痕残せますね」



 「わあ、マジか―――竜胆さんすげぇっすね」



 「いえいえ―――というか、もうそろそろちゃんと目覚めていただけます?受け答えの温度差で悲しくなるのですが」



 「はいっ、今ちゃんと起きましたすいませんでした」







冗談交じりに返すが、正直冗談抜きですごいと思う。これも竜胆さんが編集長を納得させようと必死に努力した結果なのだろう。この人には心底頭が上がらないな。







 「竜胆さん、何から何まで本当にありがとうございました。自分の初めての担当さんが竜胆さんで良かったって心から思ってます」



 「やめてください、そんなこれで最後みたいな言い方。実際ほんとに最後になるかもしれないくらい綱渡りなことしようとしてるんですから、今だけでもこれからもよろしくーみたいなこと言ってください」



 「そうすね、これからも一緒に頑張りましょ」







そう言うと竜胆さんも満足げに返事をしてくれた。こんな会話からも、初めの頃とは良い意味で印象が変わってきている気がする。あぁ、こんな感じでこれからも執筆活動をしていきたいなぁ。







 さて、ここからどうしようか。竜胆さんとの電話を終えて俺は改めて考える。まずは―――そうだな、スピーチでも考えるか。前に浮かれながら考えたスピーチは最優秀賞用だったしな。とはいえ佳作の中での代表って何を話せば良いのだろう。結局周りの人に感謝してますーみたいなスピーチしか浮かばないぞ。これじゃ最優秀賞のときとなんら変わらないじゃないか。いや別に変わらなくて良いのか、受賞者であることに変わりはないんだから。
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