上 下
16 / 26
悪魔の授賞式

やるときはやる男、有栖川

しおりを挟む
 首をかしげる俺を気にせず編集長は話を続ける。







 「有栖川先生が受賞者リストに含まれていることは、我々の中では”手違い”として処理するつもりなのだよ。更に詳しくいうなら、シナリオはこうだ」







編集長は俺にも分かりやすいように、多少のジェスチャーを交えながら解説を始める。







「まず、有栖川先生をリストに加えた人間は社内の誰かだとして、その社員と私たち上層部との連絡がうまくいっておらず、有栖川照也という名前が佳作に入ってしまった、ということにする。その変更自体は、できる限り見つからないように昨日の時点でこそっとやっといた。多分今の段階でもギリギリバレているかバレていないか五分といったところだろう」







編集長の表情が一気に真剣なものになってゆく。







 「問題は授賞式が始まった後だ。僕やそれ以上の上層部達もこの場には来ているし、有栖川照也の名前を知らないものは誰もいない。つまり、そこ付近でパニックが起きることが予想される。―――そこでね、有栖川先生にお願いしたいのは、我々を気にせず堂々と授賞式をやり終えて欲しいのだよ」



 「え―――竜胆さんや編集長は近くにいられないってことですか」



 「申し訳ないけど、僕はそうなるね。なんなら僕もここから先は、有栖川照也がリストに入ってしまった原因を探る側に回らなくてはならないだろうからね。でも竜胆くんは近くにいられると思うよ。竜胆くんも周りに振り回されてだまされただけ、という扱いにできるだろうからね。なんてったって有栖川先生の担当編集だし」



 「なるほどです、要するに編集長はこれから演技のフェーズに入り場をかき乱すので、僕は気にすることなく自分の仕事を全うすれば良いんですね」







自分の仕事。俺はもうスピーチを考えたときにそれが何か分かっている。その準備はしてきたつもりだ。







 「理解が早くて助かるよ、有栖川先生。それじゃ、後はよろしくね竜胆くん。いろいろサポートしてあげて。―――あーでも竜胆くんも初めてだしね、分からないことあったらスマホのメッセージでなんでも聞いて。そこら辺はうまくやるから」







竜胆さんにそう言い伝えて編集長は人混みに消えていってしまった。この仕事をして長いからなんだろうけど、全ての話し方や振る舞いに余裕が含まれていて、なんだかずっと格好良さを感じてしまった。俺もあんな大人になれたらいいな、としみじみ思う。















 会場が目を開けられないほどに爛々と照らされ、同時にカメラのシャッター音がけたたましく鳴り響く。とうとうイベントが始まった。ステージ上の椅子には受賞者が一列になって並んでおり、所々その後ろに担当編集さんが座っている。現に俺の後ろにも竜胆さんが座っていた。ちらっと竜胆さんの表情を見ると、その会場の規模の大きさに目を丸くしているようで、少し口が開けっぱなしになっている。竜胆さんもこの会場で担当編集として動くのは初なはずだし、きっと俺とさして変わらない感覚なんだろう。俺も気を抜くと会場の雰囲気にのまれそうになってしまう。







「令和○年第△回 ○△出版社文学賞の授賞式を始めさせていただきます」







再びシャッター音が鳴り響く。俺のスピーチの時にもこんなことになるのだろうか、と思うと今の時点で少し緊張してしまう。もう既に遊びに来た感覚はとうに消え去り、俺の心臓は普段の二倍以上の拍動を記録していた。







 その後には、名前も役職も明日には忘れていそうなお偉いさんの自己紹介と挨拶がいくつか続いた。







 「有栖川先生、あくび、あくび」







後ろからひそひそ声で俺を注意されてしまった。まずい、小学校とかの校長の話みたいだなと思っていたら、思いのほか退屈が全面に現れてしまっていたようだ。







 「しかも見てください、さっきから彼らの話がどんどん長くなっていくのと比例して、後ろでのざわざわも大きくなってます」







そう言われてお偉いさんの方に目を向けると、すぐに何人かと目が合った。気付かなかった、彼らは先ほどから俺の方をチラチラ見ていたのか。しかも竜胆さんの言うとおり、彼らは何やら時間稼ぎをしているようにみえる。間違いなく、俺がこの場にいるせいだろう。しかも俺は佳作の代表者としてスピーチする関係上、佳作受賞者の中で一番前に座っている。それはすぐに気付くはずだ。







 お偉いさんの時間稼ぎも効果は発揮せず、とうとう授賞式本番が始まった。まずは当然最優秀賞受賞者からステージ中央に呼ばれた。俺も何もなければあそこに立っていたと思うと、なんだかえも言われぬ気持ちが湧いてきた。







 「有栖川先生はあのデカい賞を獲るにふさわしい実力を持っているんですから、そんな落ち込まないでください」



 「え、後ろ姿だけでバレてます?」



 「バレバレですよ、一気におじいちゃんの背中って感じになりましたもん」







おじいちゃんって。そんなに覇気を無くしてしまっていたかなあ。でも実際落ち込んでる暇なんてないのは竜胆さんの言うとおりだと思う。今度は誰にもケチを付けられない内容であの賞を獲ってやるんだ。再び瞳の中に炎を灯していると、耳の中に最優秀賞受賞者のスピーチが流れ込んできた。どうやら今回この文学賞の頂点に輝いたのは女性だったようだ。







 「この度は、このような素晴らしい賞をいただきましたこと、心より感謝いたします。これも全て、今まで支えてくださった家族、友人、会社の関係者や出版社の皆様のおかげだと思っております」







俺の頭にあった原稿とほぼそのまんまの導入が聞こえた後、自分の作品のきっかけや製作過程の話が始まった。







 どうやら彼女の作品はテーマが「家族」についてのものらしく、暖かいながらもリアリティのある物語で”美しい”という表現がぴったりなものに仕上がっているらしかった。しかもそれを製作するきっかけが亡き愛する祖父の自伝を読んでその人生に感銘を受けたからだという。俺はスピーチを聞いただけで一つの小説を読み終わった感覚になって、感情が大きく動いてしまっていた。俺が描くドロドロとした悪意よりも、彼女の作品のようなものの方が、こういう文学賞の最優秀賞にはふさわしいように思えてしまった。次は俺もそっち路線で世界を創ってみようかな。







 その後も優秀賞や審査員賞などが続き、気付いたら最優秀賞のスピーチから三、四十分が経とうとしていた。普段ならそんな長い時間人の話を聞き続けるなんて考えられないが、さすがは大きな賞の受賞者と言ったところだろうか、所々興味深い話や読んでみたいと思える小説があって、俺は全く退屈することなく彼らの話を聞くことができた。







 そして気付けば次は佳作の受賞者が呼ばれる番になってしまった。今、俺はこの人生で一番緊張している自信がある。会場入りしたときに「不思議と緊張していない」とか言っていたのはどこの誰だ。そんなやつがいたら俺の開ききった瞳孔をどうにかして欲しいものだよ。







 「あ、あ、有栖川先生、先生はすごい人なんですから、胸を張っていっちゃってください。大丈夫です、きっと、大丈夫」







後ろからも俺の緊張に拍車をかけるかのような声援が飛んできているし、俺はもう、ダメなのかもしれない。頭がクラクラしていると、遠くの方で編集長がスマホ片手に多くの大人達に囲まれているところがみえた。そうだ、今でも編集長は戦っている。俺も彼の頑張りを無下にしてはいけないという使命がある。そして今ここにはいない揚羽の思いだって背負っているんだ。一丁かましてやるさ。







 「佳作、受賞者一同、順番にお名前をお呼びしますので、呼ばれた方からご起立願います」







そうアナウンスされると、俺含め佳作の受賞者達が一人一人呼ばれていった。







 「代表者、有栖川照也。前へお願いします」







そう言われて俺はステージ中央へ歩みを進める。そして落ち着いた姿勢で、賞状を受け取った。その瞬間あのシャッターの嵐が俺を襲ってきたが、俺は何かを通り越してひどく冷静になっていた。







 マイクを手渡され、今までの受賞者達が話してきた壇上に立つ。その瞬間、さまざまなことがフラッシュバックしてきた。走馬灯ってこんな感じなのかな。







 死んだように生きていた俺の元に、未来人を名乗る中学生が現れたこと。しかもそれだけには飽き足らず俺の未来が大犯罪者になっていると告白してきたこと。そんないかれた未来人とともに執筆作業をすることになり、そんな彼に様々なアドバイスを受けたりしながら試行錯誤して”怨嗟の鬼”を書き上げたこと。それがまさかの最優秀賞を獲ってしまったかと思いきや最悪な理由で取り消されたこと。こうふり返ってみると俺の半年は中々に密度が高いと改めて思う。ここまで関わってきた全ての人たちに、そして俺の作品に興味を抱いてくれている人たちに向けて、俺のスピーチを捧げます。







 「この度は、この大きな文学大賞において佳作をいただけましたこと、本当に感謝してもしきれません。今ここには来ることができていませんが、この作品の製作にはもう一人の人間が関わっています。いわば合作みたいなものですね。彼にも心より感謝を申し上げたいと思います。そして付き合いの長さでいったらとても短いですが、私の担当編集者の方や、編集長の方にも多くのご助力をいただけました。彼らの力により、私がここに立てているといっても過言ではないかもしれません。







 私がこの作品を書こうと思ったきっかけは、先ほどお話ししたもう一人の作者の存在でした。私は作品を創るにおいて、書き始める前にその世界の設定や物語の展開などをあらかじめ決めるタイプなのですが、今回は初めて彼と二人でこの世界を創りあげました。この作品は、主人公やその周りの人間達が、社会や大人の汚さや闇などに巻き込まれていって、次第に主人公もその闇の一部になってしまう、といったドロドロとした話になっています。当然これは私たちで創った世界で、私たちはそれらを俯瞰して作品を創り続けていたつもりでした。







 しかしあるときから私は、この闇は現実にも存在するのではないか、実際に気付かないうちに悪に染まっていることがあるのではないか、ということに気付かされました。それらの黒いものが、保身から生まれるのか、欲望から生まれるのかは定かではありません。しかし、確かに存在するのです。







 こんな救いのない話、好き嫌いが分かれるのも当然だとは思いますが、私の中ではこの作品は最優秀賞を獲ってもおかしくないと自負しております。是非、一度手に取っていただけると幸いです」
しおりを挟む

処理中です...