機械仕掛けの最終勇者

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第八章 旅立ちの寂しい朝

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 輝久は透き通る湖の上に佇んでいた。鏡のような水面が青空を反射して、白い雲が足元を流れていく。

 ふと気付けば、湖面に扉が出現していた。輝久は、この扉からマキが現れた時のことを思い出す。そして、マキを見て、無意識に涙を流してしまったことも。

(どうしてあの時、俺は泣いたんだろう)

 そんなことを考えていると、扉がゆっくりと開かれる。

 艶のある金髪が棚引いた。扉から出てきたのは、白いドレスに身を包み、吸い込まれそうな青い目をした美しい女神だった。女神が輝久に近付いてくる。

「……ティア」

 輝久は当然のように彼女の名を呼んだ。

「ねえ、テル。どうしてアナタは泣いているの?」

 ティアは不思議そうな顔でそう言った。輝久は流れ落ちる涙もそのままにティアに言う。

「扉から出てくるのが……ティアじゃない気がして……!」

 輝久の声は震え、涙が止め処なく溢れた。

「ティアが! ティアが俺の担当女神じゃなくなる気がして! そう思ったら、何だか悲しくて! だから……!」

 ティアは泣きじゃくる輝久の様子を見てクスクスと笑う。

「バカね。いなくなる訳ないじゃない」

 そして、光の女神は輝久の傍まで歩み寄ると、輝久の腕に自らの細い腕を絡める。

「ずっと傍にいるわ。私はテルの担当女神なんだから」

 そう言って輝久を見上げる。ティアの顔は少し赤らんでいた。

「もう! こんなこと言わせないでよ!」
「ティア」

 輝久はティアを抱きしめる。最初、驚いて体を強ばらせたティアだったが、やがて輝久の体に腕を回して、互いに抱き合った。

 寂しくて、愛おしくて、もう二度と離したくなくて――輝久はティアを抱く腕に力を込めた。

 その時、不意に、扉を叩く音が聞こえた。

 ティアが出て来た扉を、誰から向こう側からドンドンと叩いている。扉を叩く音は段々と激しくなり、そして――。




「……おーい、テル! 準備できてるかー?」

 輝久が目を覚ますと、遠慮のないクローゼのノックが部屋に鳴り響いていた。

 ガチャッと勝手にドアノブが回り、笑顔のクローゼが現れる。その後にはネィムとユアン、マキが続く。

「おはようございますです!」

 ネィムが元気に言った。「ああ……」と輝久は寝ぼけ眼を擦りつつ、ベッドから上半身を起こす。頭がぼうっとしていた。

(あれ? 俺達、居間で雑魚寝してたんじゃなかったっけ?)

「ったく。寝坊かよ。仕方ねえなあ」
「仕方ないよ、クローゼ。テルは疲れてたんだから」

 ユアンの言葉を聞きながら、徐々に記憶がハッキリしてくる。そうだ。夜中にユアンに起こされた。ちゃんと寝ないと風邪引くよ、って言われて個室に移ったんだ。

 ユアンが心配げな顔で輝久に問う。

「ねえ、テル。もしかして、また怖い夢を見たのかい?」
「いや。あんまり覚えてないけど……昨日のはきっと、ホントの夢だったと思う」
「夢にホントも嘘もないだろうによ」

 クローゼが笑う。輝久も少し笑いながら、見るともなくマキを眺めた。そういえば、どことなくマキに関係した夢だった気がする。

「初めてマキに会った時の夢だったかな」

 ハッキリとは思い出せない。でも、分からないけど……。

(多分、悲しい夢だった気がする)

 ふと、マキが目からオイルを流していることに輝久は気付く。

「マキ。目から漏れてるぞ」

 輝久はマキの顔を指さす。マキは気付いたようで、両目をパチクリさせた。

「不思議デス。考え事をしていタ訳ではナイのデスが」

 輝久はベッドから出て、マキに近寄ると、手拭いで目の周りをゴシゴシと拭いた。

「ほら。こっち向け」
「お気遣イ感謝致しマス」

 マキの隣ではネィムがこの様子を見て、微笑んでいる。

「マキちゃんと勇者様が仲が良いと、ネィムも何だか嬉しいのです!」

 黒いオイルが肌に残らないように丁寧に拭き取る。あらかた綺麗になると、クローゼが輝久の肩を叩いた。

「準備が出来たら行こうぜ!」
「え? 行くって何処へ?」
「しっかりしろよ、テル! 武芸大会も終わったし、仲間も揃った! 魔王を倒す冒険に行くんだろ!」
「あ、そっか。魔王から果物を守らなきゃいけないんだっけ。あんまやる気でないけど……」
「そりゃ皆、同じ気持ちだ! アタシだって果物を守る旅なんて全然行きたかねえ! テルと一緒だから仕方なしに行くんだ!」
「そ、そう……! 何か、ごめん……!」
「とにかく、外で待ってるからさ! 着替えたら来いよ!」

 皆が部屋を出て行った後、輝久は鎧を身に付ける。最初は戸惑ったものだが、今は慣れたもので数分も掛からなかった。

 輝久が準備を終えて、外に出るとユアンが微笑んだ。

「準備出来たみたいだね。じゃあ、行こうか」
「アルヴァーナの平和を守りましょうです!」

 ネィムが叫び、マキが同意するように「オー」と両手を上げる。

「悪い魔王をこらしめに行こうぜ!」

 クローゼもニカッと笑う。 

 皆、今にも出発しようとしているので、輝久は眉間に皺を寄せた。

「おいおい。ちょっと待ってやれって。置いてったら後で怒られるぞ」

 輝久はクローゼの家を振り返る。視線を戻すと、ユアンとクローゼ、そしてネィムがきょとんとした顔で輝久を見詰めていた。

「何言ってんだよ、テル?」
「置いていくって誰を、なのです?」
「誰って、そんなの――」

 決まってるだろ、と言いかけて輝久は言葉を失う。クローゼが不思議そうに言う。

「妙なこと言うなよ。テルの仲間はマキとネィム、アタシと兄貴だけだろ」
「そう……だよな。あれ? 何言ってんだろ、俺?」
「テルはまだ寝ぼけテいるようデス」

 輝久のパーティが揃って笑う。輝久も愛想笑いを返したが、心の中は靄が掛かったようにすっきりしなかった。

(何か忘れてる気がする。何か、とても大切なことを)

 不意に、手に冷たい感触。ハッとして我に返ると、マキが輝久の手を握っていた。

「テル。行きまショウ」
「あ、ああ。そうだな」

 マキに手を引かれ、輝久は歩き出す仲間達の後に続く。

 ほのぼの世界の優しい仲間達と笑い合いながら、武芸都市ソブラを出る瞬間。

『それで良いのよ。テル』 

 懐かしい女性の声が聞こえた気がして輝久は後ろを振り返ったが、そこには誰もいなかった。
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